第80話「罠に次ぐ罠」
モートン率いる南部連合軍の攻撃はジョナサンの読み通りの時間、場所で始まった。
そして兵士たちは指揮官の指示通りに次々と堀を渡り城壁へと取り付く。
その間、城壁上からの反撃は微々たるものであり、完全に奇襲を許した状態であった。
兵士たちはその心中で勝利を確信し、奇襲が成功したことで指揮官たちも戦の推移に楽観的であった。
だが、ここに来て先程まではうまくいった、と思っていたはずのモートンは訝しげていた。
(容易すぎる?ジョナサンほどの者がこうもたやすく奇襲をゆるすのか?)
疑念を振り払おうと戦場の様子を油断なく見る。
しかし、城壁では梯子がかけられ、次々に兵士たちが登っていく様しか見えない。
当初予定していた城壁崩し、は不要になった程度だ。
だが、一度浮かんだ疑問はそう簡単には消えず、モートンは険しい目を向けていた。
その時であった。
突如轟音と共に城壁が土煙で見えなくなった。
夜の暗さもあって明かりが少なかったのも視界を遮る一助になってしまっていた。
「何が起きた!?」
モートンの後ろにいた将が声を上げる。
直ぐに伝令役の兵士が駆け込んで報告を上げた。
「報告します!城壁が倒壊しました!」
その報告に初日の様な仕掛けか?と誰もが思った。
しかし、初日の仕掛けは外側、つまりせめて側に向かって倒壊してきたのに対し、今回は内側に向かって倒れたようだった。
それを聞いた若い貴族たちは「これで突入路ができた!」等と声を上げていた。
「いかがしますか?」
モートンの背後から、声を上げた将からの問いかけが投げかけられる。
正直、また何かの罠ではないのか?と考えていたものの、モートンとしては一気に押し込みたいところであった。
いかに罠であっても、先日の軍議でモートン自身が言い出したように、損害に構わず攻めかかれば数の差で押しつぶすことが可能なはずだからだ。
策を弄し、罠を張り、此方の戦意を挫く、もしくは戦闘の長期化を目指しているのは数的な差、つまりは数と言う戦力差を埋めるためなのだ。
モートンのその考えは正しく、ジョナサンたちの狙いは正に南部連合の士気を低下させ、積極的攻勢を防ぎ、時間を稼ぐ事にあった。
期せずしてモートンは正解を導き出し、そして相手たるケッセルリンク側が嫌がる戦いを行おうとしていた。
「よし、当初の予定とは違うが内部に侵入、敵を討ち果たすぞ」
そう言うとモートンは旗下の兵を向かわせようとし、取りやめた。
罠であろうとなかろうと、自分の部下に先陣を切らせようとは思った。
だが、同時に易々と城壁に接近できたこと、そして城壁が外ではなく内側に向かって崩れた事、更には相手の反撃がほとんどないことから罠を貼っているのは明確であった。
もっとも、だからと言って慎重に、と言うよりは損害にかまわぬ前進こそが勝利の道であることも分かっている。
なので貴重で勝つ、精鋭である自身の兵を向かわせるよりは参加している貴族の私兵に先陣を切らせれば良い。
と、モートンは判断した。
「名よりも実を取る」
モートンはそう言う指揮官であり、後世でも名将と言われた数少ない将軍であった。
南部連合の攻撃により城壁が倒壊したことは、決して予想外の物ではなかった。
予定よりやや早かった、程度であり概ね想定されていた範疇にあるのだ。
「ふむ、流石に精鋭は送り込まんか」
ジョナサンは櫓の上から状況をつぶさに見つつつぶやいた。
この櫓は夜間での視認性を下げるために黒く塗られており、上に登っている数名も黒い衣服に身を包んでいた。
そして、そこの眼下に見える光景は正に餌に群がる亡者の如し、であった。
確かに城壁は内側に崩れ、そして城壁内部への道を作ったように見える。
