第九話 駄菓子屋と記憶の匂い
真昼の太陽が照りつける中、諒一は道の端にぽつんと立つ一軒の古びた駄菓子屋を見つけた。
「ちょっと、寄ってみるか……」
店のガラス戸を引くと、ちりんと鈴が鳴った。
中はひんやりとしていて、独特のにおい――お菓子と紙と、少しの古さが混ざったような香りがした。
「いらっしゃい」
奥から顔を出したのは、白髪を後ろで束ねた小柄な老婦人だった。
口元にはうっすらと紅がさしてあり、目元には年輪のような優しい皺。
「お菓子は一つ10円からだよ。水あめもあるよ」
諒一は、少し躊躇したが、意を決して声をかけた。
「あの……すみません。自由研究で、この辺の昔の鉄道計画を調べてて……支線の話とか、聞いたことありますか?」
すると老婦人は、ぱちりと目を見開いた。
「おやまぁ……支線って、もしかして“吉祥寺からのやつ”かい?」
「はい、多分それです」
「それなら、話せることなら話してあげるよ。ちょっとお茶でも飲んでいきな」
そう言って、店の奥に諒一を招き入れてくれた。
畳敷きの一角。古い扇風機が回るその部屋には、どこか懐かしさが漂っていた。
老婦人の名は蓮見由紀子。
酒屋を営んでいたが、今は駄菓子屋のほうが本業になっているという。
「今じゃ誰も覚えちゃいないけどね……支線計画のごたごた、わたしゃ忘れちゃいないよ」
由紀子さんは、湯呑に冷たい麦茶を注ぎながら、静かに語り出した。
「あの頃は……地上げ屋ってのがうろついてね。ヤクザみたいな連中だったよ。
夜中にやってきて、大声で立ち退きを迫ったり、窓ガラスを割ったり。
うちの向かいの家なんか、ダンプカーが突っ込んできて……息子さんが、巻き込まれて亡くなったのさ」
諒一は言葉を失った。
「ほかにもね、商売をやめさせられたじいさんが、**“おれの人生を鉄道に潰された”**って泣いてね……その後、神社の裏で首を吊って……」
由紀子さんの語り口は静かだったが、その言葉の端々に宿るのは深い痛みと、記憶の重さだった。
「線路なんか、結局できなかったんだよ。あれだけ人を追い出して、土地を奪って、金をばらまいて……
でもね、誰かが“上”を巻き込んで、全部なかったことにしたのさ。 あの事件で、誰か捕まった? 謝った? 一人もいなかったよ」
「……“第八倉地建設事件”って知ってますか?」
諒一が恐る恐る尋ねると、由紀子さんはふっと目を細めた。
「……あんた、その名前をどこで知ったんだい」
「図書館で見つけた地図の裏に……書いてありました」
数秒の沈黙。
由紀子さんは、まるで封印されていた箱の鍵を開けるように、小さくうなずいた。
「ああ、それだよ。倉地ってのは、あの頃の都庁と繋がってた“幽霊企業”さ。社屋すら見たことがない。書類だけで土地を動かしてた」
――倉地、という名前の正体。
――土地を奪うためだけに生まれた“第八の影”。
諒一の中で、点と点が少しずつ線につながっていく。
あの地図は、間違いなく何かの“証拠”であり、“封じられた真実”の痕跡だった。
由紀子さんは、最後にこう言った。
「自由研究ってのは、何を自由に調べてもいいけどね――知ったからには、目を逸らしちゃいけないこともあるんだよ」
その言葉が、暑さよりもずっと深く、諒一の胸に響いた。