第26話 旅行
前にあったとき以来、玲奈は大学でオレと過ごす時間が再び長くなった。そんなときに彼女はオレに提案してきた。
「今度、三連休があるじゃないですか。そこでここの温泉地にいきませんか。」
彼女からパンフレットを手渡される。彼女の持っている方はかなり読み込まれたのかくしゃくしゃになっており、彼女がオレを思っていくれていることに嬉しくなる。
オレは二つ返事で「うん!行こう!」と答えてしまっていた。
家に帰って彼女に渡されたパンフレットを詳しく読み返す。内容は2泊3日の旅行ツアーというものだった。しかも、ここから申し込むと料金が5%安くなる親切設計だった。
ペア限定という文字がデカデカと右上に書いてある。大体こういうのはカップルのことなのだろうが、多様性を受け入れようとする今の世間に迎合してか男女という指定はなかった。
こんなことを気にしなければいけないのか、とすこし落ち込む。まだ社会は変わり始めたばかりであり、すべての人が楽にいきられるわけではないのかと思った。こんな当事者になってみないと考えることすらできなかったことを思い返し、社会が変わるのはまだまだ先だろうと思慮を巡らせた。
この温泉地までは電車旅だ。そして旅館に泊まって、温泉を巡り続けるような日程だった。
なんとも彼女がすきそうな旅程だ。それを考えるとオレは少しうれしくなった。
金曜日の授業が終わり、教室のところどころからお前三連休なにやるのといった会話が躱され始めた。
オレは気持ちを高ぶらせて、玲奈に「いよいよ明日だね。」とメッセージを送る。明日が楽しみで仕方がない。こんな気持になったのは久しぶりだった。
「待ち合わせは多分ここだったけど。」
オレはパンフレットとスマホとにらめっこしながら駅まで辿り着いた。電車が出発するまであと15分くらいだろうか。十分時間を残せて間に合ったとオレは感じていた。
しかし、彼女はそうではなかったらしい。玲奈はオレを見かけると「もう、遅いですよ。心配しました。」と声を掛けてきた。
そして少し不安げに「もう来ないかと思いました。」と一言をこぼした。オレは自分が彼女を心配させていたことを反省する。
「ごめん。間に合えば大丈夫かなと思って。何分頃につくとか連絡すればよかったかな。」
「そうしていただいた方がありがたいです。」
すこし怒り気味でムスッとしているがそんなところもかわいいと思えた。
「はい、これがチケットです。時間指定の特急券なんですから、遅れたらどうしちゃうのかとヒヤヒヤしましたよ。」
「ありがとう。次から気をつけるよ。」
オレはなんとか彼女に機嫌を取り戻してほしくて、へこへことあやまってばかりだった。
特急なんて乗るのは初めてだ。あまり鉄道にも興味がなかったし、遠くに行くときの新幹線は確か特急券と書いてあったとおぼえているくだいだろうか。
到着した列車に乗り込むと、そこはホテルかと思わせる内装が広がっていた。
「すごいですね!」
彼女はそれを見て少しはしゃいでいた。
「そうだね。」
その気持にはオレも共感していた。こんな機会でもない限り、特急列車なんて乗ることはないからだ。
「えーと、ここですね。」
すこし豪華で幅の広い、贅沢な皮を貼ったようなシートに座る。列車の座席がこんなにふかふかだったのは初めてだった。
「うわっ、鉄橋をわたってますよ。」
二人で外を眺めていると、玲奈は発見したことを逐一オレに報告してきた。なんだか、それが嬉しくて、非日常なのにいつもの日常が戻ってきたと感じてオレはテンションが上がっていた
客室乗務員がからからと社内販売を押して歩いていることに気がついた。どうやらアイスクリームを売っているらしい。車内限定という言葉に釣られて、オレと玲奈の机にはそれが乗っかっていた。
「せっかくの旅行だしぱーっといこう。」
オレはこころおきなくこの旅を楽しんでいた。
特急列車にもそろそろ飽きてきた頃に、目的地の温泉街へと到着した。
木造建築が互い違いにせり出している様子は圧巻だった。まるでこの入口が異世界へのゲートのように感じられたほどだった。
「すごい…!」と、オレは思わず感嘆の声をもらす。温泉街の風景は、写真で見るのとは全く違う、圧倒的な存在感があった。空気が澄んでいて、木の香りが漂い、静かな温泉の湯けむりが立ち上る様子は、都会の喧騒から一気に切り離された感覚を与えてくれる。
「綺麗ですね…まるで別世界みたいです。」
玲奈もまた、目を輝かせながら周囲を見渡していた。その言葉にオレも同意する。実際、ここまで来ると日常から解き放たれた気分になる。
「さて、まずはチェックインしましょうか。」
