序章4 第二の嵐
深夜三時、ジーンの屋敷にはまだ灯りがともっていた。護衛士たちが慌ただしく動き回り、大佐は統括として指示を出している。ジーンは執務室でじっと待機していたが、エレン発見の報を聞くと深く安堵した。
「エレンの現在地は」
「王都に入ったところです。通用門の兵士に無理を言って通してもらいました」
「緊急事態だから仕方ない。……が、これでエレンの家出が王都の貴族たちに知れ渡るな」
「どうせ隠しきれません。十二名家の令嬢は国王陛下に謁見する決まりですから」
こういう時、十二名家であることを面倒に思う。謁見のことがなければエレンの家出をひた隠しにできたのに、これではどうしようもできない。
エレンは護衛士たちと共に屋敷へ向かっているらしい。ジーンは徹夜を覚悟してエレンを迎える用意をした。
花藍はようやくイエィツに着いたようだ。だいぶ無理をさせたせいか疲労が伝わってくる。心の中で花藍に謝り、玄関でエレンの到着を待った。春といえど空気は冷え切っている。エレンが風邪を引かないか少し心配だった。
やがて護衛士の一人が到着の合図をし、玄関を開けた。ジーンは早速叱りつけようとしたが、相手の方が上だった。
「兄様! 父様がひどいの! 絶対許さないんだから!」
エレンは毛布を投げ捨てて半泣きで駆け寄ってくる。もう成人した令嬢なのに、子供みたいに顔をくしゃくしゃにしてジーンにしがみついた。呆気に取られていると、感情を顕にわあわあ喚く。
「昔から頑固なのは知ってたけどあれはひどい! どうして私が怒られないといけないの! 約束を破ったのは父様じゃない!」
「待て、落ち着け、せめて居間に入れ」
「何度も約束したのに! 確かにこの国では異例のことかもしれないけど、私は一生懸命修行したんだよ! ひどいよ!」
今度は大泣きしながら何故かジーンを殴ってくる。護衛士三級相当の拳は普通に痛い。護衛士たちが慌てているが、仮にも令嬢に手を出すことなどできない。ジーンは何とかエレンの肩を叩き、どうどうと宥めすかした。
「分かった、分かったから居間へ行こう」
「兄様は私の味方だよね?」
「それについては居間でゆっくり話そう」
「味方じゃないの? 王都まで頑張って来たのに味方してくれないの?」
エレンはジーンを見上げて涙目になっていた。見た目だけは綺麗なのに、こうなってしまったら最早子供だ。ジーンはエレンの肩を抱き、無理矢理居間へ連れ込んだ。暖炉の傍へ座らせ、エレンの冷えた身体に毛布をかけて改めて顔を見る。頬が赤いのは寒いせいか、泣きすぎたせいか。困った妹だと思いつつ切り出した。
「家出の理由を父上から聞いた。精霊のことらしいな」
「そうなの。私、精霊と契約したいの」
エレンは涙声でとうとうと語る。エレンは子供の頃から精霊に強い興味があった。なにせ大好きな兄が精霊異界学に没頭し、毎日のように精霊について語っていたのだ。ジーンが花藍や月蔭と契約すると、自分も精霊と契約したいと思うようになった。
「俺の影響か……」
ジーンは落ち込んだが、幸いエレンは目の前の問題しか見えていなかった。
「でも父様が、契約は危険だから駄目だと言うの。シリルは契約したのに私だけのけものなんて許せない」
「のけものではなく、エレンを守る為だ」
「私の魔力なら精霊と契約しても問題ないはずよ。この前だってシリルを一騎打ちで倒した! 私だって契約できる!」
「おまえ、それでシリルをいじめたのか」
「いじめじゃなくて一騎打ち! シリルも納得してた!」
契約したいが為にエレンに打ちのめされた弟が可哀想で仕方ない。多分だが、シリルはエレンからかなり八つ当たりされている。昔からエレンは何かあるとシリルと喧嘩していた。シリルが成長して大人になってくれたおかげで頻度は減っているが、エレンの被害に遭うのはいつもシリルだ。今回はジーンになりそうだが。
「おまえが精霊好きなのは分かるが、契約は命懸けなんだ。俺だって月蔭と契約した時は大変だった。シリルもそうだろう? 皆はエレンのことを心配しているんだ」
「だから私の魔力なら大丈夫って言ってるでしょ! 留学先の教授からも高く評価されてるの!」
「エレンは文学部じゃなかったか?」
呆れながら指摘すると、エレンがふと真顔になって恐ろしいことを言い出した。
「アルヴィ様も文学部なのに精霊異界学に詳しかった」
ジーンは硬直し、居間の入り口に立つ大佐を見た。大佐はこれまでエレンの言動に呆れていたが、アルヴィの名前が出た途端、目つきが変わった。氷のように鋭い目だ。
「……アルヴィは関係ないだろ」
「アルヴィ様はいつも精霊異界学のお話をしていたし、あのヘイスター教授と親しくしていた。今も交流があるんでしょう? だから私、アルヴィ様とヘイスター教授に会いに来たの」
話が明後日の方向に進み始めた。こんな時に知り合い二人の名前を出され、さすがのジーンも混乱する。
