ボタンの掛け違い
好美が回したメッセージは岸本の目を盗み、滞ったりスムーズに回されたりしながら、2時限目が修了する頃、廊下側の一番後ろの真希の所に到達した。
真希が確認したのを斜め左前の席から横目で盗み見た悠太。
明らかに動揺している様子の真希は、取り敢えずメモをペンケースの中に押し込んだ。
程なくチャイムが鳴って2時限目が修了した。
メッセージを確認したクラスメイトたちの間に妙な緊張が走った。
歩と接触するのを避けるように10分のトイレ休憩に入るのに合わせて、図書室に移動したりトイレに行ったり、教室の隅に固まったりして散っていった。
好美と真希も、いつものように歩に話しかけたりせず教室を出た。
歩は教室内に漂う妙な空気に気づいたが「確信」ではなかった。
思惑通り順調に事態が動いて悠太はトイレの個室に入って満足げに笑った。
妙な空気のまま、授業は、そのまま順調に進み、迎えた放課後。
歩と真希はいつもどおり部活に参加した。
好美も部活動に参加して、陸上部が解散する少し前に部活動を終えた。
1人、学校を後にしようとした時。
「あ、バイバイ、好美ちゃん」
陸上部の後片付けをしていた歩に、元気に手を振られながら声をかけられたが好美は振り向かず足早に歩いた。
「あれ?聞こえなかったのかな、好美ちゃん」
歩が真希を振り返ったが、真希も歩と目を合わさず、黙々と後片付けを進めた。
「え・・・・気のせいかもしれないけど、やっぱ席替えの後から2人とも私の事避けてない?私何か気に障るような変な事した?」
目を会わせようとしない真希の態度に歩の中で、それは確信に変わった。
「知らないうちに何かしちゃったなら謝りたい!ちゃんと言って?」
問われても、どこで自分たちを監視する目が光っているか判らず、無視を重ね、逃げるように他の一年のもとに駆けて行った。
「あ・・・・待ってよ」
追いかけようとした歩は、けれど、追った所で逆効果だと気づき、すぐに立ち止まった。
倉庫の前で立ち尽くす歩を影から見ながら好美は胸が苦しくなった。
辛い気持のまま家路を急いだ。
帰宅後、罪悪感と後悔の念に苛まれ、着替えもせず部屋で膝を抱えていると真希からLINE電話が掛かって来た。
「もしもし」
『あれ、まだ制服?ごめん、帰ってきたばかりだった?』
「ううん、少し前に帰ってきたところ、真希ちゃんは帰ってきたばかり?」
同じく制服のままの真希に問い返した。
『うん、まあね・・・・・何か着替えより先に、今のこの気持をヨッシーと語り合いたくて!おかしな空気になってきたね、うちのクラス』
「うん、歩ちゃんの事、思い切り避けちゃった、歩ちゃん大丈夫かな」
『私も思い切り避けちゃったよ、ヨッシーは写真部だから良いけど、私、部活でも歩と一緒だから気まずさが半端ない』
「そうだよね、でも、部活中なら逆に、これまで通りで大丈夫な気がする、今回の事はうちのクラスで起きたことだし、陸上部の中でなら問題ない気がする、うちのクラス、陸上部は真希ちゃんと歩ちゃんだけだし」
『でも、うっかり口きいてる所を今回の犯人とか、犯人よりの人に見られて自分もターゲットにされるのは避けたい』
真希が吐露した至極当然の警戒に、好美は自分の無責任な提案を恥じた。
「・・・・・そうだよね、リスクは0ではないよね、ゴメン、軽々しく言っちゃったね、もう無理なのかな、歩ちゃんとの友情と安全の両立って」
『そんな事ないよ!そんな簡単に諦めたら駄目だよ、私たちには交換日記っていう切り札がある、だから両立は可能だよ』
「うん、そうだよね、私たちは友情を誓い合ったんだもんね、でも明日、歩ちゃん日記持ってきてくれるかな、今日、露骨に避けちゃったし」
『そこは心配な点だよね、でも歩を信じよう、っていうか、あの紙、誰が回したんだろう』
何気ない真希の呟きにドキッとした好美。
そんな好美の反応に真希は違うところに気を取られていた為に気づかず、ペンケースから例のメモを取り出し広げて分析した。
『これさ、定規とか使って書いた感じだよね、こんな面倒な事するよりLINEとかで送ったほうが楽だと思うんだけど、スマホとか、まだ持ってない人が犯人かな、或いはスマホは持っているけど、敢えて、この手段を使ったか』
