第十三話 語られはじめた“昭和六三年”
「何から話したらいいのかしらね……」
悦子さんは、湯飲みを手に持ちながら、遠くの空をなぞるように視線を漂わせた。
東屋の屋根の上では蝉の声が反響し、朝の木漏れ日が柔らかく落ちている。
「昭和六十三年って言えばね、毎日テレビをつければ**“天皇様の容態”**のニュースばっかりだったのよ。
ほら、平成になるちょっと前。だからね……他のことは、世間的にはあんまり話題にならなかったの」
その語り口は、どこか迷いを含みながらも、確かに真実を探る手つきだった。
「3丁目の角に、今でも基礎だけ残ってるとこがあるでしょう? あそこね、昔は変電所だったのよ。
今じゃもう、草が生えてるだけだけど……あの場所でね、事故があったの。」
諒一は、はっとした。
――あそこだ。数日前、自分が立ち止まったあの広い空き地。
コンクリートの土台が、まるで時間の中で取り残されたように放置されていた、あの場所。
「その日、東京電力の協力会社の作業員さんが、中で亡くなったの。
たしか、メンテナンス中に感電して……地下の配線に問題があったんじゃないかって噂だったわ。
救急車が来て、パトカーも来て……あんなに物々しい雰囲気、この町ではそうそうなかったのよ」
他の老婦人たちもうなずいていた。
「ただね、新聞にはほんの一行、しかも地方面の片隅に載っただけ。しかも“詳細は非公表”って。
なんでも“都の施設”だったからって話だけど、正直、あれは変だったわ」
悦子さんは、茶托をくるくると回しながら、思い出すように言葉をつないでいく。
「そのすぐあとだったのよ、あの土地に“太陽光発電施設に転用される”って話が急に出たのは。
“都の再開発の一環”とかってお役所言葉が並んでね。でも実際には、柵を立てて、中を見えないようにしただけ。
誰もそこに近寄らなくなった。あの事故があってから、あの辺りの空気は変わっちゃったのよ」
「……じゃあ、その事故が原因で支線計画も……?」
諒一の問いかけに、悦子さんは首を横に振った。
「支線の計画はもっと前から怪しかったの。
でもね、この事故があってから、町の人たちは声を上げなくなったのよ。
“何かある”ってわかってても、“これ以上は関わらない方がいい”って……」
それは、単なる事故ではなく、“何か”の象徴だったのかもしれない。
地上げの強行、幽霊企業の実態、そして変電所跡地の感電死――
無関係に見えた断片たちが、ゆっくりと、一つの暗い全体像へと近づいていく。
「ねえ、諒ちゃん」
圭子伯母さんが、ふと穏やかに言った。
「“自由研究”って名目だからって、冗談半分でやっちゃいけないわよ。
あんたが知ろうとしてるのはね、いまでも誰かが“触れてほしくない”と思ってることかもしれないから」
諒一は、小さくうなずいた。
夏の蝉が、どこか遠くでけたたましく鳴いている。
でももう、引き返す気はなかった。
なかったことにされてきた“声なき歴史”を、誰かが拾わなきゃいけない。
その誰かが、自分でもいいと思えた。




