第79話「積み重ねた差」
モートン率いる南部貴族連合の初撃を躱したジョナサン率いる守備側だったが、思ったほどの損害を与えれなかった事にショックを隠せなかった。
しかし、少なくとも5倍の戦力を保有するモートン等相手に殆ど損害を受けずに撃退できたことは少なからずでも守備側に自信を持たせることはできた。
何せ正規の訓練を受けた者は少なく、訓練は受けずとも何かしらの動員で戦場に出たことのある者も少ない。
他の大半は訓練どころか戦場にも出ていない民兵なのだ。
民兵はそれこそつい最近まで一民間人、一般の人そのものだったのだ。
今回城壁上に立ち、弓矢で応戦していたのは真っ当な兵士は10名程度で、残りの大半は森で狩りを営む猟師だった。
この様な寄せ集めの集団が、正規軍(実際は私兵の集まり)相手に圧倒できたのだ。
損害の少なさは予想以上に早くモートン等貴族たちが混乱を立て直しつつ後退したからにほかならない。
ジョナサンの指示に従って相手の先手を取り続けたからこそ撃退できた。
その事実に士気は否応も無く上がっていた。
「とは言え楽観は出来んな」
上がってきた報告にジョナサンはモートンが存外冷静な姿勢を崩さず、状況判断が的確にできている事に予断は未だ許さず、と思っていた。
「しかし、最初の一撃で相手を警戒させることは出来た。向こうも時間をかけての攻城しかあるまい」
アルトはそう言って図面上の駒を見る。
その図面はケッセルリンク周辺の地図であり、現在の自軍を白、敵軍を黒とした駒を配置してあった。
この世界においては図面上の演習や会議によく使われるものなのだが、日本やその世界の者が見ればその駒はチェスの駒に似通っている事に気付いたであろう。
「うむ、例え数は多くとも向こうは此方を包囲している。となれば総攻撃したとしても各所に張り巡らせた罠で損害を重ねさせることが出来よう。日本軍の決戦を前に奴等とて損害は抑えたいだろう」
サドはアルトの言う通りだと思い自信を持って発言した。
「そして損害を嫌えば積極的攻勢は取れず、時間を掛けざるを得なくなる」
サドの言葉にアルトも頷いた。
「ああ、そうなればニホン軍到達までの時間稼ぎは出来よう」
初撃を防いだことによりアルトもサドも自信が出てきていた。
だが、いいことではあるが相手を過小評価しているきらいがあった。
先ほどのジョナサンが言った「楽観は出来ない」との言葉は聞こえていたはずなのだが、戦場での経験が浅く、自らが不利な状況での経験は皆無なのでは致し方ないとも言えた。
その二人を前にしてジョナサンは諭すように言う。
「私は楽観すべきではない、と言ったはずじゃ」
まるで我が子にいうような穏やかな声色にアルトもサドもぎょっとしてジョナサンを見る。
「確かに初手は取れた。だが相手はあのモートンじゃ。守らせる事と攻城戦に定評があるあのモートン相手に上手く行く、とは私でも自信はないぞ」
かつて、ホードラー王国が健在だった頃に反乱を起こした諸侯を鎮圧するためにジョナサンはモートンと轡を並べたことがある。
その時、ほとんどが木製とは言え厳重な守りを持ち、幾人もの将が撃退された砦をモートンの指揮で打ち破っているのを同じ陣で見たことがるのだ。
その指揮は苛烈であると同時に守備側の裏をかく綿密なものであった。
守備に定評があるということは、それが攻め手になった時に守備側の思考を読み取ることができるというものだ。
「奴はおそらく、いや間違いなく君らが損害を抑えて時間をかけるだろう、という考えを読んでいよう」
ジョナサンのその言葉に二人は顔を見合わせる。
「そんな馬鹿な、とも言いたいようじゃが・・・まあ聞け」
そう言ってジョナサンは図面を見る。
図面にはケッセルリンクを囲むように黒い駒が存在し、白い駒は幾つかがケッセルリンク内に存在している。
その駒の配置から包囲されているのは確実であるのだが、ジョナサンは黒い駒を全部取り去ってしまう。
「どうなされたか!?せっかくの敵の配置が・・・」
サドがジョナサンの突然の行動に驚いて声を上げた。
無理もない。
その配置はモートン等南部貴族連合の部隊配置を示すものでもあったからだ。
だが、ジョナサンは笑うだけだった。
「慌てるな。この配置は夕闇と共に意味をなさなくなるからな」
そう言って北面側に駒の大半を置いた。
更に、騎兵を示す駒の幾つかをケッセルリンクの周辺に疎らに配置する。
「奴の事だ。大体このように配置し、損害を無視して一挙果敢に攻めてこよう」
不敵な笑みのジョナサンはそう言って腕を組んだ。
そしてそのまま続ける。
「奴の事だ。初手の損害は織り込み済みであろう。慌てるのはその周りだけで奴自身は然程気にしてはおるまい」