「言われてみれば面倒だよね、前者なのか後者なのか判らないけど、本当に止めて欲しいよね、こういう事」
2人で憤っていると耀子が帰ってきた。
「ただいま」
「あ、お母さん帰ってきた、ゴメン、切るね、また明日」
『はーい、またね』
手を振り合って通話を終えた。
部屋を出てリビングに入ると耀子が心配そうに好美を見た。
「・・・・何か、顔色悪いけど、どうかした?」
動揺が影響して顔色が優れない好美に心配そうに手を伸ばし額に触れた。
「熱は無さそうね」
「うん、だって体調は悪くないし」
「なら良いんだけど・・・・取り敢えず早く着替えなさい」
「うん」
迎えた翌日、歩から日記は回ってこなかった。
歩は、いつも滞らせる事なく日記を回していたのだ。
そんな歩からの日記が止まった事で、好美も真希も安全と友情の両立は思っている以上に簡単ではないと悟った。
日記を止めさせてしまったのは紛れもなく自分たちだと痛感した。
痛感しながらも、その日も、ちゃんと歩と話す機会が作れなかった。
メッセージを回してしまった事で、悠太の監視だけでなく、他のクラスメイトの監視にも警戒しなければならなくなった。
好美は悠太に命令されるまま、脅されるままメッセージを回してしまった事を後悔した。
何故その前に、ちゃんと信頼できる誰かに相談しなかったのか。
そんな日が続いて数日、その日も好美と真希はLINEで歩を避けてしまう事に関して「反省」を口にし合っていた。
日記はずっと歩の所で止まったまま・・・・・・。
『歩もLINE出来たら簡単に事情が説明できるのにね』
『頼みの綱だった日記も歩ちゃんの所で止まっているしね、事情を話したい!そして、ちゃんと謝りたいよ』
『同感!今日は辛すぎて、遂に部活サボっちゃったし、それでさ、ちょっと思ったんだけど、手紙書いて歩の下駄箱に入れておくってどうかな』
『手紙、なんて書くの?』
『実は、もう書いてあるさ、こんな感じで』
そんなメッセージと共に写真が添付されていた。
拡大してみると。
『歩と、ちゃんと話したい、都合が悪くなければ今度の土曜日、学校近くのショッピングモールのフードコートで10時に会おう、都合悪ければ、どっちかに電話して?真希、好美』
『良いね!』
『勝手に連名にしちゃったけど、そしてヨッシーの都合確認しなかったけど、都合悪ければ変更するよ』
『大丈夫、連名で問題ないよ、都合も今度の土曜日、10時にショッピングモールで全然問題ないよ!来てくれるかな、歩ちゃん』
『来てくれる事を信じよう』
翌日、真希は中庭の掃除の後、周りに誰も居ない事を確認して歩の下駄箱に手紙を入れた。
そして、目撃される事を避けたい真希は足早に下駄箱を離れ教室に戻った。
教室には、先にトイレ掃除を終えていた好美たちが戻ってきていた。
お互い、席は大きく離れていたが、真希が好美に向かって親指を立てて見せると好美も笑顔で親指を立てて見せた。
「おはよう!どう、ヨッシーの所に歩から何か連絡来た?」
「おはよう、ううん、私の所には何も連絡ないよ、真希ちゃんの方は?」
「私のところにも来てない!」
「良かった!やっと、ちゃんと歩ちゃんと話せるね」
2人は歩との約束の10分前にフードコートに来て歩の到着を待った。
歩を待ちながら、クラスの誰かが自分たちを監視していたりしないか、周囲の様子も気にかけていた。
程なく、店内に10時を知らせる短い館内メロディが流れた。
「もう来るかな、歩ちゃん」
「うん!」
・・・・・10時を知らせる館内メロディを2人で聞いてから、既に20分近くが経過していたが歩が来る気配がなかった。
「おかしいな・・・・・真希ちゃんのところに何か届いてたりする?」
真希はスマホを念入に確認してみせながら首を振った。
「来てない!ヨッシーの方は?」
好美も歩からのコンタクトの形跡が無い事を確認して首を振った。
「・・・・・勿論、圏外ってわけでもないよね、お互い」
2人、何度もスマホを見下ろした。
「それだけ怒ってるって事なのかな、もう歩ちゃん私たちの事、許してくれないのかな」
「・・・・・取り敢えず歩に電話してみよう!」
「うん」
2人、フードコートの隅に移動して真希がアドレス帳から歩の番号を呼び出した。
数回コールし、呼び出した後、留守電に切り替わってしまった。
「駄目だ・・・・・出ない」
