3-6 その名は
「いやぁ、手間をとらせてしまってすまなかったな少年。では、改めてハクミライトへ行くとしようか」
「一歩目から間違えるな。こっちだからな」
憲兵の詰め所で被害女性の保護とひったくり犯の後始末を任せた後、初っぱなからあらぬ方向へと歩き出そうとする少女の首根っこを日々也が引っ掴む。
彼女が厄介ごとに首を突っ込んだときはどうしたものかと焦りもしたが、憲兵に学園までの道を尋ねる機会ができたことを考えれば結果的には良かったのかも知れない。
ただ、少女と出会った地点から街の反対側まで移動してしまっていたのにはさすがに驚いた。いくら何でもここまで振り回されているとは思ってもみなかったのだ。案内役がついていながらこの始末。もしも一人にさせていたらどうなっていたかなど、想像したくもない。
しかし、それももう終わりだ。少女が考えなしにどこへともなく突っ走ってしまう質だというのなら、こうして無理矢理にでも引きずっていけばいい。まさしく犬の散歩のように行動を制限してやれば、間違っても迷子にはならないだろう。
若干、少女を人間扱いしていない自分の存在を感じつつも、もう知らんとばかりに歩き続ける日々也。対して少女は気にも留めずに、ぽつりと小さく言葉を漏らす。
「それにしても意外だったな。この街はかなり治安がいいと聞いていたのだが」
「あー………まぁ、色々あってな」
少女の言う通り、現在のルエリカは平時と比べて些か物騒になっていた。
原因は先日の誘拐未遂事件にある。
犯行の首謀者が治安維持組織内部に存在していたために憲兵は内部調査や事後処理に追われてごたついており、さらには何らかの集団が関係していることから、最大戦力かつ抑止力であった理事長が国王と今後の対応について協議する名目で街を離れた隙を狙って軽犯罪目的の輩が増えてきているのだ。
けれども、そこは世界有数の魔法都市。住民のほとんどが魔法使いであるここでは窃盗ごときでしか生計を立てられない小悪党やろくすっぽ魔法も使えない外様の人間など、大抵は返り討ちに遭って終わりである。
例え、ごくまれに一般人に当たったとしても、先程のように正義感溢れる通りすがりか憲兵に取り押さえられるのがオチだ。
つまるところ、この街においてケチな犯罪を目論む者はそんなことすら理解できない馬鹿とよほど自分の腕を過信している馬鹿しかいない。
とはいえ、
「余計なお世話かもしれないけどな、さっきみたいなのは控えた方がいいと思うぞ。危ないだろ」
「ふ、心配は無用だ。弾は装填していない」
日々也の忠告に、少女は軽く笑いながら見当違いの答えで応じる。どうやら彼女の中では悪漢に襲われるよりも、相手を必要以上に傷つけてしまったり、銃が暴発してしまう事態の方がよほど深刻な内容であるらしい。
実際あれだけの強さがあれば、身に危険が迫るなどそうそうありはしないだろう。
「ただ、少しやり過ぎたとは思っている。指を折ってしまったかもしれない。機会があれば謝罪しなければな」
「そんなのやられた日には、恐怖と屈辱で頭がどうにかなるだろうけどな」
彼女の口ぶりからして、どうやら嫌味や冗談ではなく本気で言っているらしい。本人的には誠意でも、相手からすれば完全に追い打ちだ。想像するだけで同情したくなってくるシチュエーションに、さしもの日々也も苦笑いをこぼす。
せめてもの幸運は、少女の願いが叶う可能性は限りなく低いという点か。あらぬ方向に曲がっていた指は確実に骨が砕けていたので、あのひったくり犯も二度と会いたくないはずだ。
もしも再会してしまった場合は、大人しく日頃の行いを悔いてもらうとしよう。
「ふむ、そういう考え方もあるのか。少年は冷静だな。あの凶行を見たときも、咄嗟に飛び出そうとはしなかった」
「……………ただ面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だったってだけだけどな」
少女の言葉に日々也の胸がチクリと痛む。
正直なところ、罪悪感がないわけではないのだ。だが友人が関係していた誘拐事件のときとは違って、赤の他人と自らの安全を天秤にかけるような場面ではどうしても後者を選んでしまう。
普通の感性をしているなら当然、と言ってしまえばそれまでだろう。だとしても、やはり自己嫌悪に陥るのはどうしようもない。勇敢にもひったくり犯に立ち向かった彼女を前にしては尚更である。
「ハッハッハ! 恥ずかしがる必要はないぞ、少年! 君はあの男をよく観察していたじゃないか!」
しかし、少女は日々也のその感情をあっさりと笑い飛ばしてみせた。
「背丈、体格、服装、髪型。通報の際にそれらを伝えるのはとかく重要だ。つまり、少年は状況に合わせて正しい判断をしたのさ。私など、ただ闇雲に突っ込んでいっただけだというのに」
「………勝手に体が動くってのは、ある意味すごいんじゃないのか?」
「ある意味では、な。だが、そんなものは考えなしと同義さ。仮に、さっきの卑劣漢が私よりも強かったら? 無駄にやられてしまうだけじゃないか。大切なのは、自分ができる範囲で自分がすべきことをする。これに尽きるんだ。動かなかったにせよ、動けなかったにせよ、恥じる必要も後悔する必要もないさ」
「お前は……本当…過大評価しすぎだろ」
