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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!

作者: 大濠泉

◆1


 長年に渡る戦争がようやく熄んだ、ある王国に、ひとりの不幸な伯爵令嬢がいました。

 戦争で負傷した兄の介護をするばかりで、気軽に遊ぶことはもちろん、年若い男性との出逢いすら禁じられていたのです。

 しかも、彼女に課せられた重荷は、粗暴な兄の面倒だけではありませんでした。

 賭博に狂った父親と、湯水のように散財してペットばかりを可愛がる義母と妹の世話も押し付けられていたのです。


◇◇◇


 中央大陸にあるダバス王国は、百年以上に渡って慢性的に隣国と戦争を繰り広げてきました。

 ところが、三年前、トート平原の戦いで大勝したことが功を奏し、有利な条件で十年間の休戦条約を結ぶことに成功します。

 その大勝をもたらした人物こそ、グリーンヒル伯爵家当主グレゴリーでした。

 グレゴリーは武門の誉高いグリーンヒル一族の当主で、弱冠二十四歳で北方戦線の総大将を担い、五倍の敵勢を薙ぎ払った英雄でした。


 その英雄グレゴリー伯爵の妹こそが、不幸な伯爵令嬢シルビア・グリーンヒルでした。

 彼女は、とても伯爵令嬢とは思えない、過酷な日々を送っていました。


 グリーンヒル伯爵家のお屋敷は、かなり大きい規模を誇ります。

 本来なら十人以上の執事や侍女たちが忙しく立ち働かなければならないほどの広さです。

 ところが、建物の中は、いつも閑散としていました。

 お屋敷の奥には、鎧兜が幾つも陳列され、曽祖父以来の肖像画を並べられていますが、誰もそれらを鑑賞する余裕がありません。

 グリーンヒル伯爵家は、存亡の危機に瀕していたのです。

 現当主グレゴリーは英雄ではありましたが、下半身に深い戦傷を負い、足腰が立たなくなり、ベッドと車椅子を往復する生活を送っていました。

 伯爵家として、後継が危ぶまれる状態だったのです。


 そんな環境下にありながら、英雄グレゴリーの体力は旺盛でした。

 戦場から身を退いたものの、相変わらず屈強な肉体を誇り、上腕二頭筋は、普通の人の太腿ほども太かったのです。

 その大きな腕を力一杯振り回すだけで、妹のシルビアは壁まで吹っ飛んでしまいます。

 介護する合間、彼女が、兄の気分次第で殴られることなど、日常茶飯事でした。


「そこじゃねえって言ってんだろ!」


 その日も、シルビアは車椅子に座る兄グレゴリーの背中を掻かされていました。

 兄は背中の痒みが止まらないらしいのです。


「ちょっと、おまえ、前に来い」


 と言われて、車椅子の前に立つと、シルビアはいきなり腹を拳で殴られました。

 涙を溜めて痛みを堪える妹を見て、英雄の兄は薄ら笑いを浮かべます。


「俺様の痒みひとつも解消できんとは。

 ほんとうに使えない侍女だ。

 でも、仕方ないか。

 お勉強しかできない妹だったからな、おまえは……」


 そう言ってから、


「うう……」


 と呻き声をあげたりします。

 時折、身体が痛むらしいのです。

 兄は苦悶の表情を浮かべ、全身を強張らせました。

 お医者様によると、グレゴリーは戦場で神経を痛めたらしいのです。

 時折、発作のように痛むようでした。

 そして、そうした戦傷による痛みを感じたあとは、決まって妹のシルビアにも痛みを与えます。

 思い切り殴り飛ばすのです。

 妹の細い身体がバンと壁に打ち付けられると、彼は満足するのでした。


「ああ、オンナは良いよな。

 戦場に立たなくても良い。

 日々、家の中で細々と動き回るだけで、飯が食える。

 だから、せめて俺様に感謝しろよ。

 俺様の世話を焼くだけで、おまえは食っていけるのだから」


 戦傷により自分の足で立つこともできない兄の暴力から、なぜ彼女は逃げられないのか。

 それはシルビア伯爵令嬢が〈従属の首輪〉つけられているからでした。

 彼女はもっぱら英雄の兄グレゴリーの介護要員として、この邸宅で飼われていたのです。


 シルビアは妾の娘でした。

 騎士爵家出身の娘が実母だったので、子爵家出身の正妻と、その実子の兄妹と、差をつけられて育ちました。

 この家に母と共に連れて来られたとき、シルビアは父親の手によって〈従属の首輪〉をつけられたのです。

〈従属の首輪〉を付けられると、それを付けた契約主人にはいっさい刃向かえません。

 内心で叛意を持っただけで首輪が絞まり、息が出来なくなるのです。


 結局、シルビアの実母は義母にいじめられ続けた挙句、病死しました。

 義母ダラヌはグリーンヒル伯爵家の正妻で、子爵家出身でした。

〈従属の首輪〉がなくとも、実母は義母に刃向かえなかったでしょう。


 実母が亡くなっても、シルビアには行く所がありません。

 以来、侍女扱いでこの伯爵家に置いてもらっていたのです。

 実際、シルビアの身体は兄による虐待で、生傷が絶えませんでした。


 グリーンヒル伯爵家は名ばかりの貴族で、領地を持つ領地貴族ではありません。

 曽祖父の代から、戦場での働きによって出世して爵位を得た、俗に言う〈戦功貴族〉で、国家から給金をもらう家柄でした。

 そして、ようやく休戦したとはいえ、長引く戦争で国家財政は逼迫しており、給金は下がる一方でした。

 それもあって、グリーンヒル伯爵家は、執事も侍女も雇えない貧乏所帯でした。

 古くから仕えてきた老執事と老侍女が引退してからは、住み込みはいなくなりました。

 庭師と同じく、通いの執事と侍女を何人か契約するのみです。

 彼らは家の道具補充や、外からの書状確認、スケジュール設定をするだけでした。


 その結果、炊事洗濯、掃除のほか、細かい家事をこなすのは、もっぱらシルビアの務めにされていたのです。


 義母ダラヌと妹テリーヌは、小太りのよく似た容姿をしており、衣服を取っ替え引っ替えしては床に脱ぎ散らかしてばかりいました。

 シルビアは妹に、


「少しは、衣服を綺麗に畳んでよ」


 と頼んだことがありましたが、これ見よがしに下着を投げ捨てられました。


「そんな下女みたいなこと、ワタシに出来ると思って?」


 と、妹のテリーヌは鼻息荒く言い捨てたのです。

 同じ伯爵令嬢の姉シルビアには、衣服を畳んで仕舞わせるくせに、この言い草でした。


 その日は、義母と二人して寝そべりながら、テリーヌはペットと戯れていました。

 コロンと名付けられた犬を、ふたりはとても可愛がっていました。


「コロンちゃんは可愛いでちゅね〜〜」


 義母も犬の毛に頬を擦り付けながら、甘い声を出します。

 コロンは長毛種の小型犬なので、毛が方々に散らばって、掃除が大変です。

 餌を与えるのにも気を配ります。

 牛の肉を薄切りにして、軽く炙ったものしか食べないのです。


「お姉様。お食事は、まだ?」


 と妹のテリーヌが問うので、


「コロンにはついさきほど、たっぷり……」


 とシルビアが応えました。

 すると、義母ダラヌが妹に代わって怒声を張り上げます。


「馬鹿! コロンちゃんじゃない。

 私とテリーヌちゃんのお食事でしょ!?」


「……はい」


 シルビアは義母と妹にも従わざるを得ませんでした。

 彼女らのわがままに応えないと、あとで兄のグレゴリーから懲罰を喰らうからです。

 同じ妹なのに、兄はテリーヌには甘く、シルビアだけには冷たかった。

 学園に通っていた頃、シルビアが座学の成績で優等だったことが許せなかったのです。

 座学に劣った分、腕力に物を言わせて英雄となったのですから、兄グレゴリーの不満は解消されたと思いましたが、一度刻み付けられた劣等感は容易には消えないみたいです。


 やがて、屋敷の外で、馬車の音がしました。

 シルビアの父親で、先代当主のペックが帰ってきました。

「朝帰り」ならぬ「昼帰り」です。


 先代当主ペック・グリーンヒルは、一応は隠居貴族らしく、胸元にタイを結んで、方々に貴金属をあしらった衣服をまとっていました。

 でも、ヨレヨレになっています。

 涎と酒で濡れているのです。

 洗濯が大変そうでした。


 父親のペックは、まだ昼過ぎだというのに、酔っ払っています。

 片脚を悪くしていますから、杖をついています。

 ですから、よけいにフラついているようでした。


「お帰りなさい。お父様」


「おお、テリーヌ、今日も可愛いな」


 父のペックは大きな手で、妹のテリーヌの頭をグリグリします。

 ペックも六十を過ぎた年配者の割には大きな身体付きをしていて、現役時代は騎士団の精鋭でした。

 今現在は笑みを浮かべてテリーヌの頭を撫で、妹は嬉しそうに笑顔を見せています。


 ですが、表面上は笑っているものの、シルビアにはわかっていました。

 今の父親は機嫌が悪い、と。

 また夜通しの博打で負けたようでした。


 貴族街の片隅に、貴族向けの高額カジノがあります。

 その賭博場に、父親は連日、通い詰めていました。

 退廃した伯爵家に住みながらも、ペックは三年前から博打の資金に困ることがなくなっていたのです。

 兄のグレゴリーに対する戦傷補償金と、武勲を立てた者に特別に与えられる通称〈英雄年金〉で、定期的にそれなりの金額が、グリーンヒル伯爵家に支給されていたからです。


 おかげで父親のペックは、安心して(?)博打にのめり込んでいました。

 そして、執事や侍女を雇うぐらいなら、賽の目に賭けるために金を使いました。

 そんな父親の放蕩を、英雄の兄も黙認していました。

 まるで、自分の代わりに遊んでもらっているかのごとくに。


 シルビアは、時折、父が高級娼婦を買っていることも知っていました。

 衣服に女性用の香水のかおりが残っていることが多いからです。

 洗濯する際に、父の下着がなかったときも何度かありました。

 もちろん、義母ダラヌも、ペックの女遊びに勘付いていました。

 そんなときは不機嫌になり、父のペックではなく、シルビアに当たりました。


 父の帰宅後、昼食が始まりましたが、義母ダラヌはわざと食器をひっくり返しました。


「もう、このお皿、嫌いだって言ってたでしょ。

 目に付くところに置かないでよ!」


 興が乗ったのか、父親のペックまでがメインディッシュの焼肉ごとひっくり返します。


「ええい、鬱陶しい。何度言えばわかる?

