第54話「面会」
ーー日本国 尖閣諸島
山本にここは日本だと教えられたカディスは喜びを露にしていた。
しかし、生き残った仲間を一人一人確認していく段階で再び沈んだ表情へと戻ってしまう。
一番重要な人物、代表者が死亡していたのだ。
カディスはあくまでも一武官であり、今回は死亡した代表の護衛役でしかなかったからだ。
これでは交渉どころではない。
特使付きの文官で生き残っていたのは1人だけで、他は護衛役、もしくは船員でしかなかったのだ。
その文官も一番症状が重く、目が覚める気配は一向に見えてこない。
命に別状はない、と言われてもこれでは何時になったら交渉が出来るかわからないのだ。
まさか一武官であるカディスが交渉に立つ訳にはいかない。
それは彼の持つ権限を逸脱すると同時に、何の知識や経験も無い彼には荷が勝ちすぎることだからだ。
患者の一人が目を覚ました、と聞いて戻ってきた伊達も、詳細を聞いてガッカリしている。
伊達とて何時までも尖閣にとどまっていられないのだ。
せいぜいとどまれて3日しかない。
それを越えると一度帰還しなければならなくなる。
こうなると、意識がある、としか報告が来てなかったとはいえ尖閣に来たのは早計だったといわざるを得まい。
「状態を問い合わせて確認すべきだった」
後に伊達はこう言ってこの時のことを振り返ることになる。
取り合えず、このままでは埒が開かないので目が覚めたカディスに面会を申し込み、その後は尖閣の調査、開発状況を視察して文官の目が覚めるのを待つしかない。
実際、視察は必要だったのでこれを口実にすれば問題には発展しない、と判断された。
そのカディスも、日本の政治に携わる重臣が面会を求めている、との問い合わせに交渉でなければ会ってもいいのでは?と考えていた。
外交の経験も知識も欠けている故の判断だったが、この段階から交渉は始まっているともいえた。
「カディス・クロイツァー騎爵です」
「伊達 正行内閣官房長官です」
互いに挨拶を交わすと席に着く。
伊達としてはここで出来る限りの情報を、カディスとしては下手な約束をしない事がお互いの思考にあった。
日本としては帝国が何を望み、そして、何処にあるのか?と言った情報が欲しい。
帝国としては日本と秘密軍事同盟、そして武器の供与と援軍が欲しいのだ。
その見返りに何を渡すか?が交渉の基本的なものになる。
一方的な譲渡など外交には存在し得ないからだ。
だから伊達は、情報の見返りに交易、つまり貿易協定を、と考える。
一方のカディスは同盟と供与、援軍の見返りにとんでもない要求をされないように、と考えていた。
「クロイツァー殿に置かれましては、御身体の調子はいかがですかな?」
先ずは伊達が他愛も無い話を切り出す。
まだ、動くには早いからだ。
焦って動いては足元を見られてしまう。
だからカディスの体を気遣うフリ(本心でもあったが)をして相手が動くのを待ったのだ。
「おかげさまで、元気、とは行かなくとも大分良くなりました」
カディスは言葉を選びつつ、そう答えた。
迂闊な答え方は絶対にしてはならない、そう自身に言い聞かせつつ・・・。
「それは良かった。何か不自由があれば仰ってください。幾らか話は通しますので」
あくまでも話を通す、としか言わない。
話は通しても許可、となるかは別問題としたかったのだ。
なにより、下手なことは口約束になってしまうのだ。
相手が交渉役でないにしても迂闊なことは言わない。
そこは伊達とて理解していた。
「お心遣い感謝いたします。ですが救助していただいた身、わがままは申しませぬ」
カディスは騎爵と言う貴族である。
当然、この程度なら問題は無い。
ある意味、貴族同士のやり取りも外交といえなくないからだ。
とは言え、あくまでも軍人貴族(軍事に関わる貴族)であるため、それほど貴族の機微が分かる訳ではない。
あくまでも儀礼的な挨拶レベルなのだ。
「さて、救助いたしましたが・・・これから如何されますか?全員が良くなってからになりますが、祖国にお帰りになるならば送り届けますが?」
伊達は暗に即時帰国を臭わせることを言う。
何かしらの交渉をしたいからここまで来たのであろうが、その交渉を受ける必要が無いと思わせたかったのだ。
これにはカディスも焦るしかない。
ここで交渉も出来ずに帰国させられれば、犠牲を払ってまで日本を目指した意味がなくなってしまうのだ。
しかし、だからと言って安易にどうするか?などはいえない。
これが北野なら「全員が目覚めてから相談させてください」等と言うのだろうが、彼にはそこまでの知識と経験が無い。
故に思わず言ってしまうのだった。
「い、いえ、我がグラングルカ帝国は貴国との軍事同盟の為に来たのです!おいそれと簡単に帰れません!」
カディスの言葉に伊達は我が耳を疑う。
(軍事同盟?正気か?)
