01 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 06』
06 プルマン
「コンチネンタル風の朝食か――」
列車〈ラ・リゾン〉は、ザラメを卵とミルクでかきまぜて焼くトーストを主体に、サラダとチーズ、果物、それから、珈琲を加えたものが供された。
「シャンパンをくれ」
ボーイが来たので、バティスト大尉は、水代わりにそれを注文した。
レディー・シナモンといえば、サンドイッチと紅茶にしたので、私もそれにした。
バティスト大尉が、羊の群れと回っていない風車の景色を車窓から眺めていると、レシプロ機が飛んでゆくのが見えた。すると大尉はなぜか涙ぐんでいた。
「コードロンC635シムーン郵便機……」
この時代の小型機は、民間機・軍用機ともに、だいたい全長・全幅が十メートルあって、全幅が全長よりも少し長い。全長というのは機体の長さで、全幅というのは主翼の長さである。シムーン、単発・単葉低翼・複座の小型機で、主翼の下にある主脚が固定式になっている。今、空を飛んでいる機体は、緑色に塗装されていることから見て、軍が連絡機として使用しているものに違いない。
バティスト大尉は、
「三年前、夏至の頃だった。僕は、シムーン機に乗って、新旧両大陸間横断レースに参加した」
機体を赤く染め、コクピットをパールホワイトにしていた。これが、洋上のエアポケットに突っ込んで、無人島に不時着し、奇跡的に救助された。
――同席した人々は、このあたりの事情を、新聞を読んで知っていたので、大尉から、根掘り葉掘り、失敗談を聞こうとはしなかった。
ブロンドの巻き毛に茶色の瞳をした大尉は、人を楽しませる特技を、幾つか持っている。カード・マジックもその一つで、ポケットからトランプの束を取り出しテーブルに置いた。
「皆様、食後のショータイム。お目汚しに〈魔法〉などいかがです?」
バティスト大尉は、鮮やかな手つきで素早くカードを切った。……五枚のカードを示してから、卓上・左から順に、スペードの4、スペードの8、ダイヤのA、クラブの7、ハートのクィーンが表にして並べられた。
「ご覧のように、五枚のカードがあります、姫様。いま姫様が欲しいと思うカードを一枚イメージして頂きたい」
バティスト大尉は、すまし顔をした。
対する若い貴婦人は戸惑った顔をした。
「バティスト様は、お洒落なフェミニスト。さしずめハートのクィーンというところ……」
「〈姫様〉は、お世辞が、お上手だ。光栄の至り。けれど、ここでは、回答をお話にならずに、僕が後ろをむいて十数えるうちに、一枚抜きご確認なされたうえでカードを元の位置にお戻しください。僕が数を数え終わったら、そのカードを当ててさしあげます」
快活に貴公子の小父様がルールを説明。テーブルを背にして数を数え始めた。
姫様がカードを一枚抜き取った。――左から二番目・スペードの八だ。
「……8・9・10」バティスト大尉が悪戯っぽい笑みを浮かべてカードをみやった。「スペードの8では?」
「ええっ!」黄金の髪をした貴婦人が目を丸くした。
テーブルの上には、エキゾチックな絵付けを施した金縁のティーカップが二つ。
あまりハンサムではないのだけれどもダンディーな紳士が微笑んだ。
このカード・マジックには、ほんとうに種も仕掛けもない。……バティスト大尉は予想した。被験者のシナモンは、引き抜いたカードをみて、目立つものを無意識のうちに除外。左から順に並べられたカード――スペードの4、スペード8、ダイヤのA、クラブの6、ハートのクィーンから、まっ先に、目立つカード・ダイヤのA、クラブの6、ハートのクィーンの三枚を捨てると。――つぎに平凡なカードだけれど、左端にあって目立つスペードの4を捨てるはず。それでスペードの予測となったわけだ。
それはトリックというよりも、〈メンタル・マジック〉とも呼ばれる、推理ゲームだった。
トージ画伯夫妻は、素直に、拍手した。
