第17話 冬休み
期末のレポートラッシュが落ち着いてきて、とうとう冬休みがやってくる季節になった。今は下宿で大学のすぐ近くに住んでいるが、長い休みの間に孤独に耐えられる気がしなかった。
人は何かの差を強く感じる生き物だ。五感はその時の絶対的な感覚を伝えているわけではなく、ノーマルな状態から変化があったときに感じるセンサーになっている。
感覚がそのような仕組みになっているのだから、オレを動かす精神もそのように感じるのかもしれない。去年は誰とも一緒におらずただ下宿先にいるだけでのんびりできていたはずなのに。今はより強い孤独感を感じるようになった。夏頃から玲奈や健との出会いがあり、二人との交流はオレに結構影響を与えていたらしいことが分かった。
オレは部屋の窓から外を見つめながら、深いため息をついた。雪がちらちらと降り始め、街を白く染めていく。去年の冬とは違う、どこかしら冷たさが増しているような気がするのは、心の中に広がる孤独感のせいだろうか。
窓際でこの冬休みをどう過ごそうかと思案していたとき、携帯に着信があった。
「もしもし、高坂ですが。」
「久しぶり、悠真。おかあちゃんです。」
「お久ぶりです。」
相手は実家にいる母親からだった。
「あんた、元気にしてるのかい?」
母の声はどこかほっとしたような、けれど心配が滲んだものだった。
「まあ、なんとかね。」
オレは曖昧に返事をしながら、母親がどうして急に電話をかけてきたのか気になった。最近、何かあったっけ?
「実はね、あんたのいとこの晴美さんが今年赤ちゃんを産んだんよ。」
母はうれしそうに続ける。
「晴美ちゃんが…?それはおめでたいね。」
「そうなのよ。でね、その赤ちゃんを連れて年末に実家に帰ってくるっていうから、あんたも久しぶりにみんなで顔を合わせたらどうかと思ってね。」
晴美ちゃんはオレの5つ年上のいとこで、子供の頃はよく遊んでもらっていた。いつも優しくて頼りになる存在だった。赤ちゃんが生まれたなんて聞いて、少し驚いたけれど、同時に嬉しい気持ちも湧き上がった。高校に入って以降は話をすることもなくて何をしているのかわからなかったけど、もう結婚していたのか。
「おばあちゃんもね、晴美ちゃんの赤ちゃんを見るのを楽しみにしてるの。だから、悠真もぜひ帰ってきて、一緒にお祝いしましょうよ。」
母の言葉に、オレは少し迷ったが、結局頷いた。晴美ちゃんにも会いたいし、赤ちゃんにも会ってみたい。それに、両親にも1年以上の長い間顔を見せていないから、そろそろ合わなきゃいけない頃かなとは思っていたからだ。
「わかったよ。帰ることにする。」
「ありがとう、悠真。みんなも喜ぶわ。」
電話を切った後、オレはベッドに腰を下ろし、少しだけほっとした。家族と過ごす冬休み、そして晴美ちゃんの赤ちゃんとの初対面、そんなイベントの予定が入ったことで、孤独感に包まれていたオレの冬休みは幾分かましなものになりそうだった。
窓の外では、雪が降り続けている。オレはその光景を見つめながら、この帰省が傷つきボロボロになっている心への癒しとなることを祈った。
晴美ちゃんと会えることはうれしいとして、オレには一つ懸念があった。実家に帰るということはすなわち両親と会うということだ。子供の時の親との思い出にあまりいいものはなかった。
父親は働きもしないで日中から酒を飲みゴロゴロと過ごす人だし、母親は仕事をして一家の稼ぎを得てくれていたが、父親を叱らない癖にオレにはあまりいいものは買い与えてはくれなかった。
親の姿を見て、オレは将来こんな姿にはなりたくないと思い、母親の反対を押し切って一人暮らしの必要な大学に進学した。必死に勉強して奨学金で何とか親の助けを借りずに自分で大学に通えるように準備もした。そういう決意があったから、オレは実家に帰るのにはためらいがあった。
光陰矢の如しとはよく言ったのもだと思う。うだうだと実家に帰ることを悩んでいると、あっという間に冬休みになってしまった。
「ただいま帰りました。」
ガラガラと引き戸を開けて帰省したことを伝える。すると奥から母親が出てきた。
「おかえりなさい。よう帰ってきたね。ごはんできているから。」
そう言って母さんはオレを食卓に案内した。
