1-3 帰れない召喚獣
「それじゃあ自己紹介も済んだことですし、早速ですけど契約といきましょうか」
リリアと名乗った少女は持っていた杖を軽く振るう。すると、突如として何もないはずの空中から一枚の紙が現れた。
床に落としてしまうこともなく、器用にキャッチしたリリアはそれに目を落とす。
「えーと、ではまず……」
「ちょっと待て」
「はい? 何ですか?」
ろくな説明もせず、どんどん話を進めようとするリリアに日々也の制止が入った。
このままではいけない。幸いにして、自身を見上げる少女に敵意や害意はないらしい。ならば、今は彼女から情報を引き出すのがよかろうと、日々也は口を開く。
「これ、どういう状況だ?」
「え、っと? どういう………とは?」
質問の意味が分からないと言いたげに、リリアは小首をかしげながら尋ねた。だが、自分でも現状がどうなっているのか理解し切れていないのに、何を聞けば知りたいことを教えて貰えるのかなど最適解を導き出せるはずもない。
日々也はしばらく頭をひねり、ひとまず疑問を一つずつ解消することにする。
「えっと……まず、ここはどこだ?」
「ここはハクミライト魔法学園の女子寮の私の部屋ですよ」
「は?」
結果、質問に答えてもらったはずなのに、余計にわけが分からなくなっただけだった。聞いたこともない学校の名前が飛び出してきたのだから無理もない。しかも、魔法学園などと日常生活ではまず聞かないような単語まで混ざっている始末だ。何よりも手に負えないのは、リリアの様子から察するに今の受け答えが冗談ではなく本気で言っているらしいという点だった。
まさしく混迷ここに極まれり、だ。
頭痛から頭を抱えて唸っている日々也を不思議そうに眺めていたリリアは、しばらくしてから遠慮がちに声をかける。
「えーっと、そろそろ契約に移ってもいいですか?」
「まっ、待った! どうして僕はここにいるんだ?」
「それは、私があなたを召喚したからですよ」
さも当然のように答えるリリア。しかし、それによって日々也の思考はなおさらこんがらがっていく。もしかして、自分はとんでもなくヤバイやつに絡まれているんじゃないかとすら思えてくるほどだ。いっそ、『ドッキリ大成功!』とでも書かれたプラカードを持った知り合いがこの場に現れてくれればどれほど気が楽になるだろう。
「それにしても、不思議な召喚獣さんですね。まず身の回りの状況を確認するなんて。モンスターさんは生まれつき召喚についての知識を持ってるって授業で習いましたけど、あなたは違うんですか?」
「なっ!? 誰がモンスターだよ! どこからどう見ても人間だろ!」
「え? 私の召喚魔法で出てきたんですからあなたはモンスターさんなんでしょう?」
「だから! 人間だって言ってるだろ! っていうか、さっきから召喚だの契約だのって何なんだよ!?」
怪物扱いされて頭にきたのか、怒りの炎が再燃しだした日々也が語気を荒げる。だが、リリアは相変わらずのんきに微笑むばかりだ。
「召喚は召喚ですよ。他の世界にいるモンスターさんをこっちの世界に連れてくる魔法です。契約は召喚したモンスターさん、つまり召喚獣さんと召喚者がお互いの利害が一致するようにする決めごとのことです」
「つまり、ここは異世界だと?」
「ヒビヤさんからすればそうなりますね」
馬鹿げている。それが日々也の率直な感想だった。
異世界だの魔法だの、そんなものが現実に存在しているなどと受け入れられるはずがない。だが、リリアの言っていることが本当なら一応はつじつまが合っているのも事実ではある。
「それで、その契約の話なんですけどね」
この事態にそろそろ追いつけなくなってきた日々也からの質問が途絶えると、リリアは先程からしようとしていた契約の話を再び持ち出してきた。
そして、どこか恥ずかしそうに視線をそらしながら、
「実はもうすぐ召喚魔法の試験があってですね」
「試験?」
「はい。実は私、今まで召喚魔法が成功したことが一度もなくてですね、契約済みの召喚獣さんがいないんです。でも、その試験で上手く魔法が使えないと再試を受けなきゃいけなくて………。だから、再試を回避するためにも、ヒビヤさんには是非とも私の召喚獣になってもらいたい。と、いうことなんですっ! お願いしますっ!」
リリアが日々也に頭を下げる。その顔は真剣そのものだ。日々也は微笑むとリリアに告げた。
「お断りします」
そして、現在に至る
「大体、動機が不純すぎるだろ! 何だよ再試を回避したいって! たったそれだけの理由で召喚される相手の身にもなってみろ!」
「い、いえ! もちろん第一目的は再試の回避ですけど、契約して頂けるんでしたらこれから一緒にやっていく上でお世話になることは多々あると思うといいますか、その、あの、えっと……………!」
鋭い指摘に慌てて弁解するリリア。いっそのこと、見事と評価を下しても差し支えないほどの目の泳ぎっぷりに日々也はため息をついた。決して嘘ではないのだろうが、試験を合格することに頭がいっぱいで、その後のことを考えていなかったのが丸わかりだ。仮にそうでなかったとしても、日々也に答えを変えるつもりはこれっぽっちもなかったが。
「………まぁ、いいか。とにかく、僕を元の世界に帰らせろ。今すぐにだ」
「うぅ……やっぱり契約してくれないんですか?」
「当然だろ? 戻らないと明日香…僕の妹が心配するし、僕には僕の生活がある」
てっきり、契約してもらえるものとばかり思っていたのだろう。リリアは露骨に肩を落とし、全身で残念という感情を表していた。
しかし、いつまでもそうしていたところでどうにかなるものでもない。目元に浮かんだ涙を拭い、少女は魔法陣を指さすと、
「う~………分かりました。それじゃあ、そこに立ってください」
「ん~と、ここでいいのか?」
「はい。ちょっと、じっとしててくださいね」
日々也が指示した位置に立ったのを確認し、リリアは咳払いとともに両手で持った杖の先端で魔法陣を叩いた。そして、静かに目を閉じて日々也を帰還させるための呪文を唱える。
「契約中止。我、この者が元の世界に帰することを望む」
「…………………………」
「……………あれ?」
唐突に、リリアが首をかしげた。何度も何度も日々也と彼の足下にある魔法陣を見比べ、狼狽える。
明らかに様子がおかしい。
それを察した日々也がリリアを睨みつけた。
「おい。どうしたんだよ?」
「え、え~と……ちょ、ちょっと待ってください!」
そう言って、慌てたリリアは繰り返し呪文を唱えるが、何かが起こる気配は微塵も感じられない。予想外の異常事態に、その顔からは血の気が失せていき、少女の震える唇からぽつりと言葉が漏れる。
「魔法陣が反応しない………いえ、それ以前に、魔法陣とヒビヤさんとのリンクが切れてる……………?」
「はぁ? つまり、どういうことなんだよ?」
意味の分からないつぶやきに苛立ちながら問いを投げかける日々也へ、恐怖と動揺の入り交じった瞳で応えるリリア。
少女の引きつった口から紡がれた一言は、少年にとってこれ以上ないほどに絶望的なものだった。
「えっと、簡単に言うと……ですね、その………ヒビヤさんを元の世界に帰せません……………」
「…………………………は?」