第57話「幕開け」
ーーホードラー南部 ディサント領
この日、シルスは先日の日本からの密偵の捕縛が空振りに終わった事に原を立てつつも、連合内部に日本により誑かされた領主の情報を意図的に流して討伐する名目を作り上げつつあった。
各地の有力な諸侯からも「貴族の誇りを売り払った裏切り者には制裁を」と言う書状や、シルスに面会して直接打ち上げる者までいた。
そこでシルスは一度貴族連合に所属する諸侯、貴族を集めての協議会を開いた。
勿論誑かされた、と見做された領主は読んでいない。
そして、協議会といっても大抵この後に控えているのは宴席だ。
シルスは誑かされた領主の討伐を行うと同時に、内部でまだ日和見的立ち位置にいる諸侯に対する牽制、及び結束の引き締めを図るつもりだ。
協議は滞りなく進み、当然ながら全会一致で日本に靡く領主に対する制裁が可決される。
シルスが事前に流した情報、及び有力の大半も賛成している以上は他の領主や小諸侯には異を唱えられない状況にあっては当然の結果と言えた。
そして続く宴席でも、シルスは豊富にある食料を惜しみなく使った豪華な宴席を披露する。
これは自分が居なければ立ち行かなくなるぞ、と言う無言の圧力であると同時に、自らの権勢の大きさを示している。
「流石はディサント侯、この様な見事な宴席、中々出来ることではありませんな」
シルスにおべっかを使っているのはレックス・ハウゼン男爵。
地位こそ男爵であるがシルスの腰巾着として長年従ってきただけあり、それなりの所領を持っている。
しかもディサント領の直ぐ隣で陸路輸送路の要を守る立場にある。
海が嵐で使えない時はこのハウゼンの領地から伸びる陸路を使って輸送路を確保している。
いわば二段構えの輸送路の確保がシルスの立場を確固たるものにしていた。
その上でシルスは海に面している自領の立場を利用し、王国には秘密で私掠船団、つまり海賊行為を行っており、当然それらは私兵でありながら海軍と言うべき存在を保有していた。
もし、他の海に面した領地が独自に海路を作ろうとしても、シルスの艦隊でそれを妨害、壊滅させてしまう。
こうすれば必然的にホードラー南部の諸侯はシルスを頼るほか無くなるのだ。
つまりシルスは陸、海路を押さえている事で他の何者も台頭出来ないようにしていたのだ。
それは彼の代で成し遂げられたことであり、これだけをもってもシルス自身が優秀な戦略家であることを示していた。
「いやいやハウゼン男爵、これも貴公の協力あっての物。今後も私と共に南部を支えましょう」
表面だけ見ればシルスは爵位が低いはずのハウゼンにも礼を尽くす腰の低い物腰の柔らかい人物に見えるだろう。
だが、実際はあの手この手で権益を独占しているだけなのだ。
そんな二人を冷たいまなざしで見るものがあった。
二人の繋がりを実は既に把握していたジョナサン・K・ファーレン子爵だった。
「いい気な物だ」
独り言とはいえ率直な意見を口にするジョナサン。
内情を知っているが故の言葉だ。
彼もまた日本に付いた一人だったが、以前にレオナルドに打ち上げた方法を持って偽の密偵の情報、並びに告発で警戒されなかったのだ。
実際はシルスは訝しげに思っていたであろう。
しかし、そこは年の功。
長年に渡り魑魅魍魎が跋扈する王宮、貴族社会と関係を持っていた彼は謀略においてはシルスより1枚も2枚も上手だった。
ジョナサンは大胆にも疑いを晴らすために自領へシルスの兵を招きいれ、その上で兵たちを誘導していたのだ。
自身の兵の報告もあり、シルスは疑いを完全に捨て去りこそしなかったが、一応は信用することにしていた。
何よりも変に疑い続けては本当に裏切られかねないと思ったからだ。
「ファーレン子爵、お楽しみですかな?」
林檎の果実酒シードルを口に運ぶファーレンの元にアルト・ケッセルリンク子爵がやってくる。
比較的若く、活力に溢れたアルトは20そこそこで領地を継ぎ、それから30年に渡って領地が隣り合っているジョナサンと交流を持った人物だ。
