第71話「決起」
ーホードラー南部ファーレン領
先日のディサントでの会合より3日。
ジョナサンはホーウッド伯爵領を経由して自らの領地に帰還を果たした。
帰ってきて早々にジョナサンは館にて領内で戦えるものを集める為に動き出した。
これは一見するとバーバラ山岳に向けての援軍に見える。
だが、ジョナサンにはそんな積りは全く無い。
集めている兵は全てバーバラ山岳に最も近いケッセルリンク領に向けるだけのものだ。
今頃はサドも自身の兵を集めている頃だろう。
何の為か?
決まっている。
南部貴族連合が立て篭もるバーバラ山岳に対抗する為だ。
そう、元からその積りでシルスとの会合でああ言ったのだ。
それでも彼等が集めうる戦力は総勢で約3000といったところだろう。
サドで1000、アルトが1500、そしてジョナサンが500だ。
ジョナサンが500しか動員できないのには理由がある。
バーバラ山岳以北に置いてはシルスの軍が分散配置されている上、日本に協力的ではない諸侯も居る。
そう言った者達から自領を守る為にはそれ以上は割けないのだ。
領地がそれなりに大きいサドでも1000なのだからこれでも無理してるといえた。
そしてアルトに至っては自身の領地そのものなのだ。
一番動員が多くても可笑しくは無い。
だが、これはある意味で大きな賭けになる。
3000と言えばかなりの戦力に聞こえるが、バーバラ山岳には山岳以南の諸侯の軍勢が集まってくることになる。
その総数は想像できない規模になるだろう。
そんな南部貴族連合軍が集まるバーバラ山岳の目と鼻の先にアルトのケッセルリンク領があるのだから相当な圧力であろう。
頼りにすべき日本は彼等の領地に近付きつつあるものの、未だに到達していはいない。
このままでは後数日は見込まねばならないだろう。
もし、ケッセルリンク領を日本が来るまでに守りきれねば間違いなくホーウッド領、ファーレン領は各個撃破されることになる。
案外ケッセルリンク領を失っても日本が来るまでの時間稼ぎにはなるが、守りきれなかった時点で隣接する2つの領土になだれ込まれるのは必至だ。
それを防ぐ為に意地でもケッセルリンク領は守らねばならない要衝になっていた。
「日本に組すると決めた物の、些か分の悪いかけになるな」
老いて尚盛んと言われたジョナサンの目に強い光が宿る。
昔は無茶をしてきただけあってジョナサンは諸侯の1人であると同時に武人でもあったのだ。
若い頃の血が滾る思いがジョナサンに力を与えていた。
ーホードラー南部ケッセルリンク領
ホーウッド、ファーレン領から約束されていた兵力と物資が集まったことにアルトは喜んでいた。
状況は決して楽観できるものではない。
だが、この状況に置いても約束を果たした両者は真に信じえると感じたからだ。
しかもジョナサン、サドの両者は自ら兵力を率いてきたのだ。
これ程うれしいことは無い。
「卿ら自ら来られるとは・・・」
アルトは感激の余りジョナサンとサドの元に駆け寄りその手を取っていた。
本来であればここの領主であるアルトが総指揮を取るはずだった。
だが、アルト自身は実戦経験は無い。
それが彼自身不安であった。
アルトは言ってしまえば凡人と評される程度の才能しかない。
だが、故に優秀な人物を集め、冒険は一切せずに実直に領地を上手く反映させていた。
言わば内政向き、後方支援向きなのだ。
だが、ここに来て実戦からは長く離れていたとは言えかつては武名を欲しい儘にしていたジョナサン。
そして現役で一軍を率いているサド。
この両者が来た事でアルトにかかる負担は大きく削られる事になたった。
「なに、ここで抜かれれば次は我等なだけのこと」
そう言ったジョナサンは黒い甲冑に身を包んでいた。
この鎧を着たのも今はずっと昔のことだ。
手入れだけは欠かさなかったものの、かつて我が子を死に追いやった内紛以来始めて身に着けた物だ。
(リント・・・今度は私がお前の代わりに民を守るぞ)
その決意を持って再び実につけた甲冑は老いたジョナサンに活力を与えていた。
「そう、それに耐え切れば我等の勝ちですからな。相手も多くの戦力を割くわけにも行かないでしょうから勝機はあります」
サドもそう言ってアルトに笑顔を向けた。
こう言っているサドは元々は爵位を持っていたものの領地を持たぬ法衣貴族だった。
法衣貴族とは爵位を受け継いでも領地を待たない貴族で、王宮からの下寵金で生計を立てている。
そんな状況を変えるべくサドは貴族として、軍人として一軍を率いて賊の討伐を重ねていた。
しかし、ホードラー東部で起きた反乱に対して功績をあげ、その爵位にふさわしい規模の領地として今のホーウッド領を王から与えられていた。
そんなサドであるが故に領地経営と言う物の経験がなくかなり苦労していたのだが、地味にそれを助けたのがアルトであった。
だからこそアルトの求めに応じて日本に付くことにしたのだ。
いわば恩人であり友人関係なのだ。
根っからの貴族でありながらある意味腐らずに居られたのはそのお陰もあるだろう。
だから今回の救援に駆けつけてきたのだ。
「敵にはケッセルリンク領で休養した後に向かう、と告げてある。幾らか時間は稼げよう」
