行間 幸せなやりとり
「うわっ!? 何だ、こいつの目! 気持ちわりぃ!!」
帽子を取り上げた少年がそう叫ぶ。
油断、していたのだろう。
周りの子どもたちが、半分近く隠された顔がどうなっているのかを気にしていたのは『見えて』いた。だが、他人の動きを先読みできる自分なら、何をされても簡単に対処できると高をくくっていた。
それがよくなかった。
彼らの好奇心を、まさしく甘く見ていたのだ。
囮役が気を引いているうちに、背後に回って帽子を奪い去る。そんな単純な手に引っかかり、あまつさえ驚愕から左目を開いた状態で衆目に晒してしまった。
その後の展開は容易に想像できた。
毎朝、自身ですら鏡を覗き込むことが憂鬱になるほど醜悪な瞳なのだ。初めて呪われた目を見た少年少女が怯え、気味悪がり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのは当然の帰結とも言えた。
「バケモノだ! バケモノ!!」
「やだっ! こっち来ないで! 近寄らないで!」
「こ、これは………違っ、待って! 話を聞いて!」
幼いカミルは何とか彼らを引き留めようと声を上げる。しかし、伸ばした腕は容易く振り払われ、むなしく空を掴む。
分かっていた。分かっていたのだ。こうなることなど始めから。おぞましい呪いをその身に宿した自分が誰かとともにいられるはずがなかったのだ。だというのに、変に夢見て憧れて。全くもって馬鹿じゃないかと自嘲する。
「どうして……」
胸の中が空っぽになる。
「どうして…」
空洞となったそこへ、どうしようもない悲しみが満ちる。
「どうして!」
やがて、悲しみは行き場のない怒りへと変貌していく。
「これだ………これだ! これが、こんなものがあるから! こんなもの! こんなものぉ!!」
ガリガリ、ガリガリと、カミルは顔ごと左目をかきむしる。
どうなったって知ったことか。失明するならしてしまえ。潰れろ。抉れろ。裂けてなくなれ。そう思いながら、少年は指を動かし続ける。
ポケットから様子をうかがっていた精霊たちの制止を振り切り、痛みも忘れ、流れる血すら気にもとめず、異形の眼球をこの世から消し去ろうと躍起になる。
「ニャアアァァァ!? ちょっと!? 何してるニャア!?」
そんな彼を止めたのは、一人の少女であった。
猫を彷彿とさせるその独特な喋り方は聞き覚えがある。近所に住んでいる同い年の子だ。
「血が出ちゃってるじゃないかニャア! あぁ、もう! 手当てするからこっち来るニャア!」
「え? あ………えっ?」
それ以上カミルが自傷行為に走らぬよう、赤く染まった手を強く握って少女は相手のことなどお構いなしに歩き出す。
彼女にも、左目を見られていないはずがない。にもかかわらず、少女は気にとめることもなく、カミルの腕を引いていく。
だからこそ、
「あ、あの……ねぇ!」
「んん? どうかしたかニャア?」
「えっと、その………怖く、ないの? ボクのこと。ボクの……………目のこと」
聞かずにはいられなかった。
自分ですら怖気が立つほどなのに、と。
内心では嫌々なんじゃないか、と。
だが、
「そうだニャア………特徴的だとは思うけど、私も大概だからニャア。その程度、怖くもなんともないニャア」
カミルの問いに、少女は迷いなく答える。
血で霞む視線の向こうに見えた少女の表情は拒絶でもなければ、少年に対する嫌悪感でもない。
そこにあったのは、相手を思いやる優しい笑みだった。
「ほら、それより早くするニャア。傷が『うん』じゃったら大変だニャア」
「わっ、わっ……あ、あんまり急かさないでよ………!」
きっと、彼女にとってはどうでもいいことだったのだろう。
少女はカミルを引き連れ、そのまま自宅まで駆けていく。そして、『もうこんなことしちゃ駄目だニャア』と真剣に語るのだ。
掴んだ腕を離すことなく、固く握りしめたまま。
それから、彼女の家で厄介になったことを覚えている。
慣れない治療で不格好に巻かれた包帯を見て、二人で吹き出したことを覚えている。
今となっては、いつの出来事だったか分からないほどに遠い遠い昔の記憶。
けれども決して忘れ得ぬ、大事な大事な彼女との思い出。