第22話
隣国からの突然の使節団訪問という報せは、王都全体に重苦しい影を落とした。
王宮は緊張感に包まれ、国王陛下とアルベール王子殿下は、連日、重臣たちとの緊急会議を重ねていた。
会議室から漏れ聞こえる緊迫した議論の声は、私の心を常にざわつかせた。
アルベール王子の顔には、かつてないほどの厳しい表情が浮かび、眉間に刻まれた深い皺は、彼の内なる苦悩と決断の重さを物語っていた。
私は、彼の傍らで、その張り詰めた空気を感じ取りながら、自分にできることは何かと自問する日々を送っていた。
使節団が王都に到着する日が迫るにつれ、王宮内の空気はさらに張り詰まっていった。
通常の外交使節団とは異なり、彼らは最低限の護衛のみを伴い、簡素な装いで王都に入ってきた。
その姿は、いっそう不気味さを際立たせていた。
王宮の中庭に、使節団の馬車が到着した時、私は他のメイドたちと共に、その様子を遠巻きに見ていた。
馬車から降り立ったのは、隣国の若き宰相、ゼフィールという男だった。
彼は、冷徹なまでに端正な顔立ちをしており、その目は感情を一切読み取らせないほどに無表情だった。
ゼフィールは、王宮の威厳にひるむことなく、堂々とした足取りで進んでいく。
その背後には、彼に付き従う数名の側近が控えていた。
彼らの誰もが、隙のない表情をしていた。
私は、思わず息を呑んだ。
この男が、王子の言う「新興勢力の台頭」を象徴する存在なのだろうか。
彼の纏う空気は、王子のそれとは全く異なる、鋭利な刃物のような冷たさを感じさせた。
王子の執務室では、到着した使節団との最初の会談に向けて、最終確認が行われていた。
私は、王子に温かいハーブティーを差し出しながら、その様子を見守った。
「ロゼ、この件は、一筋縄ではいかないだろう」
王子は、地図に目を落としたまま、静かにそう言った。
彼の指が、隣国との国境線をなぞる。
「ゼフィールは、若くして宰相の座に就いた切れ者だ。迂闊な手は打てない」
王子の声には、警戒と、しかしどこか好戦的な響きが混じっていた。
私は、王子の揺るぎない決意を感じ取り、彼の傍にいることの重さを改めて噛み締めた。
「殿下のご決断であれば、いかなる時も、このロゼリアがお支えいたします」
私は、まっすぐ王子を見つめて言った。
私の瞳には、彼への揺るぎない忠誠が宿っていた。
王子は、私の言葉にわずかに目を細め、私の顔をじっと見つめた。
その琥珀色の瞳の奥に、一瞬だけ、微かな光が灯ったように見えた。
使節団との会談が始まった。
王宮の大会議室は、重苦しい空気に満たされていた。
国王陛下とアルベール王子殿下、そして重臣たちが向かい合うように座り、その視線の先には、隣国の宰相ゼフィールが、まるで挑戦者のように座っていた。
私は、会議室の隅で、メイドとして会談の様子を見守っていた。
私の耳は、彼らの言葉の一つ一つを逃すまいと、必死に聞き入っていた。
ゼフィール宰相は、開口一番、隣国との国境地帯における資源の共同開発を提案してきた。
その言葉は、穏やかな口調で語られていたが、その裏には、王国にとって不利な条件がいくつも隠されていることが、私にも見て取れた。
「これは、あくまで両国の友好関係を深めるための、建設的な提案でございます」
ゼフィールは、涼しい顔でそう言い放った。
その言葉の響きは、どこか嘘くさく聞こえた。
国王陛下は、穏やかながらも毅然とした態度で応じた。
「我々も、隣国との友好は望むところだ。しかし、この提案には、幾つか懸念される点がある」
だが、ゼフィールは、国王の言葉を巧みにかわし、一方的に自国の主張を押し通そうとする。
その時、沈黙を破ったのは、アルベール王子だった。
「宰相殿。その提案は、我が国の国益を著しく損なうものではないか」
王子の声は、静かだが、その中には確固たる意志が込められていた。
ゼフィールの表情に、わずかな動揺が走ったように見えた。
しかし、すぐに彼は冷笑を浮かべた。
「王子殿下は、若さゆえか、少々視野が狭いようですな。これは、未来を見据えた、合理的な選択でございます」