 焼き加減はレアだと言っておるだろうが!」


 日によってミディアムとかレアだとか、ペックの注文がコロコロと変わります。

 そのくせ、シルビアに言いがかりをつけてくるのです。


(もったいない……)


 シルビアが心の中でそう思っていると、父親のペックはバンと平手打ちします。


「文句があるなら、おまえが拾って食え!」


「……」


 シルビアは口答えせず、汚れた肉と、割れた食器を片付けます。

 そんなシルビアを、兄と妹はニヤニヤ笑って見ているだけ。

 父親のペックは赤ら顔で吐き捨てました。


「ふん。売り飛ばさないだけ、ありがたいと思え!」


 シルビアは、父が本気でそう口走っているのを知っています。

 博打の元ダネを得るためなら、実の娘でも平気で娼館に売り飛ばすーー先代当主のペックはそういう男なのです。


 けれども、英雄の兄グレゴリーの面倒を見させたいから、シルビアを手放しません。

 さらには、「英雄の妹が娼婦になった」という醜聞が家名を傷付けるのを恐れて、シルビアを手放せないのです。


 ペックは苛立たしげに、大声を張り上げました。


「ええい、どうして酒がないんじゃ!」


 バシバシと杖でシルビアを打ち据えます。

 椅子に座ったとき、父の杖は凶器に変わります。

 このペックの、座りながらの粗暴な態度こそが、兄のグレゴリーに影響を与えたのでは、とシルビアは密かに思っていました。


 ゼエゼエと息をあげる父に代わって、今度、杖を手にしたのは兄のグレゴリーでした。


「シルビア。身を屈めるのは許さん。俺の前で(ひざまず)け!」


〈従属の首輪〉がキュッと絞まります。

 シルビアは従うしかありません。

 改めて兄が力一杯、杖を振り下ろしました。

 暴力行為を、父から引き継いだ格好です。


 さすがに痛い。

 シルビアは全身を丸めて縮こまりました。

 ペックとダラヌは薄ら笑いを浮かべていました。

 が、妹のテリーヌは頬を膨らませて立ち上がります。

 かといって、シルビアを助けようという心算(こころづもり)はまるでありません。


「うるさいわ。ワタシ、コロンちゃんのお散歩、行ってくる!」


 テリーヌの発言を受け、急に母のダラヌも機嫌良く立ち上がりました。


「あら、ママも行くわよ。

 お父さん、お兄さん。

 私たち、お散歩に行ってくるわ」


 兄のグレゴリーは、シルビアを杖でなぶりながら微笑みます。


「ああ、行っておいで。

 俺の分まで、好きなだけ歩いておいで」



 ダラヌとテリーヌの母娘(おやこ)は、午後のお散歩と洒落込みました。

 長毛種の小型犬コロンに、ヒラヒラのレースが付いた洋服を着せて、リードを()いて歩きます。


 貴族街での散歩だけは、シルビアに任せませんでした。

 シルビアに虐待めいた内情を外の奥様方に漏らされたくないこともあって、義母のダラヌはこれ見よがしに犬と散歩するのです。

 ペットの世話も大変なのよ、と周囲にアピールするためでもありました。


「英雄の兄グレゴリーを癒すために、子犬を飼ってるのよ」


「グレゴリーのお世話も大変。でも、救国の英雄だから誇らしい」


 ーーなどと、いつも同じことを、貴族街を散歩する間に、道ですれ違うご婦人方に喧伝するのです。


 そうは言いながらも、じつは犬の面倒は、みんなシルビア任せでした。

 コロンのトイレの掃除もして、餌も手作りするよう、ダラヌからシルビアが言いつけられていました。


 義母のダラヌや妹のテリーヌ、そしてペットのコロンと違って、シルビアはろくに食べさせてもらえなかったので、痩せ衰えていく一方でした。


◆2


 兄のグレゴリーが戦争から帰還して以来、妹のシルビアは介護に明け暮れ、灰色の日常を送っていました。

 ところが、その日、初めて雲間から陽光が覗くような思いがしました。

 兄のグレゴリーが、先の大戦に英雄として、騎士団で演説することになったのです。


 車椅子を押すのは、当然、妹のシルビアです。

 それでも、食糧の買い出し以外では、久しぶりの外出でした。


 さっそく、兄の車椅子を押して、貴族街を抜け、騎士団の練兵場にまで出向きます。


 ちなみにダバス王国では、結婚式の際、新郎が新婦に綺麗な首輪を贈ることが習わしとなっています。

 ですから、ダバス王国の女性は、未婚既婚を問わず、宝飾をあしらった首輪や、ネックレスを付けるのは普通のことでした。

 したがって、シルビアが〈従属の首輪〉をつけていると気づかれることはありません。

〈従属の首輪〉自体は銀の鎖で出来ていて、見ただけでソレとわかる外見をしていますが、その外側を幅が太い革の首輪で覆って隠しているからです。

 もっとも、今のシルビアのように〈従属の首輪〉をつけられた女性が他にもいたとしても、こうした工夫をされては、誰も気づかないでしょう。

 ダバス王国において、陰湿な男性支配が広がっているのが現状だったのです。


 二時間ほど車椅子を押して、シルビアとグレゴリーの兄妹は、騎士団の練兵場に到着しました。


 練兵場で出迎えたのは副団長を名乗る男性でした。

 歳の頃は二十代前半。

 引き締まった体躯に、軽装の革鎧をまとっていました。

 精悍な顔立ちだでしたが、笑うと穏やかな雰囲気になります。


「ようこそ、おいでくださいました。

 英雄グレゴリー・フォン・グリーンヒル伯爵様。

 案内役を務めさせていただきますのは、私、ダバス王国騎士団副団長レフリーです」


 騎士団副団長レフリーはニコニコと笑みを浮かべています。

 一方の兄のグレゴリーは、不愉快げに眉間に皺を寄せ、車椅子の上でふんぞり返りました。

 湯気を立てる紅茶に口を付けることもありません。


「講演料をいただけるのは、ありがたいがーー騎士団は好かん」


 ぶっきらぼうに発言するグレゴリーに対し、副団長レフリーは努めて身を低くして問いかけます。


「どうしてでしょう?」


「先の大戦で、俺は北方部隊を任された大将となった。

 だが、それは戦争の渦中にあって、軍議によって急遽、決定されたものだ。

 実際の戦場においては、実力が物を言う。

 一方で、平時と同じく戦時であっても、騎士団は高位貴族が上位を占める世襲組織だ。

 俺は伯爵でそれなりの爵位だが、領地貴族ではないし、上には王族や公爵、侯爵、辺境伯だのの係累があって、騎士団では中堅どころしか担えなかった」


 そう言って、兄のグレゴリーは車椅子で身をそり返します。

 そんな兄に対して、副団長は深々と頭を下げました。


「英雄グレゴリー様のご指摘、ごもっともでございます。

 目下、騎士団も改革中でして。

 ご覧ください。

 私もこうして副団長に就任しておりますが、この通り、三十路にも届かぬ若輩者です。

 存分に、騎士団の連中に向かって、グレゴリー伯爵は喝をお入れください」


「ふん!」


 やがて、ほんの束の間、シルビアは活動の自由を得ました。

 兄が講演のために演壇に向かう一方、シルビアは出口近くに移動して、車椅子の傍らに立ち、周囲を見回しました。

 練兵場の外には、商店が立ち並ぶ王都中心街が広がっています。


(街中で買い物ができたら、どれほど楽しいかしら……)


 などと夢想していたところ、声をかけられました。


「どうしたの、君。

 そんなに暗い顔してちゃ、せっかくの可愛さが台無しだよ」


 振り向いたら、銀の鎧を付けた若い男性が、壁にもたれかかりながら立っていました。

 金髪に碧の瞳。

 まだ、あどけなさが抜けない顔ーー。

 シルビアより年下ーー十代後半のようでした。

 シルビアが呆気に取られてると、別の声が聞こえてきます。


「コラ! ご婦人に対して、気軽に声をかけて。

 やめろ、と言ったろ?」


 振り向けば、見知った顔がありました。

 先程、兄を迎え入れていた男性でした。


「あ、レフリー副団長!」


 ナンパしてきた若い騎士も振り向きます。

 副団長は愛想笑いをすっかり消し、やや厳しめの表情をしていました。


「君も本来なら、みなと一緒に英雄様の演説に聞き入るべき立場だろうに。

 おおかた、また寝坊でもしたんだろ?」


「へへ」


 若い騎士は頭を掻きながら照れ笑いをしています。


「ーーでも、副団長も本音では気に入らないんでしょ? あの英雄様」


 若い騎士からの指摘を受け、副団長も壁に寄りかかり、演壇に立つ兄を見晴るかします。


「詳しくはないけど、戦場での噂は耳にしていたからね。

 相当、人使いが荒いお人らしい」


 本来なら将帥には似合わない肉弾系の兄が、北方部隊の総大将となったのにも、理由があったようです。

 副団長さんの解説によれば、突貫攻撃をするしかない戦況に陥っていた際、生命知らずの強兵で構成された部隊を、お偉方から兄が押し付けられたーーというのが実情らしい。

 結局、力で押し切って奇跡的な大勝を得たのでしたが、その後、ボロボロになった北方部隊将兵に後ろめたく思ったお偉方が、兄を英雄として祭り上げたのだそうです。


 そうした事情をささやいたあと、副団長はチラッと私の方に目を遣り、嘆息混じりにつぶやきました。


「退役したとはいえ、英雄のお世話も大変なんだろうよ。

 暗くもなるさ」


 自分の苦しい境遇を、初めて他人から察してもらえて、シルビアは嬉しく思いました。

 みんな、「英雄の妹で羨ましい」とか「お相手も選び放題だろう」と噂するばかりなのです。


 レフリー副団長の言葉を受ける格好で、若い騎士が、いきなりシルビアに向かって深々とお辞儀をしました。


「僕の名はダーム。一介の騎士です。

 ですが、困っておられるお姫様をお助けするのが、騎士の務め。

 お力にならせてください」


 みなの注目が演壇にいる兄に向いているから良かったものの、本来なら、目立って仕方ない振る舞いでした。


 副団長さんが、彼の脇腹を小突きます。


「軽率な行動をするな、と言ったろう!?