「ああ、ケッセルリンク殿、ええ、楽しんでますよ」
突然やってきたケッセルリンクを前にしても一切の表情を崩すことが無いジョナサンは流石といえるだろう。
普通なら驚いても可笑しくないし、巣越すぐらいは動揺してしまうかもしれない。
しかし、彼はそんな素振りを見せることは無い。
「それは良かった。もっとも、私は楽しめてませんが・・・」
アルトはそう言って手にしていたワインを一気に飲み干す。
その言葉の真意を探ろうとジョナサンは何故?と聞いてみた。
「砂上の上に立った城に過ぎない彼らを思うとね・・・」
そう言ってアルトは今も取り巻きと笑っているシルスを横目で見る。
その目には憎悪と軽蔑が込められているのをジョナサンは見逃さなかった。
「砂上の城、とはまた随分な話ですな。何か思うところでも?」
ジョナサンはそう答えていながらもアルトのことを考えていた。
ハッキリ言って何か優れたところがあるわけではない。
ある意味凡人といえる。
しかし、アルト自身は、自分が凡人であると言う事を自覚していた。
故に優秀な人材を集めることに労力を割き、その集めた人材を使っての領地経営を行っている。
そのため所領としてはジョナサン程ではないものの、それでも2000人程の小さな町を交易路の中核にすることで町は小さくとも宿場町とし成功している。
しかし、その成功とて莫大な私産を投じての街道整備などに費やされ、将来的な収入は明るくとも現状はかなり厳しいはずだ。
それでなくば今頃、彼の領地はジョナサンの領地を越えていたかもしれない。
だが、それ故にジョナサンと交流を持ち、お互いに街道整備で力をあわせては来なかっただろう。
それだけに信用できる人物でもある。
「貴方が気付いていないはずがありますまい。彼等は今はああして要られますが、将来的に考えれば基盤が脆弱です。ひとたび狼煙が上がればあとは崩れ行くのみでしょう」
アルトはそう言って杯にワインを注ぐ。
実はホードラー南部ではワインは造れない。
いや、ホードラー全体で見てもワインは存在しない。
全て他国からの輸入なのだ。
ホードラーで作られる酒は麦から作られるエール、林檎から作られるシードル(ただしシードルはシードル・ワインとも言われるが)、蜂蜜から作られるミードぐらいなものだ。
なので今彼等が口にしているワインなどは全てシルスの輸送路からもたらされたものである。
つまり、これだけをもってもシルスの権益は莫大な物と分かるのだ。
その上でシルスが独占するこの権益は嫉妬の的であり、内情には多くの敵を孕んでいる事になる。
アルトはそこを指摘した上で、一度狼煙があがれば、つまり日本が本格的に動けば日本に同調するものが後を絶たなくなる。
そう言っているのだ。
「しかし、我らが口にするこの食事も元を言えば彼からの供給です。日本にこれだけのことができますかな?」
敢えて試すようにジョナサンはアルトに投げかけてみる。
恐らく、アルトは日本が来るなら諸手を挙げて歓迎するのだろう。
だからこそ、ここでハッキリさせねばならない。
ジョナサンと同じ旗色を定めているのかそうでないのかを・・・。
「可能でしょう。でなければ短期間にホードラーの大半を制圧できますまい。それに、中央から流れてきた物に面白いものがありましたよ。それだけでも日本には我らが考える以上のものがある、といえます」
抽象的な表現でさっぱり要領を得ない言葉にジョナサンが首を傾げる。
「面白いもの、ですか?」
ジョナサンの様子にアルトは懐から「それ」をとりだした。
そこには見慣れない、妙な文字と内容物の書かれた金属製の物体があった。
これを日本人が見たら大いに笑うだろう。
何故ならばその表面に書かれていた文字は日本語で「さんまの蒲焼」と書かれていたのだから。
アルトはその金属の物体が日本から持ち込まれたものと聞き、たった数個に金貨10枚を払って交易商人から購入した。
