第15話
メイド長に任命されてから、私の日々は目まぐるしく変化した。
ベアトリス様の宮殿での仕事に加え、
王宮全体のメイドたちの統括という大役が加わったのだ。
メイド長室は、これまで私が使っていた狭い部屋とは比べ物にならないほど広く、
膨大な書類が積まれた執務机と、王宮全体の配置図が描かれた大きな地図が置かれていた。
早朝から深夜まで、私は指示を出し、報告書を読み込み、予算を計算し、
あらゆる問題に対応した。
私の頭の中は、常に王宮の運営に関する情報で溢れかえっていた。
「 メイド長としての責任は重いけれど、これでベアトリス様の立場も少しは盤石になるはず。
そして、私がこの王宮でできることも増えるわ 」
王宮のメイドたちは、私のような若輩者がメイド長に就任したことに、
最初は戸惑いを隠せないようだった。
中には、不満の視線を向ける者もいた。
しかし、私は故郷で培った統率力と、効率的な業務改善の知識を惜しみなく発揮した。
無駄な作業を省き、適材適所の配置転換を行うことで、
全体の作業効率は飛躍的に向上した。
最初は渋っていたメイドたちも、次第に私の指示に従うようになり、
王宮の清掃や管理は、目に見えて改善されていった。
メイド長としての私の仕事は、リオネル王子が直接視察することもあった。
彼は、清掃が行き届いた廊下を歩き、庭の手入れ具合を確かめ、
時には、私に具体的な改善点や、メイドたちの労働状況について質問することもあった。
彼の視線は、常に鋭く、私の管理能力を試すようなものだった。
「 …この北棟の清掃頻度を、さらに高めることは可能か?
最近、来賓が多いため、より徹底した清掃を求める 」
ある日、私が王宮の中庭で花壇の手入れをしていると、
リオネル王子が背後に立っていた。
彼の声は静かだったが、その問いには、妥協を許さない厳しさがあった。
「 はい、王子殿下。
現状の人員配置では難しいかと存じますが、
隣接する西棟の清掃員と一時的に連携することで、対応可能かと存じます。
早急に人員配置の見直しを行い、ご期待に沿えるよう手配いたします 」
私は、即座に答えた。
彼の要求は常に無理難題のように思えるが、
私は常に複数の解決策を頭に思い描いていた。
リオネル王子は、私の返答に何も言わず、ただ私の顔をじっと見つめていた。
その瞳には、以前よりもさらに深まった探求の光が宿っていた。
それは、まるで私がどこまで対応できるのか、私の底力を測ろうとしているかのような視線だった。
その視線は、私の顔から、私が手入れしている花へと移り、そしてまた私の顔へと戻る。
彼の目は、私の細やかな手の動きや、表情の微細な変化を、逃すまいとしているようだった。
「 王子様は、私がメイド長として、どこまで王宮の運営を改善できるのか、見定めているのね。
期待に応えなければ 」
私は、彼の視線を
「 メイド長としての能力を評価する視線 」
だと解釈していた。
彼の目は、常に効率と結果を求める、冷徹な主の目だと信じて疑わなかった。
しかし、リオネル王子の心の中は、ロゼの解釈とは全く異なっていた。
彼の視線は、確かにロゼの能力を評価していたが、それだけではなかった。
彼は、ロゼが常に冷静沈着でありながら、
その瞳の奥に宿る揺るぎない芯の強さに、魅了され始めていたのだ。
彼女が花壇の手入れをする指先の繊細さ、
メイドたちに指示を出す時の澱みのない言葉遣い、
そして彼の無理難題ともいえる要求に、即座に的確な答えを返す知性。
その全てが、彼の心を掴んで離さない。
「 あの女は…まるで、全てを見通しているかのように、完璧にこなす。
そして、なぜか、見ていると飽きない… 」
彼は、ロゼが他のメイドたちと談笑している姿を目にすると、
無意識のうちにその会話に耳を傾けている自分に気づいた。
彼女が、子供のように無邪気に笑う姿や、
困っているメイドに優しく接する姿を見るたびに、
彼の心の奥底に、これまで知らなかった温かい感情が芽生えていくのを感じていた。
それは、彼がこれまで経験したことのない、甘く、そして心地よい感覚だった。
彼自身、それが
「 恋 」
という感情だとはまだ自覚していなかったが、
ロゼへの関心は日ごとに募り、もはや彼女から目が離せない状態になっていた。
「 …お前は、この宮殿で、どの部署のメイドが最も優秀だと考える? 」
ある日、リオネル王子は、メイド長室に私を呼び出し、唐突に尋ねた。
それは、まるで私の判断力を試すかのような質問だった。
「 王子殿下。
一概には申し上げられません。
それぞれの部署には、それぞれの特性がございます。
しかし、強いて申し上げるならば、
陛下がお使いになる食器を管理する部署のメイドは、
最も繊細で、正確な作業をこなしております 」
私は、正直に答えた。
その部署は、些細なミスも許されない、極めて神経を使う部署だった。
リオネル王子は、私の答えに満足したように小さく頷いた。
「 そうか。
ならば、その部署のメイドたちに、
王宮で最も重要な儀式に使われる食器の手入れを任せろ。
お前が、その指揮を執れ 」
それは、私のメイド長としての力量が、最も試される任務だった。
王宮の重要な儀式に使われる食器は、代々受け継がれてきたもので、
その中には、歴史的な価値を持つものも少なくない。
些細な傷一つでもつければ、取り返しのつかないことになる。
「 王子様は、私に、最も重要な任務を任せようとしているのね。
私の能力を、最大限に引き出そうとしているのだわ 」
私は、彼の期待に応えるべく、その任務を引き受けた。
その日から、私はその部署のメイドたちと協力し、
王宮の宝ともいえる食器の手入れに没頭した。
細心の注意を払い、一つ一つの食器を丁寧に磨き上げた。
私の手元には、その作業の度に、リオネル王子が視察に訪れた。
彼は、私がどのように指示を出し、どのように作業を進めているのかを、細かく観察していた。
彼の視線は、もはや隠しきれない熱を帯び始めているように見えたが、
ロゼはそれを、彼の仕事への情熱だと解釈していた。
そんな日々の中、ベアトリス様は、公務への適応をさらに深めていった。
彼女は、もはや茶会や午餐会で怯えることはなく、
自らの意見を積極的に述べるようになっていた。
その知性と気品は、王宮の貴族たちの間でも評判となり、
セシリア皇妃の顔は、日に日に険しくなっていった。
「 ベアトリス様が、王宮で認められ始めている。
このまま、彼女の居場所を確固たるものにできたら…! 」
私は、ベアトリス様の成長を間近で見守りながら、
自らのメイド長としての使命を強く感じていた。
リオネル王子が私に何を期待しているのか、その真意はまだ掴めない。
しかし、彼の求める結果を出すことが、ベアトリス様の未来、
そしてこの王宮の未来に繋がるのだと信じて、
私は全力で日々の務めに励んだ。
リオネル王子の視線は、ロゼの知らぬ間に、ますます熱を帯び、
彼女という存在を、彼の心の中心へと引き寄せていた。
彼は、この「 メイド 」という存在が、自身の人生を大きく変えることになることを、まだ知る由もなかった。