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第6話 肉体改造

女になって2ヶ月がたった。オレは今ジムに来ている。ランニングマシンとかウエイトトレーニングの用具がおいてあるあのジムだ。


どうしてオレがこの場所にいるのか、それはちょっと前に筋力の低下を実感したからだ。あれは、いつもの日課のミネラルウォーターを買いに行ったときだった。


ミネラルウォーターが入ったケースを持ち上げようとした瞬間、かつてのオレなら何の苦もなく持ち上げられたはずの重さが、今の身体では異様に重たく感じられたのだ。あのとき、オレは初めて本当に「女になってしまった」という現実を突きつけられたような気がした。


男のころは、筋力なんて意識せずともそれなりに強かった。けれど、今の身体は違う。細くてしなやかな腕や脚は、見た目こそ悪くないが、力を入れたときの感触は男のときとは全く違う。それは、ミネラルウォーターを持ち上げるときだけじゃなく、毎日のちょっとした動作で少しずつ感じていたことだった。


それがきっかけで一念発起し、今オレはジムにいるのである。ランニングマシンに乗り、軽快なテンポで走る。ランニングは昔から嫌いじゃない。昔よく外で遊んでいた頃のことを思い出し、懐かしい気持ちになる。少し興味が湧いた。この身体でどれだけ走れるだろうか。


最初は軽めのスピードで走り始めたが、思ったよりも軽快に動けたのでペースを上げる。次第に心拍数が上がり、息が切れ始めた。いまどれくらい走ったのかを確認する。そこにはおおよそ5キロくらい走ったと表示されていた。意外なことに男のときの自分より、楽に長い距離を走れることがわかった。体が酸素を求める苦しさと共に、オレは運動の楽しさと自分の身体の変化を感じた。


その傍ら、ぜえはあぜえはあと息を荒げて膝に手を置き苦しそうにする玲奈がいた。


なんで彼女がここにいるのだろうか。どういうわけかオレがジムに来るとわかったらしい。ランニングを始めたときには誰もいなかったのだが、ある程度走って程々でちょうどいいかなと思ったときに横を見るとそんな状態の彼女がいた。


「えっ、あー、あなたもきてたんですね。その、おはようございます。」


玲奈が来るとは想定していなかったため、他人行儀になってしまう。


「ぜえ、おは、はぁ、んっ。おはよ、う…、ござ、います。」


息も絶え絶えという感じで彼女は挨拶を返してきた。途中から来てたわけだから走った距離はオレよりも全然短いはずだ。どうやら体力は彼女の弱点らしかった。


彼女は非常に高い情報収集能力や行動力を持つところしか見たことがなく何も欠点がない人間だと思っていた。少し人間離れいているところが恐いとまで思っていたオレにとって、彼女のこんな様子は少し意外だった。


目の前の彼女の呼吸は整うまでにまだしばらく掛かりそうだ。それを放置するわけにもいかず、ベンチに彼女を案内した。


玲奈をベンチに誘導すると、彼女はしばらく無言で呼吸を整えていた。オレは彼女の隣に座り、ただ彼女の呼吸が落ち着くのを待っていた。


「ありがとうございます。助かりました。」


やっと呼吸が整った玲奈が、小さな声で感謝を伝える。顔が少し赤くなっているのは、走ったせいだけではないだろう。彼女がこんな風に弱さを見せるのは珍しい。オレはそのことに気づき、少し不思議な気持ちになった。


「どういたしまして。でも、どうしてジムに来たんだ?」


玲奈は一瞬ためらったが、すぐに視線を落として答えた。


「実は…このジムに入っていくあなたをたまたま見かけたからです。」


「そう、たまたまね。」


彼女がオレを追いかけてきたのは偶然だというが、その偶然が続きすぎている。オレは少しの不信感をにじませた相槌を返した。彼女はオレを友だちとして好意を向けてくれいていることは理解しているのだが、時々行き過ぎている事がある。この前、一緒に温泉に行ったあとからは、こうしてたまたま同じところにいる頻度が非常に多くなった。


