第十四話 裏役たちの記憶
千田尚輝の個人秘書、梨本祐三は、冷や汗をぬぐいながら廊下を早足で歩いていた。
議員会館の地下駐車場へ通じる通路。通り過ぎる職員たちに一礼もせず、ただ無言でスマートフォンを握りしめていた。
――やばい、これはまずい。
スクープの種が掘り返された。
それだけならまだしも、“吉祥寺支線”と“倉地建設”の名を結びつける者が現れたと聞いたのだ。
まさか、こんなにも早く、そして“子ども”によってその火種が生まれるとは思いもしなかった。
梨本は尚輝の父、千田重一の代から仕える古参の男であり、かつて尚輝と共に同じ秘書として活動していた時期がある。
当時から、表の選挙戦略やパーティー運営などは、梨本の妻・香が引き受けており、
梨本は主に“裏の仕事”――土地調整、口利き、金の流れの帳尻合わせといった、表に出ない処理を担当していた。
「尚輝様は、表の道を歩むお方。私が、裏を黙って整える」
そう信じて、長年手を汚してきた。
そして、“第八倉地建設”の設立とその解体も、梨本の指揮のもと、すべて裏で処理されたはずだった。
だが――今、その記録の一端が、何者かの手に渡っている。
誰かが地図を、資料を、証言をつなぎはじめている。
「……子ども? ガキが何を知るか……」
そう言いかけて、梨本は思わず言葉を飲んだ。
記憶には残っている。あの変電所の事故のことを、確かに見ていた少年がいた。
騒然とした現場の隅、倒れた作業員の担架が運び出されるのを、ただじっと見つめていた小さな影。
「……まさか、あれが……あの子が、何だったというんだ……?」
焦燥と警戒が、梨本の中で渦を巻いた。
――すべてを片付けたはずだった。
――何も残っていないと思っていた。
しかし、過去を“埋めた”だけでは、消したことにはならなかった。
梨本はひとつ、ため息をついた。
尚輝のもとに報告を上げるべきか、それとも――
先に“芽を摘む”ほうが、彼にとっても良いのではないか?
必要なら、手を打つ。あくまで静かに、跡を残さず。
それが、自分に課せられた役割だった。
そして、梨本はそっと、懐から名刺サイズの封筒を取り出した。
中には、古いタイプの**“連絡カード”――非公式の実働工作員用通信札**。
政治の世界では、いまだに一部の人間だけが使う、もう一つの電話帳だった。
「必要になったな……また“彼”を動かすときが」
もう一度、影を踏んでしまう前に――
記憶と記録を、完全に抹消しなければならない。