カードを切るとき、世のご婦人方は、バティスト大尉の両手に目がいく。大尉は、カード・マジックのほかに、ピアノや絵という特技があった。とても優雅な長い指で、年相応の肌荒れや日焼けといったものがない。元婚約者ルイーズも、妻のコンスエロも、その他諸々の愛人女性達も、容貌こそさえない大尉だけれども、しなやかに動く五指に、魅了されてしまうのだ。
シナモンは、君代夫人が、うっとりしているのを見た。
横で見ていたシャルゴ大佐が、「ほう」と、つぶやいてから、「意地悪くいえば、バティスト大尉が、レディー・シナモンと事前に示し合わせていたという、推理も成り立つが――」た。
「そういう言い方はないでしょう」
バティスト大尉は、ムッとした。
シャルゴ大佐も、貴族出自だと言われている。大佐の天才は、ほどなく評価されるところだが、若干、コミュニケーション障害があったことは歪めない。昔の上司、ペダン将軍は、そのあたりの事情を踏まえつつも、シャルゴを可愛がったが、その後、赴任した先々では、上司達によく思われていなかった。そのため、才能のわりに、昇進が遅れていた。
他方で、寡作ながら、文学において、天才と言われるようになる、バティスト大尉は、人に頭ごなしに押さえつけられることを嫌い、態度を隠さない性分があった。
――二人とも我儘でそりが合わないようだ。
また気まずい雰囲気だ。
レディー・シナモンが立ち上がった。
「皆様、ご注目。ここで私も魔法を一つご披露いたします」
〈マンボシェ〉の水色のドレスを着た貴婦人が、両手を開いて種も仕掛けもないことを示し、ニッコリ笑った。そして「カーネーション……」と呪文の第一声を唱えた。さらに、舞うように身体を一回転させ、「ユリ、ユリ、バラ……」と続けた。高く掲げた両腕を開いたとき、フワッとスカートの裾が広がった。
するとだ、摩訶不思議にも名前を唱えたくさんの花たちが、クルクルと回りながら、床に降りていった。
――判らない。いったい、どういうトリックなんだ!
一同がポカンと口を開けた。
急行列車〈ラ・リゾン〉は、途中、大きな鉄道拠点で、立派な大聖堂があるアミアンの町を通過し、副王府シルハから四時間を経て、昼になる前に、目的地アラスの町に着いた。町は星陵のような形をしていて、周囲を濠と堡塁で囲っている。そして随所には、機関銃や大砲が設置されていて、物々しい。
シャルゴ大佐が、
「レディー・シナモン、アラスの町は毛織物が盛んな町だ。タウンホールの鐘楼や、開拓時代初期の要塞で有名で、以前は立派な大聖堂もあったのだが、百年前の《蟲禍》で、破壊されてしまった」
「それで、町を要塞化したのですね」
車窓から、有事になると兵士が籠るおびただしい数のトーチカ、古めかしい城砦や教会鐘楼が見えて来た。
列車は、警笛を鳴らし、戦災から復興してまだ間が経たない、アラス駅に入線した。
バティスト大尉とレディー・シナモン、それから灰色猫は、同駅で下車した。他方、トージ画伯夫妻は、ドーエで乗り換えてランスに向かうのだという。それに、シャルゴ大佐とフルミ大尉は、さらに北にある、リールに向かうのだと言っていた。
駅を出る際、バティスト大尉が、化粧室へ寄った。
横にいた〈姫様〉のナイトである、灰色猫が言った。
「〈姫様〉、バティスト大尉が、さっきやっていた、カード・マジックを見破っていたでしょ?」
「ブレイヤー博士、それは内緒です」
「殿方への気遣いってやつか、よく、ストレスが溜まりませんね」
その人が微笑む。
ノート20240629
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
08 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
09 トージ画伯夫妻。急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。