2人、泣きたい気持になりながら、取り敢えず混雑してきたフードコートを後にした。
「これが歩ちゃんの答えなのかな」
ショッピングモールの駐輪場で自転車に乗ろうとした2人は、駐輪場に面した通りを見知った少年と楽しげに歩く歩を目撃した。
思わず顔を見合わせ2人で通りに駆けて行った。
「歩!」
「歩ちゃん」
呼ばれて歩は2人を振り返った。
「・・・・・何?」
久し振りに聞いた歩の台詞の響きが酷く冷たかった。
歩が色んな感情を滲ませながら目を泳がせた。
「何って・・・・・って言うか、坂口君、歩と仲良かったんだ?これから2人で、どこか行くの?」
「どこか、って言うか、此処に来た、2人でっていうか、今からプチ同窓会なんだ、俺たち同じ小学校で5年6年って同じクラスだったんだけど、取り敢えず、ここのフードコートに一度集合して、どこかで遊ぼうって話になって」
「・・・・そうなんだ?」
真希が動揺を隠しながら納得して見せた。
そこに、後ろから少年が颯爽と自転車で登場した。
「翔!鏑木!久し振り、遅れてゴメン!他の奴等は?」
「久し振り!判らん、実は俺らも今来たところ!」
「そうなんだ、っていうか鏑木、電話出ろよな!」
「あ、ごめん!電話したんだ?また携帯、不携帯にしちゃって、さっき携帯忘れた事に気づいたんだけど、取りに帰ると完全に遅刻だから、誰からも掛かって来ないと信じて諦めた、何なら取りに戻らなくても遅刻したけどね、何か用だった?」
「ちょっと電話して欲しい所があったんだけど、もう用済みだから気にするな」
旧友に笑って謝って見せた後、歩はぎこちなく2人に告げた。
「・・・・・じゃあ、私行くけど」
2人、楽しげに旧交を温める3人を立ち尽くして見守った。
そして3人が店の中に入っていくのを見届けて2人で沈黙した後。
「何あれ」
真希が呆然と呟いた。
「帰ろうか・・・・・」
好美も呆然としながら真希に提案した。
「そうだね、帰ろう」
好美の提案に真希も頷いて自転車に乗って、取り敢えず店から離れた。
そして、いつもの別れ道に来て、どちらからともなくブレーキを掛けた。
「ごはん、歩とフードコートで食べる予定だったから、お昼要らないって言っちゃったんだよね、どうしよう、お昼食べ損ねた、まあ全然食べる気になれないけどね、今日の唯一の収穫は坂口君の下の名前を知った事位かな」
「私もだよ!折角お小遣い前借してきたのに、でも本当に何か食べる気になれない、って言うか、こんな早々帰ったら変に思われちゃうよ、ここまで踏みにじられると思ってなかった」
悔し気に涙を浮かべる好美の横顔を心配そうに見守り、真希が、不意に思いついたように切り出した。
「・・・・なら帰る事ないよ!時間はたっぷりある!ねぇヨッシー、急だけど今から1人か2人、誰か呼べない?」
「え?」
「私も、お姉ちゃんに声掛けてみるからさ、あの巨大パフェ食べに行かない?」
「いいね!ちょっと誘ってみる!」
好美は早速、由美と寛子に声を掛けてみた。
「お待たせいたしました」
ウエイトレスが重そうに巨大パフェを好美たちのテーブルに運んできた。
初めて巨大パフェに挑む由美と真希と咲希が、思わず、たじろいで見せたが5人で協力して今回も完食した。
「これ、5人で食べるぐらいが金額的にも量的にも丁度良いね」
初めて巨大パフェに挑戦した咲希が率直の感想を述べた。
「うん!」
大満足して5人で店の外に出ると、好美たちは、またしても歩達と鉢合わせた。
気まずさのあまり、互いに不自然な所に目線を走らせていた。
真希も好美も、ある種の達成感に満たされていた気持ちが急激に醒めていくのを感じた。
「あれ・・・・・小沢たちも巨大パフェ食べに来たのか?」
翔が3人の間に流れる気まずい空気に気づかず話しかけた。
歩達は計6人で、その店に入ろうとしていた。
「うん、5人で完食した、美味しかったよ!じゃ、また学校でね」
逃げるように歩たちから離れた好美たち。
その背中を歩は淋しげに見つめた。
「おーい、鏑木!行くぞ」
「うん」
呼ばれて、歩は慌てて店の中に入って、案内された席についてポーカーフェイスで旧交を温めた。
その日の夜、お風呂上り、時間ギリギリまで好美と真希はLINE電話で語り合っていた。
「真希ちゃん、今って平気?」
