第18話「急転直下」
田辺は自分に用意された天幕に急いで戻ると資料を漁り自分の手札を確認しだした。
今の田辺に欠けているもの、それを確認するためだ。
高橋から聞いた北野と自分との差、それは単純な能力ではなく抱えてる手札にある。
何よりも権威と言う手札を持っているのだ。
そして、権威とは忠誠心に厚く頭の肩い人物には多大な影響力を発揮できる。
この場合はベサリウスがそれに当たる。
いかに利害を説いても今のベサリウスは王家に対する忠誠心から、反逆とも取れる独立などしないだろう。
例えそれが亡国の道としても受け入れられるはずがない。
(そうよね、いかに話が通じるとは言っても私たちの価値観とは違う価値観を持っているのだから)
時間は深夜を回った頃にそれに思い至った。
しかし、尚も問題がある。
問題点を発見できてもそれをどう解決するか?だ。
北野は権威を手札として抱えていても、今の田辺にはそれがない。
よしんば、その権威を傘に着て交渉しようにも手元にそれがあるわけでもない。
かと言って、帰還して手はずを整えている時間があるかも疑問だ。
何せここホードラー西方は今や群雄割拠の戦国時代だ。
しかも更に西方の外敵タラスクの侵攻も著しい。
既に何カ国かは戦う前に降伏していたりもする。
また、ベサリウス領北部に位置するバジルの動向もある。
はっきり言ってわずかな時間も惜しいのだ。
(こうなれば、北野さんには悪いけど持ってる手札を借りるしかないわね・・・)
一か八かの博打と言える手段ではあるが、現状それ以上の妙手がないと考えた田辺は翌日の交渉に全てをぶつけるしかなかった。
これで駄目なら日本は最悪の想定を現実とせねばならなくなる。
ー翌日 コンスタンティ
一晩考えたベサリウスだったが、やはり決心はつかなかった。
優柔不断と誹られてもしかたないが、王家に弓引く機にはならなかったのだ。
例え王国が滅び、王家が離散しようとも一度誓った忠誠を簡単に覆す事など出来ない。
その葛藤がベサリウスに手詰まり感を、焦燥を感じさせていた。
(何か、何か手はないのか?このまま日本と争うのは避けたい。だが忠誠を無かったことにはできない・・・)
田辺もそうだったが、ベサリウスもまた状況を打開する一手を欲していた。
その時、執務室のドアをノックする音が耳に入った。
「入れ」
ベサリウスの一言に初老の男性が執務室にはいってきた。
初老の男性はポール・カーチェスといい、ベサリウスを内政面で補助する代官だ。
「旦那様、田辺殿が到着されました」
ポールの言葉に交渉の時間が来ていたのに気づき、急いで身支度を整えだした。
「やれやれ、考えを纏める暇がほしいものだ」
半場、愚痴の様につぶやくベサリウスにポールが暗い表情を見せた。
そのポールの表情にベサリウスは目ざとく気づくと何事か?と声をかける。
ポールは言うか言うまいか躊躇いながらも、自身の思いを主たるベサリウスにぶつけて見た。
「旦那様、お悩みになるのは重々承知しております。なれど・・・」
真剣な表情、いや、決死の表情とも言えるポールに、ベサリウスは黙って耳を傾けるしかなかった。
「なれど、このままではベサリウス領は滅びまする!」
知らず知らずの内にポールの口調は興奮したようになっていく。
ベサリウス本人も意図しない内に、周りの者達ににも焦燥感を与えていたのだ。
「つい先ほど入った知らせによれば・・・カールソン侯爵がタラスクに降伏したそうです」
カールソン侯爵の降伏、寝耳に水と言うべき衝撃がベサリウスにもたらされた。
「・・・降伏?西方諸侯の中でも最大の領地を持った侯爵が、か?」
カールソン侯爵は領地の広さもそうだが、西方諸侯の中では一番力を持っていた。
ポールは驚愕を隠せないままのベサリウスに更に追加の報告をしていく。
「カールソン侯爵以外にも降伏したものは数多くおります。そして、それによりタラスクは更に領域を此方に近づけております。もはや、最早一刻の猶予も惜しまれる状況にございます」
ポールから伝えられた話にベサリウスは一瞬ではあるが頭の中が真っ白になった。
それだけ衝撃があったのだ。
(早すぎる・・・)
それがベサリウスの思いだった。
どんなに軍勢を差し向けてきてもタラスクの国力から考えても、そこまで切迫した状況になるには来春以降と考えていたからだ。
たしかにホードラー王国が滅び、西方は戦国の有様になってはいても、タラスクとて周りを大国に囲まれている。
そこまで急速な拡大をするだけの戦力は割けないはずだったのだ。
その間にベサリウスは領内を固めて備えるつもりだったのだが、その前提が崩れた。
「・・・確かに一刻の猶予も無い・・・な・・・」
状況が切迫しているのを認識したベサリウスは最早形振りかまっていられなくなっていた。
だが、それでも此方から何かしらの動きを見せるわけにはいかない。
諸侯としての矜持も、王家に対しての忠誠もある。
だが、何よりも下手に弱みを見せるのは交渉の場ではしてはならない事だからだ。
「旦那様・・・」
ポールの目には、未だかつてない程に焦るベサリウスの姿が映っていた。
そんな苦境に晒されているベサリウスの下に更なる凶報が届いたのは田辺との会談直前だった。
北のバジル王国がベサリウス領へ侵攻を開始したのだ。
その数、約11000。
バジル王国の保有戦力の約半数に及ぶ軍勢である。
対するベサリウスの戦力は300の騎兵と1600の歩兵、500の弓兵、全軍あわせて2400程度だ。
バジル王国軍の奴隷兵や民兵を中心としたものとは違い、訓練に訓練を重ね選び抜かれた精鋭ではあるもののほぼ5倍の戦力さは如何ともし難い。
「このようなときに・・・」
完全にベサリウスは進退窮まっていた。
(これまで決断を遅らせていたツケが着たか・・・)
ここに至っては是非もなし、ではあるものの、バジル王国のザハンは非道な人物であるのは知っている。
ここでベラリウス領を渡してしまえば領民は悲惨なことになるのは明白である。
「閣下・・・」
ベサリウスの様子にポールはそれ以上の言葉が出なかった。
「・・・如何ともしがたい。この上はニホンの手を借りねばなるまい」
苦渋の決断ではある。あるが、このままでは対等な立場にはなりえないだろう。
やはりせめて何かしらの対等足りえる物を得なければならない。
「軍を召集しろ。最悪、交渉が決裂しても座して討たれるわけには行かない」
ベサリウスはついに動くことになった。
いや、事態が彼を歴史の表舞台に引き上げた瞬間だった。