第5話 初デート
いよいよ約束の日時を迎えた。モールに入っているおしゃれなカフェに入った。
オレは時間を守ることがポリシーなので30分も前についてしまった。仕方ないので一人で先に入っておくことにした。
カフェの入り口をくぐった瞬間、違和感が体中を包み込んだ。壁に掛かるアート、微かに漂うコーヒーの香り、そして、周囲の人々の視線——。オレの自意識は男のままなのに、ここにいるのは明らかに女の子だけだ。
目の前のカウンターに並ぶカップケーキや、木のテーブルに置かれたキャンドルは、なんだか場違いな気がしてならない。オレが知っている日常とはまるで別の世界に迷い込んでしまったようだ。
周りの目が気になって、つい目を逸らしてしまう。こういう場所は初めてなので全てが新しく、そして、少し怖い。一人でカフェにいるのに、まるで誰かの視線に晒されているようで、落ち着かない。
スマホを取り出して、時間を確認するが、まだあと20分はある。オレのポリシーが裏目に出た、そう思わずにはいられなかった。
「こんな所で一人ってどうすればいいんだろう……?」
そう思いながら、目の前のメニューを手に取るが、文字がやけに小さく、読みにくく感じる。手の震えを隠すために両手でしっかりと握りしめたが、頭の中はぐるぐると考えが巡るばかりだ。
隣のテーブルでは、笑い声が響いていて、それがますますオレを焦らせる。こんなことなら、もう少し遅く来ればよかったと後悔するが、時間は戻せない。
「早く来すぎたかな……。」
心の中で呟くが、その声は虚しくもカフェの喧騒に飲み込まれてしまった。
「お待たせしました。先に入ってたんですね。」
遅れて入ってきた時間ぴったりにやってきた。先に店に入っているのが何やら意外なようだ。
「貴女がこんな店に来るところなんて見たことがないので、てっきり外で待っているものだと思っていました。」
彼女は自分がこんな場所を苦手なことを知ったうえで、あえてここを選んだとでも言いたげな、意地悪な笑みを浮かべていた。
「知りたいこともたくさんあると思います。ひとまず、ここでゆっくり話しましょうか。」
そう言って、シンプルなブラックコーヒーを注文していた。
彼女は理知的な雰囲気を漂わせており、装飾的なあしらいのない、シンプルな服を着ていた。彼女自身がこの店を選んだのに、あまりマッチしていない感じがした。
彼女の言葉に、オレは曖昧に頷いたが、心の中は動揺していた。彼女が自分をどれほど知っているのか、そしてこれから何を聞かれるのか、想像がつかなかったからだ。
「そうだね、ここで話そう。」
と言いながら、オレはなるべく平静を装おうとした。
彼女は席に着くと、まるでオレを観察するように目を細めた。まるでオレの内側まで見透かすような視線で、心臓が一瞬、止まりそうになる。
「露骨に警戒してますね。ちょっと傷ついちゃうかもしれません。」
彼女は静かに問いかけた。
「別に、警戒してるわけじゃないよ。少し緊張してるだけ……」
「意外と小心者なんですね。いつも堂々としているように見えたのは気のせいだったんでしょうか。」
「そ、そうかな……。」
オレは言葉を濁す。確かに、彼女の言う通りだ。男だったときからこんな事体のときには動揺していただろう。少し落ち込んだ。
彼女は、まるで何かを確かめるようにしばらく沈黙してから、微笑んだ。
「でも、そんなあなたも悪くないです。貴女の新しい側面をしれた。これは新鮮です。やはりもっと早くから話しておけばよかったですね。」
その言葉に、オレは一瞬言葉を失った。まさか彼女がそんなことを言うとは思ってもいなかったからだ。
「そうだ、自己紹介がまだでしたね。」
彼女が急に話を切り替える。
「私は高橋。高橋玲奈といいます。あなたのことを色々と聞いてきたけど、こうして直接会うのは初めてですね。」
「ええ、そうだね。オレ、じゃなくて、私は……。」
言葉が詰まった。自分の名前を言うのが、こんなにも難しいなんて。
「私は、高坂悠真です。よろしく。」
「悠真さん、ですか。いい名前だと思います。少し男っぽいところ感じもしますね。」
椎名は微笑みながら言った。
「ありがとう……。」