この世界に来て初めて相手の国からのまともな提案だ。
田辺との交渉と状況に押されて決断したベサリウスとは違ったのだ。
だが、軍事同盟と言うのが問題だった。
太平洋戦争後の日本は専守防衛を旗印にしてきた。
この世界で生き残るためにあえて先制攻撃に踏み込んだが、その内面には専守防衛が生きている。
かつてのアメリカの様に他国の戦争に首を突っ込む気などないのだ。
ベサリウスの時はなし崩しにそうなってしまったが、緩衝地帯が必要だったことからも突っ込む必要があった。
だが、何処にあるのか分からない、話を聞けばかなり遠い所にある国の為に戦争をやるつもり等更々無いのだ。
これが貿易協定や、地位協定、もしくは通商条約等の経済的な同盟なら考える余地があっただろう。
しかし、軍事同盟にも色々あるが、日米安保のアメリカの様にはなりたくはないのだ。
この世界では超大国日本、と言う立ち位置であっても他国の後ろ盾にされては迷惑千万としかならない。
「軍事同盟ですか?いやはや、大胆ですなぁ」
伊達はそう言って笑いながら、内心では冗談ではない、と思っていた。
「しかし、日本は我々と共通の敵を持っております。共闘できるのではないですか?」
乗り気な様子を見せない伊達にカディスは訝しげに聞いてくる。
グラングルカ帝国は長い間ファマティー教と敵対し、その影響下にある国々と争ってきた。
これはグラングルカ帝国には古くから別の宗教もある上、他の国では迫害されてきた宗教にも寛容だったことからの争いだ。
何せファマティー教は唯一絶対神にして、異教や異端を認めていない。
それ故に一方的な弾圧と改宗を要求してくるのだ。
これは日本も経験済みである。
しかし、日本は圧倒的な戦力差と、圧力に屈しないだけの軍事力を持っていたから跳ね除けていた。
だが、文明レベル的にファマティー教の国々と大差の無い帝国では、如何に大国とは言え長い戦争による経済的封鎖、圧力に屈っしざる得なかったのだ。
だからこそ、今ではその支配下に置かれて独立国と言うより属国に近い扱いをされている。
勿論、心からの臣従などではなく、機会さえあれば反撃、復讐に動くだろう。
そのための下準備として日本との同盟を希望したのだ。
だからこそグラングルカ帝国は、日本もファマティー教国家に敵対意識がある、と考えたのだが、それは大きな間違いであった。
日本はファマティー教の押し付け、異教異端に対する弾圧を嫌い、それを掲げる彼等に対抗したのであって敵対する気は特に無いのだ。
向こうがテロに走らないこと、日本の領内では日本に従う事を認めるなら入国させるのもやぶさかではない。
しかし、現状では危険しかもたらさないと言える為に締め出しをしているのだが、どうもそれが敵対として見えた様だった。
なにより、それとてファマティー教に対してであって国に向けたものではない。
それは相手の国が判断すべきことであるが、日本としてはそう言う立場でしかなかったのだ。
「敵、ですか?さて、今の我々に敵らしい敵など存在しませんがねぇ」
ファマティー教など眼中には無い、路端の石にもならん、と言わんばかりの態度だった。
もっとも、このときは南部に対する攻撃準備中であり、敵といえば南部となるだろう。
だが、そんなことまで教えてやる義理は無い。
「我々にとっての敵などそれこそ自然災害くらいなものですよ」
