1-7 異世界の法律
少女のつぶやきを聞き逃さず、理事長は鋭い眼光でしょげかえる少女を見つめる。
「リリア君? 『あんまりだ』はないんじゃないかな? わざとではなかったとしても、彼をこの世界に召喚したのは君なんだから」
「そ…それはそうですけど……。それでも、やっぱり同居っていうのは………」
カムラが目を細め、諭す。だが、リリアはまだ抵抗があるようで、同居することに否定的だ。自分に原因があるとはいえ、さっき知り合ったばかりの異性と一緒に暮らせと言われているのだから無理もない。
と、ここでリリアと同じく同居否定派のエメリスが助け船を出した。
「理事長。確かに召喚したリリア・ルーヴェルにも非があるとは思いますが、召喚に応じたオオゾラヒビヤにも責任があるのでは? 理事長の提案は両者に非がある割にはリリア・ルーヴェルの負担があまりにも大きすぎる気がいたします」
倫理的な観点ではなく、リリアの精神面に配慮しての発言。同じ女性ということもあって、その辺りの気持ちは十分理解できるらしい。一見すると冷徹そうな印象を受ける彼女だが、実際はただ厳格なだけで案外優しいのかもしれない。
「やはり、ここは同居ではなく………」
「ちょっと待った」
しかし、エメリスがそこまで口にしたとき、疑問を感じた日々也が手を上げて話を中断させた。
「何ですか?」
「どうして僕にも責任があるんだよ?」
「リリア・ルーヴェルがあなたを召喚する際、召喚してもよいかどうか確認を取ったでしょう? それを承諾したあなたにも責任があるはずですが?」
納得いかないと不満そうな顔をする日々也にエメリスは半ば呆れたような目を向ける。そこには、『まさかリリア一人に全て押しつけるつもりか』という非難の色が見て取れた。それに対して、日々也はさらに表情を渋くする。
「いや、問答無用で召喚されたんだけどな?」
「はい? それはどういうことですか?」
「どうもこうも、確認なんてされなかったぞ?」
どうも会話がかみ合わない。日々也もエメリスもお互いに首をかしげ、頭の上に疑問符を浮かべる。
「……あ!」
その時、リリアが声を上げた。三人の視線が集中する先で、体をこわばらせた少女はどんどん顔色を青くしていく。
「………リリア君?」
「いっ、いえ! 違うんですよ!? わざとじゃなくてですね、何というか、その、ど忘れしてたっていうか………」
カムラに名前を呼ばれたリリアは突然ぶんぶんと両手を振って慌てた様子で捲し立てる。その姿に、エメリスは『はぁ』とため息をつき、カムラもやれやれと首を振る。
ただ一人、会話の内容を全く理解できずに置いてけぼりを食らっている日々也だけがたまらず質問を投げかけた。
「許可がどうだの、さっきから何の話をしてるんだよ?」
「召喚魔法というのは少々特殊な魔法でして……」
「特殊?」
「召喚獣も生き物です。意志を持ち、私たちと同じように生きています。ですから、如何なる理由があろうとも相手側の許可なく召喚することは禁じられているのです。」
「もし、許可されてないのに召喚したらどうなるんだ?」
「ええと……それは…」
日々也の疑問に淡々と答えていたエメリスは突如として口ごもり、心配そうにリリアへと目を向けた。そのリリアはというと、大きな瞳に涙をためて、何かにおびえた様子でぶるぶる震えている。具体的には分からないが、彼女が何か重大な問題を起こしてしまったのであろうことはこの世界に関して疎い日々也から見ても明らかだった。
そこへ、追い打ちをかけるようにカムラが口を開く。
「法律で定められているからねぇ。確か、懲役10年くらいじゃなかったかな?」
その言葉を聞いた瞬間、リリアの肩がビクリと跳ねた。
「理事長! もう少し言い方というものがあるでしょう!?」
「言い方を変えたところで罪がなくなるわけじゃないだろう? エメリス君、ここは甘えさせる場面ではないよ。無自覚とはいえ、罪を犯したのならちゃんとそれを自覚させなければ」
唐突に、何の前触れもなく理事長の雰囲気が変わる。
先ほどまでヘラヘラと笑いながらふざけた言動を繰り返していた男とは思えないほどに言葉からは温度が失われ、視線は冷え切っていく。
静かな怒りを見せる理事長。そのあまりの豹変っぷりにエメリスは息をのんだ。
理事長自身に害意はないのだろう。だが、一言でも言葉を誤ってしまえば何が起こるか分からないほどの威圧感に喉がひりつき、指を動かすことすら躊躇われる。
リリアに至ってはもはや我慢の限界を超え、声を出すこともできずに目から雫をボロボロとこぼしている有様だった。
「異世界のことについて口を出すのはどうかと思うけど、酷すぎないか? その法律」
そんな中、日々也だけが変わらぬ態度で理事長に話しかけていた。
重圧に呑まれなかった、というわけではない。唯一、理事長との付き合いが短かった故に、またぞろ何かの悪ふざけだろうと判断してのことだ。
