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呪われた令嬢と不毛の地の辺境伯〜触れたものすべてを枯らす力は、穢れを祓う祝福でした〜  作者: 九葉


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第2話

夜会での公開処刑から一夜明け、わたくしは粗末な旅人用のドレスに着替えさせられ、紋章も入っていない揺れのひどい馬車に押し込められた。


国外追放。


その言葉の響きは、現実味がないまま、ずしりと重く心にのしかかっている。


両親は、最後までわたくしの前に姿を見せなかった。


『ヴァインベルク家の汚点』は、こうして静かに処分されるのだ。


(どこへ行くのかしら)


御者に行き先を尋ねても、ただ「国境まで」としか答えない。


きっと、どこかの森の奥深くにでも置き去りにされて、獣の餌食になるか、飢えて死ぬのを待つだけの運命なのだろう。


(それも、いいかもしれないわ)


もう何も考えたくなかった。


何も感じたくなかった。


心を無にすれば、傷つくこともない。


ガタン、と一際大きな揺れと共に、馬車が止まった。


王都の城門を抜けた先の、開けた場所だった。


「ここで護衛の任を引き継ぐ」


御者の無愛想な声と同時に、馬車の扉が外から開けられる。


そこに立っていたのは、一人の騎士だった。


いや、騎士というには、その男が放つ雰囲気はあまりにも異質だった。


漆黒の軍服に身を包み、腰には長大な剣を佩いている。


磨き上げられたブーツから、真っ直ぐに伸びた長い脚。引き締まった体躯。


そして何より、見る者を射抜くような、凍てつく冬空を思わせる銀色の瞳。


艶やかな黒髪が、冷たい風にさらりと揺れていた。


その顔には、何の感情も浮かんでいない。


まるで精巧に作られた氷の彫像のようだった。


「……っ」


わたくしは息を呑んだ。


その男の顔を、わたくしは知っていた。


ゼノン・フォン・アイゼンヴァルト。


国土の北西、魔物が最も多く出ると言われる不毛の地を治める辺境伯。


戦場では鬼神のごとき働きを見せることから、『氷の悪魔』『戦場の死神』など、およそ人間離れした数々の異名で呼ばれる人物だ。


貴族社会の交流を一切断ち、滅多に王都へも姿を見せないため、その素顔は謎に包まれていた。


なぜ、そんな大物が、追放される罪人であるわたくしの護送役に?


「クロム・フォン・ヴァインベルクだな」


低く、温度のない声が、わたくしの名前を呼ぶ。


「……はい」


かろうじて返事をすると、彼は銀色の瞳をすっと細め、わたくしを頭のてっぺんからつま先まで、品定めするように眺めた。


その視線に、居心地の悪さを感じる。


(ああ、この人もきっと、わたくしを『呪われた令嬢』として見ているのね)


厄介払いを命じられ、不愉快に思っているに違いない。


これ以上、彼を苛立たせるべきではないだろう。


わたくしは馬車から降りると、彼に向かって深く頭を下げた。


「この度は、お手数をおかけいたします、アイゼンヴァルト辺境伯。わたくしは、どこへでも参ります。どうか、よしなにお取り計らいください」


自嘲気味に、できるだけ従順に。


けれど、彼は予想外の言葉を口にした。


「よしなに取り計らうつもりはない。お前には、俺の領地に来てもらう」


「……え?」


彼の領地?


不毛の地と名高い、あのアイゼンヴァルト領へ?


一体、何のために?


疑問が顔に出ていたのだろう。彼は面倒くさそうに、短く言葉を続けた。


「これは王命だ。お前の身柄は、俺が預かることになった」


王命。


アルフォンス殿下は、わたくしを国外へ追放すると言った。


けれど、この人は王命だと言う。


一体、どちらが本当なの?


混乱するわたくしを置き去りにして、彼は自分の馬を指し示した。


馬車の何倍も大きく、黒鋼のような逞しい軍馬だ。


「乗れ。馬車より早い」


「……わたくしが、ですか?」


「他に誰がいる」


有無を言わせぬ口調だった。


彼が差し出した手に一瞬躊躇する。


(いけない、この手に触れては……)


