第72話「南部の空」
ーホードラー南部上空
その日に限って航空自衛隊所属のE-2Cホークアイは空に無かった。
飛行中に故障が発生した為に基地に引き返していたからだ。
代わりの予備機も離陸準備に手間取っており、日本の空の警戒網に一時的な空白が生まれていた。
その隙間を期せずして突く事になったパッカード率いる40騎のワイバーンは出来る限り北進して日本の状況を把握しようとする。
途中にあった3者連合とも言うべき裏切者の集結地点に日本の影は無く、未だその位置はつかめていない。
日本の本隊の位置を掴むことが出来ればシルスは裏切者を始末するか、それともバーバラ山岳に篭るかの選択が出来る。
また、接触までの時間的猶予を図ることで南部貴族連合で対日戦の準備を更に進められるだろう。
その為になけなしの、切り札とも言うべき飛竜隊を使ったのだ。
唯でさえ大食なワイバーンを養う為に維持費だけでも下手な騎兵10騎分に相当する上、気性が荒い飛竜を育て、訓練し、使う人も育てるとなるととんでもない出費になってしまう。
それでもワイバーンは空を飛ぶだけあって強力な戦力足りえる。
ワイバーンはドラゴンの様に炎のブレスは吐けない。
強固な鱗があるわけでも強靭な牙や爪もない。
だが、鉄を切り裂くだけの力は持っている。
故にワイバーンは並みの騎兵数十騎に相当する戦力になる。
そして空を飛ぶことで騎兵を圧倒する機動力があり、その運用は極めて多岐に渡って行われる。
槍や剣、弓を使って地上の敵を叩いたり、今回の様な偵察、更には相手のワイバーンに対抗する為など、空を飛べると言うことが如何に戦術に幅を持たせるか?の生きた証明とも言えた。
だからこそシルスは来るべき時に備えて私掠船で財を集めつつ、飛竜隊を組織していたのだ。
その総数46騎。
各地の伝令に使っていたりするので全飛竜の動員はできないが、40騎を上げてきた事はほぼ全力出撃といっていいだろう。
それだけ追い詰められていたのだ。
だが、正直出したくないと言うのもシルスの本音だった。
日本にも空を飛ぶ物があることは知っていた。
しかし、詳細は未確認ながら偵察に出た飛竜隊の1人がとてつもない速度で飛ぶ謎の存在と遭遇しているからだ。
それは2騎だけの確認とは言え飛竜を圧倒する速度で飛び、しかも飛竜以上に軽快に動いていたと言う。
日本を示すと思われる赤丸をその身に記してあった事から日本の空中戦力の一つだとは思えるが、その実力は未知数だ。
だからシルスは無用な危険に晒したくない事から出したくなかったのだ。
だが、ここに至っては情報を得ない事には動きようがない。
ある意味で苦渋の決断だと言える。
「全騎へ、いつ日本と出会っても良い様にしろよ」
パッカードが魔法を使って全員に警戒を呼びかける。
魔法は対象となるものが視界内に居れば有効距離を越えない限りは効果を出すことが出来る。
今回パッカードが使った「連絡」の魔法は効果範囲内の任意の者に伝えたい事を伝える魔法だ。
ある種の無線のようだが、伝えたい相手を視界内に収めなければならないので戦闘中は使えない。
だが、視界内に居れば伝えたい者全員に伝えられるのでこう言うときは便利な魔法である。
実はワイバーンに乗るものは基本的に魔獣使いと言う魔術師の一種であるとされている。
その理由として人の言葉が通じない生き物に自らの意思を伝える事ができるからだ。
また、本来人間よりも圧倒的な力を持つ魔獣を使役するには魔法の力が無ければ出来ない。
その事から飛竜隊の全員がそれなりに魔法を使うことが出来るのだった。
「しかし隊長、日本の飛竜と一戦交えたいものですな」
部下の1人から連絡の魔法による言葉がパッカードに届く。
その言葉にパッカードのみならず、全員が同意するように笑う。
彼等は魔術師であり魔獣使い、そして騎士でもあるのだ。
強者と戦う、と言う意思は少なからずある。
そして自分達飛竜隊が地べたを這い回る者に負けるわけがない、と言う思いもあった。
それだけ空を飛べると言うのは有利に働くのだ。
「だが、先日出遭ったと言う速い奴には注意しろ」
こんな状況でも油断だけはしない様に注意だけは促す。
ワイバーンでも出せそうにない圧倒的な速度で飛んできたと言われる日本の空中戦力。
その速度だけでもワイバーンに取っては厳しい戦いになる。
ワイバーンを使っての空中戦は騎兵のような槍での騎上槍による突撃、そして弓や魔法による撃ち合いがある。
ただしどれも決定打にはなり難く、あくまでも騎乗者を狙っての戦いになってしまう。
しかし、敢えてワイバーン自体を打ち倒す決定的一撃がある。
ワイバーンの胴体左右に配置された「飛竜槍」である。
これは一種の機械弓である。
細身とは言え、槍を機械弓の要領で打ち出すことが出来る。
射程は約300mと決して短くない。
ただし、大型機械弓や攻城機械弓と違い威力と言う意味では十字弓より上である程度だ。
だが、100m内で放てばワイバーンであれば串刺しに出来るだけの威力はある。
その飛竜槍を持ってすれば撃破自体は可能であるが、速さの差で当たるかどうか?が極めて怪しいのだ。
高速で動く物体に物を狙って当てるのには相当な技量を要求される。
それが自分達より遥かに速ければ尚更なのだ。
「出会ってしまったらならばなるべく低空を飛べ」
そうすれば速さが仇になって近付けないはずだとパッカードは連絡する。
下手に仕掛ければ地上に墜落してしまうからだ。
そこで速度を落として仕掛けてくるなら、飛竜槍を使う機会が得られる。
