第24話
国王陛下の承認を得てから、王子は新たな計画の実行に奔走した。
彼の目は、もう過去の敗北ではなく、未来をしっかりと見据えている。
私もまた、王子の傍で、その熱意を肌で感じ、深く共有していた。
彼の秘書として、連日、私は様々な準備に追われた。
国内外の商人との書簡のやり取りに始まり、新たな貿易路に関する資料の作成、そして王子の多忙なスケジュールの調整。
これまでのメイドとしての仕事に加え、より複雑で責任のある業務をこなす日々だった。
睡眠時間は削られ、疲労は確かに蓄積していく。
それでも、王子の隣で、この国の未来のために尽くせることこそが、私にとって何よりも喜びだった。
疲労はあっても、心は満たされていた。
王子の計画は、着実に、しかし困難に満ちた道を歩んでいた。
新たな貿易ルートの開拓は、一部の重臣たちからの強い反発を招いた。
彼らは伝統と既得権益を守ろうとし、王子の革新的な考えに異を唱えた。
王宮内では、毎日のように激しい議論が交わされた。
私は、会議室の扉の向こうから漏れ聞こえる声に、胸を痛めていた。
王子は、その反発にも怯むことなく、論理と情熱をもって彼らを説得し続けた。
彼の言葉には、この国を救うという、揺るぎない覚悟が込められていた。
その姿を見るたび、私は彼への尊敬の念を、一層深くしていった。
ある晩、執務室で二人きりになった時、王子が私に声をかけてきた。
私は、疲労でわずかに顔色が悪くなっていたのだろう。
鏡を見る余裕すら、最近はなかった。
「ロゼ、無理をしていないか」
王子の声は、静かだが、その中には深い気遣いが込められていた。
私は、首を横に振った。
彼に心配をかけたくなかった。
「いいえ、殿下。殿下のお役に立てるならば、喜んで」
私が答えると、王子は私の手を取り、優しく撫でた。
その指先から伝わる温かさに、私の心臓は大きく跳ねた。
触れた彼の指が、驚くほど熱かった。
きっと、彼の方がよほど無理をしているのだろう。
私の心は、彼の優しさに触れ、温かくなった。
「ありがとう。お前がこうして俺の傍にいてくれるだけで、どれだけ心が救われるか、お前は知らないだろうな。本当に、俺にはお前が必要だ」
王子の瞳は、私を真っ直ぐに見つめていた。
その視線に、私の頬は熱を帯びる。
彼の言葉は、私の心に深く染み渡り、疲れを一瞬で忘れさせた。
それは、主君からの労いの言葉だけでなく、もっと個人的な、温かい感情が込められているように感じられた。
私は、彼の傍にいることの幸せを、改めて噛み締めた。
この人のためなら、どんな困難も乗り越えられる。
そう、心の中で強く誓った。
しかし、王国の外では、新たな脅威が静かにその影を広げていた。
隣国との関係は、表面上は一時的な合意に至ったものの、水面下では緊張が高まっていた。
資源を奪われた王国の弱みを見透かすかのように、隣国の動きは活発化していたのだ。
偵察の報告や、国境地帯での小競り合いが増加しているという情報が、日々王子の元に届けられた。
王子は、その報告書を読むたびに、眉間に深い皺を刻んだ。
私もまた、その報告書を整理しながら、不安を感じずにはいられなかった。
いつ、この平和が打ち破られるのか。
その予感は、日々現実味を帯びていった。
ある夜、執務室で、王子が私に一枚の古い地図を広げて見せた。
それは、何百年も前の、王国がまだ小さな領土だった頃の地図だった。
古ぼけて黄ばんだ地図には、見慣れない地名や、今はもう存在しないはずの集落が記されている。
「ロゼ、これを見てくれ」
王子の声は、静かだが、その響きはいつもと違っていた。
彼の指が、地図上のある一点を指し示した。
それは、現在の国境から遠く離れた、険しい山脈の奥地だった。
「この地に、古くから伝わる伝説がある。失われた鉱山、だ」
王子の言葉に、私は驚いた。
失われた鉱山。
そんな話は、昔語りの絵本でしか聞いたことがなかった。
それは、莫大な量の希少な金属が眠るとされる、幻の鉱山だ。
しかし、その場所は、誰にも知られていないはずだった。
「国王陛下は、この話はただの伝説だと信じていない。しかし、俺は違う」
王子の瞳は、地図のその一点に釘付けになっていた。
彼の目には、確かな光が宿っている。
「もし、この鉱山が見つかれば、王国は再び力を取り戻すことができるだろう。隣国に奪われた資源の損失を補い、軍事力を増強することも可能になる」
王子の言葉は、私の心を強く打った。
それは、彼が抱く希望だった。
この国の未来を切り開くための、最後の望み。
「だが、そこは人里離れた場所だ。危険も多いだろう」
王子は、地図の周辺に描かれた、険しい地形を指でなぞった。
その場所は、未開の森と荒れ果てた山々が広がる、まさに秘境だった。
盗賊や魔獣が出没するという噂も、耳にしたことがある。
「それでも、俺はこの目で確かめたい。これは、俺がこの国のためにできる、唯一のことかもしれない」
王子の声には、並々ならぬ決意が込められていた。
彼の表情は真剣そのもので、その瞳は希望に満ちていた。
私の心臓は、彼の言葉に激しく脈打った。
危険な旅になるだろう。
しかし、彼の覚悟を前に、私は迷うことはなかった。
「殿下、わたくしも同行させてください」
私は、思わず口にしていた。
王子は、驚いたように私を見た。
彼の瞳が、僅かに揺れる。
「ロゼ…?しかし、それは危険な旅だ。お前を危険に晒すわけにはいかない」
王子の声には、私を気遣う気持ちがはっきりと表れていた。
彼の優しさが、胸に染みる。
だが、私は引き下がるわけにはいかなかった。
「いいえ、殿下。わたくしは殿下の専属メイドとして、殿下の傍にお仕えする義務がございます。それに、殿下の旅路の安全と、日々の生活の支えとなることができます」
私は、まっすぐ王子の目を見て訴えた。
私の言葉に、彼の瞳に宿っていた迷いが、少しずつ消えていくのが分かった。
彼は、私の真剣な眼差しから、私の決意を読み取ったのだろう。
長い沈黙が、執務室を包んだ。
その沈黙は、王子の心の葛藤を物語っていた。
そして、王子は深く息を吐き、静かに言った。
「…分かった。お前の同行を許そう」
その言葉に、私は安堵のため息をついた。
同時に、胸に新たな決意が湧き上がる。
彼の旅路を、必ず成功させてみせる。
彼の望む未来を、共に掴み取ってみせる。
そう、私は心の中で強く誓った。
その夜、私は旅の準備に取り掛かった。
王子の旅に必要な道具、食料、そして薬草の準備。
全てにおいて、抜かりがないよう、細心の注意を払った。
この旅が、この国の未来を左右する、重要なものになることを、私は知っていた。
そして、何よりも、王子が無事に帰還することを、心から願った。
王子の隣で、私は彼の夢を、彼の使命を、共に背負っていく覚悟を決めた。
私の心の中には、王子への深い愛と、揺るぎない希望が、静かに燃え盛っていた。
旅立ちの日は、刻一刻と近づいていた。
私は、新たな冒険が始まる予感に、胸を高鳴らせていた。
それは、希望に満ちた、そして危険に満ちた旅となるだろう。
それでも、王子と一緒ならば、きっと乗り越えられる。
私はそう信じていた。




