3-3 出会い、別れ、また出会い
「あ、しまったな」
女子寮の敷地を出た辺りで、日々也は不意に言葉を漏らす。
冗談を言い合っているうちに、リリアが買ってきてほしいものを聞きそびれていたのに気づいたのだ。
「……………まぁ、いいか」
わざわざ確認のために戻るのも面倒くさい。適当に何か甘い物でも用意すれば満足するだろう。そろそろ薬を調達しに行かなければ、今度こそ本気で文句を言われかねない。
それに天気の心配もある。
連日続いた雨こそ止んではいるものの、空は相変わらずの重苦しい鉛色だ。遠くないうちにまた降り始めるのは目に見えている。昨日のリリアと同じ轍を踏むのはごめんだった。そのためにも急がねばと、日々也は足早に歩を進める。
雨は嫌いだ。独特の湿気った匂いも、濡れた土やアスファルトの香りもいけ好かない。やはり天気は晴れでなければ。あくまで個人的な意見であり彼の性分というだけの話なのだが、雨雲を見る度に少年はそう考えていた。
以前、妹に問われた際も同じように答えたな、などと思いながら日々也は目的地へ向かう。目指すは行きつけの店の『コノハナ』である。あそこなら普通の風邪薬も取り扱っているし、何より他の店に比べて開店時間が早い。まだ朝方の今でも、到着する頃には営業を始めているだろう。それに、かわいい愛弟子の様子も確認できて一石二鳥というものだ。
(後はリリアへの土産だな。やっぱり食べやすいゼリーかプリン辺り……いや、アイスの方が喜ぶか?)
「少年」
(どっか寄るなら、ついでに日用品も買い足しておくか。残り少なかったのは確か………)
「少年!」
(食器用洗剤……は、まだあったな。洗濯用のも大丈夫。あぁ、リリアの使ってるリンスがそろそろ無くなりそうって言ってたっけか。銘柄は………えぇっと……………)
「しょ! う! ね! ん!!」
「うおわっ?!」
突然肩を掴まれ、日々也は驚きのあまり声を上げる。考え事に集中していたのもあるが、聞き覚えのない声が自分に向かって呼びかけてきているとは思わなかったのだ。
「おっと、驚かせてしまったな」
そう言って朗らかに笑う何者かの方へ振り返ると、そこにいたのは見知らぬ一人の少女であった。
背丈は日々也よりも少しばかり大きいが、顔立ちから察するにおそらくは同い年くらいであろうか。毛先で束ねた腰まである長い金髪と青い瞳は曇り空の下でも宝石のようにきらめき、日々也ですら『綺麗な人だな』と感じるほどだ。美男美女の多いこの世界においても、飛び抜けているに違いない。
しかし、その出で立ちは異質の一言に尽きた。
身に纏うは迷彩柄の軍服と、二丁の拳銃が収められたホルスター付きのガンベルト。まごうことなく軍人ですと言わんばかりの服装は本人の快活な喋り方とはまるで合わず、かなりチグハグな印象を与えてくる。そも、日常風景に溶け込む気があるのかさえ怪しい。リリアの魔法使いっぽい格好ですら、周囲からの認識ではちょっとしたコスプレ扱いを受けるほどなのだ。彼女に至っては浮いているなんてものでは済まないだろう。
「え……っと、何か用…でしょうか?」
あ、これ関わっちゃ駄目なタイプの人だ。
そんな直感から思わず語尾が敬語になる日々也。眼前にいる少年の心境を知ってか知らずか、少女は変わらぬ調子で話しかける。
「うむ。実は行きたい場所があるのだが、いかんせん街に着いたばかりで地理が分からなくてな。少々、道を尋ねたいのだ」
「あー………まぁ、それくらいなら」
日々也は内心胸をなで下ろす。何せ相対しているのは明らかな変わり者。とんでもない頼み事でもされたらどうしようかと気が気では無かったが、道案内程度なら大丈夫だ。知らなければ素直にそう答えて早々に距離をとれるのもありがたい。
