1-33 開戦
「かつて、モンスターを人為的に生み出そうという試みがなされました。ですが、当然ながら新たな命を一から創り上げるというのは容易なことではなく、研究は難航。そんな中、体が鉱物のみで構成されたゴーレムなら作成できるのではないかと考えた魔法使いたちは、まず手始めに核となる感情を宿した岩石を開発することから始めました。人が持つと言われる七つの悪感情。すなわち、傲慢、憤怒、怠惰、強欲、色欲、暴食、嫉妬のことです。しかし、心とは、感情とは何なのか? どのように生じているのか? それすら解明できていないというのに成功するはずもなく、計画は頓挫しました。とはいえ、全くの無駄だったわけでもなく、その際に副産物として生まれた一つの魔法があります。感情の定着こそないものの、シンプルで扱いやすい優秀な魔法、それがこの、『七つの石』と呼ばれるものです」
悠々と語るアレウムの周囲に、壁から外れた石材が漂う。
その総数は七つ。まさしくたった今、日々也たちに話して聞かせたとおりの魔法が主の指示を中空で静かに待っていた。
「さて、私からお二人への最後の講義はこれで終了ですが、分からなかったところはありますか? 何かご質問は? ないのであれば………」
ゆっくりと、アレウムが片手を上げていく。それは自らが操る魔法への攻撃合図、その前兆。振り下ろされれば、途端に静止している幾つもの岩塊が日々也たち目がけて飛来することだろう。怪我程度で済まないことは火を見るよりも明らかだ。
だが、分かっていても動けない。何が引き金になるとも知れない状況。できることと言えば、アレウムの一挙手一投足に注意を払う程度のことしかなかった。
緊張から、日々也が生唾を飲み込む。
そして、
「そろそろお別れといたしましょうか?」
「七条の矢!」
アレウムが何かをするよりも先に、リリアが叫ぶ。途端、突き出された杖の先から光の矢が現れ、軌跡を描いて飛んでいく。
七条の矢。一つ一つが異なる色に輝く七本の矢は非殺傷用ではあるが、当たれば人を昏倒させるに十分な威力を持つ護身用の魔法。先手必勝とばかりにリリアが放ったものはそれだった。
自分よりも高い技量の魔法使いを前にして、後手に回るなど下策も下策。その判断自体は間違ったものではない。
だが、
「………優しいですね、ルーヴェルさん」
まるで手のひらを水面にたたきつけたかのような破裂音とともに、リリアの魔法が石材によって薙ぎ払われる。
どれだけ虚を突いたところで所詮は非殺傷用。もとより相手を傷つけないよう手加減されたものでは、これまで培ってきた経験という差の前に容易くあしらわれるだけだ。その程度のことはリリアとて十分理解している。にもかかわらず、他の魔法を使うという考えは彼女の中になかった。
咄嗟のことだったというのもあるだろう。しかし、それ以上にアレウムへ危険な魔法を向けてもいいのかという迷いがあった。
いくらアカネたちに非があるとしても、アレウムの行為は決して許されるものではない。だからこそ何としても止めなければならないと頭では分かっているのに、こうして相対しているとどうしても普段の優しい姿がちらついてしまう。事ここに至ってもアレウムが考えを改めてくれるのではないかと心のどこかで期待しているからこそ、無意識のうちに攻撃の手が鈍る。
このままでは駄目だ。自分だけでなく日々也まで危険にさらされる。そう判断し、リリアは今できること、すべきことは何かと思考を巡らせ、
「七条の光!」
「何度やったところで……………!?」
もう一度、杖を突き出してリリアは同じ魔法を放つ。
既に防がれた攻撃を繰り返す。一見すると悪あがきか無駄にしか思えない行為。だが、リリアの狙いは先程とは別のところにあった。
飛来する矢が再び岩塊によって打ち消された瞬間、周囲が光に包まれる。まるで閃光弾でも炸裂したかのように白く塗りつぶされる景色の中、アレウムが自らの失態を悟ったのは暗さに慣れた目が焼かれる痛みから反射的に顔を背けた後だった。
