1-5 理事長
「はっはっは。それは災難だったね」
「笑いごとじゃないですよ………」
自分の向かい側に座っている男に笑われ、不機嫌そうに日々也は口をとがらせる。今、日々也とリリアはハクミライト魔法学園の理事長室で事の次第を説明しているところであった。
なぜそんな状況になっているのかと言えば、少女の悲鳴を聞きつけた寮にいる生徒と寮監がリリアの部屋へと押しかけてきたことが発端だ。
当然のことながら日々也を見るや否や彼を捕まえ、女子寮に侵入した不届き者を折檻しようとした彼女たちであったが、そこでリリアの制止と説明が入った。初めはその場にいる誰もが訝しんでいたものの、リリアの友人が『リリアは嘘をつくような性格じゃない』、『浮ついたことには無関心』という二つの証言をしてくれたおかげで、騒ぎは一応の収まりをみせた。
しかし、そうなると次に問題となってくるのは日々也の処遇についてどうするかである。
日々也を元の世界に帰す方法を知る者はおらず、かといって事故で見知らぬ世界に放り出されてしまった少年を無下に追い出すというのも忍びない。そこで、身近な人物で魔法に詳しく、さらに社会的地位のある人物、すなわちはこの学園の理事長に相談してみようという話になり、当事者である二人は理事長室を訪れたのであった。
そこで日々也たちを迎えてくれたのは、どう見積もっても20代後半から悪くても30代前半にしか見えない理事長のカムラ・アルベルンと、30代半ばくらいのまさしくキャリアウーマンですといった風貌をした秘書のエメリス・アルタイトだった。
「くっくっ……しかし、フィナ寮監から話は聞いていたが……なんとも面白い…。召喚魔法でまさか異世界の人間が召喚されるとは………」
「理事長。まさかこんな荒唐無稽な話を鵜呑みにされたりはしないでしょうね? どう考えても、この二人が逢い引きを誤魔化すためにした虚偽の発言に決まっています」
「そんな! エメリスさん酷いですよ! 私、嘘なんてついてません!」
嘘つき呼ばわりされ、必死に弁明するリリア。それを理事長は片手を挙げて制すと、自らの傍らにたたずむ秘書へと目を向ける。
「エメリス君、君は生徒のことを知らなさすぎていけないな。リリア君は嘘が嫌いないい子だよ。教師ではないとはいえ、学校関係者なら少しは生徒の特徴も知っておくべきだ」
「しかし……」
「前例のない事態だ。信じられないのも無理はないが、君が言うほど荒唐無稽な話でもない。召喚魔法は異世界からモンスターを召喚する魔法だ。私たちの住んでいるこの世界以外にも人の住む世界があるのなら、そこから人間が召喚されてもおかしくはないだろう?」
「それは……そうですが……」
なおも言葉を続けようとしたエメリスだったが、上司の弁に納得したのかそれ以上は何も言わず口をつぐんだ。理事長は自らの秘書が反論できなくなったのを確認してから日々也たちの方へと向き直り、にこりと笑う。
「すまなかったね、リリア君。彼女の失言、許してもらえるかい?」
「い、いえ…私の方こそすいませんでした」
少女の返答を聞き、理事長は満足そうに頷く。そして、場を仕切り直すように手を叩き、
「さて、それじゃあ本題に入ろうか。まずは、これからのヒビヤ君の生活場所についだが……」
「僕がこっちで生活するのは決定なんですか?」
「さっきも言ったように前例のないことなんでね。私も調べてはみるが、少なくとも数時間で解決策が見つかるとは思えない。方法が分かるまでは、こちらで暮らしてもらうことになる」
その言葉に、日々也は諦めのため息をついた。流石に今すぐ事態が好転するほど都合よくいくとは思っていなかったが、改めて言葉にされるとやはり堪えるものがある。
「やっぱそうなりますか………」
「そうなるね。それで、生活場所だが考えた結果……」
理事長は勿体ぶって一度言葉を切る。そして、
「リリア君の部屋に住んでもらうことにした!」
満面の笑みとともに、親指を立ててそう言い放った。
「はあああぁぁぁぁ!?」
「………はい?」
対照的な、それでいて『何を言ってるんだコイツ』という全く同じ意味合いを含んだ反応を返す日々也とリリア。それとほぼ同時、エメリスがまるでイタズラ猫の首根っこを掴むかのように理事長のスーツの襟を掴んで自らの方へ引き寄せた。
「理事長? アナタは何をふざけたことを言っているのですか?」
「はっはっは。エメリス君、私はこれっぽちもふざけてなんかいないよ?」
襟首を掴まれているにも関わらず、何でもないかのように理事長は朗らかに笑っている。恐らく気管が閉まっているだろうに、よくもまぁ平然としていられるものだと、呆れを通り越して関心すら覚えるほどだ。
「ふざけていないのなら馬鹿なんですか? これまでもおかしな言動は多々ありましたが、今回のはあまりにも酷いですよ? 年頃の男女を一つ屋根の下、一緒に住まわせるなんて………」
怒りのあまり、エメリスはその体を小刻みに震わせていた。見るからに、いつ堪忍袋の緒が切れてもおかしくない状況。しかし、理事長はなおも笑いながら告げる。
「いやぁ、私もさすがに『まずいかな?』とは思ったんだけどね、男子寮の部屋がもう全て埋まってしまっているらしくてね。それで仕方なく、女子寮に住んでもらうことにしたんだよ」
「男子寮の部屋が全部!? そんな馬鹿な……」
「嘘じゃないさ。この間、エクリュス君が転校してきただろう? どうも、彼の部屋で最後だったそうなんだ。信じられないのなら、バン寮監に訊いてみるといい。ほら、通信用の魔法具が私の机の上に置いてあるから」
理事長にそう言われ、エメリスは投げ捨てるように襟から手を離すとオフィスデスクへ駆け寄っていった。そして、筆記用具やら書類やらが置かれているデスクの上から手のひらサイズの紙切れを引っ掴むと、それに向かって半ば叫ぶように語りかける。
「もしもし、バン寮監ですか? エメリスですが、男子寮の空き部屋について詳しく話を………もうない? 一つも!?」
複雑な魔法陣の描かれた紙切れに向かって、頭を抱えながら騒ぎ立てるエメリス。会話相手の声は離れた場所に座る三人にまで届きこそしなかったものの、先程の話が真実であることだけは彼女の様子と言葉から容易に想像できた。そして理事長はといえば、何が面白いのか自分の秘書が困り果てている姿に口元を愉快そうに歪めたあと、日々也たちへと視線を移し、
「いやぁ、二人とも本当に大変なことになったね」
と、心の底から楽しそうに微笑んでみせるのだった。