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呪われた令嬢と不毛の地の辺境伯〜触れたものすべてを枯らす力は、穢れを祓う祝福でした〜  作者: 九葉


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第1話 

シャンデリアの眩い光が、磨き上げられた大理石の床に反射して、きらきらと星のように瞬いている。


聞こえてくるのは、優雅なワルツの旋律と、着飾った貴族たちの楽しげな談笑。


国王陛下のお誕生日を祝う今宵の夜会は、いつも以上に華やかで、幸福な空気に満ち溢れていた。


――わたくしを除いては。


「…………」


わたくし、クロム・フォン・ヴァインベルク公爵令嬢は、壁際に置かれた大理石の柱の陰で、ひっそりと息を潜めていた。


まるで、パーティーに紛れ込んだ幽霊のように。


誰からも声をかけられず、誰とも視線を合わせず、ただ時間が過ぎるのを待つ。


それが、物心ついた頃からのわたくしの処世術だった。


理由は、この手にある。


純白の絹の手袋に隠された、この呪われた両手が、わたくしからすべてを奪ったのだ。


わたくしが素手で触れた草花は、どんなに生命力に溢れていても、一瞬にして水分を失い、黒く変色して枯れ果ててしまう。


『不吉だ』

『呪われた令嬢』

『死を振りまく女』


幼い頃から、そんなふうに囁かれ続けてきた。


庭師はわたくしが庭園に近づくことを恐れ、侍女たちはわたくしの手袋に触れることすら厭うた。


実の両親でさえ、わたくしを「ヴァインベルク家の汚点」と呼び、腫れ物に触るように扱った。


そんなわたくしにも、たった一つだけ、希望の光があった。


この国の第一王子、アルフォンス殿下。


彼が、わたくしの婚約者だった。


政略結婚。それは分かっている。


けれど、彼は幼いわたくしに言ったのだ。


『大丈夫だ、クロム。その手袋、僕がいつか外してあげる』


その言葉を、わたくしは馬鹿みたいに、ずっと、ずっと信じていた。


いつか殿下が王妃としてわたくしを迎え入れ、この呪われた運命から救い出してくれるのだと。


だから、来る日も来る日も努力を重ねた。


王妃教育のすべてを完璧にこなし、殿下の政務を手伝い、彼のどんな我儘にも耐えてきた。


すべては、彼にふさわしい妃になるために。


すべては、あの日差しのような笑顔を、隣で見ていたかったから。


「クロム、ここにいたのか」


思考の海に沈んでいた意識が、凛とした声によって引き上げられる。


顔を上げると、そこに立っていたのは、夜空色の髪を優雅に流し、空色の瞳に自信を湛えた、わたくしの婚約者――アルフォンス殿下その人だった。


「殿下……」


胸が、とくん、と小さく跳ねる。


彼は今宵も、物語の王子様のように輝かしくて、眩しかった。


その隣に寄り添う、可憐な少女の存在さえなければ。


「……リリアナ様も、ごきげんよう」


「ごきげんよう、クロム様」


にっこりと花が綻ぶように微笑んだのは、リリアナ・アシュレイ男爵令嬢。


最近、王都で『聖女』と噂されている奇跡の少女だ。


彼女が祈りを捧げ、地に触れると、そこから美しい花々が咲き乱れるという。


わたくしとは、正反対。


光と影。


生と死。


彼女の登場は、貴族社会に熱狂をもって迎え入れられた。


そして、アルフォンス殿下が彼女にご執心であるという噂も、とうの昔にわたくしの耳に届いていた。


(大丈夫。大丈夫よ、クロム)


心の中で、自分に言い聞かせる。


殿下はわたくしとの長年の婚約を違えるような方ではない。


あれはただの気まぐれ。聖女の力への、一時的な興味に過ぎない。


そう、信じたかった。


アルフォンス殿下は、わたくしとリリアナ嬢を交互に見比べると、満足そうに口の端を吊り上げた。


そして、わざとホールの中央へと歩を進め、高らかに声を張り上げたのだ。


その声は、音楽を止め、人々の注目を一斉に集めるのに、十分すぎるほど大きかった。


「皆、聞いてくれ!」


何事かと、ざわめきが広がる。


その視線が一身に注がれる中で、殿下はわたくしを真っ直ぐに指さした。


そして、宣告した。


世界で最も、残酷な言葉を。


「クロム・フォン・ヴァインベルク! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」


シン、とホールが静まり返る。


時間の流れが、止まったかのようだった。


耳の奥で、キーン、という音が鳴り響く。


今、殿下は、何と……?