少女の方も日々也の答えに満足したのか軽く頷き、
「いや、助かる! では早速、ハクミライト魔法学園まではどう行けばいいのか教えてはもらえないだろうか」
「ハクミライト?」
予想外の内容に同じ単語を繰り返す日々也。
ハクミライト魔法学園といえば、街中どころか世界中でも名を馳せるほどに有名な場所である。それこそ、今まで生きてきて一度もその名を聞いたことがないなどあり得ないくらいには一般常識の範疇だ。にもかかわらず、そこまでの道順を人に訊くのは些か違和感を覚える。
「む、もしや少年も知らないのか? だとすると弱ったな………」
「あ、悪い。そうじゃなくて、ちょっとな……。えっと、ハクミライトまでの行き方だったよな。なら、この道をまっすぐ行って……………」
相手の何とも言えぬ反応を受けて表情を曇らせた少女に対し、日々也は慌てて学園までの道のりを教える。考えてみれば彼自身、元の世界の名所であったとしても地図なしで辿り着けるのかと問われれば答えは否だ。さすがに大まかな所在は把握していても具体的にどう行けばいいのかまでは分からない。
所詮、有名どころなどそんなものだろう。初めて訪れた土地ともなれば尚更だ。
奇天烈な服装に気圧されて必要以上に警戒してしまったことを反省した日々也の丁寧な説明を聞き、口の中で数度復唱した少女は『よし』と一声。
「ありがとう、助かったぞ少年! 手間をかけさせてすまなかったな!」
「別に手間ってほどでもないけどな。ところで、ハクミライトに用事ってことは転入生か何かなのか?」
「うん? ……あぁ、そうだな。そんなところだ」
「じゃあ、今度は学園で会ったりするかもな」
「おや、もしや少年はハクミライトの生徒なのか? だとすれば心強い。これからも色々と頼りにさせてもらうとしよう」
「いっつも困られてても困るけどな」
「ははは、それは確かに! では、私はそろそろ行くとしよう。このお礼はいつか必ず」
「ん、またな」
お互いに軽口をたたき合って笑い、再会の約束とともに分かれてそれぞれの目的地へ向かって歩き出す。新しい友人ができる可能性に、少なからず胸を躍らせながら。
しかし、日々也はほんの僅かでも自分の直感を信じるべきであった。
そうしていれば、後に起こるあんな悲劇は回避できていたかもしれないのだから。
「ふふ、やっぱりヒビヤ君は優しいわね。見ず知らずの女の子を助けてあげるなんて」
「………改めて褒められるようなことでもないと思いますけど」
魔法雑貨店コノハナにて。カウンターを挟んだ状態で、日々也は店主のアオイに先程の出来事を話していた。
珍しく敬語を使っている彼を学友の誰かが見れば目を丸くするだろうが、日々也にとって穏やかで親切な性格のアオイは十分に敬意を持って接するに値する大人である。どこぞの理事長とは違うのだ。
「照れない照れない。相手からの賛辞は素直に受け取っておくものよ。子どもの間は特にね」
「……………はぁ」
曖昧な返事。
アオイは確かに尊敬できる人物ではある。あるのだが、同時に日々也は苦手意識も持っていた。
他人の善意や善性を本当に、心の底から、手放しで称賛する彼女のあり方は、今までの彼の人生においてあまり出会ったことのないタイプである。
ゆえにこそ、どう対応していいかが分からない。小さなことでも大きく評価されているような感じが言い様もなくむずがゆく、そして面映ゆい。
つまるところ、どこかぶっきらぼうで達観したような性格の彼にも意外と普通の少年らしい部分があるのだろう。
アオイにとってはそういった点も、思春期少年特有のかわいらしさにしか映らないが。
「師匠、お待たせ! 持ってきたよ、風邪薬!」