オレは小さく頷いた。女になったあとに初めて自分の名前を名乗ったが、予想以上にこわばってしまった。だが、玲奈の微笑みを見て、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「さて、悠真さん。」
玲奈はテーブルに肘をつき、オレの方に身を乗り出した。
「もうご存知かもしれませんが。私はあなたのことについて、結構知っているつもりです。貴女は何か私のことについて知りたいことがありますか?」
その言葉に、オレは緊張感を取り戻す。ここからが本番だと、覚悟を決めた。
もちろん聞きたいことなんて山程ある。どうしてあの日、告白してきたかとか。自分のことはどれくらい知っているのかとか。過去問をくれたり、トイレで助けてくれたのは貴女だったのかとか。
今日は1日中時間があるんだ。根掘り葉掘り聞いてやろう。彼はそう決意した。
「じゃあ、まず聞きたいんだけど。いつからオ、いやわたしのことを知ってたの?」
オレは少し言葉に詰まりながらも、気になることを率直に聞いた。玲奈の視線が鋭く、どこかすべてを見透かされているようで、少しだけ緊張した。
「それは、入学して少しした頃です。食堂ですごくかっこいい貴女を見つけたので夢中で追いかけました。」
彼女は過去を思い出すかのように微笑みながら話した。彼女の笑顔は柔らかく、しかしその目は真剣だった。彼女の言葉が冗談ではないことがオレにも伝わってきた。
「君って今、何回生?」
玲奈の年齢を確認するために尋ねたが、どこか他人行儀な自分がいた。いつもなら自然に聞ける質問も、今は言葉を選んでいるようで、ぎこちなさが拭えない。
「1回生です。」
玲奈は少し誇らしげに言った。それを聞いた瞬間、オレは少しホッとした。年下の彼女がここまでオレに興味を持ってくれていることに、驚きと嬉しさが混ざった感情が湧いてきた。
「じゃあ、1個下か。」
オレは小さく頷きながら、玲奈が見せる無垢な好意にどう対応すればいいのか考えていた。年下である彼女の思いが、今までのオレの人生にどう影響を与えたのか、そんなことを考えると少しだけ戸惑った。
「それじゃあ本当に一目惚れみたいな感じで自分を見かけて、ずっと追いかけていたと。」
オレの言葉に、玲奈は笑顔で頷いた。その笑顔には純粋さがあり、オレの心に染み入るようだった。彼女の一途な思いに、オレは少しだけ困惑していた。
「はい。名前なんかは講義にもぐって聞いたりしてました。」
玲奈の声が一層低くなり、少し恥ずかしそうに話す姿が印象的だった。彼女の言葉に、オレは驚きとともに、どこか温かい気持ちになった。こんなにも自分のことを知りたがっていたのかと、少しだけ胸が熱くなった。
「他に、いろいろ追いかけていることとかある?」
オレは少し意識して声を落とし、彼女の話をもっと引き出そうとした。玲奈が自分に向ける好意がどこまで及んでいるのか、確かめたかったのだ。
「そうですね。こう言うと、その、もうやばくなっちゃうかもしれませんが、貴女の行動をずっと…、ずっと追いかけています。」
玲奈の言葉が重たく響いた。彼女の告白にオレは少し動揺したが、彼女の純粋さを感じ、どうしても彼女を拒むことができなかった。追いかけられていると知って、心の中で警戒心が生まれつつも、その裏に隠れた玲奈の真剣さに気づいていた。
「そ、そうか。」
オレは気まずさを隠しきれず、視線を少し逸らしながら答えた。玲奈の目がオレを捕らえて離さない。彼女の真剣な眼差しに、オレは戸惑いながらも惹かれていく自分を感じていた。
「それで、どうしてあの日急に友達になろうと告白してきたの?」
オレは心の中にある疑問をそのままぶつけた。玲奈の意図が知りたかった。あの時、どうして自分に近づこうとしたのか、その答えが今のオレには必要だった。
「それは、貴女がどこか遠いところに言ってしまうような気がしたからです。」
玲奈の言葉に、オレは予想外の答えに驚いた。遠いところに行ってしまう? 彼女は何を感じ取っていたのだろうか。オレ自身も気づいていなかった何かを、彼女は感じ取っていたのだろうか。
「遠いところ、か。」
