第14話
午餐会での出来事は、瞬く間に社交界の話題となった。
第二皇妃ベアトリスが公の場に姿を現し、質問攻めにも堂々と渡り合ったこと。
そして何より、その傍らに控えたメイドが、
まさかの機知と教養で窮地を救ったこと。
人々は、そのメイドが一体何者なのか、囁き合った。
その話題は、王宮の奥深くまで、
そしてリオネル王子の耳にも、何度も届くことになった。
「 ベアトリス様が、少しずつ王宮に馴染んでいらっしゃる。
私の役目は、きちんと果たせているわ 」
私は、ベアトリス様が公の場での自信を深めていることに、静かな満足を覚えていた。
彼女は、今や私がいない茶会にも、積極的に参加するようになっていた。
彼女の顔には、以前のような怯えはなく、むしろ、
新しい知識を学ぶことへの喜びと、人々との交流への意欲が宿っていた。
私は、そんなベアトリス様の成長を間近で見守ることに、大きな喜びを感じていた。
そんなある日の午後、宮殿の執務室で、
私はベアトリス様のために、今後の公務のスケジュールを調整していた。
すると、扉がノックされ、リオネル王子直属の護衛兵が立っていた。
彼の顔には、いつもより少しだけ、緊張の色が浮かんでいるように見えた。
「 メイド殿。
王子殿下がお呼びです。
至急、王子殿下の執務室へ 」
私は驚いた。
王子から直接呼び出されること自体、これまでほとんどなかった。
ましてや、彼の執務室へ、とは。
私の心臓が、ドクンと音を立てた。
「 王子様が、私を執務室に?
何か、緊急の用かしら…それとも、私が何か間違いを犯したのかしら? 」
私は、胸騒ぎを覚えた。
王子の執務室は、王宮の中でも最も機密性の高い場所の一つだ。
そこに、一介のメイドが呼び出されるなど、前代未聞だった。
私は、ベアトリス様に短い言葉を告げ、護衛兵に続いて足早に王宮へと向かった。
リオネル王子の執務室の扉は、重厚な木製で、堅く閉ざされていた。
護衛兵が扉をノックし、低い声で入室を促した。
私は深呼吸をして、覚悟を決めて扉を開けた。
執務室の中は、想像していたよりもシンプルだった。
壁には世界地図と、いくつかの古い年代記が飾られており、
中央には大きな木製の執務机が置かれている。
そして、その机の奥、窓を背にして、リオネル王子が静かに座っていた。
彼の瑠璃色の瞳が、私が入室した瞬間に、ぴたりと私を捉えた。
その視線は、鋭く、そして何かを探るような光を帯びていた。
「 …来たか、メイド 」
彼の声は、いつもと変わらず感情が読めなかったが、
その中には、どこか普段とは異なる響きが含まれているように感じられた。
私は、彼が私を呼び出した真の目的を測りかね、緊張で口の中が乾いた。
「 はい、王子殿下。
このロゼが、何かご用でございましょうか 」
私は、頭を下げ、指示を待った。
リオネル王子は、無言で机の上の書類を数枚、私の前に差し出した。
それは、王宮の清掃に関する、詳細な報告書だった。
「 この報告書を読め。
お前が、この宮殿の清掃責任者として、どのような改善策を提案できるか聞かせろ 」
私は驚いた。
清掃責任者。
それは、通常、熟練したベテランメイドが担う役職であり、
私のような若輩者が任されるような仕事ではなかった。
しかも、王子の執務室で、清掃に関する報告書を読ませるなど、異例中の異例だった。
「 清掃の報告書?
