第17話
秘匿された書庫での新たな任務は、私のメイド長としての職務と並行して進められた。
昼間は王宮のメイドたちを指揮し、
夜になると、私はひっそりと書庫に忍び込み、埃を被った古文書と向き合った。
その書庫には、この国の建国以前の歴史、失われた文明の記録、
そして王室の秘密の系譜に関するものまで、想像を絶するほどの知識が眠っていた。
私は、特にロゼリア王国に関する記述に焦点を当て、
関連すると思われる書物を片っ端から読み漁った。
「 リオネル王子は、私がロゼリア王国の歴史に興味を持っていることを知っているはず。
彼がこの書庫を開放してくれたのは、何か意図があるに違いないわ 」
私は、王子の行動を、あくまで私の
「 才覚 」
を王宮のために最大限に活用しようとする、彼の合理的な判断だと考えていた。
彼の視線に感じる熱は、王宮の運営に対する彼の情熱だと信じていた。
彼の深遠な思惑に、私はまだ全く気づいていなかった。
書庫での調査は、困難を極めた。
ロゼリア王国に関する記述は、ほとんどが断片的で、
他の文献との整合性が取れないものも多かった。
しかし、私は諦めなかった。
故郷の記憶、そして私自身が身につけた知識の断片を頼りに、
パズルのピースを繋ぎ合わせていくように、情報を整理していった。
数週間が過ぎた頃、私はある古文書の中に、驚くべき記述を見つけた。
それは、ロゼリア王国の王女が、ある魔術的な儀式によって、
別の国へと**「 転移 」**
させられた、という内容だった。
その記述は、まるで寓話のように語られていたが、私の胸を激しく揺さぶった。
「 転移…?
もしそれが真実なら、私自身の状況と合致する…! 」
私の心臓が、激しく高鳴った。
これまで、私はただ故郷を失い、この国に流れ着いたのだと考えていた。
しかし、もし
「 転移 」
という現象が本当に存在するのなら、
私の記憶の断片、そして私がなぜこの国にいるのかという謎が、
一気に解き明かされるかもしれない。
私は、その記述の信憑性を確かめるため、さらに深く書物を読み込んだ。
しかし、それ以上の詳細な記述は見つからなかった。
そんな日々の中、リオネル王子は、以前にも増してメイド長室を訪れるようになった。
彼は、王宮の業務に関する報告を受けるという名目で、頻繁に私の元へやって来た。
彼の視線は、常に私の顔に、そして手元に注がれていた。
私が書類に目を通す時の真剣な表情、メイドたちに指示を出す時の毅然とした態度、
そして時折見せる、疲労の色。
その全てを、彼は見逃すまいとしているかのようだった。
「 …メイド長。
最近、その目の下に、隈ができているな。
休めているのか? 」
ある日の夜、私がメイド長室で報告書をまとめていた時、
リオネル王子が突然そう尋ねた。
彼の声は、いつもより少しだけ、気遣うような響きを含んでいた。
その問いかけに、私は一瞬戸惑った。
彼が、私の体調を気にかけるなど、これまでになかったことだからだ。
「 王子殿下。
ご心配には及びません。
メイド長としての職務を全うするため、当然のことでございます 」
私は、努めて冷静に答えた。
彼の視線は、私の顔から離れず、その瞳には、微かな心配の色と、
そして抗いがたい魅力を感じているような光が宿っていた。
彼は、私の疲労の色を見てもなお、私から目が離せないというように、
じっと私を見つめていた。
その視線に、私はわずかな居心地の悪さを感じたが、
それは彼がメイド長である私を、より優秀な存在として見ているからだと解釈した。
しかし、リオネル王子の心の中は、ロゼの解釈とは全く異なっていた。
彼は、ロゼが無理をしていることに気づき、純粋な心配を抱いていたのだ。
彼女が、自身の疲労を隠そうとする健気な姿を見るたびに、
彼の心臓は微かに高鳴り、彼女への庇護欲が芽生え始めていた。
彼女の小さな体で、王宮という巨大な組織を動かそうと奮闘する姿は、
彼の目には、まるで可憐で美しい花が、嵐の中でも毅然と咲き誇るかのように映っていた。
「 あの女は…どこまで私を驚かせれば気が済むのだ。
そして、どこまで、私の心を掻き乱せば… 」
彼は、ロゼの聡明さ、機知、そして何よりもその強い意志に、深く魅了されていた。
彼女が、時折見せる、故郷を懐かしむような寂しげな表情を見るたびに、
彼の心は微かに痛み、彼女の隠された過去への興味が募っていった。
彼は、ロゼが自分を
「 道具 」
として見ていると信じ込んでいることに、
かすかないら立ちと、そして切なさを感じていた。
彼は、彼女に、自分自身の本心に気づいてほしいと願っていた。
そんなリオネル王子は、ある日、私に新たな命令を下した。
「 メイド長。
