第53話「医者と患者」
ーー日本国 尖閣諸島 資源調査開発施設
救助した特使を収容してから2日。
尖閣諸島で働く職員の為に作られた設備、臨時開発病院。
そこに収容されたグラングルカ帝国の特使一向は山本 完治医師の治療の甲斐あって、危険な状況からだ知っていた。
「先生、政府の方が見えられています」
丁度カルテをパソコンに打ち込んでいるとき、看護士がやまもとを呼びにきた。
途中なのもあって手を止めたくないが、来た以上は拒否も出来ない。
そのため、すぐ行く、と答えてデスクから立ち上がった。
「やれやれ、ウチの政府はこっちの都合は考えないしなぁ」
ぼやきながらもやまもとは仕事のうち、と割り切ってはいた。
こんな事は東京の救急救命センターで働いていた頃に良くあったことだ。
こっちの都合はお構いなしに次から次へと患者が来ていたのだから。
それに比べればここでの仕事は退屈なくらいだった。
「お待たせしました」
身形を整えてからホールに来た山本は政府から来たお偉いさんに手を差し出す。
相手も、お疲れ様です、と言って手を取る。
しかし、その顔を見た山本は驚くしかなかった。
鈴木総理の懐刀と呼ばれた伊達がいたからだ。
まさか、こんな辺境と言うべき場所に来るとは思いもしなかったのだ。
「こ、これは官房長官、こんなところまでご苦労様です」
先程までの憂鬱さが一気に吹き飛んでいく。
TVの向こう側でしか見たことの無い御仁の登場に流石の山本も緊張していた。
「早速で申し訳ないのだが収容された人達の容態は?」
伊達は今の状況を知りたかったので、挨拶もそこそこに聞いてみた。
山本は少し考える仕草をしてから答える。
「容態は安定しています。当初衰弱が激しかった為、危険な状態でしたが・・・何とか持ち直しています」
山本はそう言って脇に抱えていたカルテの写しを見せる。
伊達は一応見てはいるが、流石に何が書いてあるかさっぱり分からない。
とりあえず分かった不利をしつつカルテを返した。
「話はできそうかな?」
とりあえず話をしなければ何をしに来たのかも分からない。
そのため、状態が安定しているなら話を聞こうと思っていたのだ。
しかし、山本は首を横に振った。
「衰弱が激しかったのもあり、まだ眠ったままですね。意識のあった人もよほど体力を消耗してたのか、あれから眠ったままです」
山本の答えに伊達は目覚めたら連絡を、と言い残し後を任せることにした。
まだ眠っているなら、今ここで出来ることは無い。
何時目を覚ますか分からないが、目を覚ますまでに曳航されてきた船を確認するために港に向かうことにした。
伊達が病院から港に向かってから1時間余りが経過したころ、臨時開発病院の病室で眠っていたカディス・クロイツァーが目を覚ました。
薄ぼんやりとした視界の中、見たことも無いほど綺麗な白だけが目に入る。
(ここは、天国なのか?)
はっきりしない頭でそんなことを考えるカディス。
しかし、自分がどうしてここにいるかを思い起こそうとする。
使命を帯び、国を出て約3ヶ月。
素性を隠し交易船の振りをしつつ、一路東をを目指した一行は途中で何度も危機を乗り越えてきた。
しかし、何処にあるか分からない目的地に、一向は疲れ果て、何人もが病に倒れ、その都度人数を減らしながらも目的地日本を目指す。
だが、いつの頃だったかに命運は尽きた。
嵐に出会ったのだ。
元々祖国の船はファマティー教との争いに敗れたことにより、長距離航海の出来ない沿岸航行用の船しか保有を許されなくなった。
領土の約半分を奪われた故郷を救うためとはいえ、そんな船で3ヶ月も航海し、その結果が嵐に遭遇する。
この不運で完全に自分たちは水や食料を失い、最後の力を振り絞って陸地があると思われる方向を目指した。
だが、努力の甲斐なく、陸地を見ることなく彼らは力尽きた。
そこまで思うと漸く意識がハッキリしてくる。
と、同時に自分たちの不甲斐なさに涙がにじみ出てきた。
その悔しさを思うと情けなくなってくるのだ。
「皇帝陛下・・・国を救う手立てを得る事無く天へ来てしまった我らをお許しください・・・」
思わず嗚咽が漏れてくる。
うずくまるように身を縮めて涙を流すカディス。
しかし、そこで彼は異変に気付いた。
自分の左腕から、妙な紐らしきものが生えていた。
当初は変な病気か?などと思うが、身を起こして辺りを見回すと何かの一室のように見える。
左右には誰かは分からぬが、人の寝息が聞こえてくる。
「ここは・・・?何処だ・・・?」
そう呟いたカディスは自分が寝ていた場所を見る。
見たことの無い作りのベッドだ。
木材ではなく、金属と見たことも無い物質(強化プラスチック)で作られたベッド、そして自分の腕から生えている紐の先には妙な液体が入った容器。
思わず慌てて紐を引っ張ってしまう。
するとあっさり自分の腕から抜け落ちる。
だが、乱暴に引っ張ったため、鋭い痛みと共に腕から血が流れ出していた。
しかし、ベッドの布を引きちぎり止血すると腕についていた紐を見る。
それは、先端が金属で出来た針だった。
そして針の先から容器の中身なのだろうか?