 彼女は伯爵家のご令嬢、しかも、あの英雄の妹御なんだぞ」


 レフリー副団長は、私の方を向いて微笑みました。


「お気になさらず。

 この者は一介の騎士です。

 お嬢様には釣り合いません」


 騎士爵は貴族としては最下層。

 騎士出身の者が王様にまで成り上がった国もあるそうですが、ダバス王国の身分意識は強固です。

 無領地貴族とはいえ、伯爵令嬢が、平民に毛が生えた程度の騎士爵を相手に、婚姻はできません。


 それでも、騎士ダームはまっすぐシルビアの顔を見詰め続けます。


「では、伯爵家のお嬢様。

 君はどうしたい?」


「……家から逃げたいんです」


 自分が妾腹なので冷遇され、連日の介護と家事で、疲労困憊しているーーそうした事情を、シルビアは初めて他所の人ーーそれも男性に向かって激白したのでした。

 さすがに、英雄の兄から慢性的に暴力を振るわれているということまでは暴露しませんでしたが、それでも十分、二人を驚かせたようでした。


 レフリー副団長は難しい顔をして、腕を組みます。

 一方で、若い騎士ダームは得意げな笑みを浮かべて、いきなり片膝立ちとなり、シルビアに向かって手を差し出しました。


「女性が実家から逃げ出す方法ーーそれは簡単だ。

 君、僕と結婚しないか?」


 シルビアはさすがに驚いて、口に両手を当てます。

 若い騎士ダームはゆっくりと立ち上がって、堂々と胸を張ります。


「僕は一介の騎士だ。

 君もその妻となって、伯爵令嬢ではなくなる。

 それでも良いか!?」


 思いがけない提案に、シルビアは気分が晴れる思いでした。


「ええ。身分がどうなろうと、家から出られるなら……」


「おお、愛しの君よ。

 僕は誓おう。

 必ず君を救け出す、と!」


 若いダームは、すっかりお姫様を救い出す騎士(ナイト)になった気分でした。

 一方で、上司の副団長レフリーは一段と厳しい顔付きになっていました。


「軽々に求婚(プロポーズ)するなど!

 伯爵令嬢のお立場を追い詰めるだけだ」


 大声で叱責したあと、改めてダームに身を寄せて小声でささやきます。


「もっと慎重にしないと。

 君が彼女を迎えるのは無理だ」


 それでも、若い騎士は上司の忠告を意に介しません。


「駆け落ちすればーー」


「ご冗談を。そうなれば、貴方も身分を失いますよ!」


「構いませんよ。

 こんな素敵なお嬢さんを妻にできるのなら!」


 そう言って、シルビアに向かって再度、手を差し伸べ、ダームは満面の笑みを浮かべました。


「さあ、僕の手を取って」


 シルビアは思わず手を伸ばします。

 非現実的だと、彼女も頭ではわかっていました。

 それでも、実家から逃げ出したいシルビアは、藁にもすがる思いだったのです。


 若い騎士は、シルビアを胸元にまで引き寄せます。

 そして、間近になった顔を互いに見詰めました。


「それじゃあ、これから君が外出するたびに顔を合わせよう。

 つまらない日常から脱出するんだ。

 いずれは二人で逃げよう!

 あ、副団長。

 若い二人を応援してくれますよね!?」


 少し年長者の副団長レフリーは、はあ、と息を吐きました。


「ったく、君たちは世間を知らない……」



◆3


 その日以降ーー。

 シルビアと若い騎士は、何度かの逢瀬を繰り返しました。


 とはいえ、もちろん、シルビアの側からは、遠方には出向けません。

 結果、騎士の方が、貴族街へと出向き、シルビアが買い出しにでた際に、喫茶店などで落ち合いました。

 お金はほとんど騎士さんの持ち出しでした。

 シルビアに自由になるお金など、なかったからです。


 でも、二人が結ばれるためには、幾つもの難関を突破しなければなりません。

 まず最初に必要なことは、〈従属の首輪〉を外すことでした。

 この首輪がある限り、契約主人たる兄のグレゴリーから離れられません。

 正直に〈従属の首輪〉をつけられていることを、シルビアは騎士ダームに打ち明けました。

 黒いベルトの下に隠された、鎖のような首輪を目にして、若い騎士は、わがことのように憤慨しました。


「君は誰に従属してるんだ?」


「今は兄です。

 かつては父でしたが、兄が家督を継いでからは、兄が主人に」


 父親のペックも、かつては騎士団の一部隊を率いていました。

 ところが、演習中の事故で負傷した挙句、魔法武器を握れなくなり、引退を余儀なくされ、息子である兄グレゴリーが跡を継いだのです。

 シルビアが十七歳のときでした。

 兄のグレゴリーが大活躍して英雄となり、負傷して現役を退いたのは、それからわずか一年半後のことでした。

 以来、三年間ーーシルビアは介護と虐待が繰り返される実家に縛り付けられていました。


〈隷属の首輪〉が付いているのを告白した、次の逢瀬の際、騎士ダームは大きく息を吐きました。


「上司から聞いてきた。

〈従属の首輪〉は、主人が解かない限り、取れないんだって」


 そうだろうと思ってはいました。

 が、改めて真実を聞かされて、シルビアは絶望しました。

 それに対して、騎士ダームは妙に明るい。

 シルビアを強引に抱き寄せて、朗らかな声をあげました。


「大丈夫だよ。話せば通じる。

 なんたって、英雄グレゴリー様だよ!

 きっと、わかってくださる!」


 シルビアは心底、落胆しました。


(いっさい聞く耳を持たないから、逃げ出したく思っているのに……。

 やっぱり、この人はわかってくれないーー)


 三歳年下なだけなのに、ダームくんは随分お花畑な頭をしていたのでした。



 ちなみに、そんなふうに若い二人が喫茶店で逢瀬を繰り返したら、人目に付かないはずがありません。

 狭い貴族街です。

 シルビアは特定の場所にしか買い出しに向かわないので、その結果、すぐに彼女が若い騎士と逢引きしてることが噂され、家族バレするのに、さしたる時間はかかりませんでした。


「本当か!?」


 兄のグレゴリーはこめかみに血管を浮かせて叫びました。

 散歩の途中、子爵家にお仕えする侍女から、義母ダラヌが噂を聞かされたのです。

 その噂を、息子のグレゴリーに、「善意の忠告があった」と伝えたのです。


「生意気な!

 シルビアのやつ、騎士ごときにウツツを抜かしおって。

 伯爵令嬢としてのプライドはないのか。

 英雄の俺様を見捨てるつもりか!」


 激発する息子に、ダラヌもウンウンうなずいて同調します。


「ほんとだよ。

 今まで、家に置いてやった恩を、仇で返すような真似を!

 どうしてやろうかね」


 と義母が言えば、隣で聞いていた妹テリーヌが気軽に声をあげました。


「〈従属の首輪〉を絞めてやれば良いじゃん?」


 テリーヌの提案に、兄のグレゴリーは車椅子に座ったまま、首を横に振ります。


「いや……その首輪があっても、逃げようとしておるのだ。

 もっと、逃げられないーーそうした気すら起きないようにしないと」


 兄は顎に手を当てました。


「やはり……アイツが言ってた通りにするしかないか。

 父上が帰宅したら、さっそく準備だ」



 その日、シルビアが騎士との逢瀬から帰って来たときのことです。

 彼女が静かに玄関に入った、その瞬間ーー。


「そこだ!」


 父親のダミ声が響きました。


「な、なに!?」


 驚くシルビアを、毒親ふたりが押さえつけます。

 ダラヌが太い声を出します。


「テリーヌ、お願い!」


「はい、お母様!」


 妹のテリーヌが笑顔で、姉のシルビアに黒い麻袋をかぶせたのです。

 シルビアの視界が真っ暗になりました。

 そして、そのまま身体を痙攣させ、動かなくなりました。


 やがて、キイキイと音がします。

 車椅子が床を進む音でした。


 ズン!


 鈍い音とともに、シルビア嬢のお腹に激痛が走りました。

 シルビアはそのまま床に倒れ込みます。

 衝撃でわかりました。

 兄のグレゴリーの拳で殴られたのです。

 床をのたうちまわるシルビアの耳に、冷酷な声が響きました。


「これは〈隷従の麻袋〉ーー通称〈奴隷袋〉だ。

 こいつは動きを規制する魔法がかかってる。

 そして、契約した主人の許可がない限り、脱ぐことはできない。

 つまり、シルビア、もう、おまえは奴隷に身を落としたんだ。

 はっははは!」


〈奴隷袋〉ーー!


 シルビア嬢も聞いたことがありました。

〈奴隷袋〉をかぶると、その人は奴隷同然となる、と。

〈従属の首輪〉以上の拘束力をもち、契約主人以外の者に対しても、いっさい刃向かうことができなくなる、と。

 主人が拒否しない限り、耳にする声のすべてに従ってしまうーー。

 まさに奴隷状態になるわけです。


 テリーヌは愉快そうに手を合わせました。


「へえ。面白そうじゃない?

