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第23話


隣国との交渉が終わり、王国は一時的な平穏を取り戻した。

しかし、その代償は大きかった。

肥沃な領土の一部を失い、民の心には深い不安が影を落としていた。

王宮内にも、重苦しい空気が漂い続けている。

だが、その中でも、王子アルベール殿下は静かに、しかし確実に、次なる一手を模索していた。

私は、王子の傍で、その変化を間近で見ていた。

彼は以前にも増して、執務に没頭するようになった。

夜遅くまで書物と向き合い、時には徹夜することもいとわない。

その表情には、疲労の色が濃く刻まれているが、その瞳の奥には、決して折れない強い意志が宿っていた。

私は、そんな王子を少しでも支えようと、献身的に尽くした。

彼が集中している間は、物音一つ立てないよう細心の注意を払い、執務室の空気を整える。

彼の思考が煮詰まっているように見えれば、温かいハーブティーをそっと差し出し、彼の緊張を少しでも和らげようと努めた。

彼がふと顔を上げた時に、いつでも最善の状態でいられるよう、周囲の環境を整えることに心を砕いた。

彼が食事を摂る時間も惜しむようであれば、手軽に口にできる栄養価の高い菓子や果物を用意し、無理にでも摂らせた。

ある日の午後、王子が珍しく執務の手を止め、窓の外をじっと見つめていた。

曇り空から、かすかに光が差し込み、王都の街並みをぼんやりと照らしている。

彼の背中は、どこか寂しげに見えた。

私は、その背中にそっと歩み寄った。

「王子殿下…何か、お考えでございますか」

私が静かに尋ねると、王子はゆっくりと振り返った。

彼の瞳は、遠くを見つめるような、深い色をしていた。

「ロゼか。少しばかり、考え事をしていた」

王子の声は、静かだが、その奥には重い響きがあった。

彼は、窓の外の景色へと視線を戻した。

「失ったものは大きい。だが、嘆いてばかりもいられぬ」

彼の言葉には、過去への後悔と、未来への強い決意が入り混じっていた。

「このままでは、また同じ過ちを繰り返すことになるだろう。俺は、この国を、そして民を守るために、変わらねばならぬ」

王子の言葉は、決意に満ちていた。

私は、彼の強い意志を感じ取り、胸が熱くなった。

彼が、自らの弱さと向き合い、次へと進もうとしていることを理解した。

「殿下は、決して弱くなどございません。殿下は、常にこの国の希望でございます」

私は、偽りのない心で言った。

王子の瞳に、わずかな光が宿るのが見えた。

彼は、私の方を向き、その口元に微かな笑みを浮かべた。

「そうだな。お前の言う通りだ」

その声は、いつもより少しだけ柔らかく、私の心を温かく包み込んだ。

私は、彼を支えることのできる喜びを、改めて感じた。

この人となら、どんな困難も乗り越えられる。

そう、確信に近い思いを抱いた。

その日以来、王子は密かに、しかし着実に、ある計画を進め始めた。

彼は、これまでの外交方針を根本から見直し、軍事力の強化だけでなく、経済や技術の革新にも目を向け始めたのだ。

夜な夜な、王子の執務室には、王国中から集められた様々な分野の専門家が招かれるようになった。

兵法家、商人、学者、そして職人まで。

彼らは王子の前で、それぞれの専門知識や見解を述べ、活発な議論が交わされた。

私は、その様子を傍で見守っていた。

王子の質問は鋭く、本質を突くものであったが、その言葉遣いは常に相手への敬意を忘れないものだった。

彼は、ただ情報を得るだけでなく、彼ら一人一人の人間性や情熱をも見極めようとしているようだった。

ある日の夜、会議を終えた王子が、執務室で疲れた顔で座っていた。

彼が普段口にしない、珍しい果物を私が差し出すと、王子は目を丸くした。

「これは…」

「本日、遠方の商人から献上された珍しい果物でございます。殿下がお疲れのようでしたので、少しでもお口に合うかと」

私が説明すると、王子は微かに笑みを浮かべた。

「そうか。お前は、本当に気が利くな」

王子は、果物を一口食べた。

その表情が、一瞬にして和らぐ。

甘酸っぱい香りが、執務室に広がる。

「美味しいな。ありがとう、ロゼ。お前がいてくれて、本当に助かる」

王子の言葉は、私の心に温かく響いた。

この瞬間、私は、彼のために尽くせることの喜びを深く感じた。

彼の一瞬の安らぎのためならば、どんな労苦も惜しまない。

そう、心の中で強く誓った。

数週間が経ち、王子の計画は具体的な形を帯び始めた。