『うん、お姉ちゃんがお風呂から出てくるまでならね』
「そっか・・・・それでさ、鏑木さんの事なんだけどさ」
『・・・・・ヨッシー何か怖いよ』
「え、怖いって何が?」
『ヨッシーの「鏑木さん」呼びが、歩を切り捨てた感が何か、ちょっと怖かった』
好美が失笑しながら胸の内を吐露した。
「もうさ、歩ちゃんなんて気安く呼んだらいけないような間柄になっちゃったよね、私たち!だから、これからは苗字で呼ぼうと思って、そうすれば自分の中で気持ちに区切りだったり諦めだったり付けられるかなって思って」
『なるほど』
「鏑木さん、都合悪いなら連絡くれれば良いのにね」
『ヨッシーもそう思うよね!本当にさ、今日のアレは幾ら何でも酷いよね!確かに先に酷い事したのは私たちだけど、でも、これで歩の気持はよく判ったね!これで、月曜日からは罪悪感なく無視できるね』
「うん」
電話の向こう側で微かにドアの開閉の音が聞こえた。
真希は一瞬、視線を音の聞こえた方に流した。
『あ、ごめん、お姉ちゃんがお風呂から上がっちゃった、私も入ってくる!じゃあ、またね!バイバイ』
「真希ちゃん、おはよう、朝練お疲れ!」
「おはよう!」
「鏑木さんは?今日休み?」
「ううん、来てるよ!両角先生とグラウンドでケンカ中」
「・・・・よくやるねぇ」
そんな話をしていると悠太が登校してきた。
そして、いきなり2人を睨みつけた。
相変わらず感じの悪い悠太を思わず、2人も睨み返した。
「1つ忠告しておいてやる、鏑木と関るな!」
「何それ、今更そんな事言われなくても私たち、もう関ってないけど、ねぇ、真希ちゃん」
「うん」
「すぐにバレるような嘘をつくな!なら、これは何だ!」
言って先日、真希が入れた手紙を突きつけてきた。
「影でコソコソ鏑木と関ろうとしてるじゃないか!」
2人が希望を託した手紙は、歩が確認する前に悠太に下駄箱から抜き取られていたのだ。
このような妨害に遭う可能性は、ちょっと考えたら容易に想定出来たはずなのに、なぜか、そんな都合の悪い想定には蓋をしていた。
結果、まんまと、とんでもない妨害に遭ったことを今更ながら気づいて、2人、思わず顔を見合わせた。
そして、今回も図らずとも深く歩を傷つけてしまったのだと気づいた。
きっと2人で楽し気にしている所を見せつけられた歩は、仲間外れにされたと感じた筈だと悟った。
「・・・・まあ、未遂で済んだ事だし、今回に限り見逃してやるよ、但し次は無い!」
「・・・・・・あんただったの?あの紙回してきたの、っていうか、何で歩の下駄箱なんか、わざわざ開けたの?」
「下駄箱の扉、ちゃんと閉めなかっただろう、すぐ気づいたぞ」
言われて振り返ってみれば、目撃される事を警戒し、ちゃんと扉を閉めず立ち去った記憶がある。
自分の詰めの甘さに真希は思わず眉根を寄せた。
都合の悪い方向に話が流れていき、好美は思わず気分が悪くなり、腹部を擦った。
「あの紙、考えれば考えるほど、あんたしか居ないね!異様なほど毛嫌いしてたもんね歩の事」
「・・・・・だったら、どうする」
「そんなの決まってるでしょう!殴らせろ!」
「断る!」
「ふざけるな!」
真希が悠太に掴みかかった。
「凶暴だな、そんなんじゃ彼氏出きないぞ」
「余計なお世話だ!」
「放せよ!回したのは俺じゃない、だから殴られるのは御免だ!」
鬱陶しそうに真希の手を振り払い制服の乱れを正した。
「書いたのは確かに俺だよ!でも回したのは俺じゃない」
「あんたこそ下手な嘘つくな!なら誰が回したっていうの?!」
「こいつだよ」
言って悠太が好美を指差した。
信じられない思いで真希は好美に視線を流した。
好美が絶望感に立ち尽くしていると、両角との言い合いに決着がつけられないまま、鳴り響く予鈴に促されグラウンドを引き上げてきた歩が来た。
「・・・・・・本当なの?ヨッシー」
真希の問いかけを間近で耳にした歩が訝し気に好美を振り返ったが、すぐに上履きに履き替えて前に向き直った。
3人の間に何か不穏な空気が漂っている事に気づいたが、歩は誰とも目を合わせずに足早に教室に向かった。
「あら、何してるの?もうホームルーム始まるから教室に行きなさい」
「はい」
通りかかった教師に促され3人、生返事をして、それぞれ距離を取りながら教室に向かった。