 だったら、お姉様。

 裸になって」


 シルビアは痛い腹を押さえつつも、フラフラと立ち上がります。

 そして、妹の言うがままに服を脱ぎ、全裸になりました。


「あははは。

 本当に奴隷になったのね、お姉様。

 コロンちゃんより、よほど言うことを聞いてくれるわ。

 あ、そうだ。

 コロンちゃんと一緒にお散歩させようかしら」


 はしゃぐテリーヌの様子を見ながら、ダラヌが嫌そうな顔をします。


「駄目よ。外聞ってものがあるでしょ」


 テリーヌは明るい声を上げます。


「大丈夫よ。

 だって、今のお姉様、黒い袋を頭からかぶってるんだもん。

 しかも裸で。

 まさか、お姉様だとは思われないわよ」


 学園時代、いつもお澄ましさんで優等生だった姉ばかりが、先生から褒められていました。


「姉に比べて、この妹は……」


 と嘆息混じりの説教を、テリーヌは学園で受けてきたのです。

 そんな優等生の姉が、今ではコロンと一緒にお散歩する愛玩動物(ペット)になってしまったのです。

 しかも、往来に姿を晒しながらも、その事実を知るのは自分だけで、散歩の間中、身バレしないかと焦る姉の心情を想像すると、愉快でならなかったのです。

 嗜虐の喜びに唇を歪めるのは、義母のダラヌも同じでした。


「それも、そうね」


 妾に勝てるのは身分だけーー。

 ダラヌはシルビアの実母が、妾のくせに自分よりも聡明で、美人なのが許せませんでした。

 その妾に瓜二つの娘シルビアも、心底、気に入らなかったのです。


「お、お願いです。おやめください……」


 シルビアの必死の哀願に心打たれたのか、


「それは、約束と違います」


 と、あまり聴きなれない声がしました。


 騎士団の副団長、レフリーの声でした。

 いつの間にか、グリーンヒル伯爵邸に、副団長が潜んでいたのです。


「私はお相手の親御さんから依頼されましてね。

 息子が駆け落ちするのを諦めさせてくれ、と。

 だから、〈奴隷袋〉をかぶせるよう提案したまで。

 それ以上の辱めを与えるのには賛成しません」


 兄のグレゴリーは鷹揚に手を振りました。


「わかった、わかった。

 では、続きを頼む。

 俺たち家族が、手を下したと噂されるのは外聞が悪いのでな。

 おまえの手を汚させてもらう」


「はい……」


 しばらくすると、シルビアは喉に熱を感じました。

 そして、痺れるような痛みーー。


 副団長レフリーの手によって、火で炙った黒い針を、喉に当てられたのでした。


「キャアアア!」


 力いっぱい叫んだあと、ヒューヒューと空気が抜けるような音しかしなくなりました。


「これで声が出なくなりました……」


 副団長レフリーが低い声で言うと、父のペックが大声をあげました。


「でかした!」


 兄のグレゴリーも満足げにうなずきます。


「これで、あのダームとかいう騎士(ナイト)気取りも諦めるだろう」


 口をへの字に曲げながら、副団長は弁明します。


「私は部下の親御さんのために、仕方なく、こうしたんです。

 喜んで協力したと思わないでくださいよ」


 こうして、伯爵令嬢シルビアは、駆け落ちして実家から逃亡するどころか、逆に実家に閉じ込められ、家族と騎士団副団長の手によって、家庭内奴隷へと成り下がってしまったのでした。


◆4


 奴隷になってしまった伯爵令嬢シルビアは、一日中、麻袋をかぶったまま、全裸で働かされました。

 麻袋は目が荒いので、内側からは薄らと外が見えます。

 それを良いことに、介護や炊事洗濯などでこき使われました。

 袋にかけられた魔法によって、命令と認識されたら、その音声の指示に無条件で従うようになっていたのです。


 そして、奴隷になって三日後ーー。


 早朝の家事を終了したあと、玄関の近くにありながら、ちょうど扉からは見えない位置に、シルビア嬢は立たされました。

 車椅子の兄が首輪につけた鎖を引きながら、ささやきます。


「今日、おまえの彼氏ーーダームっていう若い騎士が家にやって来る。

 おまえがヤツと手紙のやりとりで逢引きしていることはわかってたんだ。

 だから、副団長殿のご厚意で、偽の手紙を書いて、ヤツに手渡してもらった。

 俺たちは家族として、グリーンヒル伯爵家の総意として、明確にヤツからの求婚を断ってやる。

 おまえをわが家から逃すつもりはない。

 残念だったな」


 しばらくすると、グレゴリーの予告通り、騎士ダームが花束を持ってやって来ました。

 赤と黄色、そのほか彩り豊かな花が咲き乱れていました。

 彼の喜びを表わしているかのようでした。


「娘さんをーーシルビア嬢を迎えに来ました!

〈従属の首輪〉を取ってくださったんですよね?」


 その彼に、出迎えた両親、そして妹がそろって頭を下げます。

 そして、ニヤつきながら声を合わせました。


「すみません。

 わがグリーンヒル伯爵家から、シルビアという娘はいなくなりました」


「いなくなった?」


「〈従属の首輪〉を取ってやったとたん、別の男と逃げたんですよ」


 そのように父親のペックから説明を受けました。

 が、彼氏のダームは当然、納得できません。


「そんなはずはないーー。

 ……どうやら、僕の認識が甘かったようですね。

 あなたたちは心底、心根が腐っておいでのようだ。

 実の娘に対しての冷遇、虐待ーーもはや看過できません!」


 花束をペックに押しつけ、ダームは大声を張り上げました。


「シルビア嬢! 居たらお返事を!

 ダームが迎えに参りました。

 このような腐った家から、共に出て行きましょう!」


 若い騎士の希望に満ちた呼びかけに、義母のダラヌは腹を抱えつつ、甲高い声を張り上げました。


「あはは、だったら、仕方ないわねえ。

 助け舟を出してやったんだけど、応じないんじゃあ、事実を知ってもらうしかないね」


 彼女がパンと手を打つと、後ろからシルビア嬢が姿を現わしました。

 依然として〈従属の首輪〉をしたままで、首輪につながれた鎖を兄のグレゴリーが手にしていました。

 首輪だけではありません。

 黒い麻袋を頭からかぶり、しかも全裸に剥かれた状態で、シルビアが引きずり出されてきたのです。

 胸やお腹ーー身体の方々が傷だらけ、痣だらけで、虐待の跡を生々しく残していました。


 それを見て、騎士ダームは絶句して、立ち尽くします。

 花束を持って迎えに来た女性がーー実の家族から、まるで奴隷のように虐げられているーー。

 あまりの酷さに、剣の柄に手が伸びていましたが、ダームは剣を握る力をも失ってしまいました。


「思ってたのと違う。違いすぎる……」


 車椅子に座る兄のグレゴリーが、鎖を引っ張ってシルビア嬢を手繰り寄せます。

 勝ち誇った笑みを浮かべて。


「今のコイツは俺様の奴隷だからな。

 なんでも言いなりだ。

 直接、コイツの口からお断りを入れさせたかったが、あいにく喉も潰されておるからな……」


 兄は、奴隷に成り果てた妹の左手を取ります。


「俺の面倒を見させる大事な指なんだが……やむを得ん。

 これから数を数えるたびに、コイツに罰を与える。

 君が早く帰らないと、コイツが苦しむことになる。

 ーーイチ!」


 バキ!


 乾いた音とともに、シルビアの人差し指が折られたのです。


「きゃあああ〜〜!」


 シルビア嬢は悲鳴をあげます。

 でも、動きません。

 動けないのです。

 依然として、兄に指を差し出したままでした。


「ニイ!」


 ボキ!


 今度は、中指が折られました。


「ウウウウ……!」


 呻き声が、ダームの耳朶を打ちます。


「サ……」


 もう一本、指を折ろうとするのを、ダームが止めました。

 耐えられなかったのです。


「もう、やめてくれ!

 貴様、なにが英雄か!