そんな折、日々也の元へ居心地の悪さを吹き飛ばす救いの女神が現れた。
頼まれた品を探すため、商品棚の迷路をさまよっていた自称『コノハナの看板娘』ことサクラが戻ってきたのだ。薬の他、種々雑多な消耗品を小さな両腕で抱えながら満面の笑みを浮かべる少女の姿には、先日の誘拐事件を引きずっている様子は見られない。
二つの意味で安堵した日々也は、荷物をカウンターの上に乗せたサクラの頭をお礼とねぎらいの気持ちを込めて撫でる。
「ありがとうな、サクラ。こんなにたくさん持ってくるのは大変だっただろ?」
「このくらい、へっちゃらだよ! それより師匠、一ついい?」
「うん? どうした?」
「座薬もあるけど、本当に飲み薬でよかったの?」
「…………………………本人の希望だからな」
想定外の一言。
もしや部屋を出る際のやりとりをどこかで聞いていたんじゃないかと疑いたくなるほどタイミングのいい質問に、日々也も一瞬フリーズしてしまう。
「ふぅん……座薬の方がよく『きく』のになぁ………」
『この子の座薬推しは一体何なんだろう?』と思う日々也。
流行っているのか、何者かからの当てつけか。どちらにせよ、気恥ずかしい。女の子にするような冗談ではなかったと反省するから止めてもらいたいものである。
「こ~ら。駄目でしょ、サクラ。いい商人は押し売りなんてしないわよ」
「あっ、そうだった! ご、ごめんね、師匠………」
「……まぁ、商品を勧めること自体は大切だからな」
意外な伏兵の精神攻撃から少年を助けつつ、アオイは算盤を弾いていく。程なくして導き出された額とぴったりの料金を受け取った彼女は品を袋に詰め、同時にさりげない動作で引き出しの中からつまみ上げたおまけを数点足して日々也へと手渡した。
「はい、どうぞ。ヒビヤ君」
「ありがとうございます。すみません、いつも色々と貰っちゃって」
「いいのよ、これくらい。あなたが貢献してくれてるお店の売り上げに比べれば、微々たる出費でしかないんだから。お得意様を増やすのとリピーターを逃がさないって経営戦略も兼ねてるしね」
「なるほど、勉強になります」
軽くおどけて笑い合う日々也とアオイ。対してサクラは不満げに頬を膨らませる。
「そんなこと言って、おかあさんってば、わたしにはおまけつけさせてくれないよね」
「こういうのはバランスが重要なの。相手の購入金額に応じて、多すぎず少なすぎないように量を調節する。あなたにはまだ難しいでしょう?」
「むぅー………」
「ふふ、拗ねないの。そのうち教えてあげるから」
「ほんと? 絶対だからね、おかあさん!」
「はいはい。分かってるわよ」
ねだる娘とあやす母。看板娘だ何だと一人前の商人を気取ってはいても、まだまだ甘えたい盛りなのだろう。サクラの言動には親に構ってもらいたいという願望が随所に見え隠れしている。
他愛ない普通の日常。ささやかな幸せ。
かつて望んでも得られなかった微笑ましい光景が日々也には少しばかりまぶしくて、彼は僅かに眼を細めた。
「それじゃあ、僕はこの辺で失礼します。ありがとうございました、アオイさん、サクラ」
「こちらこそ。またいつでもいらっしゃい。リリアちゃんにもよろしくね」
「またね、師匠! 今後とも『ごひいき』に!」
別れの挨拶を告げる二人に軽く手を上げて応え、日々也は店を後にする。そして、扉が閉まったのを確認してから深呼吸を一つ。湿気った空気を吸い込んで、代わりに逃げるように出てきてしまった罪悪感を吐き出していく。
うじうじ悩んでいても仕方がない。兎にも角にもリリアへの土産を買いに行こうと歩を進め、
「おや、少年。こんなところで会うとは奇遇だな」
瞬間、聞き覚えのある声が耳に届いた。