液体がベッドの上で染みを作っていた。
「まさか!?毒か!?」
完全に思い違いをしているカディスだったが、そもそもこの世界に「点滴」なるものは存在しない。
ましてや、医療技術も日本とは段違いに遅れている。
その意味では彼の反応はしごくもっともな物だった。
だが、彼にしてみればたまったものではない。
何をされたのか、何を身に流されていたのかなど知る由も無い。
当然慌てて止血した布を更にキツく縛り、毒(点滴の中身、大抵はブドウ糖などの栄養)の進入を防ごうとする。
だが、冷静になれば、毒であったならとっくに死んでいると気付くものである。
しかし、今の彼は見知らぬ場所で、見知らぬことをされていたのだ。
半狂乱、とは行かなくともパニック状態に陥ってしまったのも無理は無い。
必死で腕を縛り上げるカディスの病室に、山本が来たのはそのときだった。
ドアが開く音にドアに目を向けるカディスと、ベッドの脇で必死に腕を縛る病人の姿を見る山本。
二人の視線が合った時、なんとも言いようの無い空気が流れていた。
だが、一瞬にして山本は状況を把握する。
伊達や酔狂で救急救命センターと言う戦場で命を相手に戦ってきた男ではない。
すぐにカディスに飛び掛ると腕を縛ろうとするのを止めさせようとする。
「な、何をするか!」
「馬鹿な事はやめなさい!」
二人の叫び声が病院に響き渡る。
と同時に警護に当たっていた自衛官が小銃を持って病室に飛び込んできた。
「先生!?」
二人のもみ合いを目の当たりにした自衛官は山本に声をかける。
山本は誰かは見てなかったが、人が来たことを知ると同時に叫び声を挙げた。
「患者が錯乱している!取り押さえるのを手伝ってくれ!」
必死なのはカディスもそうなのだが、山本はカディスが錯乱を起こしたと思い彼以上に必死になる。
命を救うために必死に命を追いかけてきた山本だからこそ、如何なる歴戦の勇でも敵わない程の迫力を持っていた。
「落ち着くんだ!そんな事をしても体を傷つけるだけだ!」
山本の必死の言葉に自衛官も一緒になって取り押さえつつ声をかける。
そうやっている内にドンドン人が集まっていき、10分もしない内にカディスは完全に押さえつけられた。
暫らくして、山本たちの必死の声かけもあって、漸く落ち着きを取り戻したカディスは山本(自衛官二人も同席の下)と病院の休憩室で相対した。
「落ち着いたかい?」
山本はカップに入った緑茶を差し出す。
カディスは恐る恐るそれを手に取り、中を覗き込む。
今まで嗅いだ事の無い不思議な匂いだ。
湯気が出てることから熱いのだろうとは予想できる。
だからカディスは少しづつ飲もうとしたが、熱くて飲めたものではない。
ふと山本と名乗った医者を名乗る男を見る。
彼は美味しそうにお茶を啜っていた。
その様子にカディスは下品だ、と思っていたが、山本はその視線の意味に気が付いていた。
「ああ、君たちはすする、と言うことをしないんだね」
そう言って山本は冷蔵庫からペットボトルに入ったお茶を取り出し、別のカップに注いで渡した。
カディスはそれを受け取ると少しだけ飲む。
先程飲もうとしたお茶と違い、今度のは冷たい。
しかも山の湧き水のような冷たさだ。
渋みがあり苦い飲み物だったが、不味くは感じない。
むしろさっぱりとした苦味だ。
そして今度は一気に飲み干す。
喉が渇いていたのもあり、飲み込んだお茶が喉を潤していく。
「・・・ふぅ・・・」
思わずため息が漏れる。
そんなカディスの持つ空のカップに山本がまたお茶を注いだ。
「人心地ついたみたいだね。気分はどうだい?」
山本の温和な言葉に、緊張しっぱなしだったカディスもここに来て緊張を解いた。
「悪くない。それよりもここはどこなんだ?」
カディスの答えと、場所を尋ねる質問に山本は静かに答えた。
「尖閣諸島の病院だ」
だが、ここでもお互いに食い違いが発生する。
何故ならばこの世界に医者はいても病院なるものは無いのだ。
医者は患者の求めに応じて患者の家に出向く、それがこの世界での医療なのだ。
そればかりか、殆ど治療らしい治療も出来ない。
本当に簡単な怪我や、ちょっとした病しか対応できないのだ。
それでもちゃっかりと代金だけはとるので、お金のない者は医者に見てもらうことも出来ない。
「ビョウイン?とはなんだ?」
聞きなれない言葉にカディスは首を傾げる。
それを聞いた山本は簡単に、それこそ子供に聞かせる様な説明をする。