「な……にを……」


かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。


信じられない、というわたくしの表情を見て、殿下はさらに嘲るような笑みを浮かべる。


「聞こえなかったか? だから、婚約は破棄だと言ったんだ。お前のような『死』を振りまく女は、我が国の王妃にふさわしくない!」


死を、振りまく女。


その言葉が、鋭い氷の刃となって胸に突き刺さる。


周囲から、くすくす、という下卑た笑い声と、ひそひそ話が聞こえてきた。


『やはり、呪われた令嬢は捨てられたのだわ』

『当然ですわね。あの方の手、触れただけで病になりそう』

『それに比べて、リリアナ様の神々しさよ』


わたくしは、公開処刑にかけられた罪人だった。


「お前のその手は、呪われている! 生命を育むべき王妃が、触れるものすべてを枯らすなど、あってはならないことだ!」


殿下はまるで、長年の鬱憤を晴らすかのように、わたくしを糾弾し続ける。


「それに引き換え、リリアナを見てみろ!」


彼はそう言うと、愛おしそうにリリアナ嬢の肩を抱いた。


リリアナ嬢は、少し怯えたような、それでいてアルフォンス殿下に庇護される自分に酔っているような、絶妙な表情で彼を見上げている。


「彼女こそ、我が国に必要な『生』の象徴! 真の聖女だ!」


殿下に促され、リリアナ嬢が一歩前に進み出る。


そして、そっと、大理石の床に手を触れた。


すると、どうだろう。


何もないはずの石の床から、みるみるうちに色とりどりの小さな花が芽吹き、咲き誇っていくではないか。


おおっ、と会場から歓声が上がる。


人々は、奇跡を目の当たりにしたように目を輝かせ、聖女の御業を称賛した。


その光景が、わたくしの存在を、より一層惨めなものへと貶めていく。


(……ああ、そう)


心の中で、何かがぷつりと切れる音がした。


(わたくしの長年の努力も、あなたへの想いも、こんな安っぽい奇跡の前に、いとも容易く踏み躙られてしまうのですね)


悔しくて、悲しくて、目の奥が熱くなる。


けれど、ここで泣いてしまえば、本当に負けを認めることになる。


わたくしは、ヴァインベルク公爵家の令嬢。


その誇りだけが、今にも崩れ落ちそうな身体を支えていた。


「殿下。あまりに、一方的なお話ではありませんか。わたくしたちの婚約は、両家の、ひいては国王陛下の承認を得た、正式なもののはずです」


震える声を必死で抑えつけ、冷静に、毅然と、そう言い返した。


だが、アルフォンス殿下は鼻で笑う。


「父上には、すでに話を通してある。お前の呪われた力は、国に災いをもたらす危険なものだと。このリリアナの聖なる力こそ、国を豊かにすると」


「そんな……!」


「それに、お前の父親であるヴァインベルク公も、この件については同意済みだ」


殿下の視線の先に、父親の姿を見つけた。


父親は、わたくしと目が合うと、バツが悪そうにすっと顔を逸らした。


ああ――わたくしは、実の親にさえ、売られたのか。


もう、味方はどこにもいない。


わたくしの世界から、音が消えていく。


色彩が、失われていく。


すべてが、灰色に見えた。


幼い頃の約束も、積み重ねてきた日々も、すべてが嘘だった。


この人の心の中には、初めからわたくしなど、いなかったのだ。


絶望が、冷たい水のように、足元から身体を浸食していく。


もう、どうでもいい。


そう思った時だった。


「おっと、話はまだ終わっていないぞ、クロム」


背を向けてこの場を去ろうとしたわたくしを、アルフォンス殿下の声が引き留める。


彼は、まるで判決を言い渡す裁判官のように、冷酷に告げた。


「貴様のような災いの元は、王都に置いておくことすら危険だ。よって、明日、国外追放とする!」


国外、追放。


その言葉は、最後のとどめだった。


婚約を破棄されるだけでなく、生まれ育ったこの国からも追い出されるというのか。


あまりの仕打ちに、言葉を失う。


ただ、目の前の男の顔を、呆然と見つめることしかできなかった。


空色の瞳は、かつてわたくしに優しい言葉をかけた面影もなく、今は冷たい光を宿して、わたくしをゴミでも見るかのように見下していた。


ああ、そうか。


わたくしは、捨てられたのだ。


あっさりと。


何の価値もない、石ころのように。


込み上げてくる感情をすべて飲み込み、わたくしはただ静かに、頭を下げた。


その瞬間、わたくしの瞳から、すべての光が消え失せたのを、きっと誰も気づかなかっただろう。

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