ある意味で致命的な失敗と言えるその言葉にエメリスが目を見張る。侮っているととられても文句の言えない振る舞いを受け、しかして理事長は激昂するでもなく、再び楽しそうに口端をつり上げた。
「私に言われてもねぇ。それから他人事みたいに言っているけど、君にも関係ない話じゃないんだよ?」
「どういうことだよ?」
含みのある口ぶりに日々也は眉根にしわを寄せ、それを見た理事長がニヤニヤと笑う。そこには先ほどまでの威圧的な雰囲気はまるで感じられず、代わりに相手をからかうのが楽しくて仕方がないといったものに戻っていた。
「実は、召喚獣が元の世界に帰れなくなることは稀にあってね。まぁ、理由は色々あるんだが、そういう召喚獣は早急に処分しなければならないという法律もあるのさ」
「は?」
突如飛び出した予想外の一言。脳が理解することを拒み、日々也の思考が一瞬停止する。
「処分?」
「簡単に言えば殺すってことだね」
さらりと、とんでもないことを言ってのける理事長。あまりにも軽い口調とのギャップに呆然としてしまっていたが、遅れて言葉の意味がじわじわと日々也の頭に染みこんでいく。
「ちょ、ちょっと待て! 僕は人間で………」
「残念だけど種族は関係ないんだよ。召喚魔法で召喚された以上、君にもこの法律は適用される」
今度は日々也の顔が青ざめる番だった。心の準備をする間もなく突きつけられた『死』という明確な危機に狼狽える。
それを眺める理事長は相も変わらず口元をゆがめ、勿体ぶるように続きを切り出した。
「まぁ、手がないわけでもないんだが……………」
「ど、どうすればいいんだ!?」
思わず身を乗り出す日々也を制し、理事長はその横で縮こまっているリリアへと意味ありげな視線を向ける。
「さっき、リリア君の話が無関係じゃないと言っただろう? 実はこの法律、正確には『元の世界に帰れず、かつ制御しきれない召喚獣は早急に処分しなければならない』というものでね」
「……つまり、リリアが許可なしに僕を召喚したことを黙秘して一緒に暮らせ、ってことか?」
理事長が言わんとしている内容を察して、日々也の目つきが鋭くなる。
何故ここまでリリアと過ごさせることにこだわるのかが分からない。からかうだけにしてはいやに固執しすぎている気がする。それどころか日々也たちの選択肢を丹念に潰していく様は、まるであらかじめこうなることを予想して準備をしていた気配すら感じられるほどだ。
だが、その答えを知るには圧倒的に情報が足りない。今の日々也には目の前で不敵な笑みを見せる男を睨みつけることくらいしかできなかった。
「いやいや、別に私の保護下であっても構わないんだよ? 要は制御下にある、と証明できればいいんだからね。その場合はリリア君一人を憲兵に突き出すことになるが、君からすれば年端もいかない少女よりも、私のように社会的地位もある大人と一緒にいた方が色々と楽ではあるだろうね」
「…………………………」
「急かすようで申し訳ないが、こちらも暇ではないんだ。事後承諾という形で彼女との召喚契約を認めるか、さもなくば私の下で帰還の方法が分かるまで悠々自適に生活するか、今すぐ選んでくれ」
ようやく与えられた選択の余地。しかし、そこにも明らかな誘導の意思があった。
自身の良心を試すかのような物言いに、日々也は隣に座る少女と見つめ合う。
既に涙は止まり、泣きはらした跡の残る顔に浮かぶものは『心配』だった。だが、それはリリア当人に対するものではない。自分を見捨てた方が得だと言われてなお、その感情は処分の可能性を提示された日々也へと向いていた。
犯罪者にされるかどうかの瀬戸際にあって、その上で他者を思いやる表情。それを見てしまえば、もう答えは一つしかなかった。
「分かったよ。その召喚契約とかってやつを認めればいいんだろ」
「………ッ!!」
リリアが言葉を詰まらせる。日々也の答えは彼女にとって本当に嬉しいものだった。
でも、だからこそ、その選択で間違っていないのかと、後悔はしないのかと、問いたださずにはいられない。
湧き上がる気持ちを抑えつけ、上手く回らない口を必死で開いて、改めて確認をとる。
「ほ、本当にいいんですか? 理事長さんの言うとおり、私よりも理事長さんと一緒の方が……………」
「いいって言ってるだろ。別にお前一人だけ不幸になる必要もないんだしな」
だが、日々也はリリアの抱えていた不安をあっさりと一蹴してしまう。その一言に、収まったはずの涙が再び滲んできていた。
「ヒビヤざああぁぁぁん!!」
「うわっ! 待て! 止めろ! せめて鼻水を拭け!!」
感極まって思わず抱きつこうとするリリアを日々也は慌てて押しとどめる。
こうして、騒がしい中で話し合いは終わりを告げ、日々也とリリアの同居が決定したのだった。