第75話「決意」
ホードラー南部ディサント
多数の損害を出しつつも日本軍の偵察に成功した報にシルスは機嫌が良かった。
もたらされた情報は状況を変えるものにはならなかったが、少なくとも次の一手を打つのには十分なものだった。
しかも日本の隙を突くことに成功したのだ。
この意義は大きい。
今まで日本軍はシルスどころかこの世界の何処の国にもない武器を要し、どんなに数に任せても打ち破られ、そして想像もつかないような事を平然とやってのけて敵対者を屠ってきたのだ。
一種の無敗神話とも言うべき物が形成されつつあると言っても過言ではない。
その敵対者となり、相対している最中に日本軍を出し抜いたのだ。
これは日本がこの世界に来てからの初めての快挙と言える。
それをホードラー西部諸国を蹂躙しつつあるタラスクでもなく、大陸を支配していると過言ではないファマティー教でもなく、たかが一地方領主に過ぎなかったシルスがやったのだ。
「ふふふ、日本とて打ち破れぬ相手、と言う訳ではないと言う事か」
その呟きは自身に吹く逆風の中であっても色褪せぬ自信へとつながっていた。
南部諸侯の大半は自身の影響下に入ったとは言え、バーバラ山岳以北の有力な諸侯であったファーレン、ケッセルリンク、ホーウッドが裏切り、日本軍が南下しつつある。
また、南部の補給路は日本の船や部隊に寸断されている。
はっきり言って時間が経つと共に不利になっている。
だが、今回の偵察の成功で失われつつあった勝機を彼にもたらす事になった。
「日本軍はまだ遠い、な」
シルスは地図の前で偵察により得た情報に目を向ける。
山地が多数存在する南部でも山岳地帯と言えるバーバラ山岳、そしてそこから2日ほど北東に位置するケッセルリンク領、そして日本軍の先鋒とも言うべき部隊はそこから更に北へ14日以上かかるハエンに居る。
ハエンは裏切り者の諸侯であるガシュタール騎士爵の領地だ。
そして先鋒がその位置ならば、足の遅い本体は更に後方だろう。
もちろん、日本の進軍速度は想定よりも遥かに早い。
だが、ハエンから南はより深い森や山地が続き、場所によっては湿地帯もあるのだ。
今までの商な進軍速度は出せない。
シルスはそう考えていた。
ただし、日本は彼が考えるよりもっと早く進軍できる上、空から戦力を展開させる能力を有することなどは考えもつかなかった。
しかし、そこは千里眼を持つ者でもない以上仕方ない側面もある。
何せ日本は存在自体がこの世界では未知のものである上に、この世界の技術では及びもつかない先にある国なのだ。
神ならざる者にどうやって理解しろというのか?
「兵を集めろ。裏切り者を粛清する」
シルスは近くにいた将軍にそう言うとケッセルリンク領を指差した。
そこは先日裏切ったバーバラ以北の有力な諸侯領であり、そしてバーバラ山岳以北でありながらも既に包囲に近い状況にある場所だった。
シルスに対して反旗を翻したアルトたちは非戦闘員たる住民たちを後方のホーウッド伯爵領へと移動させた。
そのために護衛も出したため、戦力は当初の3000から2500にまで低下していたが士気はより旺盛となっていた。
総指揮を任されたジョナサンが集められた将兵に訓示を述べたからだ。
「ここを日本が来るまでに死守すれば、たとえ死しても日本は諸君の妻子家族を無下にはしまい」
たったそれだけだ。
だが、何時かはシルス率いる南部諸侯連合に徴兵され、圧倒的戦力を持つ日本を相手に戦わされるくらいであるならば、日本の側に立ったほうがマシだ。
それに、伝え聞く限りではホードラーの北部、中央は日本の統治下に入ってから目覚しい発展を遂げているとされていた。
事実、その通りなのだが、ジョナサンは敢えて虚言を使ってその実状を誇張したのだ。
曰く、日本に組みしたものは日本の庇護のもと労役(徴兵や公共事業に駆り出されたりなど)もなく、それぞれがそれぞれの思うままの生活ができる、と。
これはジョナサンも知らなかったのだが、ほぼその通りであり、虚言のはずが真実をついていたのだ。
これは偶然の産物だが、唯一違っていたところは「別に日本に組みせずとも、犯罪やテロを起こさず、普通にしていれば庇護は得られる」というところぐらいなものだ。
しかし、普段から特権階級の地位にあるものから虐げられる可能性、もしくは好き勝手される側にいた兵からすれば魅力的な話に聞こえた。
何よりも、日本のために戦い、万が一死ねば死んだ者の親兄弟、妻子はその日本から庇護をもらうことができる。
そう聞かされれば否応にも士気は上がる。
だからだったのかも知れない。
続くアルトの言葉に感涙を流すものさえ出た。
「ここに身分の上も下もない。ただ家族のために、その未来のために諸君の命をここに置いて行ってくれ。我々が諸君の道しるべとなる」
それはジョナサンの考えとは違った言葉だった。
ジョナサンはアルトやサドをいよいよとなれば逃がす算段をつけていたのだ。
だが、アルトはここに将兵とともに死ぬ、と言い切ったのだ。
サドもまたそれに頷いていた。
表情こそ出さなかったが、ジョナサンは驚きを持って二人へと目を向けた。
「ご老人、一人で先に行くのは年齢から言えば順番通りです」
サドは笑顔でそう言った。
アルトもまたサドと共に立ち、ジョナサンへ言葉を紡いだ。
「しかし、立場や年の差などここでは関係ない。我らはそれらを越えて手を取りあったのです」
まだ若いふたりの言葉にジョナサンは一瞬ではあったが、失った我が子の面影を見る。
思わず目頭が熱くなるが、まるでかつての我が子に向けた様につぶやくのが精一杯だった。
「・・・ばか者共め」
だが、ジョナサンの表情は先程までとは打って変わり眩しいばかりの笑顔へと変わっていた。
「よかろう、我ら3人が集った以上、絶対にここを抜かせるものかよ!」
短くて申し訳ないですが更新しました。