オレはその言葉を繰り返しながら、彼女の真意を探った。玲奈の言葉には深い意味が含まれている気がして、オレはその意味を理解しようとした。
「はい。ちょっと上手く言葉にできないのですが、貴女は何かが変わったような感じがしたんです。」
玲奈はまっすぐオレを見つめながら言った。その瞳には不安が映っていて、彼女がどれだけ真剣にオレのことを考えていたのかが伝わってきた。オレはそれに気づかずにいたことを少し後悔した。
「そうなんだね。」
オレは彼女の言葉を噛み締めながら、静かに答えた。玲奈がオレに感じた変化とは何だったのか、その答えはオレ自身もまだ見つけられていなかった。
「私にはそれがどうにも耐え難かった。」
玲奈の声が少し震えているのがわかった。彼女がオレに対して抱いていた不安や焦り、それが彼女を動かしたのだろう。オレはその気持ちにどう応えればいいのか迷っていた。
「追いかけていた人が変わったから?」
オレは慎重に言葉を選びながら問いかけた。玲奈がオレに感じていた変化が、彼女にとってどれだけ大きなものだったのか、それを知りたかった。
「いいえ。たとえ貴女がどんな人になろうとも私の気持ちは変わらないでしょう。でも、貴女は私に気づきどこか離れたところに消えていってしまうかもしれない。そんな不安が私を動かしたんです。」
玲奈の言葉に、オレは胸が締め付けられるような思いを感じた。彼女の不安が、彼女の行動の原動力となっていたのだと、オレはようやく理解した。
彼女の思いが伝わってきた。どうしてあのとき声をかけてきたのか。その理由はおそらく、オレが突然女になったようなあの現象と関わりがあるのではないか。そう直感した。
それにしても思いが重いな。彼女は自分がはじめから女だと思って自分に接してきているから、これは友達になりたいという意思表示だよね。
女子の交友関係は深いんだな。オレは彼女の様子からそんな感想を持っていた。
はじめはぎこちない会話だったが(こちらが一方的にぎこちなくなっているだけだったかもしれないが)、いまは話も盛り上がり和やかな空気になってきている。
もう1時間以上はたっただろうか。いろいろと質問をしてみた。テストの過去問をくれたのはとか、トイレで助けてくれたのはとか。結果手には全部彼女のおかげだったことがわかった。
身の周りの現象に少し説明がつき安心することができた。心的疲労はこれから少なくなりそうだ。
話が一段落したとき、彼女から驚きの提案があった。
「そうだ、これまでご迷惑をかけてしまったので、お詫びに一緒に温泉に入りませんか。」
まるで自然な日常会話のような流れで彼女は爆弾発言をぶち込んできた。彼女の顔を見るけれど表情は何一つ変わっていなかった。
「えっ、あっ、うん。」
オレの思考は回っていなかった。こんな重要な局面なのに肯定も否定もしない曖昧な返事をしてしまう。多分旗から見たら、目線もあちこち動いて相当落ち着きのない感じだろう。
「じゃあ、おすすめのところを紹介しますね。」
彼女はガバっと席を立つと、会計カウンターに足早に向かっていく。
「いやっ、ちょっと…。」
そんな彼女の後ろ姿に手を伸ばす。でも人の誘いを断ることは難しいという葛藤からか、体も声も自分の思うようにはコントロールできなかった。
彼女に続いて自分も会計を済ませ店を出る。ちらりと後ろを向いてオレが外にできたことを確認すると、スタスタと迷いなくあるき出した。
結構速歩きだな。追いつくのも少ししんどいくらいのペースで歩く様子は彼女の性格を少し反映しているように思えた。彼女は多分悪い人ではないのだろう。でも、行動力が限界突破しているというか、一度決めたら猪突猛進でせっかちなところがある。
どうしよう。このままじゃまずいことになる。顔に汗が一筋伝う。夏の炎天下を歩いているための汗だけではない。
彼女の提案をすぐに断れなかった手前、目的地についてから、やっぱり行きませんと断るのは気が引ける。でも、前を歩く彼女に話しかける勇気もない。
大胆な玲奈と違って、悠真の人付き合いはそんな感じで受け身になることが多かった。だからこそ大学でもあまり友人がいなかったかもしれない。
