第77話「籠城」
ホードラー南部ケッセルリンク領
ケッセルリンクの城壁の前に15000の軍勢が姿を現したのは反旗を翻した時から3日後のことだった。
予想より早い展開に当初はジョナサンも驚愕したものの、本来バーバラ山岳防衛に当てていたはずの軍勢の一部を割いたと分かれば冷静になるのは難しい話でもなかった。
とはいえ、多少なりとも時間がかかると思っていただけに防備の強化が一部で間に合っていない。
しかし、ジョナサンは慌てることなく兵を配置につかせる。
2500の軍勢とは言えその大半は義勇兵、民兵であるにも関わらず、その士気は天を突くように高い。
兵の誰もが理解しているのだ。
ここで敗れれば自分たち民衆側に立つ領主ではなく己の懐を温めるのに躍起になる、搾取するだけの領主に挿げ替えられることを。
いや、もしかすれば反逆した領地の者、として奴隷にされるかもしれない。
そこだけを聞けば反逆を選んだ領主を自分達で討ち、許しを請うてもおかしくはない。
だが、今まで紆余曲折あれども民衆のために自ら先頭に立って動き、自らを顧みない領主に民衆はおんを感じていた。
また、この戦いは決して絶望的なものではないことも知っていたのだ。
北から来るニホンと言う無敵の軍勢が救援のために向かってきている。と・・・。
だからこそ民は領主と共に武器を持って立ち上がった。
「総員、鬨の声を挙げ奴らに教えてやれ!我らは此処から引かぬと!」
アルトの指示に一斉に皆が皆、大声を上げる。
それはまるで巨大な生き物の様に思えた。
アルトによって行われた守備側から発せられた歓声は攻め手であるはずの南部貴族連合の将兵を困惑させていた。
「奴ら・・・高々三千にも満たない小勢と聞いていたが・・・」
軍を率いている貴族の一人がケッセルリンクの城壁から伝わる戦意に思わず息を呑む。
「三千どころかその数倍は居る様な感じだ」
未だかつて聞いたこともない威勢の良い士気旺盛な守備側に思わずたじろいでしまう。
それもそのはず、南部貴族連合の諸侯は大きな戦に出たことがないのだ。
精々が山賊などの盗人、無法者の集団や森に出る魔獣の類の討伐だ。
もちろんそれとて油断できるものではない。
しかし、大勢の人間が集まり、一堂に会し戦う戦場は経験していないのだ。
ひとり一人は群れている魔獣や山賊には到底かなわないが、同じように群れて、しかも大群となればいかなる魔獣であってもひとたまりもない。
人間の恐ろしさは個々の能力ではなく、群れとなった時に発せられる。
それがこの世界の戦争であり、そして本格的なそれを経験していないものからすれば圧倒されても仕方がなかった。
だが、戦争を、洗浄を知らぬものばかりではない。
「怖気づくな!所詮は声だけよ!声で軍が敗れたことなど歴史上一度もないわ!」
城壁から放たれる歓声を打ち消さんばかりの怒声を持って怯んでいた者たちに喝を入れる者がいた。
バーバラ山岳にて一軍を任されていたモートン・ハヴェリア将軍だ。
かつてはホードラー西方の国境で守備隊を率いていた経歴があり、幾度もの隣国との紛争で功績を上げてきた人物だ。
守備を任せれば鉄壁との異名さえあるが、守備隊を率いていた経験から逆に攻城にも力を発揮する優秀な将軍である。
だが、軍人上がりであるためか宮廷内の権力闘争には疎く、あっさりと失脚し南部へと追いやられていた。
そこをシルスに拾われ南部各地の魔獣や無法者からシルスのディサント領を守り続けてきた。
それどころか時には打ち捨てられた廃城跡などに住み着いた魔獣やモンスターを軍勢を持って攻撃、掃討までしている。
謀略こそ苦手とするものの攻守にわたっての戦闘指揮に定評があった。
「なるほど、奴らの士気は恐ろしく高い。が、それだけだ」
モートンはそう言うと城壁を指差す。
「如何に士気が高くとも真っ当な装備をしているものは少ない。大半が民兵であろうよ」
