第40話「朗報」
高橋は報告を終え、現在の任務についての変更などを受け仲間の所へと歩いていた。
遠くからでもにぎやかな様子が見て取れる事から、漸く帰ってきた感覚になる。
だが、ちょっとした用事で捕虜の所へ行かねばならなくなり、仲間の所へ行く前にそちらに向かう事にした。
ところが、様子のおかしい井上とフェイが目に入る。
その周りには警務官が困った顔をしていることから、また何かやったのかと思いうんざりしていた。
「なにやってんだお前?」
高橋は井上の背後から声をかける。
その声に異様な素早さで反応した井上は高橋の両肩をつかみながら高橋を揺すった。
「おい!バジル王国陥落の話は知っているか!?」
普段と全く違う様子の井上に思わず目が白黒してしまう。
一体何を焦っているんだ?と思うが井上はそんな事にはお構いなしに容赦なく高橋に質問を浴びせかけてくる。
「し、知ってるけど・・・それが・・・」
どうしたんだ?と続けるはずが井上にさえぎられてしまう。
「バジル軍の損害の詳細は!?」
高橋はそんな事を知りたい井上の心境が分からなかった。
いや、高橋にそれを分かれというのは難しいかもしれない。
いざ事となれば誰よりも慎重かつ大胆で、そして相手の考えを読むこと出来るとは言え、平時における人の心のうちを知るのは不得手なのだ。
「い、一応、一応司令との、話で、でたけ、ど」
高橋は揺さぶられているので言葉が途切れ途切れになる。
井上はそれを聞いて詳細を話すように高橋に言うが、何故そんな事を聞くのか?が高橋には分からない。
疑問符を浮かべる高橋に井上はいいから早く、と急かす。
「あー分かったから!わかったから手を離せ馬鹿!」
思わず悪態が口から出るが、井上は一向に気にしない。
仕方なく、高橋は自分が聞いたことの顛末を話し出した。
降伏の意思の証明として連れてこられたザハンの遺体を前にしたベサリウスは、これは自決ではない、ということが直ぐに分かった。
王の自決は毒酒が普通だ。
だが、首筋に刃物で切り裂かれた痕があるのだ。
しかも、自分で斬るならば利き腕の側、つまりザハンは右利きだったはずなので、それが首の左側にあるのは不自然だろう。
更にザハンが自決を選ぶほど誇り高い人物ではない事ぐらいは知っている。
尊大ではあるが、誇りなど持ち合わせた人物ではない。
ホードラー王国が健在だった頃に宮中で会ったことがあるのだ。
そう言う意味ではベサリウスの考えは正しい。
だが、自決であろうと他殺であろうと、どちらでも構わなかった。
要は反抗の意思を持たない証明であればいい。
下手に生きたまま連れてこられても見苦しい様を見せ付けられるだけなのだ。
不快な思いをしなくて済む分。いくらかマシなのかもしれない。
むしろ、配下に見限られた故の死に対して、ベサリウスは自らの戒めとして目に焼き付けていた。
「・・・間違いなくザハン・バジルですね」
ベサリウスの言葉に面通しに来ていたハウザーはなるほど、と頷いた。
「では、後はバジル王国の血族を探すとしますかな?」
実際はそんな面倒はごめんだったが、たしか中世では血統が重んじられていたはずだ。
様々な物語でもよく描かれていたからそうに違いない、とハウザーは考え、根絶やしにする気は無くとも監視対象にする必要を感じていた。
しかし、予想外の答えが返ってくる。
「いえ、それには及びません」
ベサリウスはそう言ってザハンの遺体に白い布をかけてその姿を隠した。
「ザハンの親は既に亡くなってます。また兄弟は・・・皆病死してます」
つまりはザハンが領主になる為に全て暗殺した事を示していた。
流石にここまで徹底するものなのか?とハウザーは思うが、それだけの旨みがあるのだ。
欲深いものほどその手段をとる。
もっとも、ザハン程証拠も残さず徹底的にやるものはいなかった。
と、言うよりこれはザハンの仕業ではないだろう。
ザハンの部下の誰かのやった事だと分かるが、誰かまでは分からない。
少なくともザハンにその手腕は無いのは確かだ。
「また、妻や子と言ったものは居なかったはずです」
50過ぎの領主であった身にしては珍しくそう言ったものはいない。
と、言うのも露骨なまでのザハンのやり口に縁談を持っていくのが他の多くの貴族に躊躇われたのだ。
本人にもその意思はあったが、いつもご縁が無かった、とされていた。
「しかし、その、他に手を出している事も考えられるのでは?」
ハウザーはザハンのことなど何も知らない。
知らないがベサリウスから聞いた限りでは唾棄すべき存在である事だけはわかる。
卑劣な人間は何処にだっているが、ここまで卑劣なのは歴史上でもそうは居ないのではないか?とさえ思う。
「たしかにその話はありましたが、その・・・数が・・・」
司令部のテントの端にて監視されていたレオナルドが言葉を濁らせながら語った。
つまり、一度手を出しても直ぐに飽きるため放逐されると言うのだ。
それを聞いてベサリウスも天を仰ぎ、ハウザーは露骨に嫌な顔をした。
つまり、最早その実態を把握する事が出来ないほどだというのだ。
「・・・諌める者はいなかったのか?」
流石のベサリウスも苛立ちが見て取れた。
領主であり騎士であったベサリウスからすれば許し難い暴挙と言えた。
「私を含め何人も・・・ですが、私以外の者は処刑されています」
レオナルドは俯き加減でそう言った。
一応ザハンはレオナルドが居なければ領地経営さえ難しくなるのを知っていたのだ。