最初の一撃をあまりにも簡単に防げてしまったために油断が生じていたのか。例え一時でも視界を奪われた事実にアレウムは歯がみする。とにかく、何があっても対応できるよう全神経を集中させ――――――――――、
「………これは、見事にしてやられましたね」
夜の静寂が戻ってきたとき、そこに日々也の姿もリリアの姿もありはしなかった。それどころか、気を失って倒れていたはずのアカネすらいなくなっている。どうやら、まんまと標的を連れて逃げられたらしい。
「なかなか手際がいい。あらかじめ説得ができなかった場合に備えて打ち合わせをしていたようですね」
精神的な隙を突いてきたのはただの偶然か、こうなることを予測した上での行動かまでは分からないが、アレウムはリリアの的確な判断を素直に賞賛する。
その顔から余裕の笑みが消えることはない。
焦ることなど何もない。
未だ彼らは手のひらの上。どうあっても逃げおおせることなどありはしないのだから。
「それで!? これからどうするんだよ!?」
ぐったりとしたアカネを背負い直しながら、足を止めずに日々也が叫ぶ。普段であればさして問題はないはずの体重でも、意識のない人間は実際よりも重く感じるものらしく、並走するリリアに遅れないようついて行くのがやっとだ。
「ど、どうしましょう!?」
そのリリアもだぼついた服装のせいか、ろくに速度が出ていない。いつアレウムが追いついてくるか分からない状況で、ゆっくりとしか走れないというのは想像以上につらいものだった。
だが、リリアの表情が歪んでいるのはそれだけが原因ではないだろう。
見知った相手に刃を向けられる苦痛。そして、過ちを正せなかった悲しみが思考をかき乱す。どうして理解してくれないのだと思わずにはいられない。
「そうだ! 通信魔法! あれで誰かに連絡取れないのか!?」
「で、でも、そうしたら先生は………」
「もうそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
未だにアレウムの立場を考え、助けを呼ぶことに躊躇するリリアへ日々也の怒号が飛ぶ。確かに彼の言うとおり、相手の心配をする時期はとうに過ぎている。今は自分たちの安全を確保することを優先するべきだ。
迷いに迷って、ようやくリリアが懐から魔法機を取り出す。
その瞬間、
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
すぐ横の壁面から石材が飛び出し、二人が悲鳴を上げる。同時に、リリアの手の中にあった魔法機が弾き飛ばされ、からからと軽い音を立てながら夜の帳の中へと吸い込まれていった。
「魔法機が!」
「バカ! 避けろ!」
日々也がリリアの腕を引いた刹那、その足下へ先程の石材が激突した。床が割れ、飛び散る破片が当たればただでは済まないことを伝えてくる。頭であれば、容易く頭蓋が砕かれることだろう。
自らの血と脳漿がペンキのように辺りにぶちまけられる光景を想像し、日々也の足がすくむ。体勢を崩したことと相まって担いだ少女がずり落ちそうになるのを堪えられたのが不思議なくらいだった。
だが、いつまでも呆けてはいられない。がりがり、ごりごりと威嚇する蛇のように這い回る岩塊から逃れるために横道へと飛び込み、ひたすらに走る。
「くそっ、もう来たのか!?」
「い、いえ! 近くにはいませんでした! まだ追いつかれたわけじゃないはずです!」
「じゃあ、今のは何なんだよ!?」
「それは………分かりません。もしかしたら、壁や床を伝わってくる音を頼りに私たちの居場所を把握しているのかも……………」
リリアの言葉に日々也が舌打ちを返す。もしもその予想が正しいのであれば、自分たちの現在地は常に把握されていることになる。少しでも距離をとりたいのに、動けば動くほど位置を特定されてしまうのでは本末転倒だ。それではどこへ逃げても意味がない。
日々也の魔法機で助けを呼ぼうにも、登録されているのは未だリリアの魔力のみ。今の状況では誰かに連絡を取ることも不可能なただの石版同然だ。元の世界でも携帯を所持していなかったために連絡先を増やすという感覚が欠落していたが、その弊害がこんな形で表出するのはさすがに予想外だった。
