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召喚獣の異世界物語  作者: 黒太
第2章 たまごが先かニワトリが先か
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2-20 余分のお話②

 果たして、一体いつからいたのだろうか。

 気配はなく。音もなく。匂いもない。

 ただ、気づいたときには既に男はそこに佇んでいた。

 唯一その出現を察知できたのは理事長のみ。圧倒的なまでの隠密性は、暗に男の実力の高さを物語る。そして、何もかもを包み隠すように体を覆うローブが風にたなびく姿はアレウムの一件を想起させ、別人だと分かっていても日々也の全身が総毛立つ。

 もちろん、声や体格程度は魔法で簡単に偽装できることくらいは日々也も重々承知している。それでも、この男がアレウムではないと強く思わせる要素が一点。

 アレウムは復讐という炎を原動力として行動し、方向性こそ間違えど一種の情熱に近いものを有していた。

 だが、こいつは違う。

 言葉にするのは難しいが、あえて例えるのならば炎天下の中、溶け始めた小動物の死骸から滲み出した得体の知れない汚液のような、ドロリとした悪意が男からは漂っていた。

 それが、日々也の恐怖心を酷くかき立てるのだ。

 けれども、その感覚を二人より近くで味わっているはずの理事長は意にも介さず淡々と言葉を紡ぐ。


「さて。月並みな質問ではあるが、君は何者なのかな?」


「名乗るほどの者ではございません。強いて言うのであれば、ここに転がっている男の上司、とでも申しましょうか。直属ではありませんが」


「目的は何だい?」


「お答えできかねます」


 いやに丁寧な受け答え。しかし、それは敬意や尊敬からきているわけではない。淡々と事実を述べているだけのこと。まるで仕事の関係者に対して体裁を取り繕うが如き薄っぺらで上っ面だけの、あまりにも空虚な言動であった。


「この街で、私の目の届く範囲で、これだけの狼藉を働いておきながら身分は明かせない、目的も言えない、とはずいぶんじゃないか。もしかして、私の我慢がいつまで続くか試しているんじゃあるまいな?」


「その件については謝罪いたします。ですが、(わたくし)がこちらに伺った理由であればお話しいたしましょう。と、言いますのも……………」


「なっ、にを! しているんですか!?」


 突如としてローブの男の言葉を遮り、レオが叫び声を上げる。

 彼は未だ恐慌状態にありながら、震える手で理事長を指さすと、


「あ、あなたなら! あなたの魔法なら! あのカムラ・アルベルンが相手でも何とかなるでしょう!? は、早く! 早くあいつを殺して………」


「黙りなさい」


 男が袖口を、いや、腕をレオへと向ける。途端、その口が見えない糸で縫い付けられたかのように開かなくなった。

 味方であるはずの者から受けたいきなりの暴挙。目を白黒させるレオに近づいた男は、ずいと顔を寄せる。


「分かっていない、分かっていない。自身の独断のせいで私たちがどれだけの損失を被ったのか、あなたは全く分かっていない」


 男の体が、声が震える。

 抑えきれなくなった怒りが内から溢れ、レオの両頬を挟み込む形で五指が伸ばされると、握りつぶさんばかりに力が込められる。


「あなたの持つ財産、能力、内臓から髪の毛一本に至るまで、余すことなく金に換えたとしても到底補填できるものではない。にもかかわらず、今こうして息をしていられるのは魔導書に記された魔法をたった一つでも習得できたというちっぽけな功績に、ほんの僅かな将来性を期待してのことです。そんなことすら理解できずに私の仕事の邪魔を続けるのであれば、このまま最低限の徴収を始めますよ?」


 それは遠回しな、しかして明確な死刑宣告。既に男の中でレオの価値は、『いつ処分しても構わない存在』にまで暴落していた。

 男は決して自分を助けに来たわけではない。生かされているのは単なるお情けであり、むしろ事と次第によっては躊躇なく始末するつもりでいる。両頬に走る激痛とともに、男の考えをようやく悟ったレオの恐怖心はとうとうピークを迎え――――――――――、

 ついには、意識を手放した。

 口の端から泡を吹き、白目をむいたレオに対し、男は呆れた様子でため息をこぼしながら乱暴に投げ捨てると、理事長に向き直って深々と頭を下げる。


「お目汚し、失礼いたしました。どうか、ご容赦いただきたい」


「構わないさ。三下が多少騒いだ程度で目くじらを立てるほど狭量ではないつもりだ」


「寛大なご処置に感謝を。それで、えぇと…どこまで話しましたか。あぁ、そうそう。私が伺った理由、でしたね。カムラ・アルベルン殿。今あなたが手にしているその魔導書は私たちの大切な資産。どうか返却してはいただけないでしょうか?」


