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第22話 晴美さん

ガラガラと戸を開ける音が聞こえてくる、誰かが訪ねてきたようだ。


「お邪魔します!」


挨拶の声は溌剌としていた。一番戸に近い部屋にいたのはオレだったので、オレがその対応をすることになった。部屋の扉を開けて玄関に向かうと、子連れの三人組がいた。といっても、子供は赤子で生まれてあまりたっていないらしく、母親と思われる女性に抱きかかえられていた。


「晴美さん!お久しぶりですね!」


その女性はオレのいとこの晴美さんだった。今日は親戚同士で顔を合わせるということで、親の実家はその会場になっていたようだ。晴美さんは今日集まる人達の中で一番乗りだった。


「あれー!誰かと思ったら悠真ちゃんかー。大きくなったね。」


独特の間延びしたようなしゃべり方は昔と全然変わっていなかった。ちゃんと呼ばれるのは非常に恥ずかしく顔が少し熱くなる。


「晴美さんは全然お変わりないですね。ずっときれいです。」


「まあまあ、お上手なこと言うようになって。これは将来が楽しみね。気遣いのできるいいお嫁さんになれそうね。」


オレは率直な感想を晴美さんに伝えたのだが、晴美さんから帰ってきた言葉に複雑な心境になる。気を使っていったお世辞だったわけでもないし、お嫁さんになれそうといわれるのはなんか嫌だった。


内面では複雑な心境だったが、努めて顔には出さないようにして苦笑いをした。続けて、晴美さんとその家族に家に上がるように伝え客間に案内した。


「だいぶ寒かったんじゃないですか。」


オレは空気を和ませるために世間話を持ち掛ける。


「もう、ほんっとに寒かったね。車の中でも凍えそうだったよ。」


それを皮切りに晴美さんの話が始まる。そういえば晴美さんはしゃべり方はゆっくりであまり話さないほうかと思えば、一度しゃべりだすと饒舌になり止まらないタイプだった。


家をでるとね、からここに来るまでにどんなことがあったのか1から10まで詳しく説明してくれる。顔は美人なのにそんなところは残念なんだよな、と思った。


後ろをついてきている彼女の夫は、義理の姉弟の家ということもあって静かに過ごそうとしているのかあまり口数は多くなかった。挨拶をすると返してはくれたが、ニコニコとほほ笑んでいるだけであまり言葉は交わさなかった。もしかすると普段からあまりしゃべらない人なのかもしれない。晴美さんとは全く逆の印象だった。


なんだかしゃべり方に関しては凸凹な夫婦だなと思った。でもそれがうまくはまってお互い求めているものなのかもしれない。雰囲気はすごくよさげで、二人とも幸せそうな感じがした。




オレは案内を終えたあと、一人でゆっくりしようと誰もいない部屋で休むことにした。ここは客間からも玄関からも離れているので、来客の対応は一番近いところにいる母親がやってくれるだろう。


そうして、そとの干渉がない場所を見つけるとオレは自分の内面について考えだした。


寝っ転がって、自分の手の甲をまじまじとみる。あまり筋張った感じもしなくて、細くてしなやかに伸びる指。男の時と大きさはほぼ変わっていないはずだったが、その印象は非常に大きく変わっているように感じる。


そして、その手をそのまま胸の上に置く。胸は膨らみを感じられないくらい平坦だったが、柔らかいと思った。ゆっくり体をなでるように手を動かしていく、こうしてみると形と柔らかさがはっきりと伝わってくる。筋肉があるところも、より滑らかなラインになっているし、その向こう、両足の付け根あたりは輪郭でしか感じ取れない。


目から感じられる情報、手から感じられる情報、体が感じられる情報、そのすべてがこの肉体が女のものであることを主張してくる。


はあ。口からは大きなため息がこぼれた。これが変わり様のない現実なんだなと痛感させられる。まだ夢が続いて、この現象も覚めると同時に無くなっていたらよかったのに。現実は非情だった。


昨日見た夢の内容は一昨日とは違いはっきりと思い出せた。


「千尋…。」


パラパラと光る粒になっていく彼のことを思いおこす。彼が残した最後の言葉はオレに心に強く刺さっている。


「自分ができなかった。女の子の人生を精一杯、最後まで生き抜いてほしい。」


そんなのってずるいじゃないか。彼が願ったことは呪いのようにオレの心を縛り付けた。オレの心は間違いなく男のもので、自意識も肉体もそこに食い違いなんかなかった。でも今は肉体が女のものに変わってしまっている。


