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第27話 幸せ

「悠真さん、お背中流しますよ。」


湯船に使ってゆっくりしたとき、彼女はそんなことを言ってきた。


「いやいや、浸かる前に一通りは洗ってるんだから大丈夫だよ。」


「私がそうしたいんです。駄目ですか?」


彼女は食い下がってきた。そんなうるうるとした視線でこちらを見つめられると困ってしまう。断れないじゃないか。オレは仕方なく彼女の望み通りにしてあげることにした。


「わ、わかったよ。じゃあ、頼むよ。」


そう言いながらも、なんだか変な緊張感が湧き上がってくる。玲奈はオレの背後に回り、タオルを手に取りながらにこりと微笑んだ。その笑顔は、なんというか、少し得意げで、ちょっとだけ悪戯っぽい。


「では、失礼しますね。」


彼女の手が、タオル越しにそっとオレの背中に触れた瞬間、思わず息を飲んでしまった。自分でも驚くほど、背中に伝わる感覚が敏感になっていることに気づく。玲奈は優しい手つきで、丁寧に背中を擦ってくれている。泡立つ石鹸の香りが、湯気に溶け込んで心地よい。


「気持ちいいですか?」


玲奈が尋ねる声は、どこか親しげで落ち着いたものだが、その中に何か意図的なものが含まれているように感じられる。オレは気まずくなりながらも、できるだけ平静を装った。


「まあ、悪くないかな。」


「ふふっ、よかったです。悠真さん、もっとリラックスしてもいいんですよ。」


彼女の言葉にオレは一瞬反応が遅れた。


「リラックスって…お前、何考えてんだよ。」


玲奈は答えず、ただ微笑みながら背中を流し続けていた。その沈黙が余計にオレを意識させ、湯船の暖かさ以上に顔が熱くなっていくのを感じた。


そんなときガラガラと扉が開かれる音がした。同時に姦しい様子で中に入ってくる3人組がいる。


オレは思わずそちらの方に目を向けてしまいそうになった。


「悠真さん!駄目です!」


彼女は慌ててオレの目を塞いだ。


「見てくれるのは私だけのはずでしょう。」


理不尽なのだが、彼女がオレを求めていることが伝わってきた。しかし、オレはジタバタともがく。


「玲奈!目にっ、泡が!!痛い、痛いから!」


「あっごめんなさい!すぐ流しますから!」


玲奈が慌ててオレの顔を両手で支え、シャワーを素早く手に取って泡を流してくれた。その動作に余裕はないが、どこか必死で可愛らしい。泡が落ちて視界が戻ると、オレは目をしばたたきながら玲奈を睨んだ。


「ちょっと痛かったよ!」


ムスッとハムスターのように頬をふくらませる。なぜか無意識にこんなことをやりたくなっていた。


「す、すみません…でも、悠真さんが他の人に目を向けるなんて…私、ちょっと嫉妬しちゃいました。」


玲奈はしゅんとした表情を見せながら、恥ずかしそうにうつむいた。そんな様子を見ると、怒る気持ちも少しずつ和らいでいく。彼女の独占欲がどこか子供っぽくて、思わず苦笑してしまう。


「まぁ、わからなくもないけど…ちょっとやりすぎだろ。」


「…はい、反省します。でも、悠真さんが他の誰かに目を奪われるなんて、私には耐えられません。」


玲奈の真剣な眼差しがオレに向けられ、その言葉に心が少し揺れる。それほど、彼女の中ではオレは大きな存在なのか。


「お前、本当に俺のこと…」


言いかけたところで、オレは言葉を飲み込んだ。答えを聞くのが怖かったのかもしれない。玲奈は何も言わず、静かに微笑んだまま、タオルを持ち直してまた背中を流し始めた。その動作が、さっきよりも少し優しく、そして丁寧に感じられた。