だが、それの使い方を聞いて更に驚くことになった。
なんと食べ物であったのだ。
しかもそれは一般人が簡単に口に出来るものではないと思った。
少なくとも保存方法、そして中の食べ物の味、どれをとっても軍で使うようなものに見えたのだ。
長期間の保存が効き、味も良く、手軽に食べられることは軍において最も必要とされるものだからだ。
それとの出会いはアルトは交易路を整備し、中核となした以外の新たな収益を挙げる手段を思いつかせるに十分だった。
だが、それはどうにも上手く行かない。
何よりも缶詰の本体そのものが作れないのだ。
材質、成型、製法、密閉など、どれも彼の想像を超えていたのだ。
今は他の物で代用できないか?になっているが、現状ではまだまだ完成には程遠い。
だから彼としては日本と争うよりも協力したかった。
もっとも、ジョナサンがレオナルドの身を案じた事でレオナルドはジョナサンを最後に帰還してしまっていたが・・・。
恐らくレオナルドはウェーザ領からアルトのいるケッセルリンク領に向かうつもりだったのだが、ジョナサンが止めさせてしまった。
本来なら味方になっていたはずのアルトが味方でなかったのはこのためだった。
とはいえ、あの時点でレオナルドを帰還させねばつかまっていただろう。
それを思うとジョナサンはままならない物だ、と考えざる得なかった。
アルトは周りに見えないように貴重な金属製の物体、缶詰(しかもプルトップ式)を開いてその中身をジョナサンに見せる。
見たことも無いその見た目に正直言って食べれるのか怪しい雰囲気がある。
だが、匂いは良く、それだけで食べ物であることは確かに思える。
それ故にアルトの薦めもあってジョナサンはそれを口に運んだ。
「!?」
少々くどい味付けに感じるが、それでも塩が聞いており深い味わいもある。
その味にジョナサンは大いに驚いた。
「これが私の回答なのですよ」
恐らく、試されていることを知っていたのであろう。
アルトはそう言うと自身も缶詰の中身を口に運ぶと満足そうな顔をした。
二人でこっそりそれを処理すると、お互いの顔を見合わせて笑顔になる。
「どうやら、警戒がすぎましたかな?」
ジョナサンの言葉にアルトは首を振った。
警戒するのが当たり前だからだ。
「いえ、私が貴方の立場であっても同じでしたでしょう」
アルトはそう言うと空になった缶詰の中を綺麗に布で拭き、別の布で包むと懐に戻した。
ただ捨てるのは勿体無い。
これもまた貴重な研究の為の資料なのだから。
この時、ジョナサンは日本が来たとき、自身の身をもってでもアルトを救おうと決心していた。
宴もたけなわになり、諸侯が酒の勢いもあって大きい口を叩き始めた頃、突然会場に兵士が飛び込んできた。
「シルス様!」
慌てた様子の兵士のシルスが叱責を飛ばす。
「何をやっているか!」
だが、シルスの叱責なんかは兵士にとって動でもいい事柄だったのだろう。
必死に窓を指差して騒いでいた。
その兵士の様子に諸侯も窓の外になにがあるのか?と思いはじめていた。
ここは日本との前線ではない。
慌てる様なこと等ありはしない、はずだった。
シルス以下、諸侯の多くが夕闇が迫る外の様子を見る。
そして、場は凍りついた。
そこには、夕闇が迫る海上が見えるのだが、そこに見たことも無い多くの船と思わしきものが浮いていた。
しかも、距離は相当離れているのを差し引いても、かなり巨大な船である。
「な、なんだ・・・あれは?」
シルスも信じられない光景に言葉が上手く出ない。
そんなシルスに兵士が告げた言葉は、シルスの手から杯を落とさせるに十分な衝撃をもたらせた。
「日本軍です!旗から考えても日本の軍です!」
静まり返った宴席の場に、シルスが取りこぼした杯が床に当たり砕ける音が響き渡った。
そんな彼等を後ろから眺めている二人、ジョナサンとアルトはついに始まったか、とお互いの顔を見合わせると頷きあった。
動く時がきたのだ。