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第33話


隣国からの婚約提案を巡る会談は、ついに最終局面を迎えていた。

会議室の空気は、剣を交えるかのように張り詰めている。

国王陛下、重臣たち、そしてセレフィーナ王女の父である外交官を交えて、その重苦しい議論は続いていた。

隣国側は、婚約の即時締結と、鉱山の運営権を隣国が主導することを要求。

それは、もはや交渉ではなく、一方的な通告だった。

重臣たちは、息を殺して、王子の決断を待っていた。

セレフィーナ王女は、王子殿の隣で、不安げな表情を浮かべている。

しかし、その瞳は、依然として王子殿下への熱烈な好意を宿していた。

王子は、静かに、しかし毅然とした表情で、外交官とセレフィーナ王女を見つめた。

彼の瞳の奥には、深い思案と、そして覚悟の色が宿っている。

私の心臓は、激しく脈打っていた。

彼が、どのような決断を下すのか。

その選択が、この国の未来を、そして私たち二人の関係を、大きく変えることになるだろう。

私は、息を殺して、彼の次の言葉を待った。

王子は、一度、深く息を吐いた。

そして、その視線が、私の方へと向けられた。

彼の瞳は、私に何かを問いかけているかのようだった。

その視線を受け止めると、私の心は、言いようのない不安と、しかし同時に、彼への揺るぎない信頼で満たされた。

私は、彼に、静かに、しかし力強く頷いた。

彼の選ぶ道ならば、きっと正しいと。

私の心は、そう告げていた。

王子は、私の頷きを見ると、わずかに口元を緩めた。

その表情は、私にだけ見せた、安堵の表情だったように感じられた。

そして、彼は、再び外交官の方へと視線を戻した。

彼の口から、紡がれる言葉は、重く、そして明確だった。

「隣国の提案は、我が国の主権を侵害するものであり、到底受け入れることはできない」

王子の言葉は、会議室に響き渡った。

外交官とセレフィーナ王女の顔色が変わった。

重臣たちの間からは、驚きと安堵が入り混じったざわめきが起こった。

王子は、毅然とした態度で言葉を続ける。

「我々は、平和を望む。しかし、国の誇りと民の未来を犠牲にしてまで、平和を乞うことはしない。婚約についても、隣国の王女を娶ることは、この国の未来を左右する重大な決断であり、軽々しく決定することはできない」