彼は、王国の未来を左右するであろう、ある大きな決断を下そうとしていた。

それは、これまで王国が守り続けてきた伝統的な鎖国政策を一部見直し、新たな貿易ルートを開拓するというものだった。

隣国との対立が深まる中、新たな同盟国を見つけ、経済的な基盤を強化することは、王国の存続にとって不可欠だった。

しかし、同時にそれは、多大なリスクを伴うものでもあった。

保守的な重臣たちの反発は必至であり、新たな貿易ルートの開拓には、未知の危険が潜んでいる。

だが、王子は、その決断を揺るがせることはなかった。

ある夜、王子の執務室に、国王陛下が訪れた。

二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。

私は、扉の向こうで、その緊迫した空気を肌で感じ取っていた。

父と子の間に、深い溝があることを、私は知っていた。

国王陛下は、伝統と安定を重んじる。

一方、王子は、変化と革新を恐れない。

この国の未来を巡る二人の意見の対立は、王宮内でも公然の秘密となっていた。

しばらくして、国王陛下の低い声が聞こえてきた。

「アルベール。お前が考えていることは、危険が大きすぎる。先代からの伝統を破ることは、決して許されぬ」

国王陛下の言葉には、強い反対の意思が込められていた。

私は、王子の反論を待った。

「父上」

王子の声は、静かだが、その奥には揺るぎない決意が宿っていた。

「俺は、このままではこの国は滅びると信じる。伝統に固執し、変化を恐れていては、未来はない」

王子の言葉は、明確で力強かった。

私は、その言葉に、彼の覚悟の深さを感じた。

「隣国からの圧力は、もはや無視できるレベルではない。彼らは、王国の弱みにつけ込み、さらなる要求をしてくるだろう。その前に、俺たちは自ら変わらねばならぬ」

彼の言葉は、国王陛下の心に響いたようだった。

沈黙が、再び執務室を包み込む。

その沈黙は、王子の言葉の重さを物語っていた。

私は、扉の向こうで、固唾を飲んで二人の会話に耳を傾けた。

長い沈黙の後、国王陛下は深く息を吐いた。

「…分かった。お前の言う通りにしてみよ」

その言葉に、私は思わず息を呑んだ。

国王陛下が、王子の提案を受け入れたのだ。

それは、王子がこれまで積み重ねてきた努力と、彼の熱意が、国王陛下に届いた証拠だった。

しかし、私の胸には、喜びと同時に、新たな不安がよぎった。

この決断が、王国に何をもたらすのか。

本当に、この国を良い方向へと導くのだろうか。

国王陛下からの承認を得た王子は、すぐさま新たな計画の実行に取り掛かった。

彼の目は、未来をしっかりと見据えている。

私もまた、王子の傍で、その熱意を共有した。

私は、彼の秘書として、連日、様々な準備に追われた。

国内外の商人との書簡のやり取り、新たな貿易路に関する資料の作成、そして、王子の多忙なスケジュール調整。

私は、これまでのメイドとしての仕事に加え、より複雑で責任のある業務をこなすようになった。

睡眠時間は削られ、疲労は蓄積していく。

しかし、王子の隣で、この国の未来のために尽くせることこそが、私にとって何よりも喜びだった。

ある晩、執務室で二人きりになった時、王子が私に声をかけた。

私は、疲労でわずかに顔色が悪くなっていた。

「ロゼ、無理をしていないか」

王子の声は、静かだが、その中には深い気遣いが込められていた。

私は、首を横に振った。

「いいえ、殿下。殿下のお役に立てるならば、喜んで」

私が答えると、王子は私の手を取り、優しく撫でた。

その指先から伝わる温かさに、私の心臓は大きく跳ねた。

「ありがとう。お前には、いつも助けられている。本当に、感謝しているぞ」

王子の瞳は、私を真っ直ぐに見つめていた。

その視線に、私の頬は熱を帯びる。

彼の言葉は、私の心に深く染み渡り、疲れを一瞬で忘れさせた。

それは、主君からの労いの言葉だけでなく、もっと個人的な、温かい感情が込められているように感じられた。

私は、彼の傍にいることの幸せを、改めて噛み締めた。

この人のためなら、どんな困難も乗り越えられる。

そう、心の中で強く誓った。

しかし、新たな貿易ルートの開拓は、まだ始まったばかりだ。

その先には、どんな危険が待ち受けているのか。

私は、王子の決断が、この国に真の平和をもたらすことを祈っていた。

そして、その道のりが、決して平坦ではないことを、予感していた。

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