ゼフィールの挑発的な言葉に、会議室の空気が一層張り詰めた。
私は、思わず拳を握りしめた。
しかし、王子は冷静だった。
「合理性という名の元に、我が国の民を犠牲にするつもりはない。俺は、自国の資源を自ら管理し、民の生活を豊かにする責任がある」
王子の言葉は、重臣たちの胸にも響いたようだった。
彼らは、王子の言葉に頷き、静かに彼を支持した。
ゼフィールは、王子の反論に苛立ちを覚えたのか、言葉の端々に鋭さを増していく。
彼は、王国が抱える内政問題を指摘し、あたかもこの提案が、王国の窮状を救う唯一の道であるかのように語った。
「飢える民を救うには、今すぐ行動を起こす必要がある。我々の提案を受け入れれば、速やかに援助物資を送ることも可能ですぞ」
その言葉は、確かに魅力的だった。
しかし、私は、その言葉の裏に隠された意図を敏感に感じ取っていた。
これは、弱みに付け込んだ、明らかな脅迫だった。
「俺は、他国の援助に頼ることなく、自らの力でこの困難を乗り越える。貴国の提案は、丁重にお断りする」
王子は、きっぱりと言い放った。
彼の瞳には、一切の迷いがなかった。
その瞬間、私は、改めて王子の強さと、彼がこの国と民をどれほど深く愛しているかを理解した。
会談は、数時間にわたって行われたが、最終的に両者の意見は平行線を辿ったまま、初日の議論は終了した。
会談が終わり、執務室に戻った王子の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいた。
私は、すぐに温かい蒸しタオルを用意し、彼の目元を優しく拭って差し上げた。
「ロゼ、今日はありがとう。お前がいてくれて助かった」
王子は、目を閉じたまま、静かにそう言った。
その言葉は、私の胸に温かく響いた。
「滅相もございません、殿下。私にできることがあれば、何なりとお申し付けください」
私は、彼の額に触れる。
熱はなかったが、彼の心身の疲労は見て取れた。
「ゼフィールめ…あの男は、ただの宰相ではない。裏に何か大きな力が働いている」
王子は、目を開き、机の上に広げられた地図をじっと見つめた。
彼の指が、隣国の主要都市を指し示す。
「彼らは、俺たちの資源だけでなく、この国の政治体制そのものに介入しようとしている。それは、俺たちの独立を脅かす行為だ」
王子の声は、低いが、その中には強い怒りが込められていた。
私は、王子の言葉に息を呑んだ。
事態は、私が思っていた以上に深刻だった。
「だが、俺には秘策がある」
王子は、私の顔をまっすぐ見つめた。
その琥珀色の瞳には、疲労とは異なる、強い光が宿っていた。
「ゼフィールが、本当に狙っているものは、資源ではない。この国の民の心だ」
私は、王子の言葉に驚きを隠せない。
民の心?
「彼は、民の不満を煽り、内政を不安定にさせ、最終的にこの国を乗っ取ろうとしている。だが、それはさせない」
王子の言葉には、彼の深い洞察力と、この国を守るという強い意志が込められていた。
私は、王子の秘策が何なのか、ますます知りたくなった。
「殿下、その秘策とは…?」
私が尋ねると、王子はわずかに口元に笑みを浮かべた。
「それは、まだ秘密だ。だが、お前には、その準備を手伝ってもらうことになる」
王子の言葉に、私の胸は高鳴った。
王子の秘策に、私が関わることができる。
それは、メイドとしてではなく、彼の使命を共に背負う者として、彼と共に戦えるということだ。
「は、はい!喜んで、殿下のお手伝いをさせていただきます!」
私は、力強く答えた。
私の瞳には、揺るぎない決意と、そして彼への秘めたる想いが宿っていた。
その夜、王都の空は、依然としてどんよりと曇っていた。
しかし、私の心の中には、新たな希望の光が灯り始めていた。
王子と共に、この国の未来を切り開く。
その決意を胸に、私は静かに夜空を見上げていた。
新たな嵐は、すぐそこまで迫っている。
だが、私は、もう決して一人ではない。
私の隣には、共に戦う王子がいるのだから。