王子の言葉は、まさに国の王となる者の、強い意志を示していた。

彼は、隣国の提案を、完全に拒否したのだ。

セレフィーナ王女は、信じられないという表情で、王子殿下を見つめていた。

彼女の顔から、血の気が引いていくのが分かった。

外交官は、怒りに顔を紅潮させ、王子殿下を睨みつけた。

「殿下!この決断は、両国間の関係を破滅に導くことになりますぞ!」

外交官の声は、怒りに震えていた。

しかし、王子は、一切動じることなく、静かに答えた。

「それは、貴国次第だ。我々は、あくまで平和的な解決を望む。だが、もし貴国が武力をもって我が国を脅かすのであれば、我々もまた、国と民を守るために戦う覚悟がある」

王子の言葉は、まるで鋼のように固かった。

彼の瞳には、この国を守るという強い決意が宿っている。

その姿は、私には、誰よりも勇敢で、そして美しいものに見えた。

私の心は、彼の決断に深く感動していた。

彼は、国の未来と民のために、最も困難な道を選んだのだ。

その強さに、私は、改めて彼への深い尊敬と、そして変わらぬ愛情を抱いた。

しかし、同時に、この決断が、この国に何をもたらすのかという不安も、私の心をよぎる。

戦争。

その言葉が、私の脳裏をよぎる。

私のような立場の人間には、何もできない。

その無力感が、私を襲った。

会談は、決裂した。

外交官とセレフィーナ王女は、怒りに満ちた表情で会議室を後にした。

会議室に残された重臣たちは、安堵のため息をつく者、不安げな表情で顔を見合わせる者、様々だった。

王子は、深く息を吐き、疲れたように椅子に身を沈めた。

私は、彼の傍に寄り添い、そっと彼の肩を撫でた。

彼の肩は、固く、そして冷たかった。

彼の瞳は、遠く、未来を見つめている。

その眼差しには、この国の未来への責任と、そして、かすかな不安の色が浮かんでいるのが見て取れた。

私は、彼の傍で、ただ静かに佇んでいた。

私の心の中では、彼への深い愛情と、報われない恋の苦しみが、静かに、しかし深く響き渡っていた。

そして、彼の決断が、この国に何をもたらすのか。

不安は尽きないが、私は王子の傍で、彼の選んだ道を、共に歩んでいく覚悟を決めていた。

たとえ、それがどのような結末を迎えようとも。

私は、ただ、彼のために、彼の傍に立ち続けることしかできないのだ。

会談決裂の報せは、瞬く間に王宮中に広まった。

重臣たちの間では、今後の対応を巡り、再び激しい議論が交わされる。

隣国との関係は、一触即発の状態へと陥っていた。

しかし、王子殿下は、その緊迫した状況の中でも、冷静さを失うことはなかった。

彼は、来るべき事態に備え、国の防衛体制の強化に着手し、日夜、対策を練っていた。

私もまた、彼の傍で、その激務を支えることに尽力した。

彼の疲れた顔を見るたび、私の胸は締め付けられるようだった。

彼の力になりたい、ただその一心で、私は彼が集中できるよう、周囲の環境を整えることに努めた。

セレフィーナ王女は、王子殿下の婚約拒否に、激しい怒りと悲しみを露わにしていた。

彼女は、毎日のように王子殿下の執務室を訪れ、彼に詰め寄った。

その度に、執務室からは彼女の甲高い声が聞こえてくる。

王子殿下は、彼女の感情的な言葉に、疲れたような表情を浮かべながらも、毅然とした態度で対応していた。

しかし、彼女の存在は、王子殿下の疲労をさらに深めているように思えた。

私には、彼女の行動が、まるで王子の苦悩をさらに深めているように思えてならなかった。

嫉妬の感情が、私の心の奥底で、じわりと広がっていく。

それは、私のような身分のメイドが抱いてはならない感情。

そう、自分に言い聞かせても、その感情は、私の心を離れることはなかった。

ある夜遅く、執務室で王子殿下と二人きりになった時のことだ。

私は、彼の疲れた顔に、そっとリラックス効果のある香油を置いた。

彼の指が、私の指に触れる。

その温かさに、私の心臓は小さく跳ねた。

触れた瞬間に、熱い電流が全身を駆け巡るような錯覚に陥る。

私は、慌てて手を離そうとしたが、彼は私の手をそっと握った。

彼の指が、私の手の甲を優しく撫でる。

その感触に、私の心臓はさらに激しく脈打った。

頬が、みるみるうちに熱くなっていくのがわかる。

まるで、全身の血液が顔に集中しているかのようだった。

息をするのも苦しく、鼓動が耳元で大きく鳴り響いている。

こんなにも、彼の指先一つで心が乱れる自分に、私は驚きを隠せないでいた。

これは、メイドとしてあってはならない感情。

そう自分に言い聞かせるけれど、募る想いは抑えようがない。

「ロゼ…」

王子の声は、静かだった。

彼の琥珀色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。

その眼差しに、私の心臓はさらに激しく脈打った。

彼の表情は、普段の冷静さとは異なり、どこか物憂げに見えた。

「ロゼ…いつまでも、こうしてお前と紅茶を飲んでいられたら、どんなにいいだろうな…」

王子の言葉は、まるで深い溜め息のように、静かに紡がれた。

私の心臓は、大きく跳ねた。

彼の言葉の真意を測りかねて、私の頭は混乱した。

それは、一体どういう意味なのだろう。

彼が、私と、個人的な関係を望んでいるのだろうか。

そんなはずはない。

そう自分に言い聞かせるけれど、胸の高鳴りは止まらない。

私の頬は、火が付いたように熱くなり、彼の目を見ることができない。

まるで、全ての感情が顔に出てしまっているかのようだった。

言葉が、喉の奥に詰まって出てこない。

私は、ただ、彼の手を握り返すことしかできなかった。

彼の言葉の響きが、私の心を甘く、そして切なく締め付ける。

このまま時間が止まってしまえばいいのに。

「え?それは……」

私が、か細い声で問い返すと、王子はふっと息を吐き、口元を緩めた。

その笑顔は、どこか寂しそうにも見えたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。