と、言うのも、元々この世界に存在しないものを説明するのに、自分たちの常識で説明しても通じないからだ。
山本はそれに関して幾らかの経験がある。
とは言ってもこの世界ではない。
日本が元々存在していた世界での話だ。
彼は何度か、NGOとして活動したことある。
そのとき、現地の人が知らないものを教えるときにこうやってきたのだ。
それを聞いたカディスは驚いていた。
患者が、ビョウインなる施設にきて治療を行い、すぐに直らない、もしくは動かすのが危険な患者を寝泊りさせて夜も昼も無く治療に当たるということにだ。
彼の知っている医者という物は、ちょっと診たら薬だけ置いてお金を貰って帰ってしまう。
しかも馬鹿高いだけで直らないこともしばしばあるのだ。
そのため彼は、山本を国一番の名医と勘違いしていた。
「貴方は大変優れた医者なのだな」
カディスのこの言葉に山本は首を横に振った。
「私は平凡な方だよ。私より優れた医者はこの国にはたくさんいる」
救命救急センターで働いていたこともあり、救える命はたしかに多かったが、救えぬ命もまた多かったのだ。
実際、彼は技術を持った優れた医者だ。
だが、同様に彼以上に技術を持った優れた医者はたくさんいるのだ。
「そんな馬鹿な!貴方が平凡な医者なら我が祖国の医者はなんになるのだ!?」
カディスはそう声を荒げるが、山本は優しく答えた。
「この国ではそんなものだよ。君の国の医者がどんなのかは知らない。しかし、この国では普通のありふれた医者の一人に過ぎないんだ」
山本の言葉に愕然としてしまうカディスだったが、それで納得するしかなくなってしまう。
何故ならばそう語った山本の目に深い悲しみを見たように思えたからだ。
それだけ多くの人の死を診てきたのだろう。
「詮無きことを言った。すまない」
思わず頭を下げる。
だが、山本は患者を助けるのが医者の仕事だよ。
とだけ答えた。
カディスから見ればそれは人として尊い存在に見える。
それだけこの世界の医者は酷いのだろう。
だが、それは日本が、と言うよりも元の世界の医療は、多くの犠牲の上で成り立っている歴史があるからだ。
この世界にはまだそれが無い、ただそれだけなのだ。
「ところで、私の仲間は?」
ふと、思い出したようにカディスは自分の仲間お安否が気になった。
だが、山本の口から悲しい報せを受け取ることになってしまう。
「・・・詳しくは知らないが、君の乗ってた船が発見されたとき、17人中9名の死亡が確認されている」
その知らせには言葉が出ない。
出しようが無いのだ。
共に国を救わんと船出した仲間。
その内、生きてここまで辿り着いた者の半数以上が二度と祖国の土を踏めないのだ。
「そうか・・・国を出たときは30人もいたのに・・・」
その呟きは、彼がどれだけ過酷な航海を仲間と共にしてきたのかを伺えさせた。
だが、同様に希望もあった。
「君を含む残った8名は無事だよ。ただ、かなり弱ってたからまだ暫らくは眠ったままだろうね」
山本課の言葉にカディスは少しだけ喜んだ。
まだ無事な者がいた。
それだけでもうれしいことだ。
まだ、自分たちは生きている。
生きている限り敗北ではない、と思っていた。
だが、そうものんびりしていられない事情が彼にはあった。
「そうだ、誰か船を貸してくれる、もしくは出してくれる人はいないか?」
完全に信頼しきっているのか、山本にたずねるカディス。
だが、山本は船の有無は答えれても貸す、出すの判断はできない。
権限が無いのだ。
「うーん、どうだろうねぇ船はあるけど・・・そもそも何処へ行くんだい?」
答えを曖昧にしつつ、山本は逆に質問する。
それにカディスは素直に答えた。
「我がグラングルカ帝国と皇帝陛下の恩為に日本と言う国に行かねばならないのだ」
堂々とした態度と言葉に山本は何と答えて良いのか分からなかった。
ふと警護に着いている自衛官を診るが、自衛官も困った表情をするしかない。
「どうしたのだ?分からないのか?」
急に不安を持ったカディスを安心させる必要もあり、山本は後で怒られるのを覚悟で答えることにした。
怒られるで済めばいいが・・・、と思いつつ・・・。
「なら、君の旅はここで終わりだ」
山本の一言は、カディスに警戒心を再度持たせてしまう。
「・・・どう言うことだ?」
声に緊張がこめられ、殺気もあるのだろう。
室内の空気が妙にピリピリとしてくる。
だが、山本は平気な顔で答えた。
「ここは日本国の南端、尖閣諸島だからさ。そう、ここは日本なんだよ」