まさに八方塞がり。しかし、問題はもう一つある。
「うおっ、と」
走っているうちに、腕の中から再び落下しかけるアカネ。気を失っている以上は仕方がないこととはいえ、しがみついてこない相手を背負って走るのはかなり骨が折れる。
いっそのこと、見捨ててしまえばどれほど楽になることか。
文字通りのお荷物加減に、ついそんなことを考えてしまう。
アレウムもアカネを差し出すのなら見逃してくれると言っていたではないか。そうだ、全て投げ出してしまえばいい。もとより、守ってやる義理など微塵もないのだ。
今すぐこの手を離せば、それだけで――――――――――。
「ヒビヤさん? ヒビヤさん!!」
「え? あ、あぁ、何だ?」
どす黒い衝動に駆られそうになる日々也へと、唐突に声がかけられる。目を向ければ、その先にあったのは汗だくになりながらも必死に打開策を模索するリリアの姿だった。
元々、運動が得意な方でもないのだろう。日々也以上に疲労の色を滲ませながら、それでも荒い呼吸を抑えて口を開く。
「この辺りにとどまるのはどう考えても得策じゃありません。とにかく、どこか別の区画に移動した方がいいと思うんです」
「確かにそうだな。それで? 上に行くのか? それとも下か?」
「いえ、ここからなら北館に行く方が近いです。階段は狭いですから、余計に危ないでしょうし。ちょっとだけ距離がありますけど、大丈夫ですか?」
「………もう少しくらいならな」
そう言って、アカネを支える腕に力を込める。
一体、自分は何をしようとしていたのか。隣を走る少女が全員で助かるために全力を尽くしているというのに、一人だけ諦めそうになってしまうとは。
余計なことは考えるなと、日々也は頭を振って前だけを見据える。
「……………なぁ、リリア」
「どうしました?」
だが、一つだけ。どうしても聞いておきたいことがあった。
それは先程アレウムが口にしていたことでもあり、日々也がアカネを見捨てそうになった理由でもある。
つまりは、
「お前は、何でこんなやつを助けようって思えるんだ?」
首を突っ込む必要などどこにもなかったはずだ。自分を罵倒し、アレウムの娘を死に追いやろうとしたほどの相手であれば、見殺しにしたところで誰も責めはすまい。
にもかかわらず、こうしてアカネを助けるために文字通り奔走しているのは何故なのか。
何となくで流され、連れてこられて今この場にいる日々也とは違う。リリアは初めから自分の意思で選び、自分の意思でここに来た。その決定的な違いは何なのか、何が彼女にそうさせるのか。日々也にはそれが分からなかった。
「別に、アカネさんのためなんかじゃないですよ」
「は?」
「昨日のこと、まだ許してないですしね!」
そんな日々也の疑問をリリアは前提から間違っていると、こともなげに否定する。
前日の怒りがぶり返してきたのか、鼻を鳴らしてアカネへの不満を表したリリアは『ただ』、と言葉を続け、
「私は、アレウム先生にこれ以上罪を重ねてほしくないんです。今はちょっと冷静じゃないだけで、先生が本当は優しい人だって、知ってますから。それにアカネさんみたいな人にだって、きっといなくなったら悲しむ人がいるでしょうし」
迷うことなく、真っ直ぐな瞳で答えるリリア。照れ隠しかとも思ったが、真剣な眼差しはそれが心からのものであることを何よりも雄弁に語っている。
その事実に、日々也は思わず笑いを漏らした。
ここで困っている人は誰であろうと見捨てられないなどと言い出そうものなら、それこそどう反応すればいいのか戸惑ったことだろう。だが、そうではなかった。この少女はただ自分が正しいと思ったことをしているだけだ。ならば、自分がやるべきことは決まっている。
「じゃあ、絶対に逃げ切らないとな」
「『拾われ子』って言ったことも謝ってもらわないといけませんからね!」
決意も新たに、二人は廊下を駆けていく。
目指すは自分たちの信じた道の先。望む結末を掴むために、ただひた走る。