「はは、冗談だ。何を真に受けているんだ、ロゼ。だが、いつでもお前は歓迎だからな? お前の淹れる紅茶は、本当に俺の心を癒してくれる」

王子の言葉は、私の心を安堵させると同時に、言いようのない寂しさで満たした。

やはり、冗談だったのだ。

そう、私は自分に言い聞かせる。

彼が、私のようなメイドに、そのような感情を抱くはずがない。

私の心は、激しく波打っていたが、無理やり平静を装った。

彼の言葉は、私にとって、甘い誘惑であり、同時に、届かない恋の苦しみを再確認させるものだった。

彼は、私の手をゆっくりと離し、再び書類に視線を向けた。

その瞬間、私の心には、安堵と、そして言いようのない寂しさが入り混じった。

もう少しだけ、彼の手の温もりを感じていたかった。

しかし、同時に、これ以上は危険だという理性も働いていた。

私は、彼の傍で、ただ静かに佇んでいた。

彼の言葉の真意を、私はまだ完全に理解できないでいたが、それでも、彼の傍にいることの幸福を噛み締めていた。

この人のためなら、どんな困難も乗り越えられる。

そう、私は心の中で強く誓った。

しかし、私の心には、彼の言葉が深く刻み込まれていた。

「いつまでも、こうしてお前と紅茶を飲んでいられたら、どんなにいいだろうな…」

その言葉が、まるで呪文のように、私の心の中で何度も繰り返される。

それは、私にとって、どんな褒め言葉よりも、どんな宝物よりも、甘く響いた。

そして、その後の「冗談だ」という言葉が、私の心を深く切り裂く。

まるで、手のひらに乗せた砂が、指の隙間からこぼれ落ちていくかのような、はかない切なさが胸に広がった。

その翌日、王宮に不穏な知らせが届いた。

隣国の軍が、国境付近で大規模な演習を開始したというのだ。

それは、明らかな武力誇示であり、王国への牽制だった。

王宮内は、一気に緊張が高まった。

重臣たちは、戦への備えを急ぐよう、国王陛下に強く進言した。

王子殿下も、その対応に追われ、ほとんど眠る時間も惜しんで執務に当たっていた。

彼の顔には、疲労の色が色濃く浮かんでいる。

しかし、その瞳は、国の未来を守るという強い決意に満ちていた。

その頃、セレフィーナ王女は、相変わらず王子殿下の傍を離れようとしなかった。

緊迫した状況の中でも、彼女は王子殿下へのアピールを止めようとしない。

むしろ、この状況を利用して、王子殿下との距離を縮めようとしているかのようだった。

彼女は、王子殿下が軍の会議に出席する際にも、半ば強引について行こうとしたり、彼の執務室に滞在する時間をさらに増やしたりした。

その度に、王子殿下と私が、二人きりで状況を話し合ったり、彼がわずかな休憩を取ったりする機会が奪われていった。

私は、ひっそりと彼女の行動を見守るしかなかった。

彼女の行動は、王子殿下の仕事の邪魔になることもあったが、王子殿下は、外交問題に発展することを恐れ、強く制止することができない。

その様子を見るたび、私の胸には、言いようのない苛立ちと、そして無力感が広がった。

なぜ、こんな時に、彼女は…!

そう思うけれど、私は何もできない。

ただ、静かに、この状況を受け入れるしかなかった。

ある夕食時、私は王子の傍で給仕をしていた。

セレフィーナ王女は、いつものように、王子の隣の席に座り、彼に熱心に話しかけていた。

彼女は、王子の好物である魚料理を、自分の皿から彼の皿へと移し替えようとした。

王子は、その行動に、わずかに眉をひそめた。

「セレフィーナ殿下、それはご自身の分を召し上がってください」

王子の声は、静かだが、その中には、はっきりと拒絶の色が込められていた。

セレフィーナ王女は、不満げな顔をした。

「あら、良いではありませんか!わたくし、殿下と、もっと親密になりたいのですもの!」

彼女は、そう言って、王子殿下を見つめた。

その視線は、まるで彼の心を射止めようとしているかのようだった。

王子は、深く息を吐き、静かに言った。

「殿下、今は国の情勢が緊迫しております。そのような時では…」

王子が言葉を続けようとすると、セレフィーナ王女は彼の言葉を遮り、私の方へと視線を向けた。

彼女の瞳は、私を睨みつけるように冷たく、そして挑戦的に輝いていた。

「それにしても、このメイドは、いつも王子殿下の傍にいるのですね。まるで、影のように。メイドの分際で、殿下の傍を離れようとしないなんて、不躾ではありませんこと?」

彼女の言葉は、突然のことで、私の心を凍らせた。

私の心臓は、激しく脈打っていた。

頬が熱くなり、全身が震える。

屈辱と、悲しみと、そして、言いようのない怒りが、私の心を支配した。

彼女は、公衆の面前で、私を侮辱したのだ。

私は、すぐに頭を下げ、何も言い返すことができなかった。

この身分の差は、あまりにも大きい。

王子は、セレフィーナ王女の言葉に、わずかに眉をひそめた。

彼の顔には、不快感の色が浮かんでいるのが見て取れた。

彼は、私の方へと視線を向けた。

その視線に気づくと、私の心臓は小さく跳ねた。

まるで、彼が私を気遣っているかのように感じられたからだ。

「セレフィーナ殿下。ロゼは、私の専属メイドであり、彼女の仕事は、私の傍で執務を補佐することです。彼女に、そのような言葉を投げかけるのは、いささか…」

王子が言葉を続けようとすると、セレフィーナ王女は、不満げな顔で口を尖らせた。

彼女は、王子の言葉を遮り、わざとらしく明るい声で言った。

「あら、冗談ですわ、王子殿下!わたくし、このメイドが、殿下の傍にいるのが羨ましいと思っただけですのよ!殿下と、もっと一緒にいたいのですもの!」

彼女の言葉は、私の心を深く切り裂いた。

彼女は、私を「羨ましい」と言いながら、王子殿下への執着を露わにしたのだ。

私の心臓は、激しく脈打っていた。

やはり、私には、彼と結ばれる資格などないのだ。

彼の隣に立つべきは、私ではなく、あのような高貴で美しい女性なのだ。

その事実を、改めて突きつけられた気がした。

私は、ただ、静かに、その場に立ち尽くしていた。


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