ため息をつくと同時、日々也は己の顔を手で覆う。
一体何が琴線に触れたのか知らないが、少女はよほど彼のことがお気に召したらしい。
おかげで、褒め殺しの嵐に耳まで赤くなっているのが自分でも分かるほどだ。全くもって、全身がむずがゆくて仕方がない。
「なぁ、頼むからいい加減………」
「あっれ? なんや見覚えのあるやつがおる思うたら、こんなところで奇遇やね」
そんな日々也へ独特のイントネーションで話しかける人物が現れた。
目を向けた先には、予想通りの少年が一人。
「リュシィ……どうして、こう間が悪いんだお前は」
「自分、街中で偶然会うた友達に対して辛辣すぎへん?」
突然の悪態に当然の権利として苦言を呈するリュシィ。それを無視し、日々也は赤らんだ頬を両手で張って誤魔化すと、
「で? 何でここにいるんだよ」
「欲しい本があったから買いに来たんよ。まぁ、売り切れとったんやけどな。まさか限定版だけやのうて、通常版もないとは思わんかったわ。こんなことやったら、昨日のうちに無理してでも買うとくべきやったなぁ」
『ん?』と、日々也が眉をひそめた。何やら最近似たような話を聞いた気がする。具体的には、一日ほど前に馬鹿な同居人から。
「なぁ、その本ってもしかして、昨日発売された推理小説か?」
「ん? せやで。あ、そっちも同じもんが目的やったり?」
どうも、件の書籍は日々也の想像していた以上に人気があったらしい。まさかあの大雨の中、商品が無くなってしまうほどの客が書店に殺到しているとは思いもしなかった。リリアがあれだけ必死になっていたのも頷ける。
だとしても、前日の愚行を許すつもりはさらさらないが。
「リリアが買ってきたんだよ。代わりに、全身ずぶ濡れになって風邪を引いたんだけどな」
「あっはっは! リリアらしいなぁ」
「あんまり笑いごとでもないんだけどな」
「あぁ、すまんすまん。でも、病人ほっぽって出歩いとるんもようないんやない?」
「別に放って置いてるわけじゃない。風邪薬が切れてたから買い出しにきただけだ。まぁ、成り行きでこいつの道案内までしなくちゃいけなくなったんだけどな」
「………こいつって、どいつ?」
「……………………………………………………」
日々也は自らの手のひらを見つめる。
表情を隠すために使った手。
頬を叩くために使った手。
当然、その中にさっきまで掴んでいた少女の首根っこは存在していなかった。
「うおおぉぉ!! 少年、少年、見てみろ少年!! これはすごいぞ、こっちだ、こっち!! こっちだ、少年ー!!」
「あああぁぁぁぁ、もおおぉぉぉぉぉ!! いい加減にしろよ、お前はああぁぁ!!」
遠く離れた店先で興奮した声を上げる少女に、とうとう日々也の怒りが爆発した。
行方が分からなくなる前に自由奔放すぎる彼女をとっ捕まえると、そのまま一切の躊躇なくリュシィの元へと引きずり戻っていく。
「こいつの! 道案内を! してたんだよ!」
「…あー、うん。とりあえず、ちょい落ち着こか」
肩で息をする日々也をなだめすかすリュシィ。ただ、少しばかり少女に対して腰が引けているあたり、何となく事情は察してくれたらしい。
兎にも角にもひとまずこの場を収めなければと、彼は考えを巡らせ、
「えー、っと……その子、初めて会う子やけど、どこの誰さんなん? よかったら紹介してくれへん?」
「ん? あぁ、こいつは……………」
リュシィの対応に幾ばくかの平静を取り戻した日々也は未だ胸の奥にくすぶる苛立ちを飲み込み、隣に佇む少女を指さす。
そして、あることに気がついた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
「うむ。自己紹介をすっかり忘れていた」
「何なん、君ら」
予想もしていなかった二人の発言に、リュシィは信じられないと言いたげな目を向ける。
日々也としては心外な態度だったが、それなりの時間を一緒に行動しながら互いの名前を知らないのは確かにおかしな状況だった。
少女も同じように判断したのか、コホンと咳払いを一つし、
「では、僭越ながら私からしよう。私の名前はロレッタ・ライトニングだ。よろしく頼む」
「ワイはリュシィ・アルティカいうんや。仲良うしてな」
ロレッタと名乗った少女は、リュシィと握手を交わした後で日々也を見やる。
今度は彼の番、ということだろう。
対して少年は、いつもの調子でどこかぶっきらぼうに頭を掻きながら、
「僕は大空日々也。まぁ、よろしく」
「……………ヒビヤ?」
その名を耳にした瞬間、ロレッタの眉がかすかに動く。
「そうや、珍しい名前やろ? でも、悪いやつやないから安心してな。愛想に関しては別やけど」
「一言余計だな、お前は」
日々也とリュシィが軽口をたたき合い、ロレッタから注意がそれる。
そのせいで、彼らは気づけなかった。
少女の纏う雰囲気が、かすかに変わっていることに。
「………そうか。君が、そうだったのか」
ロレッタの呟きは日々也たちには届かない。
だが、それでいい。
もとより、聞かせる意味も必要もない。
少女の手がホルスターへと伸び、留め具を外す。そして、そこから取り出した拳銃をゆっくりと持ち上げていく。
次の瞬間。
耳をつんざく轟音が鳴り響いた。




