第20話「異変」
漸く交渉が合意に達していた頃、田辺を屋敷の外で待っていた高橋たちは兵があわただしく動いているのに気が付いていた。
その様子から、緊急事態、もしくは不測の事態が起きているのは容易に想像できる。
「・・・総員に武器のチェック、並びに郊外の仮設駐留地に警戒態勢を取らせろ」
万が一に備え指示した高橋は、交渉決裂によるベサリウスの襲撃を想定した。
しかし、違和感を感じた佐藤が高橋に疑問を呈してみた。
「彼等、何かおかしくありませんか?」
そう言われた高橋は、怪訝な表情のまま注意深くあわただしく動く兵士たちを観察してみる。
・・・剣や槍、弓矢を集めている。
その上で兵士と思われる武装した人々が部隊ごとに集まっていき、その後ろでは荷車に物資を積み込んでいく・・・。
自分たちのとは大きく違うだろうが、軍としての動きに不審は無いように見えた。
だが、何かがおかしいと佐藤は言っていた。
何がおかしいのか?
そんなことを考えていた高橋の前で荷車に積まれている物資の一つが零れ落ち、その中身を露出させる。
どうやら、積み込まれている物資は食料のようだ。
干し肉と思われる物が地面に散乱している。
それに気付いた兵士が慌てて拾い集めている。
その様子を見ていた高橋は漸く気付いて声を上げた。
「そうか!そういうことか!」
突然、高橋が声をあげたのに井上が驚いた表情を見せた。
「なにがそうなんだ?」
井上の問い掛けに高橋は佐藤の感じた違和感について答える。
その答えはその場にいた仲間を一気に緊張させた。
「彼等は外敵に向かうつもりなんだ」
外敵、と言われても井上には自分たちの事ではないのだろうかと感じられた。
しかし、高橋の説明はそうではないことを示していた。
「俺もこっちに来るかと思ったが、だったら俺たちの前で集結する必要はない。なおかつ、食料などを荷車に積んで運ぶ必要だってない」
そう言われた井上は零れた干し肉を拾い集める兵士の姿を見てみた。
「要は、俺たち以外の何かが外敵としてこの地に来て、それを迎え撃ちに行くんだろう。だから食料を集めているんだ。こっちを殲滅したり篭城する気なら荷車は必要ないしな」
高橋の言葉に漸く合点の言った井上は、それはそれで拙い事態に陥っている事に気付いた。
何時までもここにとどまっていれば、最悪戦闘に巻き込まれかねないのだ。
「・・・こっちはの装備は護衛任務だから軍勢相手を想定してないぞ・・・こりゃやべぇかもな」
井上の言うとおり、武装はしているがあくまでも護衛を主眼に置いた軽装備だった。
装甲車両の87式偵察警戒車とそれに装備されてる25mm機関砲はある。
確かにこの世界においてはこれだけでも過剰な攻撃力をもつものの、高々1両である。
それ以外は軽装甲機動車3台と74式中型トラック2台、そして護衛としてきていた20名あまり・・・。
とてもでは無いが戦力として考えられる状態ではない。
単純に逃げながら応戦する分には十分すぎる装備でも、大きな戦いになれば何も出来ないだろう。
「交渉打ち切りも視野に入れて撤収準備だ。仮設駐留地にも連絡して何時でも引き上げられるようにしてくれ」
佐藤は高橋の指示に即座に反応し、田辺の移動に使っていた軽装甲機動車の無線で駐留地を呼び出していた。
井上は車体上面ハッチを開き、MINIMI軽機関銃をセットする。
高橋は田辺が出て来次第即座に乗車できるようにし、あたりを注意深く観察を続けた。
万が一にもここの連中が高橋たちを徴発しようとした場合に備えてだ。
もっとも、これは取り越し苦労に終るのだが・・・。
一方、屋内で交渉していた為に仕方ないとは言え、事態の変化に未だ気付かぬ田辺は交渉を纏めた結果を日本に持ち帰るために屋敷から出てきた。
その表情は明るいのだが、ベサリウスたちに見送られる形で出てきた田辺は、高橋たちの緊張した面持ちに息を呑んでしまった。
(なにが・・・起きているの・・・?)
その様子に急に不安感に襲われた田辺は迂闊にも表情を強張らせてしまっていたが、高橋はそんな田辺に平静を装って足早に近づくと敬礼した。
「ご苦労様です・・・これは一体・・・?」
漸く声を出した田辺に高橋は表情を変える事無く対応した。
「いえ、特に何も・・・」
明らかな嘘ではあるが未だ憶測の範疇であるのもあり、口にすることはしなかった。
しかし、田辺の安全を考慮して動かねばならない。
その為、本来なら口出しすべきではないが、田辺に交渉の状況を尋ねた。
「成果の方はいかほどで?」
仕方ないとは言え、これには田辺の気分を害してしまう。
自衛官が外交の成果を聞く等、自衛官の領分を越えている。
そのため田辺の眼に怒りが浮ぶが高橋は構ってられない。
「申し訳ありませんが、これ以上はここに留まれないと判断します」
そう言って高橋は田辺に小声で耳打ちする。
(周辺の状況に異変があります。身の安全のため迅速な行動を願います)
有無を言わさぬ高橋の様子に田辺は周辺を見渡した。
その眼に飛び込んできた光景は兵士たちが集まる異様な光景だった。
呆然とした田辺の手を引いて軽装甲機動車に乗せた高橋は、笑顔を見せるベサリウスに敬礼をすると即座に自分も乗り込み、移動を指示した。
「気取られたか・・・が、交渉は纏まっている。大勢に影響はあるまい」
高橋たちが走り去っていく姿をみながらベサリウスは笑みを浮かべていた。
「旦那様・・・大丈夫でしょうか?」
背後に控えるポールが不安を口にする。
「ん?ニホンが約束を守るかどうかか?なら大丈夫だ」
自信有り気なベサリウスはそう言って振り返る。
「ポッと出のニホンが他国と交した正式な約束を守らないのであれば、ニホンは信用できない国と言う事を自ら喧伝することになる。そうなればあの国に取って困った事になるのだからな」
否が応でも守らねばなるまいよ・・・。と続けたベサリウスはポールに大使としてニホンに向かうことを命じた。
「彼等の後を追うような形で悪いが、バジル王国の侵攻を食い止める協力を要請してくれ・・・彼らとて我々には滅んでほしくあるまいて」
そう言うとベサリウスは書状などを用意するために執務室へと歩き出した。
ベサリウスにとってこの判断は賭けに等しいが、決して分が悪い賭けではないと確信していた。