ここで声をかけられない以上、避けられない問題が向かってくる。女になってから公衆浴場に行ったことは今までない。温泉が嫌いなわけではない、むしろ好きな方だ。下宿先の近くに銭湯があるので週1くらいで利用していた。
でも、女になってから1ヶ月が経つけれど、一度も行くことはなかった。考えても見ろ、女として産まれたことになっているとはいえ、オレの精神は少し前まで男だったんだ。男が女湯に入るなんてことをしたら犯罪だ。絶対にそんなことをしちゃいけない。
そういう強迫的な観念もあり、温泉に行くのは問題があったのだ。だが、目の前の彼女はそんなこと知っちゃいない。正直にあったことを伝えたって信じてはもらえないだろう。
オレはこの状況を受け入れざるを得なくなってしまった。
「ここです。結構趣深いところですよね。」
ついにその時がやってきた。
オレは一歩引きながら、目の前に広がる温泉施設を見つめた。玲奈が笑顔で振り返るが、その表情はどこか悪戯っぽく、オレの心臓が一層早く鼓動し始める。
「さて、入りましょう。」
玲奈は無邪気に言いながら、スリッパを揃えて脱衣所へと向かう。オレは何も言えず、ただその背中を追いかけるように歩くしかなかった。
脱衣所に入ると、やわらかなライトに照らされた木目の床と、整然と並んだロッカーが目に入る。ここに来たことを後悔しつつも、もう後戻りはできないと感じた。玲奈はすでにロッカーを開けて、洋服を手早く脱ぎ始めていた。
オレは彼女に気づかれないように目を逸らし、隣のロッカーを選んで服を脱ぎ始める。だが、指先が震え、ボタン一つ外すのにも時間がかかってしまう。なんとか上着を脱ぎ終えたものの、全身が熱くなり、まるで他人の目がすべてオレに向けられているような錯覚に陥る。
「大丈夫ですか?」
玲奈の声に、オレはハッと我に返った。彼女はタオルで身体を軽く隠しながら、心配そうにこちらを見つめていた。
「顔が赤いですが、少し疲れたりしていますか?」
「う、うん、大丈夫だよ。」
オレは慌てて答えるが、声が裏返りそうになるのを必死に抑えた。目の前の玲奈の姿が顔の赤らみの原因だと悟られたくなかった。
オレはゆっくりと服を脱ぎ続けるが、鏡に映る自分の姿を見るのが怖くて仕方がない。自分が今、どう見えているのかを直視できないのだ。女湯に裸の女の子、興奮で体中に血液が巡りだす。玲奈がすぐそばにいると思うと、さらに緊張が高まる。海綿体の充血は避けることができないだろう。
「無理はしないでくださいね。」
玲奈は優しく微笑んでから、オレに気を使って先に浴場へと向かった。その後ろ姿が見えなくなると、オレはようやく一息つくことができた。
自分の身体を抱きしめるようにして、なんとか脱衣を終える。おそるおそる自分の体を確認したとき、オレは体が女であることに心底感謝した。タオルを手に取り、できるだけ身体を隠して浴場へと向かう。扉を開けると、もやもやと立ち込める湯気と共に、湯船の音が耳に飛び込んできた。
「こっちですよ、悠真さん。」
玲奈が手を振っている。オレは仕方なく、彼女の隣へと歩み寄る。湯船に入る瞬間、なぜか自分の身体が硬直し、冷や汗が流れる。
「お湯につかるのは気持ちいいですよね。」
玲奈はすでにリラックスしているようで、湯船にゆったりと身体を沈めている。それを見たオレは、自分も早く湯に浸かろうとするが、どうしても湯に足を入れることができない。
「入らないんですか?」
玲奈が不思議そうに聞いてくる。その目がまっすぐで、オレはどうしても彼女の視線に耐えられず、視線を壁に向けた。
「うん、いや……、うん、入るよ。」
オレは答えるが、足がすくんで動かない。仕方なく、壁を見ながら、ゆっくりと湯に足を浸けていく。熱い湯が肌に触れるたびに、自分の感覚がますます鋭くなっていくような気がした。
「さっきから壁ばかり見ていますが、落ち着かないですか?」
その言葉にオレは何も答えられなかった。ただ、湯に浸かりながら、心の中でこれまでの激動の一ヶ月を振り返っていた。
いつまで、こんな日々が続くんだろうか……。
先の見えない未来のことを考えたって埒が明かず、オレはただ玲奈と一緒に湯船に浸かりながら、壁を見つめ続けていた。