第七話 “第八倉地”という謎
「……第八倉地建設事件、ってさ」
風鈴が静かに揺れる夏の夜。
リビングのちゃぶ台の上には冷えたビールと枝豆。仕事帰りの父・五郎が、いつものようにTシャツ姿でくつろいでいた。
諒一は、おそるおそる切り出してみた。
「ねえ、その“だいはちくらちけんせつじけん”って……知ってる?」
五郎は缶ビールを一口飲んでから、目だけで息子を見た。
「……第八倉地? なんだそりゃ、団地の名前か? 事件ってのはなんの事件だよ?」
「いや、たぶん昔の汚職事件かなんかで……吉祥寺支線っていう、幻の鉄道計画が中止になった原因らしい」
父は鼻を鳴らして笑った。
「おいおい、また変なもんに首突っ込んでるな」
「変じゃないよ。自由研究のテーマなんだってば」
「そりゃまた渋いテーマ選んだな。でもその“第八”ってのも“創地”ってのも、聞いたことねぇな」
「創地、じゃなくて倉地。“くらち”。地図にはそう書いてあった」
父は眉をしかめて考えこむふうを見せたが、すぐに首を振った。
「うーん……親父(=諒一の祖父)なら覚えてるかもな。あの人、昔、建設省の下請けやってたから。でも、今は施設だしな」
そう言って、ビールをまたひと口。
「あんまり昔のゴタゴタは、誰も覚えてないもんさ。新聞も、テレビも、都合が悪けりゃ“なかったこと”にする時代だったんだよ、バブルの頃なんて特に」
その言葉に、諒一は思わずペンを持つ手を止めた。
「なかったことに、する……?」
「そうそう。土地ころがしだの、計画だけ出して中止になった再開発だの……表に出ない話が山ほどあった。
“第八”なんて名前も、もしかしたら“第七”も“第九”もあったかもしれないけど、俺たち庶民には見えない世界だったんだよ」
それは、大人の世界の“現実”を垣間見るような言葉だった。
諒一の胸に、またひとつ、新しい疑問が生まれた。
――なぜ“第八”なのか?
――“倉地”とは何か?
普通の建設会社なら、もっとわかりやすい名前がついていてもいいはずだ。
だが“第八”という番号のような名と、“倉地”という地名でもなさそうな語感。
まるで意図的に何かを隠しているかのような、匿名性を帯びていた。
父はチャンネルをJリーグのダイジェストに切り替えながら言った。
「お前さ、どうせ調べるなら最後までやれよ。中途半端に“面白そう”で終わらせるんじゃなくてさ」
それは、いつもはダジャレばかりの五郎が、珍しくまっすぐに言った一言だった。
諒一は、その言葉を背中で受けながら、自分の自由研究が、すでに“自由”という枠をはみ出しつつあることを、はっきりと感じ始めていた。