この状況はオレにとって投げ出したくなるような大変な状況だったはずなのに、心の片隅でそれを受け入れてあげなければならないと叫ぶ自分がいる。だってそれが千尋の願いだったのだから。千尋の立場になって千尋の気持ちになって考えてみたらお前はどう思うのか。それを踏みにじることはしたくなかった。


自身が女性であることを受け入れなければならない。その現実は重くオレにのしかかった。




しばらく横になっているといつの間にか眠ってしまっていたようだった。時計を見るともう昼過ぎになっていた。


食卓のある部屋へと向かうと、母と晴美さんがせわしなく料理の準備をしている。親戚も晴美さんに続いて何人か到着しているようで、かなりたくさんの食事を準備していた。


「ちょっと昼寝していました。手伝いますね。」


少しでもできることをやらなくちゃと思ったオレは、料理をよそわれた皿をテーブルに配膳する作業を手伝った。オレの手伝いが必要だったのかはわからないが、あっという間にテーブルはたくさんの皿でいっぱいになった。


「悠真ちゃん、ありがとうね。みんなを呼んできてくれる。」


晴美さんは優しくオレに仕事を振ってくれた。それに喜んで答える。


「わかりました!」


今でテレビを見ていた男衆と父はぞろぞろと食卓にやってきた。


「おぉー結構量を作ってくれたんだね。」


「こりゃ食いごたえがありそうだ。」


「もうちょっと早く食いたかったんだけどな。」


皆思い思いに感想を述べて食卓に座っていく。最後に文句を言っていたのはオレの父だった。お前は何にも準備なんかしてない癖に文句なんかいいやがってとオレは非常に腹がたった。


しかし、オレも途中まで眠りこけていて手伝いは最後のちょろちょろとやっただけだったので、強く言うことはしなかった。


家の女性たちはみんな働きものだ。それに対して男たちは自分たちがしたいことだけをしてだらだらと過ごしていただけでこんな食事を享受している。オレも一昨年まで、この人たちと同じようなふるまいをしてしまっていたのだろうか。


体が女になったことで精神も影響を受けているのか、今までは疑問にすら思わなかった父の態度の節々に嫌な感情が湧いてくるようになっていた。もともと昼間からテレビを見て酔っぱらっているような父のことは好きでなかったにしろ、ここまで腹が立つようなこともなかった。


しかし、父に対して嫌な感情があるわけでもない。父がオレや千尋のことを深く愛してくれていたのは前に話したときに感じている。そういったこともあってオレの嫌な感情は、父に付随する男というものに向けられることになった。


和気あいあいと食事は進み、みんな今の状況なんかを話ながらすごくよい雰囲気だった。いくつになったのかと、もう大学2年生で、そんなに大きくなったのかという何回目かわからない話もあった。


食べ終わって、男たちはぞろぞろとまた居間に戻っていくと、食卓はまた静かになり母と晴美さんとオレで黙々と片付けをしていく。誰も皿を流しに持っていくこともしない。父以外の男どもも料理をほめてくれていたし印象は悪くはなかったが、手伝いをしてないところを見て気が回らない人たちだなと思った。


「皿洗いはしておきますよ。」


オレはいよいよその作業をしようとしていた晴美さんを気遣いそんな言葉をかけた。


「ありがとう。冬の水場の仕事はちょっときついからやってもらえるのは助かるよ。」


晴美さんは笑顔で作業をかわってくれた。ちらりと晴美さんの手を見ると少し荒れているところが目に入った。子供を産んだばかりでも炊事、洗濯などの家事を続けている証拠だったし、そこに尊敬の念を抱いた。