そう考えていたのだ。
E-2Cが空にない以上は空の警戒はRF-4E任せである。
とは言え、RF-4Eはあくまでも偵察機であって警戒機ではない。
レーダー性能は殆ど普通のF-4EJと大差ないものだ。
これがせめてRF-4EJであればレーダーが改修されて警戒能力も上がっているのだが、やはり基本的に空中警戒機とは比べ物にもならない。
また、E-2Cが上がっていないのであればその分通常戦力を警戒の為に上げるべきであるのだが、空中戦力らしい戦力がこの世界にまずないこと、そしてあっても数は殆どないとされていた為に警戒していなかった。
そして何よりも幾ら余裕が出来たとは言え「燃料の消費」を抑える為にRF-4Eを上げておけばそれで済む、と思われていたのである。
しかし、傲慢な認識だった。
甘く見ていた、油断していたと言うレベルの話ではない。
陸自側の安藤は以前遭遇した空飛ぶ化物の存在から常に警戒は怠るべきではない、と主張していたのだが、航空自衛隊の指揮官はまとまった戦力が確認されてない以上警戒するだけ燃料の無駄として反対していたのだ。
これは後に問題となったのだが、この時ばかりはそんなことを言ってられなかった。
RF-4Eは偵察機だったこともあり地上の偵察が主な任務であった。
その為地上の動向に注意を払っていたのだが、パイロットが何か複数の物体が見えた気がした。
ふと気になって視線を向ければ・・・空飛ぶ化物が群れを成して向かってきているではないか。
思わず推力を上げアフターバーナーを点火する。
急に機体が挙動を変え速度を上げたので後席から何があったのかを聞いてくるがパイロットはそれ所ではない。
距離にして500mを切っているほど至近距離なのだ。
これが普通の空戦であればとっくに撃墜されていてもおかしくない距離まで接近を許していた事実に慌てていたのだ。
空飛ぶ化物が追い縋ってくるが、寸での所で何とか距離を取れたのは幸運だった。
「敵空中戦力多数確認」
この報告に空自の指揮官は手にしていたカップが手から落ちるほどに慌てた。
空中戦力らしい戦力などない。
そう思っていたからだ。
相手が幾ら魔法やら何やらを持っていても中世レベルの世界なのだ。
現代兵器で武装した自分達が遅れを取る事などない。
そう言った傲慢な意識があったのは否めないだろう。
なにより、空自自体は初の実戦と言うこともあり認識が甘くなっていた。
それが対処を遅らせてしまう。
そのツケは現場で対地支援のために待機していた隊員に廻されることになってしまった。
「冗談じゃない・・・」
エポック1こと佐々木梅原コンビは思わず呻いた。
現在彼等エポック1、2のF-4EJ改2機編成と偵察目的のRF-4Eが1機、そしてRF-4EJが1機あるだけだった。
総数こそ4機編成だが、純粋な偵察機であるRF-4Eに戦闘力は無い。
RF-4EJはF-4EJを元に改修した偵察機なので武装はあるが、現在機関砲を幾らか積んでいるだけだ。
つまり、エポック1、2のF-4EJ改2機編成以外に戦える戦力は無い。
たった2機で多数の空中戦力を相手に戦うのは難しいだろう。
如何に強力な航空機であっても、対地支援を前提とした飛行であれば赤外線探知式の誘導弾なんか積んでいない。
あっても使える保障はないとは言え、20mm航空機関砲だけで戦えと言うのは司令部が状況を把握できていないのではないか?
と思わずにはいられなかった。
「どうする?」
梅原の言葉に佐々木が悩む。
幾ら剣や槍が主体の相手でも、それが機体にぶつかった時のダメージは分からない。
航空機と言うものは、意外に落ちない様で実は簡単に落ちるのだ。
もし、エンジンにでもそんな異物が入り込めば当然損傷する。
バードストライクと呼ばれる吸気口に鳥が飛び込んで墜落した事例は過去に幾らでもあるからだ。
「やらないわけにはいかないだろうな」
相手の目的が此方を叩くことなのか、それとも偵察なのか、それが問題だった。
空自の管制からは迎撃としか言ってきていないが、相手が空戦を挑んで来ただけならまだいい。
戦って、不利なら後を後続に任せて退避するだけだからだ。
だが、偵察であれば話は違う。
相手はこっちの情報が欲しいから繰り出してきたのだ。
わざわざ情報をくれてやってしまうのは此方を不利に、相手を有利にしてしまう。
だから相手の偵察は何があろうと阻止するのが常識である。
だからこそ佐々木はやりあう他は無いと考えていた。
「相手がどう言う目的で来たにせよ、最悪を考えないとな」
そう言って僚機に自分達に続くように指示を出すと機首を敵空中戦力が居た方向に向ける。
此方の武装は20mm航空機関砲たるM61、J/LAU-3(70mmロケット弾ポッド)だけだ。
無誘導500kg爆弾は積んできていない。
「ロケット弾でも当てるかい?」
梅原の自嘲とも言うべき言葉が耳に入るが、佐々木は最悪それもありだな、と思っていた。
「とにかく連中の動きを食い止める必要がある。全速で向かうぞ」
そう言って佐々木は推力を上げて音速近くまで速度を上げる。
地上が近いこともあり、衝撃波を発生させる音速では飛行できないのだ。
これが超音速ならマッハ2、つまり音速の2倍であるので地上近くでの飛行も可能だ。
だが、地上に被害を与えかねないのでやはりそんな速度では飛行できない、と言うか禁止されている。
緊急時でも規則に縛られて出来ないこと尽くしの自衛隊に果たして戦い抜く力があるのか?
この時ばかりは佐々木は不安を覚えてしまっていた。