大方予想はしていたが、オレを見て驚いた様子はしていなかった。
もともと自分の部屋だったところに荷物を置いて、食卓へと向かう。
途中の部屋で横になってテレビを見る父の姿が目に入った。やっぱりこの人は変わっていない。
家を出たかった原因が解消されていないのを見てオレは辟易した。
オレが帰ってきても何も反応を返さないところとか、本当にオレに興味がないということを改めて実感した。興味がないのはオレだけじゃなくて、世の中のすべてのことなんだろうが。
食卓つくと、4品くらいの料理が並べられていた。色とりどりで健康に良さそうだ。母は料理が上手でたくさんの献立を作り分けてくれていたことを思い出す。
大学生になってバイトを始めた今ならわかる。母の生活は非常に大変なものだったはずだ。女手ひとつで家族の生活を支えて、オレを育ててくれた。そこに感謝が湧いてきた。
真ん中にある唐揚げを箸で取っていると、「野菜はちゃんと取れてるの?」と聞いてきた。
「できる限り取るようにはしているんだけどね…。」
オレは苦しい返事をした。普段の食事は健康なんて一ミリも考えていなかったから、見直しが必要だと感じた。
そんなやりとりを何度かして現状を確認した後、母は少し間を開けて「結婚とか将来のことは考えているの?」と切り出した。
オレが帰りたくなかった2つ目の理由だ。オレが高校生のときから母はこういう話を頻繁にしてきていた。大学にいかないならお見合いをしないかと提案してきたこともあった。
正直いうとやめてほしい。お見合いをして結婚をするなんて昔の価値観だ。今を生きる若者のオレにとっては嫌な話だった。
「実はね、向かいの田中さんの息子さんが最近、木工所に就職したらしくてね。お見合い相手を探しているっていうのよ。あんた年も近いし、ちょうどいいんじゃないかなと思うんだけど。」
オレは目を見開く。知らないうちにお見合いの話が進んでいたことにびっくりした。
「絶対受けないから。」
オレの答えはたった一つだった。選択の余地なんてなかった。健ですら恋人として見られるのは嫌だったのに、近所に住んでいただけの男と結婚するとかまっぴらごめんだ。
「まあ、今すぐにってわけではないから。そういう選択も有るってことを考えておいて。」
母はオレがこの手の話を嫌いなことは理解しているので、すぐに引いてくれた。
その後は何も話さなかった。出された料理を完食するまで黙々と食べ進める。ごちそうさま、とだけ伝えて皿洗いを始めた。
いつも家を一人でやりくりしていた母のためにも今日は家事をやろう。そう決めていたし、気分を転換するにもちょうど良かったので、しばらく皿洗いや風呂掃除を行っていた。
すべてを済ませて居間に戻った。
「風呂、沸かしといたよ。」
「そう、助かるわ。」
母はこたつに入ってミカンを食べながらテレビを見ていた。しばらく一緒にミカンを食べていたのだが、ふとこれまで疑問に思っていたことを聞いてみた。
「母さんは、どうして結婚の話を頻繁に進めてくるの?父さんのことでさんざん苦労してきたのに。」
母はそれを聞くとテレビの電源を消した。
「父さんはね、いい人だったのよ。朝から晩まで働いて優しくしてくれた。」
「私が見てきた父さんは働きもしないで昼間から酒を飲んでゴロゴロするような人になっちゃってるじゃない。」
母は遠い目をして昔の父は良かったと話してくれるがどうにも信用できなかった。
「会社でね頑張り過ぎちゃったのよ。」
母は俯いて目を閉じた。
「本当に朝から晩まで仕事漬けだったから、心を病んでしまってね。動けなくなった。あたしが悪かったのよ。あの人に全部頼ってしまっていた。」
母はそこで笑顔を見せた。
「だからね、あんたを育ててきたのはあたしの罪滅ぼしみたいなもんなのさ。あの人を無理させすぎてしまったね。」
オレはその話を聞いて初めて母の父に対する思いに共感することができた。
人を愛するということは、今の姿だけを求めるものではない。一緒に紡いできた歴史も、全部まとめて愛しているんだ。
そういうことを考えさせられた。ちょうどついこの前、友達を二人も失ったこともあり、オレの胸にその話は強く響いた。
実家に帰ってきて良かった。母との会話は暖かく、期待通りにオレの心を癒やしてくれた。




