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異世界の庭師 ~花の記憶を紡ぐ者~  作者: 凪木桜
第1章 荒廃した庭園の始まり
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第3話 枯れた大地と最初の種

 咲耶を見つけたアーチ型のトンネルから抜け出すと、再びアイリスが静かに現れた。彼女の姿は相変わらず夢のように薄ぼんやりとしているが、その声は驚くほど鮮明だった。


「咲耶がここで目覚めたのは偶然ではないのです。この庭園には、二人を迎える場所が必要だったのです」


 アイリスの言葉に促されるまま、俺は眠りから目を覚ましたばかりの咲耶をそっと支え、彼女と共に足を踏み出した。バラ園の出口から伸びる小道を進むと、やがて庭園の広大な風景が開けた。色褪せた石畳が続き、左右には荒れ果てた花壇が広がっている。咲耶が目を輝かせながら口を開く。


「この辺りも昔はきっとすごく綺麗だったんでしょうね……。私たちで、元に戻さないとです!」


 その声に応えるように、アイリスが静かに頷いた。


 小道を進むこと十数分、俺たちは次第にかすかな枯草の匂いに包まれていった。ラベンダー畑に足を踏み入れると、かつて鮮やかな紫で彩られていただろう景色が、今では色褪せ、無残に荒れ果てている。土はむき出しで、ところどころに枯れた茎や折れた枝が散らばり、風に揺れる音だけが静寂を破っていた。


 その荒廃した景色の中に、一際目を引く光景があった。畑の端に佇む崩れかけた東屋だ。かつては庭園の華だったのだろうが、今は木の骨組みが朽ち、屋根も半ば崩れ落ちている。周囲にはかつてラベンダーの群生があったと思われるが、今では草むらがその跡を覆い隠しているだけだった。


「こちらが、これからあなたたちの拠点となる場所です」


 アイリスが静かに指し示した。


 東屋は確かに朽ちかけていたが、どこか温かさを感じさせる佇まいだった。木の骨組みはところどころ剥がれ、屋根も傾いていたが、周囲のラベンダーがその荒れた風景を柔らかく包み込んでいる。


 俺はしばらく無言でその東屋を眺めていたが、やがてふと笑みを漏らした。


「案外、悪くないかもな。修繕すれば、居心地がよくなる気がするよ」


 咲耶が隣でくすっと笑う。


「では、まずは掃除からですね。することがたくさんです!」


 咲耶は片づけた床に簡単な敷物を敷き終えると、星空を見上げながら微笑んでいた。


「ありがとうございます、桂さん。ここにいられるのは、全部あなたのおかげです」


 その夜、咲耶と俺は初めて東屋で夜を過ごした。壊れかけの東屋は風が吹き抜け、夜の冷たさが身に染みたが、微かに残るラベンダーの香りが穏やかな眠りをもたらしてくれた。



 翌朝、壊れかけの東屋で起きた俺は早くも現実に引き戻された。荒廃した庭園はやはり一夜にして美しく蘇るわけもなく、目に映るのは無残に枯れ果てた植物と荒れた地面ばかりだった。咲耶は目を輝かせて庭園を見回していたが、その姿に一抹の申し訳なさが胸をよぎる。


「本当にここが再生できるのかな……」


 俺はつぶやき、地面に膝をついて手をかざした。干上がった土の触感はザラザラと荒々しく、生命の息吹を感じさせるものは何一つない。それどころか、植物の根が腐り、地下の水脈が枯れていることさえ直感的にわかった。


「心配しないでください、桂さん。これから始めればいいんです!」


 咲耶の明るい声が背後から響いた。その声には一切の迷いがなく、彼女の無邪気な笑顔に思わず肩の力が抜ける。


「そうだな、まずは何から手をつけたらいいのだろう……」


 その瞬間、柔らかな風と共に、前方にアイリスが現れた。彼女は優雅な足取りで桂に近づき、そっと手を伸ばす。その手の中には、小さな金色の種が輝いていた。


「これが最初の種です。この種を育てることで、庭園の生命の循環が少しずつ戻っていくでしょう」


 アイリスの声は静かで、それでいて確固たる信頼感を帯びていた。俺は彼女の手から種を受け取ると、まじまじとそれを見つめた。光を宿した種は不思議な温かさを持ち、手のひらに載せた瞬間、鼓動のような微弱な振動を感じた。


「でも、こんな荒れた土地で本当に芽を出すのか?」


「それは、桂の心が鍵となります。この庭園は、あなたの思いに応じて変わるのです」


 アイリスの言葉に疑念を抱きながらも、地面に小さなくぼみを掘り、慎重に種を埋めた。咲耶がそばでじっと見守っている中、そっと両手を重ね、まるで祈るようにして土を押し固めた。


「それでは始めましょう。まずは水を探し、土を耕す必要があります」


 アイリスの指示に従い、庭園のかつて湿地帯だった場所を歩き回った。荒れた大地の中に微かな湿り気や、かつて水が流れていた名残がないかを探すのは容易ではなかった。


「桂さん、ここを見てください!」


 咲耶が指差したのは、庭園の端に位置する大きな岩だった。その表面には僅かな苔が生えており、岩の隙間からはほんの一滴ずつ水が滴り落ちていた。


「これは……水脈の一部かもしれないな」


 俺は岩の隙間に手を触れ、その冷たさを確かめた。アイリスがそっと近づき、静かに頷いた。


「この場所を掘り進めれば、少しずつ水を得られるでしょう。ただし、急がず慎重にです」


 俺は小さな鍬を手にし、岩の周囲の土を丁寧に掘り始めた。咲耶も手伝い、二人は黙々と作業を続けた。


 やがて、掘り進めた地面からは、小さな水溜りが現れた。その水は透き通っており、長い間閉ざされていた生命の源が再び地表に姿を見せた瞬間だった。


 水を確保した俺は、元いた場所に戻って地面の固さを確認しながら、手にした小さな鍬を振るう。咲耶もその後を追いながら、植物の残骸を片付けていった。


「桂さん、見てください! ここ、少し柔らかい土があります!」


 咲耶が指差した場所は、庭園の端に位置する小さな窪地だった。俺が掘り進めると、そこにはほんの少しだけ湿り気を帯びた土壌が残っていた。


「やったな。これなら少しは希望が持てるな」


 俺は汗をぬぐい、咲耶に感謝の目を向けた。彼女は笑顔で頷いてくれると、次の作業へと取り掛かった。


 その後も黙々と作業を続ける二人の前に、ふと一筋の小さな光が差し込んだ。俺が種を埋めた場所から、薄緑色の小さな芽が顔を出したのだ。芽は微かに揺れながらも、しっかりと地面に根を張ろうとしている。


「これが……最初の芽!」


 俺の声には驚きと安堵が混じっていた。咲耶もその光景に目を見張り、瞳を輝かせた。


「すごい! 生き返ったんですね!」


「そうだな。でも、ここからが本番だ。この小さな芽を守り、大きく育てていこう」


 俺は決意を新たにし、芽を見守るように立ち上がった。その背中に、咲耶の温かな視線が注がれていた。


「桂さん、この芽はきっと庭園の再生の象徴になりますね」


「ああ、この芽を大切に育てよう。それが俺たちの新たな目標として」


 二人の間に漂う静かな決意が、荒廃した庭園の空気を少しだけ和らげた。その夜、俺は芽を見守りながら思った。荒れ果てた土地の中にも、生命は確かに宿る。そしてその生命を育むことで、自分自身もまた新たな道を歩むことができるのだと。


 庭園の再生は始まったばかりだったが、咲耶と俺の心には確かな希望の光が灯っていた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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