「王都まで家出してきたのは、アルヴィとヘイスターに会う為なのか?」
「そう言ってるじゃない。アルヴィ様はきっと私を応援してくれる。ヘイスター教授に相談したら良い精霊と契約できるはず」
「待て。頼む、待ってくれ、あの二人は色々とまずい」
確かにアルヴィは優しいし精霊が好きだからエレンを応援するだろう。率先してヘイスター教授を紹介して契約の相談をする。ヘイスター教授は誰もが認める変人だが、教えを請う者にはとても丁寧だ。相手が女性だろうが気にしない。エレンがあの二人を頼れば精霊契約は間違いなく成功する。成功してしまう。
歓喜するエレンを想像すると胃痛がし、冷や汗が流れた。おまけに大佐がものすごい顔で睨んでくる。貴族の令嬢が精霊と契約なんてとんでもない、何としても止めろ。そう内心で言ってるのが手に取るように分かる。
「エレン……この国では貴族女性は精霊と契約ができないんだ。貴族女性は魔導を知らないということになっている」
「そんな古いしきたりに縛られてどうするの? それに、兄様は将来的にこの国から貴族をなくそうとしているんでしょう? それなのに私を止めるなんて矛盾してる」
「こら、その話は慎重に扱え」
「とにかく私は決めたから。アルヴィ様と会って話をする。アルヴィ様の家は兄様が以前住んでいたところよね? 夜になったら行くから」
「頼むから落ち着いてくれ。俺が大佐に殺される」
「私ね、第二位くらいの犬っぽい精霊と契約するの。候補はちゃんと決めているのよ」
エレンは一転してご機嫌だが、ジーンは久しぶりに狼狽えていた。エレンは行動力の塊なので、本当にアルヴィのところへ行ってしまう。アルヴィはエレンを歓迎し、ヘイスター教授を呼ぶだろう。おまけに現在あの家には椿もいる。椿は昔からエレンに甘いので味方する可能性がある。あの三人が組んだら悪夢だ。
「頼むからアルヴィの家には行かないでくれ……! この時期はヘイスターも忙しいし、契約は本当に危険だ。失敗すれば廃人になる可能性だってある」
「兄様、私をみくびらないで。必ず第二位の犬っぽい精霊と契約してみせる。それに失敗しないようヘイスター教授を頼る」
「エレン、契約そのものが認められないんだ」
「じゃあ一休みするから私は行くね。兄様、アルヴィ様に伝言はある?」
ジーンが押し黙ると、エレンはさっさと居間を出て行ってしまった。使用人に客間を整えてくれと頼み、護衛士たちには迷惑をかけたときちんと謝っていた。変なところで律儀だ。
呆然とするジーンに大佐が歩み寄ってきた。氷のように冷たい表情だ。
「エレン様はジーン様とそのご友人から多大な影響を受けたようですね」
反論できない。幼少期に精霊について熱く語ったのは紛れもなく自分だし、その後アルヴィをイエィツに連れて行ったのも自分だ。言い訳するとしたら、自分もアルヴィも何も悪いことはしていないという点だ。
「これはエレンの暴走だ」
「いいえ、悪いお手本のせいです」
「俺はともかくアルヴィは悪くない」
「エレン様がはっきり彼の影響だと言っております」
「また姑と呼ぶぞ」
「構いません。とにかくエレン様を止めてください。あれは本気で精霊と契約する気ですよ」
ジーンは近くの椅子に座り込み、どうしたものかと溜め息を吐いた。
個人的には精霊契約は悪くないと思う。本人が言っていたが、エレンには魔導の才があり、第二位の精霊とも問題なく契約できる。アルヴィとヘイスター教授がいたら事故が起こることもないだろう。
けれどエレンはあれでも貴族女性だ。この国では魔導を知ることを許されない立場にある。エレンが契約すれば、何故魔導を教えたのかと父が責められてしまう。正直くだらないと思うが、三百年続く貴族の価値観を無視することはできない。
ジーンは悩みながら魔導の円陣を展開し、花藍と五感を同調した。花藍の目の前には疲れ切った父と無表情の母がいた。父は予想通りの姿だが、母がものすごく怖い。静けさの中に苛烈な怒りを感じる。
「あの……エレンが屋敷に到着しました。精霊と契約したいと言っていますが、どうしましょう」
父は弱々しく言う。
「なんとしても止めてくれ。魔石の件で大変な今、頑固な貴族たちの嫌味を聞く余裕はない」
「ですが俺はもうすぐネーベルに発ちます。一日で説得するのは無理です」
「そうだよなあ……時期が悪すぎる」
「せめてあと三日あれば」
父子でぼやいていると、母が不自然ににこりと笑った。
「ジーン、可愛い妹の為なら頑張れますよね?」
やはり笑顔が怖い。エレンは母を恐れて家出したのだと思う。家族だからはっきり分かる。
「その……やれることをしますが、俺はネーベルに行くので……」
「頑張ってくださいね」
「……はい。でも失敗した時は許してください……」
いい歳になって情けないが母には逆らえない。常に平身低頭だ。
ネーベルに発つというのに、問題が山積みで頭痛しかない。