ジョナサンはそう言ってケッセルリンク領の防衛体制を見回してみる。
流石に対日本を理由に防衛力の強化を図っていただけに石造りでは無いものの、それなりの規模の城壁を作り上げている。
しかも食料や武具などの物資もかなり蓄えてあるようだった。
「取りあえず全軍を休ませた上でどう守るかを協議しよう」
サドはそう言ってアルトと共に館に向かう。
その後を付いて行きながらジョナサンは2人には内密にある決意を持っていた。
万が一のときは2人を逃して自分が殿を持つ。
殿とは後退、撤退する軍の最後尾に立ち、敵の追撃を食い止める、もしくはっ時間を稼ぐ役割のことだ。
当然、戦に敗れ敗走していく中で行われるものなので味方の援護は望めない。
それ故に戦死する可能性が極めて高いのだ。
殿を受け持って生きて帰ってきたものは数少ない。
なにより味方の撤退を成功させた上で生還できたものは歴史に名を残した者だけだ。
だが、ジョナサンは歴史に名を残す気は更々ない。
死に場所をここに定めていた。
「どうかされましたか?」
不意にアルトの声が耳に入った。
考えに没頭する余りにやや遅れていたのだ。
ここでそんな悲壮な決意を悟られるわけには行かない。
老練なジョナサンはそんな内心を悟られるような真似をせず、落ち着いて答えた。
「ははは、ちょっと相手の出方を考えてましてな」
そう言って笑顔でジョナサンは二人に追いつこうと足を速めた。
ーホードラー南部ディサント領
抜かった。
その一言に尽きた。
シルスはケッセルリンク領に集まって数日経つのに動こうとしない3者を地図上で睨みつけていた。
おかしいと思うべきだった。
今まで非協力的だったものが会合の時にやけに協力的だった事に疑いを持つべきだったのだ。
だが、ホーウッド、ファーレン、ケッセルリンクの3人が協力的になった(形だけだった)時に他の諸侯の対応に追われ抜け落ちてしまっていたのだ。
その後も続々と集まる諸侯軍の統括や物資の手配で忙しく、疑う余地が無かったのだった。
上手くあの場を利用された、と考えるべきだろう。
シルスは今になって決戦を強要された事に気付いていたが、最早如何ともし難い状況になっていた。
元は諸侯の力を削ぎ、後の統治をやり易くする一手だったものが、今では本当に日本に対する防衛戦になってしまったのだ。
諸侯軍をバーバラ山岳の防衛に当て、元からいたシルスの兵の大半をハウゼン領に向けるはずが今では全く動かせない。
何故ならば先日送り込んだ催促の返事で他の諸侯の目にもこの三人の裏切りは確実になっているのだ。
目の前に裏切り者がいるにも関わらずここで自分の戦力を引き上げ、下げれば要らぬ疑念を諸侯に与えてしまう。
よくもやってくれた。
怒りの篭った目で三人から送られた返事の書状を見る。
「時勢の読めぬ阿呆め。己が身がそんなに可愛いか?」
それだけが書かれている。
しかもこの返事の書状はバーバラ山岳に集まる諸侯に開示されているのだ。
今更ごまかすことは出来ない。
諸侯からは「裏切り者討つべし!」の声が上がっている。
何時日本が姿を現すか分からぬ今、ケッセルリンク領に集まる3者を討つために全軍は動かせない。
出せて10000程。
だが、この様な書状を出すのだから当然それだけの防備を構築しているはずだ。
相手の3倍以上の兵力があれば最終的な攻略は可能であっても時間がかかる。
短期に討つには大軍を動かさねばならない。
今はまだ諸侯が集まっている途中なので最終的な兵力は不明なものの、現在はまだ漸く30000を越えたばかりである。
短期でけりをつけるなら20000は欲しいところだ。
「忌々しい・・・」
シルスはそう呟くが今更どうにもならない。
いっそ後に集まる未確定兵力を当てにして20000以上の兵力を送り込もうか?
とも思うが頭を横に振って早計は行かぬ!と時勢を利かせる。
この挑発的な書状を考えれば日本がかなり近付いているのだろう。
もしかすれば既に到着している可能性もある。
「情報が・・・欲しい・・・」
切実な呟きだった。
如何に優れた戦略家のシルスであっても情報が限られている現状では判断できる材料が無い。
ここで決断するのにリスクがありすぎるのだ。
だが、何としても情報を得なければ目の前の裏切者にも手を出せない。
このまま放置すれば盟主としての自分の地位が危うくなるのは明白だ。
今後を考えれば宇賀かぬわけにも行かない。
追い詰められつつあるシルスはそれゆえに決断を下した。
情報を得る為にだ。
情報を少しでも得られれば打つ手は大きく増える。
打つ手が増えればどうにかできる。
「パッカード」
シルスの言葉に1人の将が目の前に現れる。
緑色の甲冑を身にまとったパッカードと呼ばれた男はシルスにひざを付く。
「飛竜兵の全軍を使っても構わん。裏切者の様子と日本の所在を突き止めろ。手段は問わん」
シルスの命令にパッカードは御意、とだけ告げて退室していった。
最早、情報を得るにはパッカード率いるワイバーンしかいない。
こうしてパッカード率いる飛竜兵ことワイバーン隊は戦力の大半である40騎を持って北上する事になった。