その為、生かされていたに過ぎない。
運が良かったのか悪かったのかは分からないが、お陰で生きているのはたしかだ。
「・・・後継者を名乗るものが出てきたらどうします?」
あいた口が塞がらない様な表情のハウザーがベサリウスに尋ねる。
ベサリウスはただ一言、そんな酔狂なものは居ませんよ、と答えた。
民衆にも恨まれていたのであろう。
戦いが終わり、ザハンの死と王国の滅亡が呼びかけられたとき、グラナリアの各地で市民が喜びの声をあげたほどだ。
当然、その血を引く後継者が現れても何ら支持を得られないばかりか、告発されるのが落ちだろう。
「分かりました。まあ、それは貴方と此方の上で考える事ですので私が口を挟むべきではないでしょうな」
今更だが、ハウザーはそう言って要らぬ責任を背負い込むのはごめんとばかりに言った。
「では、日本とここの統治について話し合うために一度コンスタンティに帰還しましょう」
ベサリウスは監視は付けるが、しばらくはレオナルドにここの統治を任せる事にした。
今回の降伏の手筈を整え、実行したのは彼だ。
本来は主君を裏切った彼を許すわけにはいかないが、生憎ベサリウスは手勢しか連れてきていない。
更に外人部隊の海兵隊もここに残る事は物資の補給の面から難しかったのだ。
ならば、その能力があるのなら汚名返上、名誉挽回の機会としてやらせてみるのもいいと判断していた。
日本としても南部の問題を抱えているので、嫌とは言うまい。
そう言った計算があったのも確かだったが・・・。
その言葉にレオナルドは生きて罪を償う機会を与えられた事に感謝するように頭を下げた。
高橋は知る限りの話を井上に、いや、フェイに聞かせた。
内務卿を名乗る人物がしばらくバジル地域を統治し、後に帰属する国に明け渡す事を・・・。
その話を聞き終えたフェイは思わず座り込んでいた。
レオナルドが、無事だと分かったからだ。
内務卿を名乗る人物はレオナルドしかいない。
そして、誰にも取って代わる事が出来ないと信じていたからだ。
その目から大粒の涙が零れ落ちる。
高橋は何故フェイが涙を流したのか分からなかった。
そして井上はレオナルドと言う人物がよほど大事な人だったんだな、と思っていた。
「よかったじゃないか、一番知りたいことだったんだろう?」
井上が優しく声をかける。
人目をはばからず、涙を流すフェイの姿は凛々しい騎士のそれではなく、一人の女性の姿だった。
「・・・これで・・・覚悟が・・・できた・・・」
突然フェイの口から思いもよらない言葉が飛び出てきた事に事情の知らない高橋も、知っている井上もギョッとした。
「うぉい!待て!早まるな!」
「ちょ!おま!早まっちゃ駄目だろぉ!?」
流石に二人揃ってうろたえる姿に周りに居た警務官も思わず噴出してしまう。
先程までの光景と打って変わってこれではまるでコメディだ。
「ちょっと高橋さん!女の子を泣かすなんて駄目じゃないですか!」
そこに何時までも戻ってこない高橋と、何時の間にか居なくなっていた井上を探しにミューリがやってきた。
そして開口一番に井上ではなく高橋を非難した。
「ちょっと待った!俺じゃない!これは俺の・・・所為なのか?」
途中から疑問符を浮かべる高橋。
そこに井上が、お前の所為だ!と全てを擦り付けに掛かる。
「あ!コラ!お前が話を聞かせてやれっていうから!」
「喧しい!隊長なら隊長らしく責任を背負い込め!」
途端に騒がしくなる。
そんな二人を放っといてミューリがフェイに近寄り声をかけた。
「大丈夫ですよ。日本の人たちは皆親切で優しい方ばかりですから」
そう言って日本に行った時に買ってもらったハンカチを手渡す。
かなり便利な代物だったので、ミューリは幾つか持っていたのだ。
これで涙を拭くといい、といわれフェイは言われたとおりにした。
非常にやわらかく、そのやわらかさがフェイの気持ちを落ち着かせた。
「すまない、無様を晒した」
そう言って立ち上がったフェイは晴れ晴れとした表情でありながら、騎士の顔だった。
「いーえ、お気になさらずに」
そんなフェイにミューリは歳相応の少女の笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。別に命を粗末にするわけではない」
先程のフェイの言葉に慌てていた二人に答えるように言う。
その言葉で掴み合いをやめ、二人は安堵できた。
ではさっきの言葉の意味は何だったのだろうか?
井上も高橋もそれが気になった。
覚悟が出来た、と聞かされては自決の覚悟かと思ったのだ。
それを聞くと、初めてフェイが笑顔を見せる。
それは井上にとってまぶしいほどの笑顔に感じられた。
「なに、どんな辱めを受けようと必ず生きて再会する、そう言う意味での覚悟だ」
フェイはそう言って彼等に背を向け、警務官の方へと向く。
井上はその後姿に声をかけようとしたが、止めた。
無粋すぎる。
そう思ったのだ。
「ありがとう、知りたかったことを教えてくれて」
背を向けたまま言うフェイ。
井上はは自分が何かしたわけじゃない。と答える。
「では、また機会があれば・・・いずれな・・・」
そういってフェイは歩き出す。
もうその機会は無いかもしれない。
だが、そういわずには要られなかった。
しかし、そのフェイの背に高橋は躊躇いがちに声をかける。
「あ、それなんだけど・・・お別れは・・・その・・・もうちょっと先・・・かな?」
雰囲気ぶち壊しの一言にその場の空気が固まったのは言うまでも無い。