 実の妹に対して、どうかしてる。

 天罰が下るぞ、貴様ら!」


 ダームは泣き叫びつつも(きびす)を返します。

 シルビア嬢を救い出すと意気込んでいた若い騎士(ナイト)は、気持ち悪くなって逃げてしまったのでした。


「はっはは!」


 英雄一家の勝ち誇った笑い声が、屋敷内にこだまします。

 やがて、彼ら、グリーンヒル伯爵家の者とは別の声が、屋敷奥から響いてきました。


「ダームは帰ったようですね」


 声の方に振り返り、義母がペコペコ頭を下げました。


「ありがとうございます。

 疫病神を追い払うことができました」


 家の奥から、副団長レフリーが出てきました。

 兄のグレゴリーに「シルビアに〈奴隷袋〉を頭からかぶらせ、喉を焼こう。そうして、騎士ダームを追い払おう」というアイデアをもちかけたのは、彼だったのです。


 兄は車椅子の上で満足げにうなずきます。

 ペチペチと妹シルビア嬢のお尻を叩きながら。


「しかし、コイツを奴隷にまで落とす算段とは恐れ入る。

 騎士団も、そうとう実力主義になったんだな。

 君のような自由闊達な者が、その若さで副団長にまでなりおおせているとは」


 車椅子に座るグレゴリーに、レフリーは身を屈めてささやきます。


「英雄様が退役なされてから、大改革があったのですよ。

 王家や高位貴族の者だけじゃなく、有能な者ならば、出来るだけ騎士団に入隊させよう、指揮権を与えよう、と。

 もっとも、私は英雄様のように現場指揮ではなく、後方でのデスクワークをもっぱらとしておりまして。

 つまり、名ばかりの騎士なんですよ。

 でも、英雄様のような、戦場で活躍される方に深い敬意を抱いております」


「うむ。後方がそうであれば、将兵も心強いであろうな」


「ですが、英雄様のような退役者に対して、少々、国が冷たいように思われます」


「……ん? どうしたのだ、急に?」


 グレゴリー伯爵は瞬時に真面目な顔つきになりました。

 騎士団の副団長ともあろう者が、いきなり国家批判を口にしたのです。

 本来なら、あり得ないことでした。


「おや、英雄様でも、お国を非難するのは(はばか)られるんですね」


「そ、それはそうだ。俺は国家に対して忠誠を誓った身だ……」


「そうです。その結果、このように車椅子の世話になるお身体になられた。

 それなのに、補償が手薄いと思うのは、私だけでしょうか。

 邸内を拝見したところ、色々と不如意な点がおありのようで……」


 グレゴリーが目を丸くするのを無視して、副団長レフリーは背筋を伸ばし、視線をグレゴリーから父親ーー伯爵家元当主ペックに視線を移しました。


「お金さえあればーーお金をもっと稼げさえすれば、もっと良い思いができるのに。

 じつに、もったいない……」


 副団長レフリーのつぶやき声に、ペックのみならず、妻のダラヌも聞き耳を立て始めました。


◆5


 玄関先では、麻袋をかぶった裸のシルビア嬢が、指が折れた状態で立ったままです。

 そんな彼女を放っておいて、他のメンバーはみなで居間にやって来ました。

 副団長レフリーが、テーブルの上に何枚もの資料を並べます。


「このままでは、グリーンヒル伯爵家は、戦傷補償金と英雄年金を食い潰すだけですよ。

 これだけ定期的にお金が入るのに、増やさないのはもったいない」


 父親のペックは赤ら顔で反論します。


「そんなことは、わかっておる。

 だから、儂は夜毎にカジノへーー」


 副団長は鼻で笑いました。


「カジノ? ははは……博打だなんて。

 結局は、胴元を儲けさせるだけですよ」


 レフリーは一枚の資料に、トンと指を立てました。


「『愛国信託基金』というのをご存知ですか?」


 グリーンヒル伯爵家の面々は、みな、キョトンとしています。

 代表して、兄のグレゴリーが問い返しました。


「愛国ーーキキン?」


 レフリーは胸を張って答えます。


「戦費を賄うため、これから値が上がりそうな物資をあらかじめ先に買っておいて、物価が高騰した際に売り払うーーそのための信託基金です。

 その結果、差額で儲けたお金を国家の軍事費に充てているのです。

 もちろん、全額が国家の儲け、となるのではなく、差額の七割強を投資した人の取り分にできるのです」


 先代当主のペックが身を乗り出しました。


「そんな旨い儲け話があったとは、知らなんだぞ!?」


「騎士団でも、上層部の貴族しか知らない信託基金ですからね」


 得意げな副団長レフリーに、グレゴリーは問いかけます。


「具体的な品目は?

 たとえば、今まで、何を先に買って儲けたのだ」


「たとえばーーそうですね。

 戦地で配給される漬物とかです。

 野菜を漬けた漬物なんて、普段はお安いでしょう?

 でも、戦時になると決まって高騰します。

 保存食の一品として戦場に送るために、巷で品薄になるからですよ」


 話に耳を澄ませていたダラヌはポンと手を打ちました。

 思い当たる節があったようです。


 そして、漬物が従軍中に将兵たちによって大量消費される保存食であることを知るグレゴリーは、拳を握り締めました。


「たしかに。

 安値の時に漬物を買い占めるのは、うまい手かもしれんな。

 幾分かは腐らせるかもしれないが、そこは漬物。

 中には何年も寝かせておいても問題がない食材もある。

 それが戦時になると、一気に高騰するーー!」


 これは、当たる、理に適っている、とグレゴリーは思いました。

 実際、貴族と大商人限定ではありますが、ダバス王国では先物市場まで開設されていたのです。先物取引で大貴族らが儲けていることは、周知の事実でした。


「さっそく一枚噛ませてもらいたいが、いかようにすれば……」


 ペックが詰め寄ると、ここでレフリーは身を屈めて、ささやくような声になりました。


「まずは名義が問題ですね。

 じつは『愛国信託基金』には、ひとつ大きな欠点がございまして。

 国家からの補償金を受け取る者や、年金受給者は基金に投資することを禁じられておるのですよ。

 国家から与えられた金を投機に用いるのは許されない、という建前がありますから。

 で、グレゴリー様の名義で戦傷補償金も英雄年金も受け取っておられるし、先代の伯爵様も年金を受け取っておられる。

 ですから、おふたりの名義では基金に投資できないのです」


 父親のペックはホゾを噛む思いでした。

 少しでも得をしようと、今まで、自分や息子に対する年金や補償金を増やそうと役所に出向いて手配してきましたが、そのことが逆に、儲け話に乗れない原因となってしまったのですから。

 ところが、世慣れたペックは裏を掻く方法を思いつきました。


「では……妻や娘の名義を使えばーー」


 意を得たり、とばかりに、レフリーはパチンと指を鳴らしました。


「そうです、そうです。

 それだと問題ありません。

 よく、お気づきで」


 褒められた気がして、ペックは得意げに鼻を鳴らします。

 ですが、妻のダラヌが膨れっ面で苦言を呈しました。


「でも、賭けたお金が幾らになったか、いちいち確認しに行くのは面倒だわ」


 ダバス王国では金融業がかなり発達していましたが、口座の貯蓄額を記載する〈通帳〉というものは存在していませんでした。

 口座を開設した本人が、じかに銀行に出向いて残高を確認するしかできません。


 ところが、「心配いりません」と、相談役のレフリーは言います。

『愛国信託基金』からの報告書が、二週間ごとに口座名義人の自宅に配送されるのだというのです。

 ダラヌやテリーヌ、たとえシルビアの名義になっていても、グリーンヒル伯爵家の屋敷に届けられるのですから、問題はありません。

 ダラヌとペックの夫婦は、


「だったら、幾ら儲かったか、すぐにわかりますわね」


「二週間ごとの楽しみってわけだ」


 と安堵の溜息を吐きました。

 ところが、ここでレフリーが、喜ぶ先代夫婦に対して、声をひそめて切り出します。


「ただしーーこの基金、滅多にないことですが、当てが外れて掛金より多めの損失が出る場合の担保を要求しておりまして……」


 ペックは渋い顔をしました。


「担保といってもーー妻も娘も女性ですから、稼いだことはございませんよ。

 これといったものは……」


 レフリーはペックの耳元で提案しました。


「ですから、信用設定として担保となるものを差し出せばーー」


「何を差し出せば……宝石とか貴金属ですか?」


「いえいえ、そんなものより、肉体です。

 たとえば、手足なんかが喜ばれます。

 戦傷者が多いですからね」


 ダバス王国では、魔法を使った医術が発達していました。

 欠損した手足を、義手や義足、さらには別人の手足で補うことができるのです。

 ですが、戦傷者は男性が多く、女性の手足が有効活用できるとは思えません。

 とはいえ、そこは書面上のこと。

 投資者を当たり前のように男性と想定しているだけで、女性が投資してならないという規定はありません。

 ですから、担保条件をクリアすれば良い、とレフリーは言いました。


「魅力的な提案だが、俺の介護にシルビアの手足は不可欠だ……」


 悔しそうなグレゴリーに対し、レフリーは代案を出しました。


「では、内臓ですね。

 二つあるものでいえば、眼とか肺、腎臓ですかね。

 ちなみに、内蔵を担保にするのは信用度が高く、高い倍率での配当を狙えます。

 信用設定することで、出資した額の五倍で張ることができるんですよ!」


 グリーンヒル伯爵家の面々は、一様に明るい表情になりました。


 もちろん、彼らが考えている名義は、ダラヌやテリーヌではありません。

 シルビアの名義で投資をしようとしか考えていませんでした。


 テリーヌがグレゴリーの車椅子を押して、玄関までやって来ます。

 いまだにシルビア嬢は素っ裸で直立していました。

 そこへ、グレゴリーは床に書類を放り投げて命じました。


「シルビア。この書類に記入しろ。担保は腎臓。わかったな!」


 シルビア嬢は喉が焼かれて喋れません。

 でも、必死で首を横に振ろうとします。

 が、やがて人が変わったように素直にうなずき、床に座り込んでペンを取り、書面に記入していきました。

 指が二本、折られていましたが、左手だったので、利き手である右手を動かします。

〈奴隷袋〉が効果を発揮しているようでした。



 それから二週間後ーー。


 グリーンヒル伯爵家は歓喜に沸きました。


『愛国信託基金』から書面が届いたのです。

 そこには、シルビア名義の口座に振り込まれた配当金が記されてありました。


「ボロ儲けじゃ!

 五倍の五倍ーー元金の二十五倍にもなりおった!」


 父親のペックは酒瓶を片手に祝杯をあげました。

 そして怒鳴ります。


「ありったけの金を張るんじゃ。

 シルビアのやつに渡した小遣いが少なすぎた。

 いいから儂の年金も、グレゴリーの金も、シルビアの名義にして、ありったけぶっ込め!」


 兄のグレゴリーも嬉々として雄叫びをあげました。


「片眼も担保に入れろ。肺もだ!」



 それから、さらに二週間後ーー。


 グリーンヒル伯爵家の人々は、さらに狂喜乱舞しました。


『愛国信託基金』から書面が新たに届いたのです。

 記載された金額を見て、ペックはひっくり返りました。


「凄い、凄いぞ。

 十倍の三十倍ーー三百倍じゃ!

 儂の博打でスった金を補って余りある金!

