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自作小説倶楽部 第28冊/2024年上半期(第163-168集)  作者: 自作小説倶楽部
第164集(2024年02月)/テーマ 「血」
8/26

03 紅之蘭 著 『血の伯爵夫人エルジェーベト』

〈梗概〉

 17世紀初頭ハンガリーを舞台にした大量殺人事件の顛末。19世紀の小説『吸血鬼カミーラ』のモデルとなった伯爵夫人の物語。


挿絵(By みてみん)

挿図/奄美「伯爵夫人」


 アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュが一八七二年に著した『カーミラ』という女吸血鬼の物語を読んだことがある。中欧の古城が舞台となり、城主の娘ローラが、日記という形で、来訪してきた美少女カミーラとの出会いと、寝室をともにするようになった美少女によって引き起こされる連続殺人事件がらみの怪奇現象とを回想する。同小説は、四半世紀後、ブラム・ストーカーが、一五世紀のワラキア公国の「串刺し公」ヴラド・ツェペシュに取材し著した一八九七年の小説『吸血鬼ドラキュラ』にインスピレーションを与えることになる。

 職場の先輩が、同小説原作のモノクロ映画を観て、とても美しい映画だったと言った。――つまるところは百合系のお話しだ。

 一説によると、カミーラのモデルは、ハンガリーの伯爵夫人バートリ・エルジェーベトで、英国風に呼ぶとエリザベート・バートリとなる。この人こそ、「血の伯爵夫人」の異名をもつエルジェーベトである。


               *

 

 一六一〇年、当時ハプスブルク家の版図であったハンガリー領チェイテ城で、その辺りは後にスロバキア領に編入されることになる地域だ。チェイテ城は小高い丘に立地している。城壁内部の天守本館は、直方体の石積みの塊のようなシンプルな構造で窓が少ない。ヴェルサイユ宮殿建設以降に現れる、光にあふれた瀟洒な構造とはほど遠い、いかにも中世暗黒時代を思わせる、陰鬱なものだった。


 ナイマン・ヤーノシュ・ラヨシュは、城下町にある新教系教会の地元牧師だ。異変に気付いたのは、教会を訪れる農夫の懺悔によるものだった。懺悔の小窓越しに話しを始めたのは、初老の男だった。

「娘がさらわれました。領主様です」

 懺悔というよりは、復讐心を訴えに来たようだ。この手の「懺悔」は初老の農夫ばかりではなく、城下町や近隣農村の町からチェイテ城に奉公に上がった娘の親兄妹からも聞かれた。


 ナイマン牧師は農夫を連れて、娘がさらわれたという場所に出向いた。老父と娘は、近隣農村に住んでいて、娘は飼いだしに城下町に向かった。人気がないのは、見晴らしのいい牧草地から山林の峠に入るあたりだ。

 老父の娘がいなくなった場所について、他の娘がさらわれたという親達との証言とも一致していた。


 ナイマン牧師は教会寄付の名目で、チェイテ城に行き、領主である伯爵夫人バートリ・エルジェーベトに謁見した。

 エルジェーベト伯爵夫人には明朗な印象を受けた。

 伯爵夫人は、ラテン語・ギリシア語にも通じた教養人で、今は亡き伯爵が存命のころ、戦争で留守がちな夫に代わって、広大な領地や城館を差配し、外国に遊学する自国学生らの支援もする有能な貴婦人だった。牧師が寄付の承諾を取りつけると、彼女は牧師を別室でのお茶会に招き、アリストテレス他哲学の話題に触れて盛り上がる。

 このとき、給仕していた侍女達が、妙におどおどしていたのが気になった。城の厩舎に預けていた馬で帰ろうとしたとき、城内いたるところの地面が、昨今、穴を掘っては埋め戻しされたような痕を見出した。


 伯爵夫人が猟奇的な連続殺人を犯している――という確信を得たのは、城の侍女の一人が里帰りしたとき牧師に懺悔したことだ。

 伯爵夫妻は、侍女を虐待する性癖があった。ちょっとした粗相で二人は癇癪を起し、血が出るほどぶちのめす。その際、返り血が夫人の手についたのだが、その血を拭ってみると、肌に潤いと艶が生じていた。

 夫が死ぬと、夫人の残虐は激しさを増してゆく。粗相をした侍女の指や陰部を切り取っては、悲鳴を聞いて、悦に浸り、鮮血を浴槽に満たして入浴をしたのだ。――侍女達が女主人に殺されないためには、協力者となるしかない。

