01 奄美剣聖 『エルフ文明の暗号文 05』
05 森林急行〈ラ・リゾン〉
二月十日土曜日午前六時。
地方都市アラスのへ向かう鉄道路線は、シルハ北駅始発の急行列車〈ラ・リゾン〉に乗る必要がある。
同駅は二十三路線の頭端式ホームで、色とりどりのステンドグラスと時計が施された外観は大聖堂のようだった。ホームは、鉄製アームにガラスを貼り付けた、半円筒になった覆い屋内部にある。壁は、石積みで、内部を鉄筋で支え、天井の窓からは陽ざしがあったものの、湿った外気で底冷えしていた。
ガラスも煉瓦も蒸気機関車の煙で煤けていた。
機関車は扇形車庫から出るとき、まず、薪で焚き付けされ、それから石炭をくべられる。それは転車台で方向を変え、始発駅特有の頭端式ホームになった、シルハ北駅へ入線。そして停車するわけだがボイラーの火は消さない。ひと作業を終えた運転士と助士は窓から身を乗り出して駅員と世間話をしていた。
レディー・シナモンと私・ブレイヤー博士の切符は、同行するバティスト大尉が、手配してくれていた。
〈ラ・リゾン〉は、ショコラ色の地に黄色い帯が入った、120型蒸機関車を使っていた。横から見ると、車輪の小さな前輪が二、大きな動輪が四、従輪なしとなるタイプだ。動輪は人の丈くらいもある大きいものだ。列車は、六両編成で、一等車から三等車まであった。一等車は、側廊と、いくつかの、ゆったりとした六人掛けの部屋割りされた、コンパートメントのある、客座車両とになっていた。
若い貴婦人と私は、お揃いのオートクチュール〈マンボシェ〉のドレスの上に、ボンボンのついた、外套を羽織っていた。その人のトランクとバスケットとを、手荷物運びの服務員〈赤帽〉が、始発列車一等車コンパートメントに運び込んだ。
汽笛レバーは、機関室の天井にある。運転士がそれを動かし、蒸気で、沿線で作業をしている保線員に注意を促す。左側にある速度調節の加減レバーを引く、すると、減速した列車は川にかけられた橋梁を渡った。シルハ一高い電波塔が、だんだん小さくなって、しまいには地平線の彼方に消えた。
アラスの町は、副王府シルハから森林地帯を二百キロ北に行ったところにある。沿線の途中駅は、木材の集散地であるところが多い。
シルハ駅から五十キロほど北に行ったところに、シャンティイー駅がある。同駅の駅舎は、高名な建築家が設計した、レンガ建築で知られている。かつての副王府があり、司教座があったことで知られている。
シャンティイーを出た列車が森と田園地帯を抜けて、大きな教会を車窓越しに望んだとき、乗務員がアミアンの駅に入線することを知らせた。
アミアン駅は大きな鉄道拠点で、扇形倉庫や転車台を備えていた。車窓から待避線の向こうを見ると、煙を吐く機関車が方向転換していた。
列車入線に際し、運転士は、炭水車が給水塔の真下になるように停車する。炭水車は、蒸気機関車の後ろに、連結されている、石炭と水を補給するタンクだ。機関車から運転士が、炭水車によじぼって、タンクの蓋を開け、さらに給水塔から給水管を引っ張って来て給水する、時間が、だいたい二、三十分前後になる。
二等車と三等車の乗客たちで、車内販売の軽食で満足できない乗客たちは、給水作業中に駅舎の食堂に駆け込んで食事をとった。
その様子が車窓から見えた。
「〈姫様〉方、食堂車に行ってみますかな?」
依頼主は自身を騎士に、私たちを姫君に見立てていた。
車窓からの風景は森林から、緩やかに起伏した田園地帯に代わった。麦畑だの葡萄畑だの牧場だの、はたまた村々や、修道院跡や城跡なんかも見え、側道にいた子供たちが手を振っていた。
食堂車は、一等車と二等車の間に、配置されていた。三等車乗客も利用することはできるが、二等車を通り抜けて行くことはできない。どこかの駅で一度降り、そこからホームを歩いて、食堂車に乗らねばならないのだ。
真鍮の手すりがついた一等車両から、食堂車のテーブルは、通路を挟んで二人掛けと四人掛けの椅子が、十数席用意されていた。椅子に腰かけて室内を見渡してみる。すると、天井には、シーリング・ファンがついたシャンデリア、デッキの仕切りの壁には、板木細工の装飾があり、足元には絨毯が敷かれていた。
兵員輸送の臨時便列車が、平常ダイヤに割り込んで、乱れがちになって、いささかサービスが低下していた。
「ほお、珍しく客がいる」バティストがつぶやいた。
二人用テーブル席にいた先客は、陸軍将校と連れの男女・都合四名だった。
〈マンボシェ〉の水色ドレスで装った、レディー・シナモンはいつものように、やたらと長い称号つきのフルネームを名乗り、両手でスカートを摘む古風なお辞儀・カーテシーを披露した。
――自然な身のこなし。なんて優雅なのだ。まさに〈姫様〉だ!
居合わせた乗客たちがその人の所作に見入った。
トージ。
バティスト大尉は、その画家の名前を知っていた。
ニュース映画や雑誌・新聞にもときどき取り沙汰される、エコール・ド・シルハ〈シルハ派〉の寵児ともてはやされた画家だ。渾名はお調子者を表す〈フーフー〉。連れの女性は、娘くらい離れている夫人だった。
あと二人いた将校について――。
「シャルゴ大佐、お目にかかれて光栄です。著書の『機甲化軍にむけて』を拝見いたしました」
「私の著書を読んでくれた者は少ない。しかも筆名だったのに、ヒスカラ王国本国で、貴女のようなレディーが読んで下さっていたとは意外だ……」
――これからの戦争は、従来の塹壕戦ではなく、戦車や航空機を使った、機動戦術に変わる。
もう一人いた軍人は、ヒスカラ王国・本国からシルハ副王領に派遣された連絡武官補で、フルミ大尉と名乗った。
シャルゴ大佐やバティスト大尉は偉丈夫だった。これに対してフルミ大尉は、二人と同じくらいの背丈であるものの線が細く、まるで女のようだった。
ノート20240529
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
08 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。