まさか、私を試しているのかしら… 」
私は、言われた通り報告書に目を通した。
そこには、清掃に使われる用具の種類、各部署の清掃頻度、
清掃員の配置などが詳細に記されていた。
読み進めるうちに、私はいくつかの非効率な点や、改善の余地がある点に気づいた。
故郷の王宮で、私は自ら宮殿の運営にも携わった経験がある。
効率的な人員配置や、予算の削減、資材の有効活用など、
王宮運営における知識は、メイドとしての経験からは得られないものだった。
私は、慎重に言葉を選びながら、提案を始めた。
「 王子殿下。
恐縮ながら、この報告書を拝見する限り、
清掃用具の補充頻度を見直すことで、無駄な在庫を削減できるかと存じます。
また、各部署の清掃員の配置を、それぞれの区域の広さや、
汚れやすさに応じて調整することで、より効率的な清掃が可能になるかと存じます。
加えて、清掃員の休憩時間や、労働環境の改善も、
長期的な視点で見れば、全体の効率化に繋がるかと… 」
私の言葉に、リオネル王子は何も言わず、ただ静かに私の話を聞いていた。
彼の視線は、私の顔から一瞬も離れない。
その瞳には、私の言葉を評価するような、そして何かを探るような光が宿っていた。
彼が、私の言葉の真意を測ろうとしているのが、私には分かった。
彼は、私のメイドとしての知識の広さ、
そして宮殿全体の運営にまで及ぶ視野の広さに、
純粋な驚きと、抗いがたい魅力を感じているようだった。
彼の心には、これまで出会ったどんな女性にもない、
ロゼという存在の**「 面白さ 」**
が刻まれていた。
私が話し終えると、リオネル王子は、ゆっくりと立ち上がった。
彼の背後から差し込む光が、彼の影を長く伸ばし、私を覆い隠すようだった。
「 …メイド。
お前は、ベアトリスの宮殿を、短い期間で大きく変えた。
庭の手入れ、茶会の成功、そしてあの清掃報告書への提案。
お前は、ただのメイドではないな 」
彼の言葉に、私の心臓が大きく跳ね上がった。
彼は、私の能力の高さに気づいているのだろうか。
その瞬間に、私の頭の中を様々な考えが駆け巡った。
身分がバレたのか、それとも何か別の意図があるのか。
「 何を仰るのか、王子殿下。
わたくしは、ただのメイドにございます。
身に余るお言葉でございます 」
私は、必死に平静を装い、頭を下げた。
しかし、私の声は、わずかに震えていた。
リオネル王子は、私の言葉を遮るように、一歩私に近づいた。
彼の視線が、私の顔に、さらに深く食い込む。
その瞳は、まるで私の心の奥底を見透かすかのように、鋭く光っていた。
しかし、その鋭さの奥には、どこか柔らかな、
あるいは好奇心に満ちた輝きが混じり始めていた。
彼は、私という存在から目が離せない、という感覚に囚われていた。
「 お前の才覚は、この宮殿だけに留めておくには惜しい。
ロゼ。
お前には、王宮のメイド長として、新たな任務を任せたいと考えている 」
彼の言葉に、私は息をのんだ。
メイド長。
それは、王宮の全メイドを統括する、メイドの最高位だ。
王宮のメイド長は、王宮の運営にも深く関わる、重要な役職だった。
私の身分が、まだバレていないということなのだろうか。
「 メイド長…ですか? 」
私の声は、驚きでかすれた。
「 ああ。
お前ならば、この王宮の全ての業務を、より効率的に、そして円滑に進めることができるだろう。
ベアトリスの宮殿で示したお前の手腕は、私には十分に理解できた。
拒否権はない。
これは、命令だ 」
彼の言葉は、有無を言わせぬ絶対的なものだった。
リオネル王子は、私の能力を、最大限に引き出そうとしているのだろう。
彼は、私が王宮全体の効率化に貢献できると見込んでいるのだ。
その視線は、私を優秀な道具として評価しているような、冷徹な光を宿していた。
「 王子様は、私の能力を、王宮のために使おうとしているのね。
これも、ベアトリス様の地位回復に繋がるかもしれない… 」
私は、この任命が、セシリア皇妃からの圧力を跳ね返し、
ベアトリス様の立場を強化するための、王子なりの策略なのだと解釈した。
王宮の最高位のメイドとして、私はより多くの情報を集め、
より直接的にベアトリス様を支えることができる。
それは、私にとって、この王宮での新たな使命を与えられたことを意味していた。
「 …畏まりました、王子殿下。
このロゼ、身命を賭して、その大役をお受けいたします 」
私は、深く頭を下げた。
メイド長としての任務は、想像以上に困難なものになるだろう。
しかし、ベアトリス様のため、そして私自身の目的のため、
私はこの新たな道を歩む覚悟を決めた。
リオネル王子は、私の返答に、満足したように小さく頷いた。
彼の視線は、私から離れ、窓の外の王宮を眺めていた。
その瞳の奥には、遠い未来を見据えるような、壮大な計画が宿っているように見えた。
彼は、私がその計画の一部になることを期待しているのだろう。
彼の口元に、微かな笑みが浮かんだ。