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第7話

あの夜のリオネル王子とベアトリス様の秘密の会話以来、私の心の中には、新たな決意が芽生えていた。

ただ隠れ暮らすだけでなく、ベアトリス様の閉ざされた心を開き、彼女の孤独を癒すこと。

そして、この冷遇された宮殿で、私自身の居場所を確立すること。

それらが、私の新たな目標となっていた。

私自身がかつて経験した孤独と絶望が、ベアトリス様を放っておけないという強い感情を私に抱かせたのよ。

(私も、この宮殿で、少しでも光を灯せるように頑張るわ。彼女の凍てついた心を、少しずつでも溶かしてあげたいのよ)

私は、以前にも増して、ベアトリス様の世話に心を砕いた。

朝は、彼女が目を覚ます前に、淹れたてのハーブティーと焼きたてのパンを用意した。

パンは、私が故郷でよく焼いていた、少し甘めのレシピで、彼女が故郷を懐かしんでくれるかもしれないという、ささやかな願いを込めた。

その日、ベアトリス様は珍しく、ベッドから身を起こし、テーブルに置かれた朝食に目を向けた。

いつもは手をつけない紅茶にも、細い指を伸ばし、カップをそっと持ち上げた。

「…ありがとう」

か細いながらも、その言葉には、ほんのわずかな驚きと、そして感謝の響きがあった。

私がこの宮殿に来てから、彼女が自ら感謝の言葉を口にしたのは、初めてのことだった。

その小さな一言が、私の胸に温かい光を灯した。

まるで、長い冬を越え、土の下から小さな芽が顔を出したかのような、ささやかな希望を感じたのよ。

私は、彼女が一日中過ごすソファのクッションを、より柔らかく肌触りの良いものに変え、時には、薄手のブランケットを膝元にかけた。

窓辺には小さな花瓶を置いて、私が庭で咲かせたばかりの小さな花を飾った。

かつて故郷で、母が私にそうしてくれたように。

黄色い小さな花は、この殺風景な部屋に、ほんのわずかな色彩と生命の息吹をもたらした。

ベアトリス様は、その花瓶の花をじっと見つめ、その指先で花弁をそっと撫でた。

その表情は、少しだけ和らいでいるように見えた。

その瞳の奥に、ほんのわずかな好奇心が宿っているのが分かった。

午後には、彼女の書斎に散乱していた書物を整理し、埃を丁寧に拭き取った。

古びた地図は、あの日以来、再び棚の奥深くにしまわれていた。

私は、その地図にはあえて触れず、彼女がいつでも手に取れるよう、手の届く範囲に置いておいた。

無理に彼女の過去を探ろうとはせず、ただ彼女が自ら心を開いてくれるのを待つことにしたのよ。

書斎の窓を開け放つと、風が吹き込み、閉じ込められていた淀んだ空気を入れ替えてくれるようだった。

ある日、私が書斎で掃除をしていると、ベアトリス様がふと口を開いた。

「…あの絵本、まだ持っているかしら?」

その言葉に、私は驚きと喜びを感じた。

絵本を再び手に取ることを、彼女自身から望んでくれたのだ。

それは、彼女の心が、私に対して、そして世界に対して、ほんの少しだけ開かれようとしている兆候のように思えた。

「はい、ベアトリス様。大切に保管しております」

私は、すぐに絵本を取り出し、彼女に手渡した。

彼女は絵本を優しく抱きしめるように受け取ると、ゆっくりとページをめくり始めた。

その瞳は、物語の世界へと深く入り込んでいるようだった。

彼女の指先が、絵本の表紙をなぞる仕草は、まるで失われた宝物を慈しむかのようだった。

「…このひな鳥はね、飛び方を知らなくても、いつか空を飛べると信じていたのよ」

彼女の声は、以前よりも少しだけ、感情が乗っているように聞こえた。

それは、絵本の中のひな鳥に、彼女自身の姿を重ね合わせているかのようだった。

私もまた、故郷を失い、未来が見えなかったひな鳥のような存在だったから、彼女の言葉が、私の心に深く響いた。

私は、彼女の隣にそっと座り、静かにその言葉に耳を傾けた。

この時間は、私にとって、かけがえのないものとなっていった。

私たちは、言葉を交わさずとも、絵本を通して、互いの孤独と、かすかな希望を共有しているかのような感覚だった。

そんな日々が続く中、リオネル王子が再びこの宮殿を訪れるようになった。

最初の頃は、数日に一度、夜中にこっそりと訪れていたが、次第に昼間にも姿を見せるようになった。

彼の視線は、以前と変わらず冷徹で、感情を読み取ることが難しかった。

しかし、時折、私がベアトリス様と話している最中、あるいは私が宮殿の隅々を掃除している最中に、彼の視線が、かすかに私に向けられているのを感じることがあった。

それは、あくまで一瞬のことで、すぐに別の場所へと移ってしまうのだが、その視線には、以前のような無関心さだけでなく、どこか探るような好奇心が混じっているように思えた。

まるで、私がこの宮殿に持ち込んだ「変化」に、彼が気づき始めているかのように。

(彼は、何を考えているのかしら。私に、何か探りを入れているの?それとも、ベアトリス様の変化に、興味を持っているの?)

ある時、私がベアトリス様のために淹れた紅茶を運んでいると、リオネル王子が廊下の角から現れた。

彼は、いつものように私を一瞥すると、何の言葉も交わさず、ベアトリス様の部屋へと入っていった。

しかし、その時、彼の瑠璃色の瞳が、私の持つトレイの上の紅茶に、ほんのわずかだが、注目したのを私は見逃さなかった。

それは、ほんの一瞬のことだったが、彼の冷たい視線の中に、かすかな興味の光が宿ったように見えた。

彼は、この宮殿で起きている、小さな変化の兆しに気づき始めているのだろう。

ベアトリス様との距離が少しずつ縮まるにつれて、彼女の宮殿の雰囲気にも、微かな変化が訪れた。

以前は常に重く沈んでいた空気が、わずかに軽くなったように感じられたのだ。

冷たい石造りの壁も、以前より温かみを帯びたように思えた。

私が庭に蒔いた希望の花の種も、小さな芽を出し始めていた。

その小さな芽が、風に揺れるたび、この宮殿にも、そしてベアトリス様の心にも、希望をもたらすことを私は願っていた。

(この小さな変化が、いつか大きな力になるはずよ。ベアトリス様が、再び笑顔を取り戻せるように、私はできる限りのことをしたい)

私の心は、新たな決意に満ちていた。

ベアトリス様の心を完全に開かせ、彼女が再び王宮の中で輝けるよう、私は尽力するつもりだった。

そして、その過程で、リオネル王子の探るような視線が、やがて確かな興味へと変わっていくことを、私は確信していた。

私には、この宮殿で、ベアトリス様を支え、彼女の真実を探り、そして、私自身の新しい道を切り開く使命がある。

この場所で、私はメイドとして、そしてかつての王女として、新たな一歩を踏み出したのだった。

彼女の孤独が、私自身の居場所を見つけるための、道しるべになるかもしれないと、静かに胸に誓った。


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