玲奈が提案し、オレたちはパンフレットに載っていた旅館に向かって歩き始めた。温泉街の石畳の道を歩くと、足元からも風情が伝わってくるようだ。
旅館に到着すると、まるで昔からの伝統を感じさせる立派な門構えが目の前に広がっていた。中に入ると、上品な和の香りが漂うロビーが広がり、落ち着いた雰囲気が心地よい。
「いらっしゃいませ。」と女将が笑顔で迎えてくれる。玲奈が事前に予約を済ませていたため、スムーズに手続きを進めることができた。
「こちらが本日のお部屋です。」案内された部屋に入ると、畳の香りと大きな窓から見える庭園が目に飛び込んできた。部屋は広々としており、贅沢な時間を過ごすのにぴったりだ。
「すごい、贅沢だね。」
オレは思わずつぶやく。玲奈はにこやかに笑って、オレを見つめてきた。
「ええ、頑張って予約した甲斐がありましたね。」
「早速ですが、温泉にいきますか。」
「えっ、ああ…、うん。」
玲奈は到着して早々に温泉に入ることを提案してきた。でも彼女はオレの話を理解しているのだろうか。
「あのさ…、前にも言ったと思うけど、そのオレって心は男っていうかさ。」
「それはわかっています。承知の上で誘っているっています。」
どうして温泉街に行くとわかっているのに公衆浴場に入ることを想定しなかったのか。オレは浮かれていた自分に腹がたった。
「それに、オレが風呂に入るってことは女湯だよね。」
「それはもちろんそうです。もしあなたが男湯に入っていたら犯罪者ですよ。」
「そう…、だよな。」
玲奈の態度は硬かった。絶対に一緒に入ってくれるまで粘るからという気持ちを感じさせるものだった。
「大丈夫です。あなたの体は女の子なんですから。誰もあなたに見られたからって恥ずかしいとは思いませんよ。」
玲奈はそういってオレのことを励ましてくる。
「だから、恥ずかしいのはオレなんだって。」
「それに、前も入ったじゃないですか。」
「それは…。でもあのときは誰もいなかったって言うかさ。」
「私はいましたけど。」
「玲奈が特別だったからだよ。」
ふたりとも早口で問答を繰り返す。何が玲奈に刺さったのかはわからないが彼女の顔は赤くなっていた。
「もうっ、それだったら私だけ見ていてください。ごちゃごちゃ言わないでください。」
彼女はじれったくなったのか、そう言うとオレの手を引っ張って温泉の方に走り出した。力比べでは彼女の方に分があるらしくオレには叶わなかった。
カポーン。
来てしまった。オレはまたこんなところに来てしまった。
脱衣所に入った瞬間、温泉の独特な湿気と石鹸の香りが鼻をくすぐる。オレは周りを警戒しながら、一応誰もいないことを確認する。しかし、その場にいても逃げ場がないことを悟ると、どうしようもない焦燥感が胸に広がった。
「悠真さん、早く服を脱いでください。」
玲奈は一瞬もためらうことなく、既に浴衣をスルリと脱いでタオルに身を包んでいる。彼女の自然体な姿を見ると、逆にオレは自分が異常に感じてしまう。何度も心の中で「今は女の体なんだ」と言い聞かせようとするが、やはり頭がついてこない。
「わかったよ…。」
オレはしぶしぶ浴衣を脱いでタオルを巻く。心臓の鼓動が早くなり、血が逆流しているような感覚に襲われる。前とは違ってオレは自分の意思でここに入ろうとしている。それが余計にオレを緊張させた。
「じゃあ、行きましょう。」
玲奈はにっこりと微笑み、オレの手を軽く引っ張る。彼女の無邪気さに救われつつも、オレはどこか居心地の悪さを感じていた。
温泉に入ると、思ったよりも人が少なく、ほとんど貸し切り状態だった。それが唯一の救いだ。湯気が立ち込める中、玲奈はさっさと湯船に浸かり、心地よさそうに目を閉じている。
「ふぅ…、やっぱり温泉は最高ですね。」
彼女のリラックスした声が響き、オレは少し安心した。周りに誰もいないし、玲奈と二人きりなら、少しはこの状況にも慣れるかもしれない。
オレも湯船に足を入れ、ゆっくりと浸かると、体が一気に温まる感覚が心地よかった。湯気に包まれて、少しずつ緊張がほぐれていく。
「…やっぱり、来てよかったかもな。」
そう呟くと、玲奈は驚いた顔でオレを見た後、嬉しそうに笑った。
「でしょう?私、悠真さんにこの温泉の良さをどうしても知ってほしかったんです。」
玲奈のその笑顔を見て、オレは自分の戸惑いが少しずつ薄れていくのを感じた。こうして玲奈と一緒に過ごす時間は、心地よいものだった。
「ありがとう、誘ってくれて。」
素直にそう言うと、玲奈は照れたように顔を赤らめ、湯船の中で小さく頷いた。
その瞬間、オレたちは再び、今まで通りの関係に戻れたような気がした。