今週の末、王宮で小規模な夜会が開催される。
お前には、その夜会の準備を、一切合切任せたい 」
彼の言葉に、私は驚きを隠せなかった。
夜会の準備は、通常、王宮の執事長や、経験豊富な侍女長が担う大役だ。
それを、私のような若輩のメイド長に任せるというのか。
「 王子殿下。
わたくしのような未熟な者では、荷が重すぎるかと存じます。
万が一、不手際がございましたら… 」
「 案ずるな。
お前には、それができる。
王宮の全てのメイドを指揮し、最高の夜会を作り上げろ。
これも、お前の才覚を試す良い機会だろう 」
彼の視線は、私をじっと見つめ、その瞳には、
揺るぎない信頼と、そして微かな期待が宿っていた。
それは、まるで私が、彼の求める
「 最高の夜会 」
を実現できると確信しているかのような視線だった。
私は、彼の言葉に、かすかな高揚感を覚えた。
「 王子様は、私に、さらに大きな仕事を任せてくださるのね。
これは、私のメイド長としての評価を、さらに高めるチャンスだわ! 」
私は、彼の言葉を、王宮の効率化と、
私の能力を最大限に引き出すための
「 試練 」
だと解釈した。
私は、深く頭を下げ、その大役を引き受けた。
その日から、私は夜会の準備に文字通り寝食を忘れて没頭した。
招待客のリスト作成から、会場の装飾、料理の献立、音楽の手配、
そしてメイドたちの配置に至るまで、全てを私が指揮した。
王宮の執事長や侍女長たちは、最初は私の指示に懐疑的な目を向けていたが、
私の的確な指示と、これまで培ってきた信頼関係のおかげで、
彼らも次第に私の指揮に従うようになった。
夜会の準備は、想像以上に困難を極めた。
各部署との連携、予算の調整、そして何よりも、
私の指示に慣れていない一部のメイドたちからの反発もあった。
しかし、私は諦めなかった。
夜を徹して資料を読み込み、最善の解決策を模索した。
私の部屋の明かりは、毎晩のように深夜まで灯り続けていた。
そんなある夜、私がメイド長室で、夜会の進行表を最終確認していると、
静かに扉がノックされた。
開けると、そこに立っていたのは、リオネル王子だった。
彼は、いつものように感情の読めない表情で、私の手元に視線を落とした。
「 …まだ、仕事をしていたのか。
休むことも、メイド長の重要な務めだ 」
彼の声は、静かだったが、その中には深い心配と、そしてかすかな苛立ちが混じっていた。
私が無理をしていることへの、彼なりの不満だった。
「 王子殿下。
夜会の成功のため、あと少し、確認を 」
私がそう答えると、彼は私の机に、温かいハーブティーを置いた。
その香りは、私がベアトリス様のために淹れるものとよく似ていた。
「 無理はするな。
お前が倒れては、元も子もない 」
彼の言葉に、私は驚きを隠せなかった。
彼は、私を気遣って、ここまで来てくれたのか。
彼の視線は、私がハーブティーを一口飲むのを見届け、
私の顔に、そして私の疲労の色が濃い目の下に、
温かい、そして切なげな光を宿らせていた。
その光は、私がこれまで彼に向けられてきた
「 評価の視線 」
とは全く異なる、個人的な感情を含んでいるように感じられた。
しかし、私はそれを、彼がメイド長である私の健康を、
王宮の業務効率の観点から気遣っているのだと解釈した。
「 王子様は、私が倒れてしまわないか心配してくださっているのね。
私が倒れれば、夜会の準備が滞ってしまうから… 」
私は、その温かいハーブティーを、ゆっくりと飲み干した。
彼の隣にいると、不思議と心が落ち着き、疲労が和らいでいくようだった。
リオネル王子は、私がハーブティーを飲み干すのを見届けると、
静かに執務室を後にした。
彼の背中は、いつも以上に大きく見えた。
彼の言葉と行動の裏にある真意に、私はまだ気づいていなかった。
しかし、私の知らないところで、リオネル王子のロゼに対する感情は、
確実に変化し続けていた。
彼は、もはやロゼを
「 優秀な道具 」
としてだけ見てはいなかった。
彼女のひたむきさ、健気さ、そして何よりも、その強さと優しさに、
彼は抗いがたいほどに惹きつけられていたのだ。
彼の心の中には、ロゼという存在が、まるで太陽の光のように、
彼の冷え切った心を温め始めているのを感じていた。
彼は、この夜会で、ロゼにさらなる試練を与え、その**「 本性 」**
を引き出そうと企んでいた。
そして、その試練を通じて、ロゼが自分自身の
「 特別な存在 」
であることに気づいてくれることを、密かに願っていた。
彼の策略は、ロゼの知らないところで、着実に、しかし密やかに進行していた。
ロゼは、ただひたすらに、目の前の任務と、ベアトリス様の笑顔のために奔走していた。