 眼も肺も、担保にしておいて良かった。

 馬鹿みたいじゃ。

 書面に一筆、書くだけで、これほどの金が舞い込んで来おるとは。

 あははは!」


「さっそく、銀行に出向いて、お金を下ろしましょう」


 奥方のダラヌはバックを手に、お出かけしようとします。


 ところが、騎士団副団長レフリーが、慌てて止めました。

 彼は、いまやグリーンヒル伯爵家のお抱え相談役となっていました。


「お待ちください。

 奥方様では、お金をおろせませんよ」


「お金を下ろすことが出来ない?

 なぜ?」


「名義のご本人じゃないと」


 なるほど。仕方ない。

 兄のグレゴリーはシルビアに命じました。


「シルビア。今から銀行に行ってお金を下ろして来い」


 シルビア嬢は裸のまま、立ち上がります。

 いまだ折れた指が疼きますが、利き手は動きます。


 そこでまたもや待ったがかかりました。

 再びレフリーが呼び止めたのです。


「お待ちください!

〈奴隷袋〉をかぶったままでは行けませんよ!」


「なぜ?」


 と不思議そうに尋ねる妹のテリーヌに、大声をぶつけました。


「当然です。

 奴隷が口座なんて、持てるはずがないでしょう!?

 あくまで、貴族のシルビア伯爵令嬢として作った口座なんですよ」


「ぬぬぬ……」


 と唸り声をあげてから、グレゴリーは決断しました。


「やむを得ん。シルビアから〈奴隷袋〉を取れ。

 まだ〈従属の首輪〉がある」


 またもやレフリーが首を横に振ります。


「それもダメですよ」


「なに!?」


 車椅子の上で身を乗り出すグレゴリーに対して、レフリーが説明します。


「本来、口座は、独立した個人のみが開設できるのです。

 そして、本人の意志が明瞭でなければ、独立した個人とは認められません。

 そもそも銀行内部には、奴隷の他、意志の自由を奪われた状態の者は入れないのです。

 銀行の出入口では魔法具は厳しくチェックされます。

〈従属の首輪〉をしているのがバレたら、その人の名義の口座は凍結されますよ!」


 歓喜に沸いたグリーンヒル伯爵家の人々にとって、思わぬ事態が勃発していました。

 シルビアを自由にしないと、せっかく稼いだ大金を手にすることができない状況に陥ってしまったのです。


「おのれ、シルビアぁあ!」


 いきなりグレゴリーが腕をぶん回してシルビアを殴りました。

 シルビアはもんどり打って床に倒れ込みます。

 グレゴリーは怒声を張り上げました。


「本当は袋の中で笑っておるのだろう?

 これでも兄だ。

 妹の内心ぐらいは、わかる。

 怯えた色がない。

 ーーおのれ!

 そこに直れ! 歯ァ食いしばれ!」


 さらに両腕を振り回して、殴りかかろうとします。

 副団長が慌てて後ろから抱きついて、グレゴリーの暴走を止めました。


「なにか、方法を考えましょう。

 お金を手にする手立てがなにか、あるはずです」


 とはいえ、ダラヌも大きく嘆息します。


「お金が下ろせないんじゃ、幾らあっても絵に描いた餅じゃないの。

 当座の食費もないんだよ……」


 すべてぶち込めと息巻いていた自分が恥ずかしくなったのか、父親のペックはダラヌの背中を優しく撫でます。

 グレゴリーも腕を組み、思案します。

 でも、なんの手立ても思いつきません。


 ここで「提案が二つあります」と口にしたのは、やはり「相談役」のレフリーでした。


「ひとつには、奥方様とテリーヌ様の名義による口座の開設です」


「おお、そうであった!」


 ペックが手を叩きます。

 この二人なら、なんなく口座も開けるし、お金も下ろせます。


「でも、口座に入れるための資金が……」


 ダラヌは意気消沈したままにつぶやきます。

 ところが、レフリーは明るい声を出します。


「じつは、愛国信託基金から現金を引き出すには本人が銀行に出向く必要がございますが、送金は書面だけで行なえるのです。

 いずれシルビア嬢の口座からお金を送ればーー」


 ペックはバチンと膝を打ちました。


「なるほど、また投資が出来るぞ。

 そのうえ、現金を妻やテリーヌの口座から引き出すことができるわけじゃ!」


 ダバス王国内の銀行ではそれぞれが定期的に現金輸送を行なっており、送金や振り込みのシステムは充実しています。

 口座間のやり取りは頻繁に行なわれていました。


「そうです。

 そのためにはまず、奥方様とテリーヌ様のご署名が必要です。

 口座を開設する理由は『愛国信託基金』への投資。

 担保についても記しておきました」


 レフリーが手際良くペンを持ち出します。

 ペックがダラヌとテリーヌに命じました。


「よし、書け。署名しろ」


 女性ふたりは嬉々としてペンを握り締めました。


「わかったわ」


「ワタシもお金を儲けられるのね!

 だったら、素敵なドレスが欲しいわ」


 書面に署名する妻と娘に、ペックは鷹揚に太鼓判を押しました。


「ああ、好きなだけ買うと良い。

 限度いっぱいまでなら、三百倍に増やすことも可能だぞ!」


 いそいそとペンを走らせる女性陣ーー。

 レフリーはその間に、男二人に新たな儲け話をもちかけました。


「じつは、もうひとつーー耳寄りの話があります。

 お宅のご一家が英雄家族だからこそ、お教えするんです」


 レフリーいわくーー。

 敵国を追い詰めるため、敵国内にある義勇軍、反政府ゲリラに送金をする組織が新たに結成されたというのです。


「敵国での反政府活動は、即、わが国の利益となります。

 ゆえに軍部のみならず、外務省と財務省がバックについております。

 潤沢な資金を背景にこれからドンドン資金が流れ出ていくかと思われます。

 その動きに、グリーンヒル伯爵家の方々が先鞭を付けることになるわけです。

 第一陣の投資における資金の割合が、今後も配当金として跳ね返ってきます」


 ペックとグレゴリーは、ゴクリと生唾を飲み込みます。


「ほんとなのかい、それはーー」


「財務省までが資金を出すとなるとーー」


 レフリーはほくそ笑みながら断言しました。


「ええ。来季の国家予算編成を終えた頃には一千倍もの規模に膨れ上がるかと」


 グリーンヒル伯爵家の男二人はバンとテーブルを叩きました。


「乗るぞ!」


「おお、俺もだ!」


 グレゴリーは感無量になって、全身を震わせ、涙を流しました。

 大金が儲けられるだけでありません。

 足腰が立たない、こんな身体になっても、お国のために貢献できると知って、心底、誇らしく思ったのでした。


 レフリーは新たな書類を何枚も出しながら言いました。


「では、現在、お二人の口座にある全額に加えて、金融業者から信用貸しで借りれるだけ借りた金額を、その反政府活動に投資してよろしいですね」と。


 男二人は厚い胸板を叩いた。


「おお。楽しみだ!」


「これも、お国に対するご恩返しじゃ」


 レフリーは二人にペンを差し出しながら忠告しました。


「ただ、注意して欲しいのは、表向きは、敵国の貴族が主催している基金に振り込むことになってるんです。

 さすがに、反政府組織をそのまま名乗ってお金を集めることはできませんからね」


 グリーンヒル伯爵家の当主たちは、ペンを走らせながら笑いました。


「それはそうだ。ははは」


「反政府組織基金なんて名前を打てば、さすがに敵国も目を付けるわい」


 しばらくして、副団長レフリーはグリーンヒル伯爵家の面々が署名した書類を束ねて鞄に入れて立ち上がりました。

 そして、玄関扉を開け、立ち去る際、振り向いて言いました。


「もの凄い成果が期待できますよ。

 楽しみにして、お待ちください」


◆6


 グリーンヒル伯爵家の面々が、それぞれに期待に胸を膨らませてから、二週間後ーー。


 彼らが予想だにしていなかった大激変が訪れました。


 まず、奥方のダラヌと娘のテリーヌが犬の散歩をしている途中で、いきなり拉致されたのです。

 五、六人もの屈強な男によって、馬車の中へ放り込まれました。


「きゃああ!」


「ぶ、無礼者!

 この、英雄グレゴリーの母親に向かって!」


 騒ぐ女性たちと違って、男どもは冷静な口調でした。


「担保の回収です」


 革鎧をまとった男は、何枚もの書類を取り出して見せました。


「これ、貴女様ご自身の署名ですよね?

 丁寧に家紋まで押印されているじゃないですか」


「そ、そんな!

 まさか、『愛国信託基金』なのに破綻したの!?」


 ダラヌがうわずった声をあげましたが、男は軽く首をかしげるだけでした。


「アイコク……? なんですか、それ?

 これは複数の高利貸しからの請求書ですよ」


 そして、男たちはせせら笑います。


「貴女たちは高利貸しから大金を借りまくった挙句、利子分すら返済しないんでね」


 母娘は身体を縄で縛られながらも、必死に抗弁しました。


「そ、そんな。私たち、そんなお金、借りてません。

 受け取ってませんよ」


「そうよ、そうよ。

 今日だって、お菓子も我慢してお腹空かせてたんだから」


 説明役の男はニタリと口許を綻ばせます。


「細かい事情はともかく、契約は契約ですから。

 まあ、グリーンヒル伯爵家の方々ですから、あの英雄グレゴリー様、もしくは先代様には一報、入れておきますよ。

 ひょっとして、貴女方を取り返そうとして借金をキッチリ返してくれるかもしれない」


 二人の女性は青褪めました。

 そんなお金はグリーンヒル伯爵家(ウチ)にはないことを良く知っているからでした。


「も、もし、お金がなかったらーー」


 ダラヌの問いに、男たちはすげなく答えました。


「でしたら、担保を貰い受けるしかないですよね。

 だからこそ、こうして身柄を預かりに来たってわけでして」


「貴女たち自身が署名したんだから、ご存知でしょう?