「もう少し、ここでゆっくりしていきましょうね、悠真さん。」


玲奈のその言葉に、オレはただ無言で頷いた。湯気とともに包み込む静かな時間が、何故か少し心地よく思えた。




部屋に戻ると、席に豪華な夕食が用意されていた。さすが人気の旅館なだけあってどれも美味しそうだ。


「すごいな…まるで豪華な宴会だな。」


オレは食卓に並ぶ料理を見て、思わず感嘆の声を漏らした。色とりどりの刺身や煮物、湯気が立ち上る鍋料理に、目を引くような美しく盛り付けられた前菜たちがテーブルいっぱいに広がっている。玲奈も席に着き、満足げな表情を浮かべている。


「ここの料理は評判なんです。せっかくですから、悠真さんにもたくさん食べていただきたいと思って。」


「いや、こんなに豪勢だとは思わなかったよ。どれから手をつけるか迷うな…」


玲奈がそんなオレの様子を見て、くすっと笑った。


「迷ってしまいますね。では、私が先に少し取り分けますね。」


玲奈は慣れた手つきで器に刺身を並べ、小さな取り皿に盛り付けてオレの前に差し出した。器用に扱うその姿を見て、オレはふと考える。玲奈がここまで自分に尽くしてくれる、自分を気にかけてくれている。その気持への感謝とそれに答えたいという思いが強くなっていった。


「ほら、どうぞ。悠真さん、まずはこのお刺身を。」


「…ありがとう。」


オレは差し出された刺身を口に運び、口いっぱいに広がる新鮮な魚の旨味に思わず目を見開いた。


「うまい…さすがだな、これ。」


「気に入っていただけてよかったです。」


玲奈は微笑みながら、オレの反応をじっと見つめていた。その視線がどこか意味深に感じられて、オレは少し落ち着かなくなる。


夕食は静かながらも和やかに進んでいったが、玲奈がふと真剣な表情を浮かべて、静かに口を開いた。


「悠真さん、今日一緒に過ごしていて、改めて思ったんです。私、悠真さんのことが…本当に大切だって。」


その言葉に、オレは箸を止めた。玲奈の瞳は真っ直ぐで、そこに嘘はない。食事の間、何度も感じていたその視線に、オレの心が揺れる。


「…玲奈、前にも言ったけどこの前までオレは友達として好きな人だと思ってた。でも今はこんな自分を恋人として好きになってくれるのが嬉しいよ。でもいいのかこんな自分で…。」


玲奈は静かに首を振った。


「いいえ。前にも言いましたが、悠真さんの精神が男でも女でも、私の気持ちは変わりません。私にとって、悠真さんはずっと特別な存在です。」


その言葉に、オレは何も言い返すことができなかった。玲奈の本気の想いが、まっすぐオレに突き刺さっていたからだ。


玲奈の強い言葉を聞いて、オレはしばらく黙ってしまった。今の自分に対して、彼女はこれほどまでに真剣で、迷いのない気持ちを持ってくれている。それが痛いほど伝わってきた。


「…オレ、本当にお前に感謝してるんだ。」


オレはそう言いながら、改めて玲奈の目を見た。彼女の瞳には少しの揺らぎもなく、ただ真っ直ぐにオレを見つめ返してくる。


「悠真さん…。」


玲奈がそっと手を伸ばし、オレの手に触れた。その手は温かく、オレの心の中にある不安や迷いを少しずつ溶かしていくような感覚があった。


「私は、どんな悠真さんでも…一緒にいたいんです。だから、そんなに自分を責めないでくださいね。」


玲奈の言葉に、オレは一瞬胸が締め付けられるような気持ちになったが、同時に安心感も覚えた。彼女はオレの全てを受け入れてくれると言っている。それならば、自分も少しずつ素直に向き合っていくべきなのかもしれない。


「ありがとう、玲奈。本当に…ありがとう。」


その瞬間、夕食の間に流れていた少し緊張した空気がほぐれ、部屋全体がふんわりとした温かさに包まれたように感じた。


「さ、これからデザートもありますよ。楽しみにしていてくださいね。」


玲奈はいつものように優しい笑顔を浮かべて、次の料理を手際よく用意し始めた。その姿を見ながら、オレは静かに息を吐き、心の中で新たな決意を固めた。


これからも玲奈と一緒に、この奇妙で新しい日常を受け入れていこうと。



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