しかし、その実は幾つもの建物さえも城壁替わりになる様に再配置されており、一見すれば村落に見えても一本道なのだ。
しかも行先は北部に設置された城門、つまりは外に向かうように配置されているのだ。
なんてことはない。
何度も曲がりくねり、だがその道以外には行けぬよう道を封鎖したり壁を築いたりし、結果として外へと向かうようにされているだけなのだ。
当然、素通りではせっかく中に入ってきた彼らも面白くあるまい、と言うことで各所に罠も仕掛けてある。
その侵入路、もとい追い出し口とも言うべき道を知ってか知らずか貴族の私兵、傭兵を中心とした一軍が走り抜けていく。
「ここも封鎖されてる!このまま行くしかないぞ!」
傭兵の一人が、鋭い感を持ってここは危ない、と見抜いていた。
故に周辺に警告の意味を含めて声を上げたものの、周りの大半は城壁内に入った事により勝ち戦を確信したのか熱狂的になっていた。
これでは如何に声を上げても聞き入れられるはずがない。
彼自身も流れに任せて入ったが為に退路がなく、押し寄せる流れに逆らえずにいた。
何とか逃げられる道を求めるが、何処も塞がっており隠れる場所がない。
そうこうする内に、前や後ろから悲鳴が上がる。
上から石やら煮えた湯、油が降り注ぐのだ。
石が頭に当たって意識を混濁、もしくは失ったものや、肩に当たったものは激痛のあまりにその場で崩れ落ち、そして後ろから来ていた味方の集団に押しつぶされる。
また、煮えた湯や油をかけられた者は想像できない熱さと痛みにのたうちまわる。
そして前述の者の様に押しつぶされていく。
大きな人の流れの中にあっては多少の人は障害物たり得なくなるのだ。
そうこうする内に今度はやや広い空間に出る。
そこは四方八方から矢を射掛けられるよう弓兵が配置されていた。
そうとは知らずにそこに入り込み、建物に向かっていくものが後を絶たない。
彼らは略奪を行おうとしていたのだ。
略奪は傭兵や一兵士たちに許された数少ない収入の機会であった。
通常では稼ぎ得ない大金を稼ぐことができる。
それこそが略奪である。
もっとも、彼らがどの建物に向かおうと、略奪はできないだろう。
なぜならば扉や窓は木で封鎖されているだけではなく、内側から石を積み上げているのだ。
例えそれらを除去できたとしても、中には何もないのだから。
つまりは、ここに到達した兵たちに対するエサなのだ。
「こうも簡単に引っかかるとはな・・・」
アルトはジョナサンが立てた策に驚嘆すると共に、恐怖をも感じていた。
ジョナサンは今日という日にちと、夜という時間、そして攻め手がやってくる来る場所、そしてその思考を読んだのである。
とてもではないが真似できるものではない。
自分が敵対者であったなら、恐らく易々と罠にかかって敗北していたのは間違いなかった。
しかし、今は味方である。
それによりアルトのみならずサドも安心して目の前のことに集中することができた。
「さあ、奴等は網にかかった獲物だ!存分にやれ!」
ジョナサンが兵に指示を出す。
と、同時にサドも命令を出していた。
「情けなどいらない!殲滅する気でやれ!」
両者の下した命のもと、投石や矢が放たれる。
広場に次々と入って来る流れもあり、狙いを付ける必要もないほどに敵は集まっていた。
「ぎゃっ!?」
感の良かった傭兵、名をケニスと言う男のすぐ近くで別の兵士が短い悲鳴を上げる。
彼がその方向に目を向けたと同時に周囲で次々と悲鳴が上がる。
「待ち伏せだ!」
ケニスはそう叫んで左手に掴んでいた小盾を頭上に掲げ頭を守る。
そして、周囲を見渡しながら自分の同僚を探して回った。
その間にも見方の兵が倒れる有様を視認していた。
いつ自分もそうなるか、と言う恐怖が背筋を冷たくする。
