第二十話 神谷五郎という男
神谷五郎。
梨本祐三にとって、その名はいつもどこか笑いと警戒心が同居する人物だった。
「今日は“スタンドバイ三丁目”ですねぇ」
「“マル秘資料”は“丸火山のふもと”で焼却ってことにしますか?」
ふざけたような口ぶりと、唐突なダジャレの応酬。
――その軽妙な言葉選びに、初対面の人間は皆、彼を“軽い男”と誤解する。
だが、五郎の本質を見抜けない人間は、千田のそばには長くいられなかった。
梨本に言わせれば、あれは仮面だ。
くだらない言葉遊びの裏に、彼はいつも静かに観察し、心の奥で是非を見極めていた。
一本気で、筋の通らぬ話には決して首を縦に振らない。
だからこそ、千田尚輝のような人間が、五郎を手放さなかったのだ。
「――裏切らない。それが神谷だ」
千田がふと漏らした一言を、梨本は今でも忘れられない。
神谷五郎が千田事務所に入ったのは、父・神谷重蔵の強い推薦によるものだった。
重蔵は、静岡県富士宮市を拠点とする準大手ゼネコン“神谷組”の代表取締役。
その影響力は地元だけでなく、県内全域、さらには東京の建設業界にまで及んでいた。
神谷組は、千田議員にとって最大級の後援者であり、選挙時には地元建設業界を丸ごと動かすほどの力を持っていた。
その神谷重蔵が、「息子に現場を見せたい」と言って差し出してきたのが、五郎だった。
はじめは“御曹司”の見学扱いかと揶揄する者もいたが、
次第に彼の無口に見せかけた観察力と、
一度決めたら引かない信念の強さが、周囲の見方を変えていった。
「裏方としての彼に任せれば、後ろは心配いらない」
そう語る千田の言葉に、梨本自身も頷かざるを得なかった。
ただ一つ、梨本には引っかかっていたことがある。
――五郎は、過去を語らない。
そして、時折ふと、まるで“帳尻が合わない点”を見つけたような顔で沈黙する瞬間があった。
誰もが忘れたと思っている“支線計画”。
誰もが消したつもりでいる“あの死亡事故”。
そして、“変電所跡地”の記憶。
(……まさかとは思うが……)
梨本の中で、一つの可能性が形を成し始めていた。
あの夏の日、少年だった五郎が、すべてを見ていたのではないか――。
だとすれば。
五郎が今、無邪気なダジャレの裏で見据えているのは、あの日に葬られた真実ではないのか。




