第十八話 事故という名の処理
梨本祐三は、古びた応接間の片隅で、受話器を握ったまましばらく動けずにいた。
先ほどまで電話の向こうで怒鳴りつけていた声――両角清志のそれが、まだ耳の奥に残っている。
「――ふざけるな、梨本。てめえが仕組んだ“支線”のせいで、うちは家を買ったんだ。
子どもまで連れて夢のマイホームに飛び込んでな――全部、あんたらの嘘だったってことか?」
梨本はその激しい恫喝に、珍しく面食らった。
冷静沈着な梨本にとって、感情のぶつかり合いは本来、最も避けるべき状況だった。
両角がどうしてここまで感情をあらわにしてきたのか、
それがわかったのは、自分が不用意に口にした一言だった。
「あなた……東浜システムズ工業のエンジニアでしたね?」
その瞬間、相手の怒りは爆発した。
梨本は即座に合点がいった。
(しまった……あいつ、俺が何者かを知らなかった……)
東浜システムズ工業――それは、千田派と深く繋がる裏部門の技術系企業。
その内部で、秘密裏に都市計画用の資料改変や“官報リーク調整”を担う部門が存在していた。
梨本はかつて、そこに直接出入りし、工作を仕掛けていた。
だが、両角はそんな全貌を知らぬまま、単なる夢と未来に踊らされ、家を買った。
そして今、それが“空虚な幻だった”と知り、怒りを抑えられずにいたのだ。
(……口を滑らせたのは、山神か)
思い返せば、あいつは軽率だった。
“秘書の言うとおりに動いていればいい”――そんな認識で仲間に引き入れたことを、梨本はこのとき初めて深く後悔した。
山神に渡した帯封つきの札束100万円も、両角の口を封じるには何の効果もなかった。
現実を知った者の怒りは、金で押さえられるものではない。
――もし、両角が梨本と同じように“わかっている側”の人間だったなら。
袖の下を受け取るような“理性ある大人”だったなら。
殺す必要などなかったのだ。
……いや、あれは“事故”だった。
梨本は心の奥で、何度もその言葉を繰り返した。
脅しのつもりだった。ただスタンガンをちらつかせて、少し黙らせるつもりだった。
だが、誤って首に直撃してしまい、両角はその場で崩れ落ちた。
――動かない。
――息をしていない。
――これはもう、“交渉の失敗”では済まない。
梨本は、その場で偽装工作を施した。
使われていなかった変電所施設に遺体を移動させ、配線用の絶縁手袋を外させ、工事中のように偽装した。
そして、自らがあらかじめ手を回しておいた“誤作動”の痕跡を機器に残す。
警察の処理は予想通りだった。
「業務中の不慮の感電死」――それで片付けられた。
通報、対応、調書……すべてが流れるように終わっていった。
そして何より、千田の名が一切出ることはなかった。
だが――
あの時の少年、あの時の地図、今の“自由研究”。
つながり始めた線は、再び梨本の過去を呼び戻しつつある。
(あのときの処理は完璧だった……はずだ……)
それでも心の奥に刺さったままの言葉があった。
“事故”ではなく、“裁き”だったのではないか。
そう思えてしまう夜が、時折やってくるようになった。




