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異世界の庭師 ~花の記憶を紡ぐ者~  作者: 凪木桜
第1章 荒廃した庭園の始まり
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第2話 荒廃の中の希望

 荒廃した主庭園の周辺を見て回っていると、地面はひび割れ、かつて華やかだったであろう花壇には雑草が生い茂り、腐葉土の酸っぱい臭いが鼻をついた。枯れた木々が絡み合い、不気味な影を落としている。風が吹き抜けるたびに、朽ちた葉がカサカサと乾いた音を立てていた。


 外側のエリアに向かって歩き出し、荒れたバラ園を通り過ぎ、さらに奥へ進むと目の前に朽ちたバラのアーチ型トンネルが現れた。かつて色鮮やかなバラが覆い尽くしていたであろうそのトンネルは、今では半分が枯れ果て、絡み合う茎とわずかに残る赤い花弁が不気味な美しさを漂わせている。その薄暗い入口には、かすかな風が吹き込み、バラの茎がささやくような音を立てていた。


 トンネルの中から、微かに聞こえる規則的な呼吸音に気がついた。耳を澄ますと、かすかな寝息が混じっている。こんな場所に人がいるとは思えない。それでもその音に導かれるように、慎重に足を踏み入れた。


 アーチの中は昼間にもかかわらず、夜のように薄暗かった。足元には枯れたバラの花弁が散り、土の香りとほのかな甘い香りが漂っている。そして、トンネルの奥へ視線を向けた瞬間、息をのんだ。


 地面に横たわる少女。まるで眠り姫のように静かに目を閉じ、穏やかな表情を浮かべている。その姿は、荒れ果てた庭園の中で唯一の生命の輝きのように見えた。長い黒髪が乱雑に広がり、月明かりを反射して微かに煌めき、顔を覆う影の中に柔らかな陰影を描き出しているが、その端正な顔立ちは隠しきれない。彼女の纏う制服は日本の高校生のものに見えたが、どこか現代のものとは異なるデザインで、荒廃した背景に妙に不釣り合いな清廉さを漂わせていた。


 その場で息を呑み、しばらく動けずにいた。少女の存在があまりにも非現実的だったからだ。荒廃した庭園にふさわしくないその姿に、まるで別の世界から迷い込んできたかのような印象を受ける。しかし、どうしてこんな場所で眠っているのだろうか。


「彼女は、あなたと深い縁を持つ存在なのです」


 背後から聞こえたアイリスの声に、肩を震わせた。振り返ると、彼女は静かに微笑みながらこちらを見つめていた。その瞳には、すべてを見通しているような深い光が宿っている。


「縁って……どういうことだ?」


 俺の問いにアイリスは一歩前に進み、少女のそばに膝をついた。そして彼女の頬に優しく手を触れると、柔らかな光が少女の体を包み込んだ。


「この少女、咲耶はあなたが命を賭して救った女性なのです」


 その言葉が俺の胸に鋭く突き刺さった。自分の頭の中で、記憶の断片が浮かび上がる。あの日、夕陽の中で俺は足を止めることなく走り出した。そして、その結果として迎えた激しい衝突音と、すべてが光に包まれた瞬間。


「……俺が?」


 信じがたい思いと共に、胸に込み上げる熱い何かを感じた。あの日の行動が、この荒廃した庭園と繋がっているとは想像すらできなかったのだ。


 記憶の中で、車の衝突音と眩しい夕陽の光景が蘇る。あの時、俺は一人の女子高生を助けるために走り出した。その直後の記憶は曖昧だが、アイリスの言葉を聞いた瞬間、断片的だった記憶が鮮明になった。


「この世界では、彼女もまた特別な存在として生まれ変わりました。時を越えて、あなたと共に庭園を再生する役割を担うためにです」


 アイリスがそっと囁くように語る言葉に、圧倒されるばかりだった。自分が生きているのか死んでいるのかすら定かでないこの世界で、命を救った少女が俺を待っていたというのだ。


 咲耶のまつげが微かに震えた。月明かりが庭園を静かに照らす中、その瞬間だけ風が止み、世界が息を潜めるようだった。瞼がゆっくりと開かれ、宝石のように澄んだ瞳が闇を切り裂く。彼女の瞳が俺を捉えると、驚きと同時に安堵の表情が浮かび、周囲の空気が一気に暖かくなったように感じられた。


「……あなたが……桂さん?」


 咲耶の声はか細く、それでいて確かな温かさを持っていた。思わず頷き返す。彼女の目には、俺を知っている確信が映し出されていた。


「俺のことがわかるのか?」


「は、はい。あなたが私を助けてくれた……。あのとき……、命をかけて……」


 咲耶の声が震える。彼女の言葉が現実味を帯びて俺の胸に刺さった。目の前の少女が、自分が命を賭けて守った存在であることに疑いはなかった。


「そうか……君が……」


 俺の言葉に咲耶は静かに微笑んだ。その笑顔は、荒廃した庭園に一筋の光を差し込むような希望を感じさせた。


「私、あなたに恩返しがしたいんです。一緒に、この庭園を再生するお手伝いをさせてください」


 彼女の申し出に、一瞬戸惑った。しかし、その瞳に宿る決意の光に心を打たれた。そしてアイリスの言葉が自分の背中を押す。


「彼女は、この庭園の生命を活性化する力を持っています。それは彼女がここに存在する理由の一つでもあります」


「分かった。俺も、この庭園を再生させるために出来ることをするよ」


 そう言うと、咲耶の顔に喜びの色が広がった。


「ありがとうございます! 一緒に頑張りましょう!」


 その声は力強く、この荒廃した庭園の中で未来を感じさせる響きを持っていた。


 俺は咲耶の手を取る。その瞬間、彼女の力が伝わってきたかのように、庭園の隅に咲く枯れた花が一輪だけ再び色づき始めた。それは深紅と黄金が織りなす美しいバラのような花で、枯れた姿から一瞬のうちに命を取り戻し、夕陽に照らされるような温かい光を放った。それは、咲耶と俺が新たな一歩を踏み出したことを象徴するようだった。


 これから何が待ち受けているのか、それは分からない。だが、俺は確かに感じていた。咲耶と俺の出会いは、この庭園に新たな希望をもたらす始まりだということを。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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