それでも立ち止まり、留まれば良い的にしかならない。
幾多の経験からとにかくこの場を離れなければ生き残れないことを知っていた。
そうする内に所属する部隊が纏まって建物を背に防御を固めている所を発見した。
「まずい!」
指揮官が大声で集まるように指示を出していたが、防御を固めて動きを止めているのだ。
既に各地で建物に逃げ込もうとしている兵たちが群がってなお入れず、そしてそう言った者たちから狙われている現状を見てきた彼にとって、そこは死地にしかならなくなる。
だが、見捨てるわけにも行かずに意を決して走り込む。
そして大声を上げる指揮官のそばまで味方を掻い潜って近寄った。
「旦那!ここは不味い!直ぐに移動しないとやられなすぜ!」
ケニスはそう言って指揮官であり雇い主の貴族に詰めよる。
ケニスの言葉に貴族は何を言っているのか問い質そうとする。
「まずは防御しなければ反撃も出来んではないか!」
経験が浅いのか、その貴族はこの後に及んで反撃できると思っているらしい。
功名心から先陣を切った以上、ただやられたままで追われない、と言う思いもあっただろう。
しかし状況がそれを許してくれない。
押し問答になる、と判断したケニスは一気にまくし立てる。
「これは罠です!敵はそう言った連中から狙い撃ちにしてます!ここに留まれば反撃するどころかただ一方的に嬲り殺しにされますぜ!」
そう言って一軒の家屋を指差す。
そこには逃げ込もうとしながらドアがあかず、仕方なしにドアを打ち壊したら石や土が積み上がって行く手を遮っていた。
そしてそれを呆然と見る兵士たちに一斉に石や矢が降り注ぐ。
ドアを破ろうとし、かつ行く手を遮る土砂を前にしたために無防備な背後を晒したために、身を守ることもできずに次々と倒れてゆく兵の姿があった。
貴族の部隊は逃げるではなく、守りの姿勢を見せたので偶々優先順位から外れただけであり、このままではいずれは同じ運命をあゆむことになる。
そのことに気付いた貴族は血の気を失いながらどうすべきか、とケニスに向かって尋ねた。
「守りを固めつつ逃げるしかないでしょう!」
そう叫びながら広場へ入ってきた道を見る。
だが、そこは味方の後続が次々と入ってくるのだ。
とてもではないがその流れに逆らって逃げるのは難しいだろう。
そう思って他の道を探した。
すると、入ってきた時と違って細くはあるが道があった。
目敏い兵がその逃げ道に入り込んでいく光景に、生き残るにはとにかくあそこしかない、と考えた。
「旦那!あそこ!」
ケニスに言われ貴族はその唯一の逃げ場を見る。
しかし、この先がどうなっているかもわからない上に、また罠にかけられるかもしれない恐怖が二の足を踏ませる。
だが、そんな悠長なことは言ってられない。
「旦那!このまんまじゃどの道おしまいだ!だったら賭けるしかねぇですぜ!」
ケニスに諭され、青い顔のまま貴族は頷いた。
「よ、よし、此処から抜け出すぞ!」
貴族はそう言って逃げるために移動を指示した。
防御のため盾を掲げつつ、小走りでその道に逃げ込んでいく。
それが切っ掛けだったのか、駆け込んで行く小道にケニスたちが入り込んだ後で逃げ場を求める味方の兵が殺到していった。
だが、結果として部隊統制を維持できてた貴族とケニスたちはともかく、最早個々人が生き残るために殺到したことにより入ってきた道とは違い狭い小道は移動もままならないほどに混雑してしまう。
こうなると逃げ道が逆に彼らを追い詰める罠として襲い掛かった。
唯でさえ四方八方から狙われ、必死になっていたのだ。
そこに我先に、と向かえば無防備な状態で敵にその姿を晒すことになってしまうからだ。
当然、狙ったかの様に繰り出される攻撃に抗うことなど出来ず、多くの者が倒れていった。