恐るべきことに遠くから見ただけでモートンは見抜いていた。
ほかの帰属も釣られたように見るが、実際のところはあまり分からない程でしかない。
しかし、歴戦のモートンの言葉に勇気を取り戻した貴族たちはさもその通りだ、と言うように分かったフリをしていた。
「こちらは正規の訓練を受けた軍である。如何に士気があっても戦う術を知らぬ者共に遅れを取るはずがあるまい」
落ち着きを取り戻した貴族を前にモートンは自信がある様に振舞った。
実際、モートンの指摘したとおりジョナサン率いる守備側は民兵を中心とした軍である。
戦争のための、戦うための訓練を積んだ兵とは戦力として違いがありすぎる。
もちろん、民兵だからといって侮るのは危険であるが、モートンは動揺する味方を鼓舞する必要から敢えてそこは指摘していない。
「それに見よ!シルス様が我らを信頼し預けてくださった我らが軍勢を!高々民兵風情にどうされるというのか!」
そう言ってモートンは大きく笑う。
シルス配下のパッカード率いるワイバーン隊が持ち帰った情報から、シルスは日本の脅威はまだ先であり、到着には時間がかかると読んだ。
これにより15000と言う兵力を出す事に躊躇いがなくなった。
ただし、やはりバーバラ山岳での防衛強化の為に二万人を送り出すのは難しく、15000人程度まで縮小させてはいた。
だが、4倍以上の戦力を持って当てれば一揉み、とは行かずとも短期間で決着を付けられるのは確かであった。
それは兵や装備の質云々ではなく、ケッセルリンクの城壁が丸太を組んで作られた物であるのもある。
幾つかの攻城兵器も当然有している以上、その程度の防備であれば数箇所に渡って突き破るのは容易い。
そして複数箇所が敗れれば数も質も上回る南部貴族連合が負けるはずはないのだ。
「では、これから軍議を開く。奴らに目にもの見せてくれん」
モートンはそう言って天幕へと下がっていった。
そのあとを貴族連中が着いていく。
誰もが勝利を確信していた。
「敵将はモートンか、これは中々に難敵だぞ」
サドは敵軍に翻る軍旗から指揮をとっているのがモートンであることに気付いていた。
噂通りであるならば勇猛果敢な将であり、防衛、攻城戦の専門家であると言える。
数、質で劣る以上、打って出ることは当然無理である。
「確かに難敵だな。しかし、完全ではなくても防備は整っている」
アルトはそう言ってケッセルリンクの城壁を含む拠点を記した図面を机の上に広げた。
「幾つかの箇所を除いて防衛力強化は行っている。向こうからは城壁が邪魔で見えぬだろうが壁の一つや二つ破られても何とでもなるさ」
アルトはそう言って図面の一部を指差す。
そこには城壁の内側に新たに設置した防衛用の設備が書かれていた。
「確かに数箇所破られても、次の、そしてさらに次の防壁があるとは思うまいが・・・」
サドの言葉通り、ケッセルリンクは一番外側の城壁の内側にも2つの城壁を作っていたのだ。
しかもそれは区画分けされており、外側の城壁を破ったからと大軍を差し向けても、その数を生かせぬようにされていた。
更に、内側の城壁とのあいだに堀を掘って、尚且、底には幾つもの罠まで仕掛けている。
そして、ほりを掘った際の土を使って最後の防壁となる3つめの城壁内側に盛りつけてあった。
三つ目の城壁は見た目が木でも、実際は盛り付けた土によって形成された人工の崖と言ってもいい。
勿論それだけの高さはないが、人の背丈を軽く超える高さがあるのだ。
鎧を着込んだ人間では容易に登れるものではない。
「なに、あとはやりようじゃよ。ここは私にまかせておけ」
ジョナサンはそう言ってサドの心配を打ち消そうとした。
とはいえ、やはり一部箇所は盛土が中途半端になっていたりするので、完全な準備状態ではない。
しかし、ジョナサンは負ける気がしていなかった。