ジョナサンの言葉にサドもアルトも良く分からない、と言った表情をしていた。
「簡単じゃよ」
ふたりの様子にジョナサンは自身の考えを告げた。
夜の帳が下り、辺りがすっかり闇に飲まれた頃、モートンは森近くにまで下げさせた各隊にかがり火を残して移動を指示した。
念の為に見張りの兵士などを装った案山子を城壁から見られないように森の中で作らせ、夜の闇の中で配置している。
遠目では夜の暗さもあり殆ど見分けがつかないのは確実だった。
その上でケッセルリンクの北側にほぼ全軍を集結させる。
「準備は?」
モートンは守備側の裏を取れたと思っていた。
それだけ自身の戦歴を含めた様々な経験に自信があったのだ。
間違いなく守備側は油断しているはず・・・と。
配下の将から、攻撃準備完了、と言う報告を聞くと鷹揚に頷いた。
「予定通り攻勢を開始する。第一隊かかれ!」
モートンの号令が最前線に配置された攻城部隊に伝えられると、事前に申し渡されたのだろう。
全部隊が静かに城壁に接近する。
攻城部隊は城壁に登るための梯子だけではなく、斧や大盾を持っていた。
登ると見せかけつつ、城壁を打ち壊すためだ。
幸い、城壁は丸太を組んだ物でしかない。
勿論、カタパルト(投石機)こそないが攻城兵器としては破城槌がある。
しかし破城槌は城壁前に堀があるので使えず、門前なら使えても早期に発見されて奇襲にならなくなる。
だが、丸太を積み上げただけにしか見えない城壁であるならば、人力での破壊は難しくない。
故にモートンは直前まで静かに進出し、一気に攻めかかる方法をとったのだ。
例え、丸太でできた城壁をそのまま見た目だけでは判断してはいない。
破壊しても土塁が積まれていよう。
しかし、外装を破壊できればそこを起点に数の差を持って一気に突破できるはずであった。
いかに土が盛ってあっても、強度は殆ど無いに等しい。
土を持っただけの土塁は丸太の城壁よりも崩すことが容易なのだ。
しかも時間をかけて作った土塁ではなく、ただ集めた土を盛り付けたものならではなおさらである。
故にその後どうなるか、など楽観していたのは事実であった。
正にそれがさらなる罠とも気づかずに・・・。
「おおおおおおおおおおおおおお!」
北部の城壁の外から突然、鬨の声が上がる。
夜間であることから、突然そんなものを耳にしたならば慌てふためくのは間違いなかったであろう。
しかし、これは最初っから予測されたものであり、準備をしていた者たちからすれば予定調和とも言うべきものであった。
「やはりな」
ジョナサンはそうつぶやくと、ただ一言告げる。
「予定通りに進めよ」
その一言を聞くやいなや用意されていた伝令が外に飛ぶ出していく。
その後ろ姿を見つつアルトは戦慄を隠せずにいた。
(何故読めるのだ・・・?見知った相手であっても裏を取りに来る相手の思考が見えるとでも言うのか?)
その疑問に答える者はいない。
しかし、言うなれば経験であろう。
勿論経験があっても、相手の思考を読み取ることは極めて難しい。
そしてそれは相手も同じはずだからだ。
だが、ジョナサンにあって敵であるモートンに無いものがあった。
経験に対する姿勢である。
モートンもまた、それなりに軍歴を重ねていた。
しかし、最早老年とも言うべきジョナサンは若かりし頃からの軍歴はモートンの倍近い。
その経験の差がジョナサンに様々な経験を積ませ、様々な人々が織り成す戦いを記憶させていた。
それが、ジョナサンの財産であった。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
この言葉通り、賢者ではないジョナサンは積み重ねた軍歴と言う経験でもって戦いに臨んだ。
逆に同じく賢者ではないモートンが同じように今までの経験をもって戦いに望む。
経験と経験のぶつかり合いであった。
もちろんそれだけが戦いの趨勢を決めることはない。
しかし、個々の経験から当人がどう学び取るか?これには明確に差が出る。
学ぶ意志があるならば例え相手が目下の者であっても、そこから学び取ることができる。
学ぶ意思がないならば目上の者であっても学ぶことはない。
ジョナサンは自身の子を失うことになった時より、その姿勢は様々なものから学ぶ者であった。
モートンは自身が経験した物を活かす、いわゆる独自に学ぶ者であった。
自分以外からも学んで、かつ、積み重ねてきた物が多いジョナサン。
対して自分自身の為してきたことから学んで積み重ねてきたモートン。
似たようで違う両者の差は、その戦いによってはっきりとすることになる。