 片眼と肺と腎臓ーーああ、若いお嬢さんの方は娼館行きに変更できますがね」


 グリーンヒル伯爵家の母娘は悲鳴をあげました。


「いやあああ!」


「何かの間違いよ!」


 彼女たちの甲高い叫び声も、完全防音の馬車内から漏れ出ることはありませんでした。



 その日の午後、すっかり酔いを覚まして、父親ペックが屋敷に駆け込んできました。


「大変だ。ダラヌが。テリーヌが……!」


 複数の金融機関に雇われた取立て屋から、妻と娘を借金のカタに取ったことを伝える書状を受け取り、ペックは行きつけのカジノから飛び出してきたのです。


 玄関内には、相変わらず奴隷となったシルビアが、頭から麻袋をかぶったまま立っています。

 でも、その日は、いつもと違う様子も見られました。

 シルビアが裸ではなく、真っ白いドレスを身にまとっていたのです。

 しかも、両脚には、兄のグレゴリーが戦場で用いた鉄製のブーツを履いていました。

 爪先や(かかと)が刃のように鋭くなっていて、殺傷能力がある、近接戦闘用のブーツです。


 いつもと違う様子に、ペックは娘に顔を近づけました。


「なんだ、おまえ?

 グレゴリーのブーツなんか履いて……」


 そうつぶやいたとき、いきなりシルビア嬢が動いたのです。

 父親の目の前で、〈隷従の麻袋〉ーー通称〈奴隷袋〉を自らの手で脱ぎ去りました。

 そして、正面から父親の顔面を直視した後、頭突きを喰らわせたのです。

 父親は床に倒れ込み、額に手を当て、呻き声をあげました。


「ば、馬鹿な。どうして、〈奴隷袋〉を脱ぐことが!?

 ーーま、待て! 待ってくれ、シルビア!」


 娘は黙ったまま、床に転がった父親を、兄の鉄製ブーツで思い切り踏みまくりました。


「ぎゃっ、ぐぎゃっ!」


 蛙の鳴き声のような叫び声をあげ、床を転げ回ります。

 それでも娘は容赦しません。

 ついには父親の急所を力の限り踏み潰しました。


「がああああっ!!」


 広いグリーンヒル伯爵邸に、絶叫が轟き渡ります。


 異変を感じ、奥の部屋から兄のグレゴリーが車椅子を自分で回してやって来ました。

 玄関を見ると、先代の伯爵が血塗れの状態で寝そべり、白眼を剥いていました。

 そしてその傍らには、顔を露わにした妹シルビアが、鉄製ブーツを履いて立っていました。

 ブーツには血糊がこびりつき、湯気が立っています。


「貴様、親父に暴力をーー!?

 なんだ!?

〈奴隷袋〉はどうした。

 なぜ俺の許可なく脱げたのだ!?」


 兄のグレゴリーが目を白黒させているうちに、シルビアは素早く動きます。

 兄の背後に回り込むと、彼を乗せたまま、車椅子を力一杯、押しました。


「いけええええ!」


 甲高い掛け声とともに、車椅子ごと、兄を家の壁にぶち当てました。

 そして、車椅子から転げ落ち、床に倒れ込んだ兄を、鉄製ブーツで踏みつけました。

 まずは右腕から。

 ミシッと骨が軋む音がしました。

 兄のグレゴリーは歯を食いしばり、両目を見開きました。


「ど、どうして!?

〈奴隷袋〉をかぶってーー今も〈従属の首輪〉が嵌めてあるのに。

 なぜ、首が絞まらない?

 なんで、おまえが自由に動けるのだ!」


 兄のグレゴリーは父のペックと違って、さすがにしぶとい。

 床に寝そべりながらも、剛腕を振り回します。

 そうなると、シルビアも迂闊に近づけません。

 それでも、死角があります。

 グレゴリーの上半身は壮健ですが、下半身ーー足腰はろくに動きません。

 だから、下半身の方へは易々と近寄れるのです。

 上半身をバタつかせるのを無視して、シルビアは回り込んで兄の下半身に近づきます。

 そして、素早くブーツを脱ぐと、動かない兄の両脚に、それまで自分が履いていた鉄製ブーツを履かせていきました。


「き、貴様、なにをーー!?」


 ブーツを履かせ終わった段階で、激しく玄関扉を叩く音がしました。

 扉が開くと知ると、ドドッと騎士団の連中が押し寄せてきます。


「我らは騎士団治安部隊だ。

 グリーンヒル伯爵家当主グレゴリーはいるか!?」


 グレゴリーは床にひっくりこけた、みっともない格好でしたが、快哉を叫びました。


「おお! ちょうど良いところに。

 さあ、コイツをーー妹のシルビアを捕まえてくれ。

 父殺しだ」


 グレゴリーは寝そべった状態で、妹に向かって顎をしゃくります。

 このとき、シルビア嬢は、(わざとらしく)純白のドレスを血に染めた姿で、父親のペックを庇うような格好で倒れ込んでいました。

 そして、騎士団の面々がグレゴリーに目を遣ると、彼が両脚に履いているブーツが血で赤く濡れていました。


 騎士団によって捕まえられたのは当然、兄のグレゴリーの方でした。

 足腰が立たないのを、屈強な騎士たちが三人がかりで抱き抱えるように立たせます。

 そして、両腕を後ろに回して、縛り上げました。


「なっ!? 捕まえる者を違えておるぞ!」


 吼えるグレゴリーに対し、逮捕状を見せつけながら、騎士は大声をあげました。


「グレゴリー卿!