皿洗いを最後まで終わらせ、オレはまた一人になれる部屋に戻っていた。そこに晴美さんがやってきて「こんなところにいたの。」と声をかけてきた。


「この部屋は暖房の効きもよくないし少し寒いでしょう。みんながいる客間にきたらいいじゃない。」


さらに畳みかけるようにそんな提案をしてくれる。だが、オレにはためらいがあった。


「ちょっと今はあそこには居たくないなって思って。」


それを正直に晴美さんに伝えた。晴美さんは少し心配そうな様子で、「何かあったのと。」と語りかけてくれた。


「別に何があったというわけじゃないんだけど…。」


晴美さんはオレが何かを答えるまで満足しなさそうな雰囲気を出していたから、仕方なく今思っていることを伝えることにした。


「なるほど、手伝いもしない男の人達が頭にきて同じ部屋にいたくないと思ったと。」


彼女がまとめたことに同意する。


「じゃあ、少し私と話さない。」


彼女はそう言って、オレの隣に腰かけた。


「悠真ちゃんが思っている気持ちもわからなくはないわ。」


「晴美さんもそう思うんだ。」


「でも私はそれも幸せの形だと思うんだ。」


「えっ?」


オレは彼女の言っていることに共感できず、思わず声を上げてしまった。オレの驚く表情を見て彼女は笑みを深める。


「何を言ってるかわからないって顔してるね。でもあなたもいずれわかるようになるかもしれないわ。」


「…。」


晴美さんはオレのことにかまわずに続ける。


「私はね、役割が与えられていて、それが果たせるってことが幸せだと思っているの。」


「役割…。」


「そう、役割。みんな誰しも社会の中で役割をもっているでしょ。仕事でも家庭でも。私の家族の場合は、私が炊事したり家事をしたりっていう役割を担っているのよ。そして、あの人がごはんを食べる以外何もしなくていいのは私が役割を果たせている証拠。だから私は満足なのよ。」


「それじゃあ、旦那さんはどんな役割を果たしているの?」


「私の家の場合は、毎日朝から晩まで働いてお金を稼いでくれているわ。」


「でも父さんはお金を稼いでないよ。」


オレの反撃に晴美さんは苦笑いを見せる。


「人に与えられている役割は場所によって違うわ。私が家事をするのは私の家で私がその役割を担っているだけのことなの。例えば、あなたの家族だったらその役割も変わるわ。」


「父さんは何もしていないのに?」


「そこにいるだけで重要な役割なこともあるのよ。あなたのお母さんはお父さんのためになってあげたいとそう思っているんじゃないかしら。」


「確かに、そんなことはいってたかも…。」


オレは彼女のいう幸せの形を少し理解できてきたかもしれない。両親がお互いにどんな役割を担っていたか、晴美さんの考えに当てはめるとその通りだと思えてきた。


「それにあなたは男の人たちの態度が気に入らないと思っていたよね。」


「うん。」


「それも私には考えがあって、さっき言った役割のほとんどすべては男がやろうと女がやろうと関係ないものだと思っているわ。うちではたまたま私が家事をやって、夫が仕事に行ってってだけでさまざまな形があると思う。」


「そうなんだ。」


「そうよ、だって今なんか専業主夫なんて言葉もあるしね。」


「たしかに。」


男の態度がすべて気に入らないと思いかけていたが、オレはその考えを改めることにした。


「でも、女だけしか果たせない役割というのもあるのよ。」


「女だけが…?」


「そう、それはおなかの中で赤ちゃんを育てて、赤ちゃんを産むこと。」


「これは体の構造なんかが全く違うから、男の人にはできない役割なの。」


「それはそうだと思うけど…。」


オレはしぶしぶと彼女の言っていることに同意する。子供を産むことそれは女の人にしかできないこと。それが今の自分にはできてしまう。その役割を果たせる人間になってしまったのかということを認識する。


「この役割が果たせると幸せに感じるという人も多いと思うわ。女性の幸せってやつかしら。私もいまそう思ってるし。」


そこで、彼女はオレのほうを見た。少し顔色は悪くなっていただろうか。


「まあ、それもさっきの話と同じで人それぞれよ。そんな役割は求めてないって人も絶対にいるから、幸せの形は人の数だけあるものだと思うわ。」


その言葉は、オレの心を軽くするのに十分だった。


彼女は少し不貞腐れてふさぎ込んでいた様子が、前向きに物事を考えるようになった感じがしたことに満足し、部屋から出ていった。


「自分が果たしたい役割か…。」


声に出すことで意識的に考えるようにする。冬休み前に関係が悪くなってしまった健と玲奈のことが頭に浮かんでくる。オレは彼らとのかかわりに少なからず幸せを感じていた。オレはどんな役割を求めていたのだろうか。その答えを出して彼らと仲直りしたい。


今まで靄がかかっていたように自分がどうしたいかわからなかったことを考える糸口をつかめたような気がする。オレは晴美さんに心から感謝の気持ちが湧いてきた。


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