「あなたの隣が空いていたので、ランニングマシンを使ってみようと思ったのですが、自分の体力を把握できていませんでした。」


あまりオレの様子は確認せずに、彼女は言葉を続けた。


「玲奈さ、わたしを見かけたからって、毎回ついて来るのはほどほどにしてくれよ。」


彼女の発言には付き合わずに、露骨に会いに来ることをたしなめる。予想もしていなかった拒絶の言葉に彼女は少しぎょっとした表情を浮かべたが、言葉をよく噛み砕いたのか少しうれしそうな表情になった。


「ほどほどに、ということは…ついて行くのは構わないってことですか?」


玲奈の反応に、オレは言葉を失った。彼女が嬉しそうにしているのを見て、オレの言い方がどうやら違った意味で捉えられたようだ。


「いや、その…できればいきなりそばにいるのは止めてほしいというか、ちょっとは自分の時間も欲しいっていうかさ。」


オレは少し慌てながら弁解したが、玲奈はますます嬉しそうだった。その様子に、オレは自分が彼女に対して以前よりも心を許し始めていることに気づいた。最初に彼女に出会ったときであったらもう来ないでくれと言っていたところだろう。


「そういえば、あなたはどうしてジムに来ているんですか?」


これ以上、この話題を深堀りたくなかったのか彼女は少し早口だった。


実は…。彼女にはオレがジムに来ることを決意した経緯を話した。もちろんオレが2ヶ月前まで男として生活していたことは伝えていない。


すべてを話し終えると彼女は少し笑った。


「筋力が弱いことを感じてジムに来ているのに、ずっとやっていたのはランニングマシンなんですか。筋力を鍛えるんだったらまずウエイトトレーニングだと思いますが。」


無知なことをからかう意地悪な笑顔だった。そこを指摘されて、顔のほてりを感じた。


「それはわかった上で、ウォーミングアップをしてたんだよ。」


オレはちっぽけなプライドを守るためにそんな言い訳をした。


「なるほど、ウォーミングアップですか。それじゃ、次はウエイトトレーニングをしましょうか。」


玲奈はまだ笑みを浮かべながら、軽い調子で言った。


玲奈に連れられて、オレはウエイトトレーニングのエリアに移動した。周りを見渡すと、そこには筋骨隆々とした人々が汗を流しながらトレーニングに励んでいる。オレは少し気後れしながらも、玲奈と相談して軽いダンベルを手に取った。


「このくらいなら、いけるんじゃないですか?」


玲奈が指差したダンベルは、昔のオレなら片手で軽々と持ち上げられるはずの重さだった。しかし、今のオレにはそれが異様に重く感じられた。


オレは息を整えてから、意を決してダンベルを持ち上げた。筋肉が引き攣るような感覚と共に、ダンベルはなんとか持ち上がったが、すぐに腕が震え始めた。顔を赤くして必死に頑張ってみたものの、数回上げ下げしただけで限界を迎えてしまった。


「…思ったよりも重いな。」


オレは肩で息をしながら、悔しさを隠しきれずに呟いた。かつての自分ならこんなことで息を切らすなんて考えられなかった。それだけに、自分がどれだけ変わってしまったのかを改めて実感させられる。


玲奈はオレの様子を見て、少し心配そうな表情を浮かべた。


「すこしつらそうなので、もう少し軽い重さにしたほうがいいかもしれませんね。」


「いや、大丈夫。もう少し頑張ってみる。」


そんなことを言っても重いものは重いので、オレは彼女の助言どおり、今度は少し軽めのダンベルを使うことにした。だけど、また同じようにすぐに腕が震え始める。


意気消沈するオレを見て、玲奈は優しい声で言った。


「筋力をつけようと躍起になることはいりませんよ。もしものときは私が助力しますから。」


その言葉に、オレはダンベルを強く握った。オレが女になってからはずっと彼女に助けられている。男として女の子にずっと頼り切りになるなんて受け入れられない。


そんなことがあってから、オレは定期的にジムへと通うようになった。


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