わたくしが素手で触れれば、この人の手も枯れてしまうかもしれない。


そう思うと、恐怖で身体が竦んだ。


「……手袋を、しておりますので」


そう言って、自ら馬に乗ろうと足をかけた、その時だった。


「無駄な動きだ」


溜息と共に、強い力で腕を引かれ、次の瞬間には、わたくしの身体はふわりと宙に浮いていた。


彼が、いとも簡単にわたくしを抱き上げ、馬の鞍へと乗せたのだ。


「ひゃっ……!」


思わず、情けない悲鳴が漏れる。


彼も軽々と鞍に跨り、わたくしは彼の腕の中にすっぽりと収まる形になった。


背中に、硬く、けれど温かい胸板の感触が伝わってくる。


「しっかり掴まっていろ。振り落とされるぞ」


そう言って、彼は手綱を握った。


馬が、ひひん、と短く嘶く。


わたくしは、どうすればいいのか分からず、ただ彼の軍服の裾を、手袋越しにぎゅっと握りしめることしかできなかった。


旅は、想像以上に過酷なものだった。


けれど、その道中で、わたくしはゼノン辺境伯の意外な一面を少しずつ知ることになる。


彼は、ほとんど喋らなかった。


けれど、言葉の代わりに、常に行動でわたくしを気遣ってくれた。


食事の時間になれば、無言で干し肉と硬いパンを差し出すだけでなく、どこで手に入れたのか、温かいきのこのスープを木製の椀に入れて手渡してくれた。


「……ありがとうございます」


おずおずと礼を言うと、彼は「ああ」と短く応えるだけ。


けれど、そのスープの温かさが、凍りついていたわたくしの身体と心を、じんわりと溶かしていくようだった。


夜、野営のために火を焚けば、彼は一番火に近い暖かい場所をわたくしに譲り、自分は少し離れた場所で番をする。


冷たい夜風にわたくしが小さく身を震わせていると、どこからか分厚い獣の毛皮を持ってきて、無言で肩にかけてくれた。


その毛皮は、彼の匂いがした。


森の木々と、澄んだ冬の空気のような、不思議と落ち着く匂いだった。


ある晩、どうしても眠れずに火を見つめていると、彼が静かに隣に座った。


沈黙が、少し気まずい。


何か話さなければと思ったけれど、何を話せばいいのか分からなかった。


「……あの」


意を決して、ずっと疑問だったことを口にした。


「どうして、辺境伯様が、このような役目を?」


彼はしばらく黙って、燃え盛る炎を見つめていた。


てっきり無視されるかと思った頃、ぽつりと、呟くような声が返ってきた。


「……俺が、志願した」


「え……?」


志願? 彼が?


どうして?


「なぜ、ですか……? わたくしは、国を追われる罪人です。呪われた、不吉な女なのに」


自嘲が、言葉に滲む。


すると、彼は初めて、真っ直ぐにわたくしの瞳を見た。


夜の闇の中でも分かるほど、彼の銀色の瞳は、星の光を宿したようにきらりと輝いていた。


「呪いかどうかは、俺が決める」


「……!」


「他人が決めたお前の価値など、どうでもいい」


その言葉は、わたくしがこれまでの人生で、誰からも言われたことのない言葉だった。


誰もがわたくしを「呪われた令嬢」と呼び、遠ざけた。


アルフォンス殿下でさえ、わたくしの力を否定し、断罪した。


なのに、この人は。


「氷の悪魔」と恐れられるこの人は、他人の評価などどうでもいいと言い放ったのだ。


胸の奥が、きゅう、と締め付けられるように痛む。


それは、悲しみの痛みではなかった。


もっと温かくて、もっと切ない、初めて知る痛みだった。


長い旅の果て、ようやくたどり着いたアイゼンヴァルト領は、噂に違わぬ荒涼とした土地だった。


空は常に鉛色の雲に覆われ、ごつごつとした岩肌が剥き出しの大地がどこまでも続いている。


枯れた木々が、まるで亡霊のように天に向かって細い腕を伸ばしていた。


植物の気配が、一切しない。


(……わたくしの手と、同じ)


死に満ちた大地。


それが、この土地に対する最初の印象だった。


わたくしがこの地に来て、一体何になるというのだろう。


不毛の地に、死を振りまく女。


これ以上ないほど、お似合いの組み合わせではないか。


暗澹たる気持ちで立ち尽くすわたくしの隣で、ゼノン辺境伯は馬から降りた。


そして、この荒れ果てた大地を、まるで愛おしいものを見るかのような、穏やかな目で見渡した。


「着いたぞ、クロム」


彼は、初めてわたくしを名前で呼んだ。


「ここが、お前の新しい居場所だ」


彼のその言葉は、わたくしを罪人としてではなく、一人の人間として迎え入れているように聞こえた。


冷たく、乾いた風が吹き抜ける。


わたくしは、自分の手袋をぎゅっと握りしめた。


この呪われた力が、この不毛の地で、一体何の意味を持つというのか。


まだ、何も分からない。


けれど、不思議と、絶望だけではなかった。


隣に立つこの人の背中を見ていると、冷え切っていた心の奥底に、小さな、小さな火種が生まれたような気がしたのだ。

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