 

 証言を聞いたナイマン牧師は、上級代官であるところの副王に謁見する機会を得て、その旨を上奏したのだが、伯爵夫人が副王の親族でハンガリー屈指の名家であり、彼女を逮捕することは他のハンガリー貴族達の反感が、宗主である神聖ローマ皇帝ハプスブルク家に向かうことは必定と判断され、何よりも副王の縁戚でもあったので、握り潰されたのだった。

 だが一方で副王は、エルジェーベト伯爵夫人を宮廷に呼び出し、それとなく、ナイマン牧師が告発した件を伯爵夫人に伝え注意した。

 ここで大人しくしていればいいのだがそうはならない。当時の東欧貴族達は、血脈の純度と遺産の保持のため、極端な近親結婚を繰り返したため、遺伝的な変調をきたし、感情を制御できない者が多かった。

「ナイマンめ、余計な真似を――」伯爵夫人はヒステリックに喚くと、小物を壁や床に投げつけた後、お抱えの騎士達を招集すると、「牧師を始末なさい」と命じた。

 数日後、ナイマン牧師が、新教司教座に定時報告に赴いた帰りを狙って、黒装束の一団が、牧師を刺した。だが、通りかかった商人が自分の馬車に牧師を乗せて自邸に連れ帰り、医師を呼んで懸命に治療をしたため、奇跡的に一命をとりとめた。


 そんなことがあってから、黒い噂が広がり、伯爵夫人の城には奉公人が集まりづらい状況になった。伯爵夫人は、ハンガリーの副王宮廷で出会った小貴族の令嬢達に、礼儀作法を教えて上げると持ち出し、自分の城に連れ込むことに成功すると、近隣住民の娘や侍女達と同様の仕打ちをした。 

 当時の貴族の娘達は、宮廷や大貴族の城に無給で奉公に行って礼儀作法を学んだ。無給奉公の見返りは、女主人から、その親戚筋に当たる中小貴族との縁談を紹介されることである。

 ともかく小貴族とはいえ貴族である。小貴族というのは大貴族の分家であるから、本家筋を経由して訴えが副王の耳に入った。

『もはやこれまでだ』

 伯爵夫人を庇いきれなくなった。副王は伯爵夫人を逮捕するに至った。


               *

 

 ハンガリー首都ブダ・ベストで、三百人から六百人もの若い女性が殺害された事件の裁判が行われ、主犯のエルジェーベト伯爵夫人と従犯の侍女達は有罪となった。侍女達は全員火あぶり刑となったが、伯爵夫人自体は禁固刑で済んだ。つまるところは副王や大貴族の縁戚で、処刑はあまりにも影を落とすからだ。


 三年後の一六一四年八月末、ナイマン牧師はブダ・ペストの副王宮廷に呼びだされ、伯爵夫人が監禁されていた持ち城チェイテの自室で亡くなったことを知らされた。

 彼女の部屋の入口と窓は煉瓦と漆喰で塞がれ暗黒で、一日一食を牢番が、入口跡の小窓から差し入れていたのだが、呼び出しても返事をしなかったため上司に連絡した。内部は糞尿の異臭が漂い、しらみだらけのベッドに横たわった伯爵夫人は、くる病と皮膚病に冒されて見るも無残な姿で、肖像画にある最盛期の美貌の面影はどこにもなかったという。

 彼女には子供達がいて、全員連座を免れている。


 時は下って十八世紀、フランスの宮廷に、サンジェルマン伯爵を名乗る女と見まごう美麗な貴顕が、宮廷の花・寵姫ポンパドール夫人が開くサロン姿を現した。伯爵は、錬金術を絡めた博識と音楽の才で人々を魅了。同夫人を介し国王ルイ十五世の寵愛を受けることになる。だが伯爵に嫉妬する政敵により宮廷を追われ、ヨーロッパ各地を放浪。最後はヘッセン領主の庇護下で息を引き取る。

 伯爵と四十年来の親交があった人物の日記によると、十年ごとに会ったものだが、百歳近くで亡くなるまで、出会ったころとまったく変わらぬ美麗な容姿だったと綴っている。

 サンジェルマン伯爵は、エルジェーベト伯爵夫人の子孫だという風説がある。あるいは男装した伯爵夫人自身だったのかもしれない。


               了

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