 貴殿が敵国に資金援助をしていることが、昨日、発覚した。

 休戦中とはいえ、国交を断絶している国に向けて送金するなど、言語道断。

 違法行為、利敵行為に他ならぬ。

 まさか、先の大戦で戦功をあげた英雄が、敵に内通しておるとは。

 まったく盲点であったわ。

 それに、父親殺しとは。

 必死で庇おうとしておられるシルビア伯爵令嬢までが血塗れだ。

 状況から察するに、どうやら貴殿の足はまだまだ動くようですな。

 老いた父親を踏み殺す程度には」


 指揮官が視線を落とした先には、シルビア嬢と父親ペックが血濡れた状態で仲良く折り重なっていました。


「濡れ衣だ! 嵌められたんだ。こいつはシルビアがーー」


 グレゴリーは叫ぶが、足腰が立たず、抵抗できません。

 そのまま騎士団によって、外へと連行されてしまいました。



 しばらくしてから、ゆっくりと身を起こすシルビア嬢に、声をかける者がいました。

 騎士団が屋敷から出ていく代わりに入ってきた男ーー副団長レフリーでした。

 彼は長衣(ローブ)を持ち込んできていて、バサッとシルビアの身体にかけました。


「たいしたものですよ、貴女は!」


 レフリーはシルビア嬢の手を取って、用意された椅子に座らせます。

 そして水筒から暖かい飲み物を注ぎ出して、シルビアに飲ませました。

 彼女が人心地つくと、今までの出来事を総括するように語り始めました。



 まず、求婚してまでシルビアを助けようとした若い騎士ダームは、正義漢なだけで、無策な男でした。

 このままでは、駆け落ちひとつ出来ないーーそう判断すると、シルビアはダームと早々に手を切ると同時に、なんとかして実家から逃げ出せる手段を考えました。

 その結果、やはり、兄も父も義母も、家族もろとも打ち滅ぼすしか、地獄から脱出する方法はない、と覚悟したのです。

 そして、自分の苦境を理解してくれそうな、唯一の男性ーー騎士団副団長のレフリーに、ダームと逢引きするついでに接触して、お願いしておいたのです。


「私に〈奴隷袋〉をかぶらせ、喉を潰さない程度に焼いてください」と。


 あまりの提案にレフリーは驚きました。

 ですが、〈奴隷袋〉をかぶることで二つの利点があると、シルビアから説かれました。


 まず、若い夢みがちな結婚に憧れる騎士ダームを、諦めさせることができます。

 そして、奴隷となって公的人権を失うことで、家族の者がシルビアを気軽に外に出すことが出来なくなると同時に、名義を利用できなくさせることができます。

〈従属の首輪〉ですでに条件を満たしていますが、首輪では装飾で誤魔化すことができますから、利用しようとするのを諦めてくれないので、ダメ押しが必要だと思ったのです。


 ただし、〈奴隷袋〉をかぶるにあたって契約主人となるのは兄グレゴリーではありません。副団長レフリーでした。

 でも、その事実を、兄も家族も知りませんでした。

 誰もが兄のグレゴリーが、シルビアがかぶる〈奴隷袋〉の主人だと信じ切っていました。

〈奴隷袋〉をかぶらされた者は、主人以外の者の命令にも従わされるので、彼らがグレゴリーを契約主人と思い違いをするのは仕方がありませんでした。


 そして、喉を潰すフリが必要だったのは、〈奴隷袋〉をかぶらされた状態では、なにを言わされるかわかったものではなかったからです。

 ですから、口が利けないと思わせることができれば、それで良いと思ったのでした。


 シルビアの計略は上手くいきました。


〈奴隷袋〉をかぶり、声が出なくなったと信じ、案の定、若い騎士ダームは、シルビアから逃げ出しました。

 そして、公的人権を失ったことで、口座からお金を引き落とせない、と信じさせることができました。


 でも、本当は、シルビアはグレゴリーの奴隷になってはいないし、喉も潰されていませんでした。

 喉を火傷しただけです。

 副団長レフリーが火で炙った針で喉を潰した、と思わせるように振る舞っただけなのでした。

 じつは掠れ声ながら、声を出すことができたのです。


 そして、肝心の〈奴隷袋〉も、シルビア嬢は自分の手で外すことができました。

 契約主人である副団長レフリーから、あらかじめ、「いつでも〈奴隷袋〉を取っても良い」という許可を与えられていたからです。

 もっとも、そのように命じてくれるよう、レフリーにシルビア嬢がお願いしていたのでした。

 おかげでシルビアは、自ら〈奴隷袋〉を脱ぎ去って、父親を鉄製ブーツで踏みつけまくることができました。


 ちなみに、〈従属の首輪〉が嵌められたままなのに復讐できたのは、抜け道があったからです。

〈従属の首輪〉には「契約主人が罪人であってはならない」という規定があったのです。

 兄グレゴリーが他国への内通者と国家が判断した段階で、首輪の主人契約が無効になっていました。

 このダバス王国では裁判はありません。

 上層部が逮捕を決定した段階で、罪人確定となります。

 もっとも、審議の結果、無罪となることもありますが、それまでは罪人と認定されるのです。

 敵国への送金により、兄のグレゴリーが罪人と確定してから、金融機関が取立てを始めるよう、レフリーに設定してもらっていました。

 ですので、義母ダラヌと妹テリーヌが拉致された段階で、すでに〈従属の首輪〉の効力が無効となっていることを、シルビアは悟っていたのでした。


 あとは両親と兄の金を全額、巻き上げるだけです。

 レフリーは腕を組み、当時の状況を思い出します。


「それにしても、『愛国信託基金』ーー架空の投資機関の名称まで指示されたのには、正直、驚きました。

 あの段階では、ご家族が投機的な話に乗ってくれるかどうかも、わかりませんでした。

 貴女に駆け落ちされたくない、と警戒するよりも、さらに前の段階でした」


 ふふふ、とシルビア嬢は少し悪戯っぽく笑いました。


「私が仕掛けた罠に誘い込むために、できるだけ、兄や父の自尊心をくすぐる名前にしたかったんです。

 お国に尽くした英雄として、過分に祭り上げられた、あの兄が、いかにも好みそうなネーミングでしょ?」


『愛国信託基金』という投資機関自体、存在しません。

 すべて、シルビアが絵を描いて、レフリーが言葉巧みに誘導して、グリーンヒル伯爵家の面々にその存在を信じ込ませた、でっちあげでした。

 レフリーがやったことは、ただ父と兄に送金依頼書に署名させて、彼らの口座から、シルビアの口座に、全額移しただけでした。


 シルビア嬢の名義でないと、投資することが出来ないと信じさせて、有り金すべてをシルビア名義の口座に移すことに成功したのです。


 あとは、敵国に内通していた証拠として、敵国の貴族の口座に、兄と父親の名義でお金を振り込むだけでした。

 休戦中とはいえ、国交を断絶している国の銀行に送金すること自体、違法行為であり、これで、兄と父親を犯罪人として騎士団に捕えさせることができたのです。


 父親が死亡してしまったのは予想外でしたが、不都合な証言をさせることもなくなったうえに、父親の血糊がたっぷりついた鉄製ブーツを履かせることで、兄に父親殺しの汚名を着せることまで出来たのでした。


 レフリーは頬を掻きながら笑います。


「残念なことは、先代やグレゴリー卿の資産が思ったより少なかったことですかね。

 何十倍にも増えただなんて嘘を信じさせたんですが、確かに、実際のお金がたいしてありませんでした」


 シルビアも腕を組み、ウンウンとうなずいています。


「父は無能な博打狂いでしたから。

 胴元にとっては良いカモだったんでしょう。

 でも、当座、生活するには困りません」


「そうですね。

 それと、貴女の左手の指ーー折られたそうですね。

 涙目になったダームから聞きましたよ。

 よくぞ痛みに耐えられましたね」


 シルビア苦笑いを浮かべました。


「あれはまったくの想定外でした。

 あのときは奴隷状態だったので、ほんとうに耐えるしかなかった。

 ほんと、あのクソ兄貴、性格悪すぎですよ。

 でも、結局は我が身の世話をしてもらいたいから、数日してから医者を呼んで、わがダバス王国が誇る治癒魔法を施してくれました」


「ほんとうに、ご苦労様でした……」


 そこまで話すと、レフリーは改めてシルビアを正面から見据えて、感嘆の声をあげました。


「それにしても、貴女は、恐ろしいほどの策士でした。

 父や兄から金銭を巻き上げる手管は、じつにお見事です。

 私は、貴女が〈奴隷袋〉をかぶる前に受けた指示に忠実に従っただけですからね。

 それ加えて、貴女はじつに大胆な方でした。

〈奴隷袋〉で隷属させられ、裸に剥かれても、憎い相手の言いなりになりながら、虎視眈々と復讐の機会を狙い続けるとは。

 お兄さんよりも、よほど知謀溢れる将帥であり、勇敢なる戦士です。

 女にさせとくにはもったいない」


 一方で、シルビア嬢の方は少しおどけた調子で応えました。


「いえいえ。

 あなたこそ、優秀な助け手で感心しました。

 これほど状況を見て取って気を配りながら、指示に従って事を実現させるのですから。

 まさに王国貴族の淑女に求められる資質です。

 貴方こそ、男にさせとくにはもったいないわ」


「あははは。

 こりゃあ、一本取られました。

 ああ、そういえば、私の部下ーー騎士ダームが駆け落ちしようとしたことを彼のご両親に報告しました。

 そしたら、案の定、親御さんは激怒しましてね。

 実際、お怒りを鎮めるのに苦労しましたよ。

 知ってました?

 彼、わが国の第七王子なんですよ」


 ということは、親御さんというのは、国王陛下ご夫妻ということになります。


「まあ! そこまで尊い身分の方だとは、思いませんでした」


「はは。

 でも、貴女は最初から、私が口上した、騎士爵身分とは、彼のことを思ってはいなかったようですね」


「ええ。さすがに。

 私が伯爵令嬢ーーしかもあの英雄の妹と知ってなお、平気で駆け落ちを持ちかけるようなお人でしたから。

 少なくとも伯爵以上の爵位が約束されたお方だと」


 シルビア嬢はニッコリ微笑み、改めて深々とお辞儀をしました。


「部下の方が王子ともなると、貴方様も尊いご身分なのですね。

 数々の無礼、お許しください。

〈奴隷袋〉の件にしても、貴方様が私を裏切ったら、この計画は完全に破綻していました。

 貴方様に万事お預けして、ほんとうに良かった。

 ほんとうに、心から感謝しております」


「いえいえ。

 わが国には、貴女のような才覚を持った方が、ぜひ必要でしてね。

 また、何かあったら、お呼びください。

 お力にならせてください」


 若い男女ふたりが、互いに何度も深々と頭を下げあいました。


◇◇◇


 グレゴリー・フォン・グリーンヒル伯爵は、「騎士団の副団長レフリーなる者に騙された」と訴えましたが、誰からも相手にされませんでした。


 副団長レフリーの正体は、じつは王様と年齢が離れた王弟殿下でした。

 おかげでグレゴリー伯爵は、敵国への資金幇助の罪状にあいまって、


「王家に叛意があるのか!?」


 と、さらに嫌疑が深まるばかりでした。


 結局、グレゴリー伯爵が敵国と内通しており、それを咎めた先代を邪魔に思って殺した、と結審されました。

 この結論は、ほとんどがシルビア伯爵令嬢の証言によって構成されたものであることは言うまでもありません。


休戦条約の最中に不穏な動きをしたとして国民の癇に障り、グレゴリーは裏切り者として死刑に処されました。

 最後まで無実を訴えていましたが、誰も同情してくれませんでした。

「裏切り者!」とみなから罵られ、絞首台に向かうまで、群衆から石礫を投げつけられ、血だらけになりました。

 挙句、縛り首となって果てたのです。

 英雄に祭りあげられた男とは思えない、陰惨な最期でした。


 母のダラヌは借金のカタとして、眼、肺、腎臓、それぞれ一つを抜き取られました。

 そうして手術を受けた状態で、シルビア伯爵令嬢が臨時当主となっているグリーンヒル伯爵家に送り返されました。

 シルビア伯爵令嬢が虐待をし返して復讐したとの噂もありましたが、定かではありません。

 とにかく、ダラヌは、あっという間に夫を失い、自慢の息子グレゴリーを国賊扱いにされ、すっかり気落ちしていました。

 なにより、自身の姿がみすぼらしく変わり果ててしまったのを悲観し、結局は自殺してしまったといいます。


 そんな母親に比して、実娘のテリーヌはふてぶてしく生き残りました。

 目玉や腎臓を抜き取られるぐらいならと、自ら娼館行きを志願したのです。

 すぐさま元伯爵令嬢という地位を利用して顧客を集め、娼館一の売れっ()になりました。

 愛犬コロンも引き取って、引き続き可愛がり続けたといいます。


 一方、シルビア伯爵令嬢は、火傷が癒え、声が完全に回復した頃に、副団長レフリーと婚約し、翌年になって結婚しました。


 遠慮がちに接し始めたふたりが恋仲となり、結婚するまで、それなりの時間を必要としましたが、婚姻に際しても、レフリーは彼女に首輪をつけず、そのまま式場に参列した人々の目の前で、熱い抱擁を交わして愛を誓い合ったそうです。


 王弟殿下の許に嫁いだのですから、シルビアは王族になったのです。

 後年、夫のレフリーが宰相になった際には、彼女の強い働きもあって、隣国との停戦と平和条約の締結が実現しました。

 さらに、三人の子育てが終わった頃、自ら法務省に勤める官僚となって活躍しました。

 シルビアの残した功績は多岐に渡りましたが、特に、戦傷者や退役軍人への保証を手厚くすると同時に、その者を介護し、世話をする人の名前を軍に登録させ、その人に年金や補償金を配給するよう法律を改正することに尽力したといいます。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。

 今後の創作活動の励みになります。


 なお、すでに幾つかのホラー短編作品を投稿しております。


『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

https://ncode.syosetu.com/n4926jp/


『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

https://ncode.syosetu.com/n7773jo/


『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

https://ncode.syosetu.com/n6820jo/


『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

https://ncode.syosetu.com/n2323jn/


『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

https://ncode.syosetu.com/n1348ji/


『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

https://ncode.syosetu.com/n1407ji/


 などを投稿しております。

 こちらも、楽しんでいただけたら幸いです。

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あまりホラー感はなさそうに思いますが...。
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