「断る。元々これは私の倉から持ち出された盗品だ。あくまでも所有権を主張するのなら、司法の場で私と争ってみるかね?」


 男の要求を、理事長は即座に拒絶する。

 同時に、場を支配する空気が切り替わった。

 喉が干上がる。肌がひりつく。まさしく一触即発。どれほど些細だったとしても、切っ掛けがあれば一瞬で周囲一帯が戦場と化すだろう感覚に日々也とリリアは息を呑む。

 理事長とローブの男。互いが互いの出方をうかがい、数秒が経過する。

 そして――――――――――、


「いえ、止めておきましょう。そのようなことに割く資金も時間も私どもにはありませんから。何よりどのような形であれ、あなたと事を構えるのはこちら側の不利益にしかならなさそうだ」


 そう言って男は肩をすくめ、理事長は鼻を鳴らす。

 どうやら、あわやというところで取り返しのつかない事態に発展することだけは避けられたらしかった。


「賢明な判断だね。今回は君の殊勝さに免じて見逃してあげよう。さっさと私の前から失せたまえ」


「恐れ入ります。が、せめて彼の脚くらいは戻していただけないでしょうか? さすがに、このままでは不便でしょうから」


「………いいだろう。私も他人の脚を集めて喜ぶほど悪趣味じゃない。持って行け」


 理事長が手の中の物を放り出す。放物線を描き、ふわりと宙を舞ったレオの脚は、次の瞬間には何事もなかったかのように元あった場所へと返ってきていた。

 男はそれを軽く確認すると、再度、理事長へとお辞儀をし、


「ありがとうございます。では、私どもはお暇させていただきましょう。……できうるのなら、二度と相まみえないようお祈りしております」


「君次第だな。次に会ったときは容赦しない。覚えておくことだ」


「………ふ」


 小さく、小さく男が笑い、ローブの裾が不自然にはためく。数秒と経たないうちにその動きは大きくなっていき、己自身と横たわるレオを覆い隠すように蠢くと、現れたときと同じく音もなく二人の姿はかき消えていた。

 一拍おいて、耳に痛いほどの静寂が戻る。次いで、大通りに面した民家から人々の声と生活音が聞こえ始め、ようやく危機が去ったのだと胸をなで下ろしたリリアが理事長へと駆け寄っていく。


「り、理事長さん。本当に見逃しちゃってよかったんですか? あの人たち、多分また……………」


「あぁ。別の場所で同じようなことをするだろうね」


 少女の懸念を、理事長はあっさり認めてしまう。

 当然だ。目的が何であったとしても、達成されていないのならば彼らはきっと同様の事件を繰り返す。今度は、理事長の力の及ばぬところで。

 それを理解した上でなお、理事長は不安がるリリアの頭を優しく撫で、


「だとしても、君たちの安全には変えられないだろう?」


 その一言にリリアも、日々也もハッとする。

 レオは、確かに言っていたではないか。ローブの男の魔法であれば、理事長にも対抗しうると。

 もしもあの言葉が真実であったなら、二人の戦いで辺り一帯がどうなっていたかは定かではない。もちろん、日々也とリリアもだ。


「まぁ、魔導書は取り上げたし、しばらくは何もできないだろうさ。心配はいらないから、君たちも早く帰りなさい」


「で、でも………」


「すまないが、送っていってはあげられないよ。これだけの大事だ。国王と憲兵隊長へ報告しなければならないし、他にも不届き者が紛れ込んでいないか確認する必要もある。……やるべきことは山積みだ。私はしばらく身動きがとれなくなるだろう。だから………」


 理事長は一度言葉を切るとリリアを、次いで日々也を見やる。


「くれぐれも、気をつけたまえよ。二人とも」


 慈愛、思慮、覚悟。様々な感情の入り交じった瞳で理事長は忠告すると、日々也たちを残して歩き去ってしまう。

 そこに、どのような意味が込められていたのかは分からない。

 はっきりとしているのは、この誘拐騒ぎが何かの始まりに過ぎないことと、長い長い夜がようやく終わりを迎えたことだけだった。

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