この時、伊達が言った自然災害くらい、の発言は大いにカディスを驚かした。
この世界での自然災害は、ファマティー教に言わせれば堕落した地域に降される天罰と言う認識が強かったからだ。
堂々と彼等ファマティー教を退けただけあって言うことが自分たちとは違う、と感じていた。
「では、敵足り得ないというのでしょうか?」
軍事的観点からカディスが質問する。
軍事的観点からならばカディスとて理解できるからだ。
むしろこの分野では伊達の方が分が悪いだろう。
しかし、伊達とてタカ派と呼ばれるだけあって、その辺りはそれなりにでも勉強している。
「現状では敵とする必要が無いだけです。我が国は他国がどうであれ平和であれば良いのですから」
実際は周辺が紛争、戦争状態にあっては面倒ごとしかないので対処はする。
だが、ここで安易に介入を匂わせては軍事同盟の話が引っ切り無しに来ることになる。
幾らなんでもそれは勘弁願いたいのだ。
もし、結ぶとすれば緩衝地帯としてのベサリウス国、大森林を領域とするエルフ共和国だけだろう。
南部は平定されたと仮定した上でなら、将来的な自治権を与えて保護地域に組み込む、いや、独立へとつなげたいところだ。
その後であるならば同盟もやぶさかではない。
しかし、遠方にある国と同盟は利益がないのだ。
まさか遠方にある帝国(実は大陸の反対側)と軍事同盟を結ぶとして、ファマティー教国家を挟み撃ちに出来る、とか言うわけでもない。
挟み撃ちどころか、帝国だけになるだろうが各個撃破されておしまいだ。
その分、日本に対する敵対心を育てるだけにしかならないのだったら、軍事同盟の意義は存在しない。
同盟とはお互いに明確な利益が無ければ結ぶことはないのだ。
「まあ、そちらも交渉できる方がまだ臥せっているのでしょうから、この話は後日改めて・・・では如何ですかな?」
伊達はグラングルカ帝国が日本との軍事同盟を求めているという情報を得て満足、とまでは行かずとも成果はあったと考え、面談を切り上げることを提案する。
しかも交渉の確約だけで、見返りをほとんど払わずに無料で得られたのだ。
これ以上の欲は見せるべきではないと考えたのも無理は無い。
「分かりました。交渉役が目を覚ましたならばその時にまた・・・」
逆にカディスは下手な約束をせずに、次回の交渉を約束できた、と言うのに満足だった。
しかし、この時に帝国の目的を言ってしまった事は、迂闊ではなかったか?と責められることになる。
しかし本来、交渉役でもなかったカディスが交渉のきっかけを作ったのも事実だった。
その意味ではこの面会は無駄ではなかったといえる。
伊達が去った後、疲れた様子でカディスは個室のベッドで休むことになった。
目覚めたばかりで体力が回復しきっていないところに錯乱騒ぎ、そして伊達との面会だ。
疲れるな、というのは無理な話である。
だが、ベッドに横になりつつもカディスは伊達のことを振り返っていた。
「・・・なんと強大なのだ・・・」
伊達の堂々と、自信に溢れ、だが慎重にして大胆な姿。
それは王者の風格に似てさえもいた。
アレでこの国の主ではなく、宰相(内閣総理大臣の事は宰相と思っていた)の側近に過ぎないと言うのだ。
ではこの国の主、王は一体どのような人物なのか?
その事が彼には非常に好奇心をそそられた。
拝謁してみたい。
そう思いながら、彼はまだ見ぬ日本の王を夢に見ていた。